シャーマン・エリアス、ジョージ・アナス、ジョー・レイ・シンプソン 「嚢胞性繊維症のキャリア・スクリーニング:医療処置の標準の設定のケース スタディー」

シャーマン・エリアス、ジョージ・アナス、ジョー・レイ・シンプソン 「嚢胞性繊維症のキャリア・スクリーニング:医療処置の標準の設定のケース スタディー」

Sherman Elias, George J. Annas and Joe Leigh Simpson, “Carrier Screening for Cystic Fibrosis: A Case Study in Setting Standards of Medical Practice”

キーワード

  1. 嚢胞性繊維症 (cystic fibrosis)
  2. 遺伝子スクリーニング (genetic screening)
  3. 脊椎欠損症スクリーニング

論者は、最近の遺伝子検査技術等の進歩によって、可能になった医療処置が、どんな場合に標準的なものとするのは定めるという問題を、嚢胞性繊維症(Cystic Fibrosis、以下CF)をテストケースとして主として医学的な観点から考察している。

CFキャリア・スクリーニング

嚢胞性繊維症は北アメリカコーカソイドに多い常染色体劣性の遺伝病である。この集団での出生数は2500人に1人の割合で、計算上は25人に1人がCFのキャリアである。症状は腸閉塞、慢性の肺疾患、膵臓機能障害、ビタミン同化障害、肝硬変、成長遅滞など多岐に渡る。程度は新生児期の死亡から、50-60代までの生存と様々で、患者の約半数は26才程度まで生存すると予測されている。

最近の技術の進歩により、胎児がCFを発症しているかどうかを母親の羊水中の酵素を調べることよって診断することが可能になったが、2%の偽陽性と8%の偽陰性を伴なうなど正確であるとは言えない。また絨毛組織からDNAを採取検査することによって非常に正確な診断が行なえるようになっているが、このためにはそのカップルの前の子どもがCFを発症しておりそのDNAが利用できることが条件である。さらに遺伝子研究が進んだ現在では複数の染色体上の変異が特定され、キャリア全体の約75%をDNA診断によって同定することが可能になっている。しかしこの数字は望まれるほど高いものではない。例えば、もし現時点でCFキャリアのスクリーニングを行なえば、約20組のカップルに1組の割合でパートナーの一方がCFキャリアであり、一方は検出可能な変異を持たないとされるであろう。そのようなカップルがCFの子どもをもつ可能性は依然として1/661あり、胎児診断によっても胎児がCFであるか否かに関して確定的な判断ができるわけではない。

キャリア・スクリーニングのための公共政策

1990年にNIH(国民健康省)のCF遺伝子の集団スクリーニングに関する委員会は、CFスクリーニングの実験的調査に関して次の5つのガイドラインを示しており(1)、論者もほぼ同意しコメントを加えている。

1. スクリーニングは自発的で、秘密の保持が保証されなければならない

ナショナル科学アカデミーは1975年に、「遺伝子スクリーニングプログラムへの参加は、法によって強制してはならず、被験者の決定(未成年の場合は親や法的保護者)にまかせられるべきである(2)」としている。バイオエシックスに関する大統領委員会も「CFスクリーニングを拒否する人々がいることが予想され、またその様な選択を行なう能力は保証されるべきである(3)」としてこの勧告を支持している。また、秘密の保持も医者・患者関係において重要である。大統領委員会は「社会的・経済的危害や誤用の可能性のため、情報は被験者の同意の明示なしに保健会社や雇用者に与えられることがあってはならない」と述べている。仮にCFキャリアが自分がキャリアであることを兄弟に伝えることを拒否したとしても、その兄弟がCF患者の子どもをもつ確率は1%以下にすぎないので、上の要件が破られねばならない理由はないと論者は結論している。

2. スクリーニングにはインフォームド・コンセントが必要である。

3. スクリーニングサービスの提供者は適切な教育やカウンセリングがプ ログラムに含まれていることを保証しなければならない。

人々の自律は重要であり、またそのためにはスクリーニングに先立って適切な教育が行なわれる必要がある。個々の被験者に対して個別に情報を伝えようとすれば莫大な費用と時間がかかるため、大規模な周知のキャンペーンが必要である。また、実施可能な遺伝子スクリーニングの数が急増するにつれ、ヴィデオテープなどを用いた新しい教育の方法が考案されるべきであろう。

現在の集団CFスクリーニングの難点—-スクリーニングの結果カップルに与える安心が少なすぎること、恐怖やスティグマを助長すること、また集団スクリーニングのコストが利益に比べると高いこと—-は、主として十分にキャリアを検出できないことに由来している。例えばコストに関しては、現状では、1人のCF児の出生を避けるために約220万ドルのコストがかかると試算されており、もし仮にキャリアの検出率が95%でカップルあたり$70までコストが下がったとしても1人あたり約100万ドルと想定されている。

ただし一方では、個別的な検査については、このような低い検出率でもスクリーニングを望む個人もいるかもしれない。そこで柔軟な方法として、CFの前例のないカップルが特に望んだ場合には、現在の技術について医師が詳細に説明し、それでも望むならば検査を行なうという方法が考えられるだろうという。

4. 検査の品質管理が必要である。

正確なスクリーニングとカウンセリングのためには信頼できる結果が必要であり、このためには国家的な実験施設のモニタリングが必要であろう。

5. 検査は平等に受けることができなければならない

実験的調査によって、CFスクリーニングよる利益がコストを上回り、カウンセリングが十分機能するということが明らかになった場合、どのような人々がスクリーニングを受けるべきであろうか。NIHの委員会は集団スクリーニングに適当なグループは出産適齢期の人々であるとしている。しかし一人当たり現在の$150-$200というコストよりもかなり安価にならない限り、公的な保険による集団スクリーニングを正当化することは難しいだろうし、また例えばアメリカ黒人等を含んだ広い(キャリアである確率が低い)集団に適用することはもっと難しいだろう。この評価をするためにはより多くのコストと利益のデータが必要とされる。

遺伝子スクリーニングのための基準の標準

1980年代半ばからの医療過誤保険危機以来、医師は患者の利益というよりは、訴訟にたいする恐怖から医療基準を定めようとしている。もっとも悪名高い例は、母体血清のアルファフェトプロテイン(MSAFP)スクリーニングである。脊椎欠損症(Neural Tibe Defect, NTD)はアメリカでは1000人に1人から2人の発生率の遺伝的障害である。これに関しては、MSAFPを検査することによって、ある程度の診断が行なえることがわかっている。しかし90-95パーセントのNTDは以前にそのような症例がない家族に生じるので、スクリーニングを有効的に行なうには、すべての妊婦に一律に行なわねばならない。しかし、この検査を正確に行なうためには、高度な研究室、カウンセリング、超音波、羊水検査などが利用可能でなければならない。このような技術が利用できないとすれば、MSAFPスクリーニングは単に経費の無駄使いであり両親の不安をかきたてる結果にしかつながらず、結局は不必要な妊娠中絶を増やすという結果になるだろうと考えられる。このような理由から、1982年にアメリカ産婦人科大学(ACOG)は、MSAFPスクリーニングはすでにNTDに罹患している子どもを持っている親に対しては有効であるが、すべての妊婦に対して一律にMSAFPスクリーニングを行なうことの価値に対しては疑念を表明していた。ところが1985年にはACOGからメンバーに対して、すべての妊産婦にこのテストが利用できることを助言するべきであるという「警告」が行なわれた(4)。この勧告は医学的な理由にもとづくものではなく、むしろNTDを伴った新生児の出産に関わる医療過誤訴訟に対する「最善の防御」を与えることが目的であった。おそらくこの際ACOGの弁護士が考えていたのは、へリング・カーレィ訴訟(5)である。この裁判では、二人の眼科医が若い女性に緑内障のスクリーニングを行なわなかったことにより、彼女の視力を著しく損なったという過失を問われ、これに対して弁護側は、眼科医社会では40才以下の患者に対して緑内障の検査を行なわないことが標準的であると主張した。ワシントン最高裁は、医療処置の標準は「合理的な思慮reasonable prudence」によって定められるとした。眼科医の間では40才以下の患者に緑内障のスクリーニングを行なわないことが慣行であっても、そうしないことは合理的な思慮の不履行という判決を下した。最高裁によれば、緑内障検査は簡単で、安価で、安全で、正確で、重度の疾患の進行をくいとどめることができるものであり、「合理的な思慮」によれば当然なされるべき処置であった。しかし、MSAFPスクリーニングを正確に行なうためには複雑な一連の検査のくり返しが必要であり、それでもなお正確さには問題がある。また検査は確かに重度の疾患を検出するものであるが、人工妊娠中絶を選択しない限り疾患の進行をくいとどめることができるものではない。つまり、MSAFPスクリーニングは、緑内障検査のようには「合理的な思慮」によって要求されるようなものではない。この事例からCFスクリーニングに関して得られる教訓は、医療組織は訴訟の心配ではなく医学的利益にもとづいて標準を定めるべきだということである。訴訟の心配にもとづいて決定された標準はむしろより大きな害をもたらすであろうと論者は主張している。

CFスクリーニングに対する産婦人科医の責務

さて、CFキャリアスクリーニングは理想的には妊娠前に行なわれるべきで あるが、現実にはほとんどのカップルにとってスクリーニングを受ける機会は 妊娠後なので、CFキャリアスクリーニングを助言するする責務は産婦人科医に ある。現状の産婦人科医にとっての医療処置の標準は、家族史を調べ、すでに CFを発症した子どもを持っているカップルには胎児診断を行なうことを提案す るというものである。問題はCFの前例がない個人にCFスクリーニングを行なう べきか否かである。論者はバイオエシックスに関する大統領委員会(6)とアメ リカヒト遺伝学学会の宣言(7)に同意し、CFスクリーニングを一般的に行なう 前に、実験的調査計画が行なわれるべきであり、適切な科学的委員会がすべて の関連する科学的データと教育方法を吟味し、その様なスクリーニングを提供 することが個人やカップルに対して害よりも大きな利益をもたらすと結論され た後に初めて、標準的な医療処置と認められるべきであると主張している。ま た、現在のように、ACOGやNIH内の委員会のような専門組織によって勧告がな されるという手続きは、民衆の効果的な参加をはばんでいる点に注意しなけれ ばならない。究極的には民衆が遺伝子スクリーニングを受け入れるか拒否する かを決定し、またそのようなスクリーニングの目的が民衆の公益のためである としたら、民衆をどのようなスクリーニングが一般に行なわれるべきかという 議論に参加させるべきであると強く主張している。

(1) “Statement from the National Institutes of Health Workshop on Population Screening for the Cystic Fibrosis Gene,” New England Journal of Medicine 323:70, 1990.

(2) National Academy of Sciences, Genectic Screening: Programs, Principles and Research, National Academy of Sciences, Washintong DC, 1975.

(3) President’s Commision for the Study of Ethical Problems in Medicine and Biomedical and Behavioral Reseach, Screening and Counseling for Genetic Conditions, United Stetes Goverment Printing Office, Washington D.C., 1983.

(4) S. Elias and G. J. Annas, Reproductiove Genetics and the Law, Yearbook Medical Publishers, Chicago ,1987所収。

(5) Helling v. Carey, 83 Wash. 2d 514, 519 P. 2d 981 (1974).

(6) President’s Commision, 1983.

(7) The American Socioety of Human GFenetics Statement on Cystic Fibrosis Screening” American Journal of Human Genetics 46:393, 1990.

(江口聡)


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Last modified: Wed Sep 23 15:32:10 JST 1998