倫理学研究室の歴史

倫理学研究室の百年史

倫理学



 倫理学専修は1906年の文科大学創設と同時に哲学科の一講座として設置された。旧制京都帝国大学時代の担当教官は、狩野亨吉(在任・1906-1908)、友枝高彦(1908-1914)、桑木厳翼(1909-1910・哲学講座と兼任)、西田幾多郎(1910-1913)、藤井健治郎(1913-1931)、千葉胤成(1917-1923)、和辻哲郎(1925-1934)、天野貞祐(1935-1944)、島芳夫(1936-1966)である。このうち、狩野、藤井、和辻、天野の4教授が旧制時代の主任教授を務めた。


 狩野は、帝国大学文科大学、理科大学において哲学と数学を修め、第一高等学校校長などを経て、初代京都帝国大学文科大学学長に就任したが、在野から内藤湖南や幸田露伴を教授として招聘するなど、京大文学部の独自の学風の礎を築いた。わずか2年での辞職は、文部省との軋轢が原因であるともいわれる。その後は一切の公職に就かなかったが、安藤昌益や志筑忠雄などを発掘したことなどによっても有名である。藤井は、カントを中心とした倫理学を講じたが、倫理学と社会科学との関連も重視した幅の広い研究を行い、研究室の基礎を確立した。主たる業績は『藤井博士全集』全8卷に収められている。和辻は、西洋倫理学のみならず、日本精神史の源流としての中国、インドの思想への遡及的研究を行うとともに、後に「人間の学としての倫理学」として知られることになる独創的な倫理思想を築いた。天野は、カント哲学の権威であり、その『純粋理性批判』の名訳によって著名であるが、ヒューマニズムと合理主義の立場からの青年向けの評論活動も盛んに行い、戦後は文部大臣としても活躍した。


 新制京都大学においては、島芳夫、保田清(1950-51)、森口美都男(1965-1985)、西谷祐作(1974-1990)、内井惣七(1991-1994)、加藤尚武(1994-2001)、水谷雅彦(1996-)が教鞭を執った。


 島は、旧制文科大学以来、実に30年にわたって研究室での指導にあたり、多くの倫理学研究者を育てた。その研究は、美学出身の島らしく人間の情意的側面に着目する独自の倫理思想研究を中心としつつも、デュルケムなどの道徳社会学を取り入れた実証的倫理学の領域にまで及ぶ広範囲なものであった。主著に、『行為の全体的構造』、『道徳史学』、『人間性の倫理』、『倫理学通論』などがある。また、島の業績は、多くの門下生と共に戦後日本における倫理学研究の基盤を形成したことにもあり、とりわけ同人の尽力により1950年に創設された関西倫理学会は、東大を中心として結成された日本倫理学会に先がけた倫理学の専門学会として現在まで継続されている。


 島の後任であった森口は、いわゆる「大学紛争」時の負傷の後遺症に苦しみつつも、驚くべき熱意で教育研究を遂行した。その研究は、カントを中心としつつ、イギリス経験論やルソーからベルクソンまでのフランス思想、さらにはオルテガ、ヴェイユ、ピカートといった現代思想にまで広がっており、現在に至る研究室の間口の広さを形成したといってよい。その主な業績は、『哲学論集』全3巻に収録されている。病身の森口を助けた西谷は、中世哲学やライプニッツなどの近世哲学を中心とした該博な哲学史的知識と卓越した語学力により、多くの学生指導に貢献した。


 その後着任した内井は、これまでになかった分析的倫理学の手法を研究室にもたらした。内井は、倫理学上の主著である『自由の法則・利害の論理』において、社会契約論や功利主義の系譜を詳細に検討し、経験主義的倫理学の歴史的体系を構築したが、後には『進化論と倫理』にみられるような、倫理を進化論的観点から解明するという日本ではほとんど手つかずであった新しい研究領域を切り開いた。その後内井は、進化論のみならず、『アインシュタインの思考をたどる──時空の哲学入門』などの相対性理論を中心とする空間時間の哲学や科学者の倫理にまで研究を広げ、元々の専門のひとつであった科学哲学や論理学における教育研究を京都大学に根づかせるために、1993年に新設の科学哲学科学史研究室の初代教授として移籍し、2006年停年退職した。


 次に着任した加藤は、『ヘーゲル哲学の形成と原理』などで知られるドイツ観念論の研究者であったが、もう一方では、いわゆる「応用倫理学」という研究領域を日本で開拓した研究者として著名である。その著書は、生命倫理学や環境倫理学、ビジネス倫理学など、多岐にわたって多数あり、そのいずれもが日本における応用倫理学研究の基本文献となっているが、京大在任中の特筆すべき仕事としては、1995年から研究室内外のメンバーを結集して行った、文部省科学研究費創成的基礎研究「ヒトゲノム解析研究」の一翼を担う「ヒトゲノム解析研究と社会との接点」に関する共同研究を組織したことをあげることができる。加藤は、2001 年の停年退官後は、新設の鳥取環境大学の初代学長として着任するとともに、日本哲学会会長としても学会に貢献した。伝統的な倫理学研究と応用倫理学研究の両輪という研究体制は、1996 年に着任した水谷にも引き継がれた。水谷は、現象学的観点からのコミュニケーションと倫理に関する研究とともに、情報倫理学という新しい研究領域の開拓を、1999年から5年間にわたって実施された日本学術振興会「未来開拓学術推進事業」の一環である「情報倫理の構築」プロジェクトにおいて遂行した。


 以上のような歴史を経て、現在の倫理学専修における教育研究は、伝統的な倫理学研究に加えて、道徳的言語の論理的分析に関するメタ倫理学的研究、そして応用倫理学研究の三本柱から成り立っており、特に大学院生にはそのすべてにわたるトレーニングが科せられている。とはいうものの、修士論文や博士論文のテーマとして取り上げられるものは、ほとんどが倫理学史上の主要な人物に関するものであることは変わりはない。そしてその範囲が英独仏の近世から現代までの広い範囲にわたっていることも本専修の特徴である。新制の課程博士号を取得した者の扱ったテーマとしては、カント、ライプニッツ、シジウィック、ヘーゲル、ヒューム、ベンタム、ロールズなどがある。


 本専修は教員定員という面からみれば全国でも最小規模の倫理学専攻の研究室であるが、その大学院修了者は北は北海道から南は九州までの多くの主要大学において教鞭をとっており、日本における倫理学研究においてつねに主導的役割を果たしてきたといってよい。研究室では、先に述べた三本柱のテーマに関する研究会が常時開催されているとともに、2002以降は文学研究科における21世紀COEプログラムの一環である「現代科学・技術・芸術と多元性の問題」研究が行われている。また、大学院生と卒業生の研究発表の場として1978年に創刊された学術雑誌『実践哲学研究』は、2006年には第29号を数えるに至っている。