行動遺伝学の新展開
安藤寿康(慶應義塾大学文学部助教授)
人間の遺伝研究には、倫理問題や研究者の社会的責任の問題が密接に関わってくる。それが人間の心や行動に関わるものであればなおさらである。過去の優生学の悪用などには、確かに科学の名による差別の正当化の論理があった。しかしだからといって、人間の行動遺伝に関する研究に、おしなべてかつての優生思想のようなイデオロジカルな意図を読み解こうとするのも、安易で一方的すぎる評価であるように思われる。
1.行動遺伝学批判に対する行動遺伝学者側からの反論
かつて『日経サイエンス』誌に、「米国で流行する”優生学”」と題する記事が掲載された(93年8月号)。1)知能、分裂病、アルコール依存症、同性愛など人間の心理的、行動的形質が遺伝によって規定されていることを明らかにしようとする行動遺伝学を、あやしげで人心を乱すだけの不毛なエセ科学であるように印象づける論調の内容で、シニアライターのホーガン(J.Horgan)による記事であった。
私はこの記事が Scientific American 誌に掲載されたちょうどそのときの93年5月、そこで槍玉に上がった行動遺伝学のメッカであるコロラド大学行動遺伝学研究所が主催する、双生児と家族研究に関するワークショップに参加していた。このワークショップ初日の開会の辞のなかで、所長のディフリース(J.C.DeFries)博士はこの記事を取り上げ、淡々と、しかしゆるぎない口調で「こうした無理解な取り上げ方をされるのは誠に遺憾である。しかしわれわれのしている仕事は決して無益なヒエラルキー(この記事の結語にある表現)などではない」という趣旨の話をした。この記事のコピーは、早速ワークショップの会場に山積みにされ、皆がそれを手に取って読んでいた。
当然のことながら、この記事に対して、行動遺伝学者側からは猛反発があった。コンピュータ・ネットワーク上で交わされた反応の様子を見ると、一方で研究の現状であのような非難もやむを得ないのではないかという受容派、あるいは逆にああいう低次元のイチャモンにいちいち目くじらなど立てるのも愚かだとする達観派もいないことはなかったものの、やはり圧倒的多数はホーガンの記事に対する強い憤りであった。行動遺伝学者たちからは、 Scientific American 誌に反論の論文を掲載しようという動きもあった様子だが、 Scientific American 誌の方はそれを認めなかったようで、結局大規模な分離双生児の研究を行いホーガンから直接攻撃を受けたミネソタ大学のマグー(M.McGue)が、十数人の協賛者との連名で同年11月号の「編集者への手紙」に、反対の意を表明するにとどまった。曰く「ホーガンの論評は行動遺伝学が政治的に疑わしい、かつての優生学に匹敵するようなものとして描き、行動遺伝学をおとしめようとしている。しかしながらその根拠は笑止といえるものであったり、事実の誤認に基づいたものである。いまや人間行動に及ぼす遺伝の影響を無視できる状況ではない。皮肉にもホーガンの記事が載ったのと同じ号に掲載された自閉症に関する別の論文の中で、遺伝の重要性を示す双生児データが指摘されていたぐらいである。ホーガンのような論評はかつて極端な環境論者との間の論争に見られたものだが、もはやそのような論争の時代は終わった」。それに対してホーガンからは「政治的にあやしいとは言っていない。ただミネソタ大の研究費は、かつてショックレーや知能の人種研究者を支持した財団が出している。それにミネソタ研究への懐疑は、いわゆる極端な環境論者によるものではなく、同じく遺伝を研究している人々からのものだ。また自閉症については、子宮内環境という生まれとも育ちともいえない条件の重要性を指摘する研究が出てきている」という返答が載った。
ホーガンのような論調は、しかし今に始まったものではない。だいたい行動遺伝学的話題は、過去の優生学の過ちや科学者の社会的責任論の文脈で論じられる。そのとき行動遺伝学者は、世の識者からこれまた決ったように、「科学」の名のもとに偏見と差別を正当化しようとする、社会的責任を考えない軽率な二流科学者のレッテルを押されがちだ。そもそも行動は遺伝的なのか、また遺伝的とはいかなる意味なのかが、それらの研究に即してまともに論じられることはきわめて希である。
この問題について私見を申し上げれば、確かに過去に繰り返されてきた遺伝学的知識の差別的優生学への悪用や人種偏見を助長する誤用の歴史を鑑みて、言論界にあのような批判的まなざしが(仮に色眼鏡があったにせよ)あることは、当分の間必要であり、また健全なことであると考えている。いかなる人も、遺伝的背景を根拠に差別的待遇を受けることを正当化されてはならないからであり、あのような監視の目はそうした悪用・誤用への歯止めとしての機能をはたしうるからである。
とはいえ、私自身がホーガンの立場そのものを容認しているのでは、全くない。これは行動遺伝学者が立ち向かい、乗り越えねばならない試練である。つまり社会的責任に対して軽率と映ることのない域にまで、この領域を学問的にも社会的にも健全に成熟させなければならない。なぜなら行動と遺伝の関係を明らかにして行くことが、今後学問的にも実践的にも重要な課題となることは言うを待たないからである。そして実際、人間行動遺伝学はこれまでもこうした批判に応えることによって少しずつ成長してきた。
1969年にカリフォルニア大学バークレー校のジェンセン(A.R.Jensen)は、その時点までのIQの遺伝規定性に関する研究について、すぐれた総括論文を著わした(「IQの遺伝と教育」(岩井勇児監訳、黎明書房))。2)しかしその中で白人と黒人のIQに遺伝的差異のある可能性を指摘したため、彼は差別論者として糾弾されることになる。そればかりか、当時ようやく体系的な科学として巣立ち始めていた人間行動遺伝学の発展が、このために足踏みさせられる結果となった。今でも頻繁に言及されるのは、ジェンセンの用いた別々に育てられた双生児に関するバート(C.Burt)のデータが、ねつ造されたものだったという「事件」である。これは「人間行動遺伝学=エセ科学」のイメージを、いやがうえにも人々の心に鮮烈に印象づけるスキャンダルだった。このスキャンダルを暴き、それ以外にも人間行動遺伝学の方法論的欠点を細部に至るまで批判したカミン(L.Kamin)の攻撃は、しかしながら今となってみれば、やはり人間行動遺伝学の発展のための試練だったといえる。人間行動遺伝学はその後10年かけて、それ以前になされた研究を量、質ともに上回る検証研究を積み重ね、その結果バートのデータを除き、その他の方法上の欠陥を補っても、IQの個人差に及ぼす遺伝規定性に関する結果は基本的に変わらないことを示した。かくして1987年にシュナイダーマンとロスマン(Snyderman & Rothman)3)によって行われた千人をこすアメリカの社会科学者、行動科学者、教育者への調査では、その大部分がIQ得点に果たす遺伝の影響の重要性について肯定的な評価を下したことが報告されている。
2.人間行動遺伝学の立場
その後の行動遺伝学者は、社会的責任性の問題に足をすくわれないようにするため、いくつかの慎重な論陣の張り方を工夫してきている。まず第1に、人間行動遺伝学の扱うテーマが、集団差ではなく個人差の問題であることを強調するようになった点である。白人と黒人、男性と女性、アーリア人とユダヤ人というような、集団間の平均的差異の遺伝は、人間行動遺伝学の直接の関心事ではない。なぜなら、一般に集団差よりも集団内の個人差の方が大きい場合が多く、社会的にも大きな意味をもつからであり、しかも個人差の原因は集団差の原因とは独立に考えることができるからである(例えば同じ人種内のIQの個人差は遺伝によるところが大きいが、人種間のIQの平均値の差はもっぱら文化的な差であるかもしれない)。これまでの遺伝学の誤用・悪用の弊害の多くが集団差の遺伝に関するものであり、「女性だから」「黒人だから」と、個人を離れてグループのメンバー全体に機械的に一律のレッテルを貼ってしまうことに起因していたことを考えると、個人差の遺伝に人間行動遺伝学の問題空間を限定することは重要であろう。また人間行動遺伝学の研究対象が、「遺伝」というコトバから連想されがちな何か生物学的・絶対的に決定されたものではなく、「差」という、ある社会集団に属する人々の間に存在する相対性であることを意識することによって、遺伝に関する議論が往々にして陥りがちな不毛な「決定論論争」を回避する糸口を与えてくれることも見逃せない。
人間行動遺伝学者の近年の慎重な態度を示す第2点は、行動遺伝学が文字どおりの遺伝の研究のみならず、環境の影響の研究としても独特の強力な方法を提供しているとする主張である。つまり方法論的に遺伝要因を統制することによって、はじめて遺伝とは独立の環境の影響を明らかにできる。行動遺伝学者は何らかのイデオロギーに縛られて、遺伝決定論を唱えようとしているのではない。むしろわれわれが往々にして無批判に、人間の行動を環境や文化のみから説明したがるのに対して、遺伝も環境もともにバランスよく目配りできる中庸な立場にいるのである。そして後で紹介するように、いかなる形質においても遺伝のみならず環境もまた重要であること、そして環境の中でも、同じ家族の成員すら共有しない「非共有環境」の影響が特に重要であることを見出した。
そして何よりも近年の大きな進歩は、共分散構造分析のような高度で強力な統計学的手法を量的遺伝学のモデルに適用させ、代表性の高い大きなサンプルによって多変量的、縦断的な研究を組織的に行なえるようになったことである。かねてから指摘されているように、例えばただ単独にIQの遺伝率が何%かが算出されたとしても、それだけでは理論的にも実用的にも有益な情報とはいい難く、知的能力の発達に関わる遺伝と環境の絡み合い方について、生産的なモデルを与えてくれるものとはならない。ところが知的能力についてのさまざまな指標を同時に多数測定し、また何年にもわたる縦断的なデータを手に入れることによって、たとえば記憶能力と数学の学業成績との間の相関が、環境によって媒介されているのか、それとも遺伝によって媒介されているのか、それぞれの寄与の程度はどのくらいかを推定することができる。あるいはまた、発達過程の中で知的能力が変化するとき、それが遺伝と環境にそれぞれどの程度関わっているのかも調べることができる(遺伝的影響は形質の恒常性だけでなく、変化にも寄与している)。
3.IQの発達的変化に及ぼす遺伝と環境の影響
このような最近の人間行動遺伝学の成果を示す研究例をいくつか紹介しよう。
いっしょに育った一卵性双生児および二卵性双生児のIQの相関について、これまでに発表されたすべての研究のデータから算出された、年齢段階ごとの重みづけ平均値の推移を見ると、4歳から成人に至るまで、一卵性の相関は0.8弱から0.85程度まで若干の上昇傾向を維持しているのに対し、二卵性の場合は20歳頃まで0.6程度で横ばいであったのが成人になると0.4にまで著しく落ちる(ちなみにこの分析は、ホーガンがたびたび攻撃を加えているミネソタ大学のマグーやブシャード(T.Bouchard)らによるものである)。4)双生児の相関係数は人間行動遺伝学研究を行なう際、出発点となる最も基本的な情報の一つだ。双生児間の相関係数とは、とりもなおさず双生児の類似性を計量化したものである。ここで一卵性双生児の類似性は、二人が100%共有している遺伝の影響と、二人が同じく共有している環境(共有環境)の影響に由来するのに対し、二卵性双生児の類似性は、二人の間で平均50%を共有する遺伝の影響と共有環境に由来する。このように一卵性と二卵性の2種類の双生児の間では、共有環境の影響はほぼ等しいが、遺伝の量的類似性は2:1であるというところがミソである。ここで用いる遺伝のモデルはいわゆるポリジーン・モデルと呼ばれるもので、量的な形質に対して多数の遺伝子の効果が相加(足し算)的に関与することを仮定している。ここでもしこの相加的な遺伝的類似性の程度に従って、一卵性双生児の相関係数が二卵性の相関の値の2倍程度であれば、その形質について双生児のきょうだいを類似させているのはもっぱら遺伝的影響であって、共有環境は関与していないと推定される。しかしもし二卵性双生児の相関係数の値が遺伝要因だけから予想される一卵性の半分の値より大きければ、そこには遺伝要因のみならず共有環境の影響も関与していることがうかがえる。また逆に一卵性双生児の相関が相加的な遺伝様式から予想される二卵性の値の2倍よりも大きいとすれば、非相加的遺伝効果-いわゆるドミナンス(優性)とかエピスタシスと呼ばれる遺伝子間の交互作用効果-の存在を示唆する。さらに遺伝も環境も共有する一卵性双生児ですら類似しない程度、すなわち一卵性の相関係数が1より小さい分だけ、非共有環境の効果を示している。このように人間行動遺伝学の最も基本的な分析は、双生児やその他の血縁関係の類似性に関するデータ(相関や共分散)から、相加的遺伝効果(A)、非相加的遺伝効果(D)、共有環境(C)、非共有環境(E)の4つの効果の大きさを、ある集団中の「分散」という統計量によって推定してゆくことである。
さてここで述べた目安でいくと4歳から20歳ぐらいまでは、二卵性の相関が一卵性の相関の半分以上であり、遺伝の影響に加えて共有環境の影響が示唆されるが、成人になると二卵性の相関は一卵性のほぼ半分になり、共有環境の影響はなくなって遺伝の影響だけが双生児の類似性を説明することになる。一方、非共有環境の影響は、ほぼ一貫して、一卵性双生児の相関が1に満たない分の、およそ0.15~0.2程度と推定される。このように遺伝の影響は増加傾向があるのに対して、共有環境の影響は発達とともに減少する(なお各効果の大きさの実際の推定にあたっては、共分散構造分析という統計手法を用いる。共分散構造分析とは、観測されたさまざまな変数(この場合たとえば双生児きょうだいのIQ得点)間の共分散(統計学的には相関係数のもとになる部分)を説明するための潜在変数(この場合いま述べたA,D,C,E)からの因果モデルを解く統計手法である。この方法の強みは、モデルの当てはまりのよさの評価をすることができるという点にあり、たとえば相加的遺伝効果(A)と共有環境(C)と非共有環境(E)の3要因を仮定するモデル(ACEモデル)と遺伝効果の存在は仮定しないで共有環境と非共有環境だけで説明させようとするモデル(CEモデル)とで、どちらの方が観測変数間の共分散をよりよく説明するかを、統計学的に検定できる。これは一種の連立方程式を解くようなもので、連立方程式の解を解くのに十分な条件が満ちている限りにおいて、いろいろと複雑なモデルを考えることができる)。
この結果はいろいろな意味で示唆的であるように思われる。まず共有環境の影響は、IQの場合、20歳前の、おそらく同居している間にこそある程度認められるが、それはそのとき限りで、その後一生を通して永続的にその影響力を維持するわけではなさそうだということ。これは養子研究でも認められ、遺伝的なつながりのない養い親と養子の相関、あるいは養子のきょうだい同士の相関は、子どもが小さいうちはある程度あるものの、やはり青年期から成人期のうちにほとんど0になる。
ここでいう共有環境とは、ただ単に家族が共有している環境という意味ではなく、家族の成員の類似性を高めるように効く環境の効果、いいかえればある家庭環境が家族の成員の個々人の個性に関わらず、一律に同じような効果を及ぼす影響のことであることに注意されたい。IQの場合、これが環境を共にしている間はある程度の大きさを保っているが、環境が変わるとその影響力はなくなり、もっぱら非共有環境、すなわち一人一人に異なる個性的で同じ家庭の成員を異ならせるように機能する環境の効果のみが残るのである。なおこれがパーソナリティ特性だと共有環境の効果は小さいときから無視できる程度であり、もっぱら相加的遺伝効果と非共有環境の効果がその個人差を規定していることが繰り返し示唆されている。このことはいわゆる「環境の影響」というものを考える上で意義深い知見といえよう。
一方、遺伝の影響に関していえば、IQに及ぼす遺伝の影響は発達を通じてその効果を維持し、あるいは増加させる。ふつう遺伝の影響は生まれたばかりの時が一番大きく、その後経験を積み重ねるほど環境の影響が大きくなると考えられがちだが、実はその逆なのである。人間行動遺伝学者はこの説明として、次の2つを考えている。まず遺伝子型・環境間の能動的相関の効果による説明。つまり人間が成長し、自分の意志で自由に自分の環境を選択し経験を構成できるようになるにつれて、人は自分の遺伝的資質に合った環境を進んで選んで、そこからの影響を受けるようになる。こうして遺伝子型と環境の間に相関が生じ、その効果によって遺伝の効果が増幅されるという仮説である。人は環境に翻弄されて生きているのではなく、自分独自の内なる自然を表現すべく環境を主体的に利用しているというスカー(S.Scarr)らの見解だ。5)
もう一つの説明は、発達とともに新しい遺伝効果が漸次的に加わってくるという説明である。この見解には実証的な裏付けがある。上記の研究は各年齢集団を構成するのはそれぞれ異なった人々によるいわゆる横断研究だが、コロラド大学のファルカー(D.W.Fulker)らのように同じ双生児や養子を長期間にわたって追い続けた縦断研究によれば、IQの変化が遺伝によるのか、それとも環境によるのかを推定できる。6)この研究では100~200組の一卵性双生児、75~175組の二卵性双生児、30~90組の養子きょうだい、そして40~100組のふつうのきょうだいを対象に、1歳、2歳、3歳、4歳、7歳、そして9歳の時(双生児は1,2,3,4歳時のみ)に知的能力の測定を行なっている。これを相加的遺伝、共有環境、非共有環境の各効果から構成されるモデルで分析し、最も適合性の高い解を求めた。これによると1歳時の遺伝の効果がこの発達期間を通じて一貫して影響力を持つものの、2歳、3歳、そして7歳時に新たな遺伝的影響が入り込み、その後に影響を持続させている。それに対し、共有環境には新たな効果の浸入はみられず、一貫して最初の時点の共有環境の影響が持続しているのである。このように遺伝効果に発達的変化が見られるのは、発達段階の特定の時期にスイッチがONになるようなIQの発達に関わる時間的遺伝子が関わっているとも考えられるし、あるいは言語的、社会的環境が激変する2,3歳時、そして新たに学校という社会環境に組み込まれる7歳時に、社会的環境の変化に適応して新たな遺伝的素質を解発する仕組みがあるとも考えられる。その原因はまだ不明である。しかしいずれにせよ遺伝要因は心理的形質の恒常性のみならず変化にも関与し、共有環境より以上に、発達とともにその影響力を強めていく様子がうかがえる。
4.知能の構造に関わる遺伝と環境
以上はいずれもIQという単一の知的能力の指標について、遺伝と環境の関わりの発達的変化を示したものであるが、知的能力などという複雑な形質は、もちろんIQによってその全てを表現できるものではない。こうした心理学的測定値のもつ意味については後で改めて論ずるが、次に知能を構成すると考えられる機能や水準の異なるいくつかの知的能力の相互関係に、遺伝と環境がそれぞれどのように関わっているかを解析した研究を紹介しよう。ここで紹介するコロラド大学のワズワース(S.J.Wadsworth)らの研究7)では、一般的認知能力の下位コンポーネントとしての言語理解能力、知覚体制化の各能力、ならびに学業能力として読み能力と算術の4因子の間の関連性について、これまで同様に相加的遺伝、共有環境、非共有環境が相互にどのように関わっているかを、やはり共分散構造分析を用いて分析している。これによれば、全体として遺伝の影響は中程度で、その多くは言語理解能力を媒介としている様子がうかがえる。特に2つの学業能力(読みと算術)の遺伝的重なりのうち、48%は言語理解能力の遺伝要因を媒介としたものである。また知覚体制化と読み能力には、それぞれに独立の遺伝要因も少なからず寄与している。一方、共有環境の寄与は小さく、特に言語理解能力と読みの間以外はほとんど無視できる程度である。また非共有環境の影響は非常に大きく、やはり言語理解能力に関わる非共有環境要因がこれら4つの因子の橋渡しになっている
このように人間行動遺伝学の成果の多くは、数多くの血縁者の類似性の情報を統合することによって、統計学的に遺伝と環境の相対的影響力を推定してゆくものである。そこで扱われている形質は、ここで取り上げた知的能力以外にも、パーソナリティ、創造性、身体運動、飲酒や喫煙、読み障害、いろいろな精神病のみならず、政治的信念や非行、犯罪(この辺は反対者から格好の攻撃の的になりそうであるが)など多岐にわたる。およそ心理学や行動科学、精神医学でその信頼性や妥当性が認められている指標であれば、いかなる「形質」であっても行動遺伝学の研究対象となりうる。またここで紹介した基本的モデルによる分析の他に、親同士が遺伝的に類似している(いわゆる同類婚 assortative mating という)ことからくる遺伝的影響力はどの程度か、遺伝子型×環境間交互作用が見いだされるか(環境が異なると異なった遺伝効果が表われるか)、一卵性双生児には二卵性双生児以上にきょうだい間の類似性を高める特別な効果があるか、遺伝的効果に性差はあるか、また性差があった場合、それは異なる遺伝要因に由来するのか、それとも同じ遺伝要因からの影響力が異なるだけなのかなど、さまざまな問題を検討するようになってきている。もちろんDNAを直接扱う分子生物学者とは異なり、人間行動遺伝学の示す遺伝の証拠というのは、あくまでも統計学的、蓋然的な「状況証拠」に過ぎない。しかしその中でかなり複雑なモデル構成が可能になってきている。
このような複雑なモデルについては、まだ研究数が十分蓄積されていないので、これらをスタンダードな結果として認めるのは時期尚早と言わねばならない。というのも、人間行動遺伝学はいわば応用統計学であり、常にサンプリング・バイアスとの戦いだからである。サンプルが異れば異なる結果が生じることがある。だから数多くの追試研究を蓄積し、それらをさらにメタ分析して、より代表性の高い結果は何か、研究間の差は何に起因するかを慎重に検討して行かなければならない。その意味でIQの遺伝率が約50%程度と、かなり大きな値であること、多くの形質で共有環境の影響は小さい場合が多く、環境として重要なのはむしろ非共有環境のほうだということなどは、いまのところかなり安定した結果と言える。だからこそ近年、プロミン(R.Plomin)らがIQの高低に関わるDNAマーカーを特定しようという試みに着手したのも、もはや荒唐無稽とは言えない段階に入ってきているのである。8)
5.行動が「遺伝的」とはどのような意味か
それにしても、そもそもIQが遺伝的というのはどういうことなのだろうか。IQなどというのは生物学的に「実在」するものではなく、「頭のよさ」という文化に依存したあいまいな人間の特徴を、IQテストといういわば恣意的な道具によって無理やり数量化した artifact (人工物)にすぎない。分子生物学でいうように、「ステロイドホルモンがT細胞のアレルゲン刺激により引き起こされるIL-5遺伝子の転写を抑制する」などというレベルの議論とはだいぶ異なる。人々が人間行動遺伝学に「いかがわしさ」を感ずるとすれば、おそらくこの点だろう。そんな恣意的にでっち上げられた artifact の遺伝規定性を問題にすることなど、科学を装った欺瞞ではないか、と(例えばグールドの『人間の測りまちがい』9)の論点もここにある)。
しかしながら興味深いのは、むしろ逆に、そのようにあたかも「でっちあげた」心理的指標にすら、しばしば遺伝規定性を示す証拠-すなわち二卵性双生児より一卵性双生児の類似性が高い傾向-が見出されるという、この経験的事実である。私自身かつて、学習者の遺伝的素質と教育環境との交互作用を検討するため、双生児統制法という手法を用いて、中学に進学直前の一卵性双生児19組ならびに二卵性双生児12組を対象に、英語を会話中心のコミュニカティヴ・アプローチ(CA)と伝統的な文法訳読式のグラマティカル・アプローチ(GA)で、きょうだいを教え分けるという実験を行なった。10)その際、学習直後に被験者のいだいた英語学習への意欲を、「きれいな発音で英語が話せるようになりたいです」「中学の英語が楽しみになりました」など37の質問項目(各々4点満点で応える)の合計点によって評定したところ、その意欲合計得点が一卵性双では相関が高いのに対して、二卵性ではほとんど無相関という典型的な非相加的遺伝効果を示すパターンが得られた。このように学習科目も教授法も、また測定された心理的指標やその測定方法もかなり恣意的で、一見きわめて文化的・状況的規定性が大きそうな「でっちあげの心理的形質」にすら、遺伝的影響が反映されるのである。このことは人間の心理的形質に及ぼす遺伝の影響について考える上で、きわめて示唆的である。
IQやパーソナリティ特性、あるいは英語の学習意欲のような心理的指標に表われる個人差は、きわめて多くの心理的諸要因の全体が反映されていると考えられる。これは単にそれらが多数のテスト項目の合成得点だということだけではない。たとえばIQという数値に関わる要因には、知的能力のさまざまな側面-記憶、推理、言語理解、知覚速度など-のみならず、やる気、テスト場面への情緒的適応性、テスターの指示に従順に従う態度、IQテストへの価値観など、実に雑多な要因が関与しているだろう。だからIQが素朴に人間の知能そのもの(というものがあればの話だが)を測定していることにはならない。たとえばIQが学業成績を比較的よく予測するのは、こうした雑多な諸要因全体を使用する心理・社会的状況が、IQテストの場面と学校で勉強しテストを受ける場面との間で類似しているからかもしれない。だからいうまでもないことだが、このような形質を規定する単一の遺伝子などがあるわけではない。重要なことは、このように複雑で雑多な心理的要素が合成された全体的傾向というものがなんらかの条件を満たすと、遺伝の影響を反映する可能性があるということである。この複雑な心理的現象を構成する要素の一つ一つの遺伝規定性は相対的に低い。実際、知能の下位因子と考えられる記憶や知覚速度などの遺伝率はIQほど高くはない。しかしそれらが織りなす全体的な形は、その人独自の遺伝的スタイルを反映して、さまざまな心理活動の中に浸入してくるのではないだろうか。
さらに興味深いのは、上の英語の双生児統制法による実験で、社会的外向性(これはIQとならんで遺伝規定性の高い心理形質の一つである)と教授法の間に、いわゆる遺伝子型×環境交互作用が見出されたということだ。社会的外向の高い人にはCAが、またその低い人にはGAの方が、より学習意欲を高めるという傾向である。このように、確かに全体として遺伝規定性が高いとしても、環境が異なれば遺伝による効果も異なる可能性があるといえる。このように複雑で高次な人間の心理現象にも、遺伝的な影響は多かれ少なかれ入り込む。しかしその影響力は、固定的、絶対的なものではなく、遺伝と環境の交互作用という形で関与することもあろうし、また一方では環境-特に一人一人に個性的な非共有環境-の影響を大きく受ける。
遺伝子は確かに生命活動の根幹を担っているものであり、その一方でまだ未知の部分が圧倒的に多いので、われわれはそれがあたかも「背後霊」のように、人の運命を操る得体の知れない実体であるというイメージを描きやすい。だから人間行動遺伝学者に「遺伝的影響がある」といわれると、霊能力者と称する人に「それはあなたの背後霊のせいですよ」といわれたときのような恐れやいかがわしさの感情をいだくのだろう。冒頭に紹介したホーガンのような論調には、まさにそうした感情を払拭しようとするあがきが表れているように思われる。
しかしそもそも「遺伝=運命」「遺伝=決定」という図式自体が誤っているのである。いささか乱暴な比喩だが、行動に及ぼす遺伝の影響とは音楽におけるスタイルみたいなものだろう。例えば沖縄の音楽には、琉球音階や三線のような独自の楽器などがかもし出す独特のスタイルがある。しかしそれは音楽表現の限界を決定しているのではなく、その独自性を発揮しながら他のさまざまな表現様式と絡まって豊かにその可能性を広げている。もちろん、そのスタイルにはよい面も悪い面もあろうし、従ってその独自性が手放しで豊かに発揮されるものではなく、その可能性が花開くためには、時間をかけた骨折りが必要だろう。またそのスタイルを理解し伸ばそうとしてくれる周りの人々の支えも重要である。
人間行動遺伝学が取り組んでいるのは、人がもつ各々独自の遺伝的スタイルが、環境と絡まって心理、行動面で展開されるプロセスのモデル作りである。そして人々の恐れとは裏腹に、こうして遺伝を明らかにすることによって、遺伝的影響が運命的なものではないことを知り、また遺伝的影響に対する冷静な対処の仕方を工夫できるようになるだろう。幽霊の正体見たり枯れ尾花(いや「枯れ」るどころか生き生きと生きている)である。
もちろんこれは研究者側の勝手な楽観的見込みに過ぎないといわれればそれまでだ。しかしこのことが人々に許容されるか否かを明らかにするためにも、今後の人間行動遺伝学研究のさらなる充実が必要なのであって、できることなら外部からの無理解な批判によって、まだまだ萌芽的段階にあるこの研究が阻害されないことを期待したい。また、これも肝要な点だが、遺伝的多様性に対する人々の理解と寛容と支援の態度、そして自分のもつ遺伝的スタイルを社会の中でより善く生かすための本人の多少の洞察と工夫という、もう一つの重大な課題に直面することを余儀なくされることもいうまでもない。遺伝を問うことは、とりもなおさずわれわれの生き方そのものを問うことに他ならないからである。
これまでに述べてきたことはあくまでも人間行動遺伝学という枠からみた遺伝の問題である。人間行動遺伝学と教育心理学に二股を掛けて、このキナ臭い領域に敢えて足を踏み込んだ者としていつも心に掛けているのは、「遺伝を明らかにすること=遺伝決定論への接近」というあまりに固定化された先入観から人々の心をいかに開放できるかということだ。われわれはほとんど無批判に「遺伝によって決まっている」というフレーズを口にする。この常套句がわれわれの思考を縛りつけている。もし人間行動遺伝学が、心や行動というものを対象にして、その遺伝規定性を明らかにしながら決定論を回避するロジックを築き上げることに成功すれば、それは決定論論争に縛られている他の多くの遺伝研究や遺伝に絡む議論を生産的な方向に向けさせるモデルを提供することになるのではないか。そしてDNAを操作するのではなく、社会や文化環境からの働きかけによって、人間のより善く生きようとする願いを支援しようという、「教育」ならではのいかにも「青臭い」ロジックが、しかし案外と重要な提言をこの問題に投げ掛けるのではないかと期待している。
引用文献
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- S.J.グールド(鈴木善次・森脇靖子訳) 1989 人間の測りまちがい-差別の科学史 河出書房新社
- 安藤寿康 印刷中 遺伝要因が教授・学習過程に及ぼす諸効果-双生児統制法による英 語教授法比較研究 教育心理学研究,44.
参考文献
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- 安藤寿康 1993 遺伝要因と教育環境 並木博編著『教育心理学へのいざない』 八千代 出版
- R.プロミン(安藤寿康・大木秀一訳)1994 遺伝と環境-人間行動遺伝学入門 培風館