C.K.チャン「優生学の興隆–シンガポールからの報告」
Chan, C. K., Eugenics on the Rise: A Report from Singapore, in Ethics, Reproduction and Genetic Control, 1987, pp. 164-171.
キーワード
- 優生学 eugenics
- リー・クアンユー首相の演説
- IQ研究 IQ research
- ポジティヴ/ネガティヴな優生学 positive/negative eugenics
- テクノクラシー(専門技術者に産業的資源の支配・統制を委ねる政治) technocracy
チャンによれば、優生学の教説が、やや温和な形をとって、世論の多くの分野でいまだに信憑性を保っていることを思わせる動きがあるという。このような動きをみせている国としては、政治的に保守的な社会のほか、肉体的精神的にぬきんでた素質をもつ人間の誕生を促進することを目的とする「ポジティヴな優生学」を求める最近の中国などが挙げられる。シンガポールもまたそうした国のひとつに含まれるとして、チャンはこの論文でシンガポールにおける優生学の興隆について解説している。
1983年8月のシンガポールのナショナル・デーの演説において、リー・クアンユー首相は、知性と遺伝についての彼の信念、そしてシンガポールの社会政策にとってそれらがある含意をもつという確信をはっきりと表明した。リー首相はシンガポールの経済成長を支えてきた人材の質の重要性について触れ、同時にこれらの質の遺伝的な性格への堅固な信念を示したのである。彼の強硬なエリート主義と、シンガポールの運命は「肉体的精神的に並以上に恵まれた」「たった5パーセントの」エリート集団にかかっているという確信は全く明白だった、とチャンは述べている(「」内はリー首相についての書物[M.Caldwell著] からの引用である)。このような首相の信念と重なる形で、優生学的な考え方はかなり長い間、シンガポールの実際の社会政策の重要な要素になってきた。それが最も鮮明に表れているのが、この国の教育の仕組みにおける綿密な進路観察(能力別)システムである。こうした社会的工作の目的は、シンガポールが東南アジアの社会の中でぬきんでた地位を保持するために力を発揮してくれる少数の優秀な人的資源を利用するためであった。
優秀な人々の出産率が低下しないようにとの関心をリー首相が初めて表明したのは、1969年の、中絶法案についての議会の討論においてであった。リー首相は、自発的な不妊手術に関する法律と中絶に関する新しい法律を導入することで我々は自発的な選択ができるようになる、と語る一方で、この新しい法律がもたらす結果とこの法律が使用されるパターンとを注意深く監視しなければならないという意見を述べ、そうした結果を判断する重要な物差しの一つは、それが国民の総体的な質を高める傾向があるか低める傾向があるかということであるだろう、と発言している。リー首相の恐れは、1982年までに、大学卒女性の出産数と非大学卒女性の出産数との間の格差の広がりという形で具体的に表れだしていた。大学卒の女性の多くが独身のままであり、既婚者であっても、生んだ子どもの数はより学歴の低い既婚者より平均して少なかった。これらの傾向をチェックせずにいれば、シンガポールの人間の才能が薄弱になり、そうして今までの活気に満ちた経済が行き詰まることになる—–これがリー首相の見解であった。
「ポジティヴな」優生学
当時の副首相ゴー・ケンスゥィはこうした傾向への対応策を公表した。その中身はポジティヴな優生学といえるものであったが、具体的には、コンピューター・デート・サービス、大学卒女性がもっと多くの子どもを生むための財政その他の面での奨励、大学卒の独身公務員のための(全額支払い済みの)お見合い巡航船、男女学生比を均等にするためのシンガポール国立大学(NUS)の特別入学の基準、NUSの学士会に対する独身卒業生の問題についての調査要請、大学カリキュラムへの男性対象の求婚講習の導入、等々であったという。この計画は予想通り大衆の抗議を巻き起こしたが、そうした反応の多くは、(優生学への批判というよりは)人間の感受性の問題に対して政府がやや俗悪なテクノクラシー的アプローチをしていることに対するものであり、また仕事と家庭の両立の問題や家事に関する男性の非協力的態度などについての心配といったものであった。この政策の基礎的な前提、つまり知性(さらには社会的成功ないし職業上の成功)は遺伝子でほぼ決まるという前提と、この提案の優生学的な性質とは、ほぼ変えられないまま残されたのである。聡明な両親が聡明な子どもを生むとは限らないという抗議も確かにあったが、それは(首相によって引用された)専門家の意見に対するしろうとの感傷に見えた、とチャンは述べる。首相は、教育よりも天性ないし遺伝の方が人間の行為能力の大きな決定要因であるという証拠は増えてきていると述べ、生まれてすぐに引き離されて社会的経済的階級の異なる別々の家庭にひきとられた一卵性双生児の研究を引き合いに出し、この研究では環境の違いにも関わらず双子の能力が非常に近いことが示されたと述べた。首相は特にミネソタ大学のトマス・ブーチャード教授の研究を例にとり、「80%が天性ないし遺伝、20%が環境としつけできまる」という専門家の意見を示した。
これに加え、その数週間後にはシンガポール放送協会のテレビチームがロンドンに飛び、IQ-遺伝論争において有名な遺伝(優勢)論者であるハンス・エイセンクにインタビューを行っている。そうして、NUSの小児科学の教授でWHOの人間遺伝学地域センターの局長でもあるウォン・ホクブーンも協力してシンガポールの4回シリーズの番組でエイセンクの著作から主に抜粋した遺伝子と知性についての説明を大衆に紹介したのである。地方紙もまた、A.R.ジェンセン、ウィリアム・ショックリー、トマス・ブーチャードとの長いインタビューを特集した「アジアウィーク」誌(1984年3月)からとった話題を掲載した。NUSの植物学科出身のシュー・クアンホンは、古代ギリシャ文明は上流階級婦人たちがあまり自分の子どもを産もうとしなかったために衰退したのだとを述べ、シンガポール政府は「高度に知的な女性の産児制限は思いとどまらせ、あまり知的でない女性の産児制限は奨励する」という「選択的人口コントロール」政策を採用すべきだと発言した。こうした矢継ぎ早の報道にさらされれば誰でも、科学者集団の内部では意見がかなり一致しており、IQに遺伝子が優勢な役割を果たしているというのは証明済みの真実なのだ、という印象をもってしまうだろうとチャンは述べる。
IQ研究の科学的地位
こうした動きと対照的に、1970年代には遺伝(優勢)主義の立場に対する痛烈な批判も展開されていた。IQ研究の科学的地位については、1969年に出版された『ハーバード教育批評』に収められているA.R.ジェンセンの論文「我々はどれだけIQと学業成績を引き上げられるか」に続いて活発な論争が繰り広げられた。初期のころは、観察によって確認されたというIQの高い遺伝性(70-80%)を唱えるものが多かった。これらの数字は、隔離された一卵性双生児についての四つの研究に依拠するところが多かったという。最も重要なものは最大のサンプル数を報告した故シリル・バート卿によるもので、1974年までの彼の実験は最も精密とされた。しかし、同年、レオン・カミンによってIQと遺伝子に関する経験的データについての広範な再実験結果が出版され(『IQの科学と政治』)、バートによるデータ捏造の強力な状況証拠が示された。バートに対するこの疑いは、その後の5年間の間にさらに多くの情報が明るみに出て実証された。1979年には、バートの機密書類や日記や書簡を入手した伝記作家のレスリー・ハーンショウによって、バートの不正行為は決定的に確証された。カミンはさらに、その他の双子研究や血縁関係と養子縁組の研究についても、実験、分析、解釈における大きな欠陥を指摘し、「熟慮ある人を、IQテストのスコアが多少なりとも遺伝するものであるという仮説を受け入れるように導くようなデータは存在しない」と結論した。
遺伝性分析の全体の理論的枠組みについても、R.C.レウォンティンなどが厳しい批判を行った。「IQは80%が遺伝によって決まる」といった人間的特徴の遺伝性の測定は、その特徴を測定した環境の範囲によって値が変わりうる。また、ある特徴が高い遺伝性をもっていることは、その特徴が不変であることを含意するものではない、といった論点が示された。
カミンやレウォンティンは、遺伝子が人間の知性と何の関係もないことを証明したと主張しているわけではない。彼らが言っているのは、現にあるような証拠はエイセンクやジャンセンの主張を正当化するものでは全くないのであり、またシンガポールで実施されているような政策に何等の基礎も提供しはしないということである—-チャンはこのように述べて締めくくっている。
「ネガティヴな」優生学
ポジティヴな政策と対置されるネガティヴな政策とは、学歴の低い女性がもっと少数の子どもを産むよう奨励するような政策である。上述のようなポジティヴな政策に加え、ネガティヴな政策も1984年6月2日に正式に発表された。この計画は、ある一定の条件が当てはまる女性は政府の低価格アパートの頭金の支払いとして総額4000USドルの報酬をうけられるというものであった。その条件とは、・年齢30歳未満、・子どもは二人以下、・中学以下の教育レベル、・妻、夫共に月収300USドル以下、そして・不妊手術を受ける気があること、というものであった。ただし、この提案は貧困対策として語られたもので、いわば低所得の人々の貧困の状況を利用したものであった。
この政策に対しては、応募資格者からの請求が殺到するという、むしろ政府を驚かせるような反応があったという。しかし、やはりこの政策に対する激しい憤りがあったことは、六ヶ月後の共和国総選挙で明らかになった。反対政党は他の問題と共にこの問題を取り上げ、リー首相の人民行動党(PAP)はかなりの票数を失った。選挙敗北後、PAPは計画のいくつかを撤回して、大学卒の母親への奨励をやめ、学校の進路観察システムを徹底的に見直すことにした。しかし、おそらく優生学の方策の中で最も成功する確率が高い、不妊手術の奨励は残されたという。
このように依然として優生学の興隆を見せるシンガポールについて、チャンは最後に次のような分析をしている。チャンが指摘するのはシンガポールのテクノクラシーの背景となるこの国の体質である。シンガポールにおけるテクノクラシーは、他の多くの資本主義国と違って、短期的な、そして派閥的な利益(資本家の利益、あるいは労働者の利益)には左右されず、長期的な利益になる、そしてシステム全体を生存させるような方策をとろうとしている。社会計画者にとって、優生学的方策の導入もまた、シンガポール国民の「質」が、進歩した、そして高度に技術化された社会の要求にかなうものになるということを表現しているのだとチャンは述べる。
もちろん、現代の階級社会において生物学決定論的な観点がイデオロギー的な役割を果たしているのだ、という別のレベルの解釈も考えられる。シンガポールにも、階級や性や民族の間の差異はその底流にある生物学的差異の避けがたい現れなのだと主張する者は多くいる。しかしシンガポールにおいては、特権階級の利益についてのこのイデオロギー的な表現は、人種差別的で家父長的なブルジョワ社会への挑戦に由来するものであるというよりは、きわめてテクノクラシー的な資本主義国家の活発な企業心によって助長されたのだ、というのがチャンの見解である。
(奥野 満里子)
Dept. of EThics <ethics@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Wed Sep 23 15:35:17 JST 1998