成人に対する遺伝子スクリーニングと遺伝情報のプライバシー

成人に対する遺伝子スクリーニングと遺伝情報のプライバシー

-自分の遺伝情報を知る権利、知らない権利、知らせない権利

蔵田伸雄

キイワード (1)遺伝子スクリーニング (2)プライバシー権         (3)遺伝情報(4)遺伝的差別

1.成人に対する遺伝子スクリーニングテストの「メリット」

ヒトゲノムの全塩基配列が明らかにされ、その塩基配列の担う機能が理解できるような時代になれば、多くの遺伝病や、遺伝的素因に関係のある疾病について、診断法が開発されることになるだろう(1)。そして多くの疾病について、人がその疾病の原因遺伝子を持っているかどうかを、生化学的な検査よりも確実なDNA診断によって調べることが可能になるだろう。それによってハンチントン舞踏病やデュシャンヌ型筋ジストロフィーや家族性大腸腺腫症といった狭義の遺伝病にとどまらず、遺伝性の癌や家族性アルツハイマー症、そして高血圧・心臓病・脳卒中・癌など現在の死因の多くをしめる疾患や(2)、一部の精神疾患などの疾患についてDNA診断を行うことができるようになるだろう。そしてこのようなDNA診断が病院や診療所で「患者」に対して行われるだけでなく、職場などでの集団健康診断や「人間ドック」での検査の中で行われる日もそう遠いことではない。そして近い将来、「遺伝子スクリーニングテスト」を入社時や入学時に行うことが一般的になるだろう。

このようなDNA診断は病院や診療所で個人に対して行われるだけでなく、集団に対する「スクリーニング」の形で、職場や学校で行われることが多くなるだろう。スクリーニングとは、選別を目的として集団に対して行われる医療テストのことである。遺伝病のスクリーニングには、胎児の段階で行う胎児診断としてのスクリーニング、出生直後に行う新生児スクリーニング、成人に対して行われる遺伝病遺伝子保因者のスクリーニングの三つがあると言われている(3)。この三つの遺伝子スクリーニングのうちでも、胎児診断(出生前診断)としてのスクリーニングが選択的人工妊娠中絶との関連で問題にされることが多い。しかし本稿で考察するのは職場などで行われる「成人に対するスクリーニング」である。また、ここには未成年に対する遺伝子スクリーニングテストも含めることにする。なお「遺伝的スクリーニング」という場合にはDNA診断のみならず、染色体レベルでの検査や、生化学的検査方法による遺伝病の診断を含んでいるが、「遺伝子スクリーニング」と言う場合には、DNAの構造に直接焦点をあてて、疾患の有無を診断することを意味している(4)。

このような遺伝子スクリーニングテストによって、確かに人々は利益を得ることができる。たとえば遺伝子テストの結果によって、ある職場で扱われる何らかの化学物質に自分が特異な反応を示すことがわかった人は、そのような職場で働くことを避けることによって、自分の健康を守ることができる(5)。一方雇用者等も、スクリーニングの検査結果によって得られる求職者の遺伝的特性に関するデータによって求職者の採否を決定したり、被雇用者の配置転換を行ったり、場合によっては退職・辞職の勧告をしたり解雇したりして「職場の安全」を確保することができる(6)。

また人々はDNA診断によって得られる自分の遺伝的データによって、自分が種々の疾患に対してどの程度の「危険性」を持っているのかを知ることができるようになる。そして人々はそのような自分の遺伝情報を踏まえて、自分の健康を長期的に考え、食事やライフスタイルに注意することによって、種々の疾患を予防したり、発症を遅らせることができるようになる。これは狭義の「遺伝病」の遺伝子の保因者だけでなく、高血圧・心臓病・脳卒中・癌・糖尿病など何らかの遺伝的素因に関係のある疾患の遺伝子を持つ人すべてについてあてはまる。すでに一部で行われているように、自分が遺伝性の乳ガンなどの遺伝性の癌の遺伝子を持っていることがわかれば、何らかの予防的な措置をとることや、定期的に検査をうけることによる早期発見と早期治療が可能である(7)。確かにこのように適切な遺伝子スクリーニング-プログラムを、配慮のいきとどいたカウンセリングと組み合わせれば、自分の将来を決定したり、ライフスタイルを設計したりするのに必要な材料を人々に提供することができるだろう(8)。

しかしこのような遺伝子スクリーニングテストによって、大きな利益が得られるとはいえ、スクリーニングとは本来雇用者等による「選別」であり、遺伝子スクリーニングによって様々な倫理的問題が生じることは否定できない。本稿ではそのような問題の一部を整理した上で、プライバシー権によって被験者の権利を守り、遺伝的差別に対抗するというアプローチについて検討してみたい。

2.遺伝情報の誤認とプライバシーの重要性

まず遺伝子スクリーニングにとどまらず、遺伝子テスト一般に共通する問題がある。遺伝情報は他の種類の医療情報とは異なり、その人に関する一生変わることの無い情報である。特に現在遺伝病については、十分な理解が人々の間にいきわたっているとは言い難く、遺伝病に対する偏見は依然根強い。そのためある人が「遺伝病」の保因者であることが明らかになると、その情報が誤って理解される可能性が非常に高いだけでなく、その人には「遺伝病」という烙印が一生ついてまわることになる。そのような人は進学・就職・結婚・保険加入やローンの契約といった場面で、一生を通じて不利な状態に置かれることになる。従ってそのような人の基本的な権利を保護するために、ある人が遺伝病の保因者であるという事実については、必要最低限の情報を必要最低限の人に伝えるだけにしておき、他の人に対しては秘密にしておく必要がある。

例えば雇用者側に遺伝病に関する十分な知識が無いために、職場での遺伝子スクリーニングが不当な「選別」につながることがある。その例として、1970年代に黒人に多い遺伝病である「鎌型赤血球性貧血」を対象としたスクリーニングが行われ、それによって多くの不当な差別が生じたことをあげることができる。この病気はメンデル優性であり、ホモの保因者でない限り(両親の両方から因子をうけつがない限り)発病することはなく、ヘテロの保因者であるだけでは(両親のどちらかから因子をうけつぐだけでは)「保因者」であっても発病することはない。しかしある時アメリカ空軍の四人の空軍兵が超高空での激しい訓練で死亡するという事故が起こり、その事故死者全員がたまたま鎌型赤血球性貧血のヘテロ「保因者」だった。そのためこの事故の直後に航空会社が機乗職から保因者をしめだしたり、警察、消防署、軍隊など体力を要求する職種において鎌型赤血球性貧血の保因者を解雇するという事態が生じた(9)。当時多くの州で鎌型赤血球性貧血のスクリーニング法が成立していたが、軍隊やいくつかの民間組織でも鎌型赤血球性貧血のスクリーニングが導入された(10)。しかしアメリカの黒人フットボール選手を対象にした検査によれば、検査をうけた579人中37人から鎌型赤血球が見つかっており(11)、この事実からも、鎌型赤血球性貧血の保因者であるからといって、必ずしも激しい労働に向かないわけではないということがわかる。そして激しい抗議の末、この広範なスクリーニングは中止された。

この鎌型赤血球性貧血の例は、遺伝情報を第三者が誤認する可能性が高いことを示唆している。劣性遺伝病の「保因者」であるにすぎず、「遺伝病」を発病しないことが明らかな人、つまり実質的には全く健康な人も「遺伝病」の烙印を押されて、様々な場面で不利な扱いを受けている。このような遺伝病に関する誤解を減らすために、遺伝病についての啓蒙を行う必要がある。そしてそれ以上に医者や遺伝学者には保因者診断の結果を雇用者などに的確に説明する義務があるが、遺伝病に対する偏見のために、保因者診断の結果に関する医者の説明が誤解される可能性はひどく高い。よって遺伝子スクリーニングテストの結果については、「職業に対する適性」など「最低限の情報」を雇用者に伝えるだけでよいであろう。そして職業適性に関しても、いわば「イエス」か「ノー」かを伝えるだけでよく、それ以上の情報を与える必要はないだろう(12)。そしてこのような義務の法的根拠となるのが「プライバシー権」である。

また近い将来遺伝子テストによって、遺伝病の保因者であるかどうかということ以外にも、何かのがんにかかりやすい、あるいはある年齢までに心臓発作を起こす確率が高いといった知識を得ることができるようになるだろう。今後DNA診断技術の進展の結果として、(遺伝性でない)癌、高血圧、心臓病、脳卒中、精神分裂病、ある種の異常行動といった疾患について、このような蓋然的な予測をすることができるようになると思われる。そしてそのような新しい遺伝子テストは、開発されるやいなや、それに対する評価が固まる以前に急速に普及することが予想される。しかしさきにあげたような疾患は、いずれもいくつかの異なる遺伝子や環境との間の複雑な相互関係によって生じるものであり、その病気の原因遺伝子を持っていることは、必ずしもその病気を確実に発病することを意味しているわけではない。だがそのような「あいまいさ」が認識されない危険性はきわめて高く(13)、またこのような病気の発症における環境因子の重要さが見過ごされてしまう危険性がある(14)。

しかし成人病や精神疾患に対する遺伝子テストは個人に対するテストとして行われる以上に、「スクリーニング」という形で広く行われることになるだろう。そして今後そのような遺伝子スクリーニングの結果として「ある人が何らかの病気になる危険性が高い」ということが明らかになるとしても、その「危険性」がどの程度であれば採否の決定を左右することになるのかといった点で、多くの係争が生じることになるだろう。

3.治療法の欠如と本人や血縁者に対する告知の問題

次に今後多くの遺伝性疾患について、「診断法はあるが治療法はない」といった状態になる可能性が高いという問題がある。すでに多くの遺伝性疾患の原因遺伝子が同定されており(15)、今後多くの遺伝性疾患についてDNA診断が可能になるだろうが、現在のところ有効な治療法のある遺伝性疾患は少ない。また遺伝子検査を用いれば、現在は自覚症状が無くとも、後に深刻な遺伝病を確実に発症することが明らかになる場合がある。その遺伝病がハンチントン舞踏病や家族性アミロイドポリニューロパシーのような死に至る重篤な遺伝病である場合には、被験者に診断結果が陽性であると宣告することは死刑の宣告をするに等しい。この場合には癌告知やHIVウィルス感染の告知と同様に、告知やケアをめぐって様々な問題が生じている(16)。例えばハンチントン舞踏病は日本ではほとんど見られない遺伝病であるが、欧米では保因者の割合も高く、アメリカには現在発症している人だけでも3万人いると言われている(17)。またその病状が悲惨で発病すれば確実に死に至り、しかも治療法が無いこともあって、遺伝医学の将来を示す重要なモデルケースとして扱われている(18)。ハンチントン病患者の発症後の自殺率は8%とも言われており(19)、またアメリカでは、すでに80年代の半ばに診断法が見つかっているにも関わらず、保因者である可能性のある人のほとんどがその検査を受けていない(20)。これらの事実からもわかるように、ハンチントン舞踏病のような重くかつ治療法の無い遺伝病について発症前診断を行う場合には、インフォームド・コンセントを得た上で十分なカウンセリングを行う必要がある(21)。

そして自分が治療法が無くかつ死に至るような遺伝病の保因者である可能性がある場合には、その結果を「知らないでいる権利」を保証する必要がある。また本人に無断でDNA診断を行ったうえで、本人の希望無しに告知を行うといった行為は許されない。またたとえ本人の希望で診断が行われても、本人の気が変わって結果を知りたくないと本人が思うようになった場合にも、やはりその結果を知らないでいる権利を認める必要がある。そして、このような病気については安易にスクリーニングテストを行うべきではない。

また遺伝情報がその他の医療情報と違うところは、ある人の遺伝情報によって、その人と血縁関係にある人についての情報も得られることである。ある人が何らかの遺伝病の保因者であるということは、その家族や親戚もその遺伝病の保因者である可能性が高いということを意味している。特にその遺伝病が重く、かつ治療法の無いものであるような場合には、その家族や親戚に対しても大きな不安を与えることになる。またそのような情報は、本人とその配偶者による出産計画に大きな影響を与えるだけでなく、本人と血縁関係にある人々の出産計画にも影響を与えることになる。そして本人や家族や親戚の結婚にも影響を与えることになるだろう。

本人がそのような遺伝情報を自分の配偶者や家族や親戚に秘密にしておきたいということもあるだろう。その場合に自分の遺伝情報を配偶者や家族や親戚に対して隠す権利はあるのか、そして配偶者・家族・親戚がそのような遺伝情報を知りたいと思った場合に、そのような人々の「知る権利」と本人の「隠す権利」をどう調停するのかといった問題もある。このような問題に適切に対処するために、本人だけでなく、家族や親戚も含めたケアやカウンセリングが必要になるだろう。このように、ヒトゲノム計画の進展に伴って個人の遺伝情報について知ることが容易になるということは、「個人の尊重」を中心とした医療から、「家族や未来世代の尊重」を中心とした医療へと医療が変化していくことを意味している(22)。

4.自分の遺伝情報を知る権利とインフォームド・コンセントの必要性

以上で見たのは遺伝子テスト一般に特有の問題であるが、次に「成人等に対するスクリーニング」としての遺伝子テストに特有の問題について検討する。

遺伝子スクリーニングは集団検診の一環として、職場で被雇用者や求職者に対して、あるいは学校で受験者に対して、あるいは労働組合の加入時や何らかの免許を付与するときに、まさに「選別」の手段として行われるようになるだろう。特に終身雇用を前提とした企業の多い日本社会では、新入社員の職業適性や健康状態を調べるために、入社時に何らかの遺伝子スクリーニングが行われるようになるだろう。

このような「スクリーニング」としての遺伝子テストに特有の問題がいくつかある。医者が遺伝子テストを集団に対して行うときには、医者と被験者との関係は一対一の関係ではないので、守秘義務が守られにくく、またテストの結果が被験者に知らされなかったり、実施に関するインフォームド・コンセントが行われないことになるだろう。本稿で特に問題にしているプライバシーと守秘義務の問題については以下の章で考察することとし、この章では特にスクリーニングテストの結果を被験者本人が知る権利と、インフォームド・コンセントの必要性について論じたい。

まず第一に遺伝子スクリーニングが行われる場合には、「自分の遺伝情報を知る権利」が軽視されがちだという問題がある。職場におけるスクリーニングは、基本的には被験者が疾患や職業適性を持つか、あるいは安価で質のよい労働力を提供してくれるかといったことを調査するために行われる。遺伝子スクリーニングは、被雇用者の疾病傾向を知ることによって労働災害を防止するため、あるいは被雇用者の長期欠勤による生産性の低下を防ぐためや、疾病手当の支払いを免れるためなどの経済的効率面での利益を目的として行われる(23)。このように遺伝子スクリーニングは被験者の治療等のためというよりは、雇用者等が自分たちにとって有益な情報を得るために行われる。そのため、その人を治療できるか、その人がどのようにして病気を予防すればよいのかといったことは問題にされず、テストの結果が本人に伝えられないこともありうる。そして本来医療の世界では診断が目的ではなく、基本的には治療、予防が目的であり(24)、診断は治療や予防のための手段であるにすぎない。しかし遺伝子スクリーニングにおいては、治療や予防ではなく診断そのものが目的となってしまう。

また遺伝情報のみならず一般に医療情報については、本人にとって非常に重要な情報であるにもかかわらず、医者は知っているのに本人が知らないということがある。特に職場等で遺伝子スクリーニングが行われる場合に、テストの依頼主は基本的には被験者ではなく雇用者なので、契約上医者は雇用者に対してテストの結果を示す義務があるが、それを本人に明らかにする義務は無いのではないかと言うこともできる。確かに患者と信認関係(fiduciary relationship)にある医者には、患者の医療情報をできるだけ患者に伝える義務がある(25)。しかし何らかの治療行為を行うのでなく、ただ検査を行うだけの医者が被験者と信認関係のうちにあるとは言い難い。

さらに個人に対して遺伝子テストを行うのでなく、集団に対する「スクリーニング」として遺伝子テストが行われる場合には、医療従事者は「人格」としての生身の患者の一人一人に向かい合うわけではなく、医療従事者が扱うのは基本的には記号化された遺伝情報でしかない(26)。そのため、医療従事者は被験者に対して遺伝情報を伝える義務を軽視しがちになるだろう。したがって、遺伝子スクリーニングの結果として得られた自らの遺伝情報を、被験者自身が医者や雇用者から知ることができる権利を保証し、本人が希望すれば自分の遺伝情報に被験者自身がアクセスすることができるシステムを確立しておく必要がある。

次に職場等での健康診断の一環として、DNA診断が行われる場合には、インフォームド・コンセントの手続きがなされず、本人に無断でテストが行われる可能性があるという問題がある。例えば、東南アジアの関連企業に派遣された社員が現地の病院で企業の健康診断をうけたが、その際に本人に無断でHIVウィルス抗体検査が行われ、さらに病院側はその結果を本人ではなく雇用者に連絡し、本人は医者からではなく雇用者からHIVウィルス感染の告知を受けたというケースがあった(27)。このケースでは告知の方法について配慮されていないだけでなく、テストの実施に関してインフォームド・コンセントの手続きが踏まれることなく、本人に無断でテストが行われている。

DNA診断についても今後同様のケースが生じる可能性がある。そして「スクリーニング」という「集団検診」の形で遺伝子テストが行われる場合には、一人一人に対してテスト実施のインフォームド・コンセントをとる作業がひどく面倒なものとなるので、そのような問題が生じることは特に多いであろう。

また遺伝子スクリーニングではその「選別」という性格のために、本人に無断で複数のテストが同時に行われることになりがちである。たとえば「職場で扱われるある種の化学物質に特異な反応を示すかどうかを調べる」という名目で、癌や糖尿病を発病する可能性が高くないかといったことが調べられる可能性がある。このように職場などで行われるスクリーニングは、被験者のためというよりはむしろ雇用者等が自分たちの利益のために行うという性格が強い。そのため意図的にインフォームド・コンセントやテスト結果の連絡が怠られることもあるだろう。従って複数の遺伝子テストを同時に実施する場合には、その一つ一つのテストに関して被験者によるインフォームド・コンセントを得ることを法律や判例によって義務づけ、またテスト結果の告知を怠った場合には何らかの罰則を課す必要がある。そしてこのようなインフォームド・コンセントを行うためには多くの労働力が必要になるだろうが、看護婦や遺伝的カウンセラーの助力を得て、十分な努力をするべきであろう。

また先ほどあげたHIVウィルス感染者のケースから十分予想されるように、スクリーニングテストを行った結果、被雇用者等が重い病気の原因遺伝子を持っていることがわかってそれを告知するとしても、その告知の方法に配慮がなされず、必要なカウンセリングも行われない可能性が高い。よって遺伝子スクリーニングテストの結果得られた重大な情報を告知する場合には、告知の方法に配慮し、十分なカウンセリングとケアを行う必要があるだろう。

そして雇用者などテストを実施する側の人間は、できる限り被験者に関する情報を得たいと思うだろうが、その一方で被験者たちは自分たちにとって不利な情報はできるだけ限り隠しておきたいと思うだろう。そこで次に被験者自身が自分にとって不利な情報をある程度隠す必要があるという問題について、プライバシー権と守秘義務という観点から瞥見してみたい。

5.遺伝情報を隠す必要と医者の守秘義務

先に述べたように、職場で遺伝子スクリーニングが行われる場合には、基本的には遺伝情報をめぐって求職者等の利害と雇用者等の利害は対立する。

たとえば遺伝子スクリーニングの結果として、ある人が45歳以前に心臓発作を起こす危険性が高いということが明らかになったとしよう。そのような人にはあまり年金を支給しなくてすむかもしれないので、あまり職業訓練を必要としないような職場では雇用者に歓迎されることになるかもしれない。しかし企業はそのような人に長い時間と多額の金額を費やして仕事をおぼえさせようとはしないだろう(28)。そして「職業適性」とは曖昧な概念なので、ある人が癌になる可能性が他の人より少し高いといった程度の事実があるだけで、その人の「職業適性」に問題ありとされる可能性がある。そのため求職者や被雇用者は自分にとって不利な情報はできるだけ企業に秘密にしておきたいと思うだろう。遺伝子スクリーニングの普及に伴って、このような事態が頻繁に生じることが予想されるが、どちらかと言えば状況は被雇用者等にとってひどく不利になるだろう。よって何らかの形で被雇用者等の権利を保護する必要が生じるが、その場合に被雇用者等が自らの権利を守る根拠として用いることができるのがプライバシー権である。

そして雇用者以外にも、家族、親戚、配偶者、同僚、組合、政府、自治体、保険会社、銀行などの第三者が、スクリーニングの結果として得られた遺伝情報を知ることを望む場合があるだろう。例えば銀行は、ある人と住宅ローンの契約を行うときに、その人が一定の年齢以前に重い病気を発症しないかどうかを知ろうとするかもしれない。そこでこれらの第三者のそれぞれに対して、その遺伝情報を知らせることは許されるのか、そして許されるとすれば、どのような条件のもとで、どの程度まで知らせることが許されるのかといったことも問題になる。

すでにアメリカでは、生命保険の契約の決定などに際して遺伝情報が用いられており、日本でも今後「がん保険」等に関して同様の事態が生じることが予想される(29)。確かに健康保険も民間業者が扱っているアメリカでの問題と、健康保険が基本的には「国民健康保険」という形で公的制度として定着している日本における問題を同列に扱うことはできない。しかし今後日本でも高額の生命保険の契約や成人病保険の保険料率の算定などで、遺伝情報が用いられる可能性が無いとは言えない。

アメリカでは遺伝情報にもとづいて保険の契約を断わられたり、高い保険料率を課されたりする問題について既にかなり議論されている。そして健康保険の加入に際して、自分の遺伝情報を保険会社に提示しなくてもよく、また保険会社も保険契約の際に遺伝情報を用いてはならないとする法律を制定するべきだと主張されることが多い(30)。そして既にカリフォルニア州では、保険契約上の遺伝的差別を禁止した州法が可決されている(31)。生命保険については微妙な問題があるが、健康保険の加入はすべての人に認められるべき基本的な権利の一つであると考え、健康保険の加入に際しての遺伝的差別は禁止した方がいいだろう(32)。日本でも、自家保険や企業組合による健康保険への加入や、小口の生命保険の契約の際の遺伝情報の利用について議論する必要があるだろう。

の遺伝的差別を禁止する法律や条例を制定する必要がある。

以上のような問題に関して生じる係争は、本人のプライバシー権と、第三者の利益とを比較考量することによって解決しなければならないことになる。そしてこの被験者のプライバシー権を医者が保護する義務とは、医者が必要最低限の情報以外は第三者に対して秘密にしておく義務、つまり患者の医療情報に関する医者の守秘義務(duty of confidentiality)である。医者は治療のためには他人に知られては困るようなきわめて私的なことも患者から聞く必要があるが、そのような情報をみだりに第三者に漏洩することは許されない。この医者の守秘義務は医者の倫理的義務として広く認められており(33)、また法的にも刑法134条をはじめとしたいくつかの法律で、医療従事者に対して守秘義務が命じられている。そして遺伝情報は他の医療情報に比べて誤解を生みやすい傾向があるので、遺伝情報に関しては、この守秘義務の遵守が他の医療情報の場合以上にいっそう強く医者に要求されることになる。

そしてこのような守秘義務によって保護されるプライバシー権とはそもそもどのような権利であり、またどのような法的根拠があるのかということが問題になる。プライバシー権とは判例においても学説においても未だに確定していない、様々な問題をはらんだ概念であるが、プライバシー権が法的保護に値する概念であることは否定できない(34)。そしておそらく今後は「自己情報コントロール権」としての「積極的プライバシー権」を、遺伝情報のプライバシーに関する議論の基礎にすえるというアプローチが主流を占めることになると思われる。そこで次に自らの遺伝情報を自分が「知る権利」と「知らないでいる権利」、第三者に自らの遺伝情報を「知らせないでいる権利」等を、この「自己情報コントロール権」としての「積極的プライバシー権」によって基礎づけるという方向性について瞥見してみたい。

6.伝統的プライバシー権と現代的プライバシー権

この章では「プライバシー権」とはどのような権利なのかを確認し、さらに伝統的プライバシー権(「一人にしておいてもらう権利」「一定の情報を秘密にしておく権利」)と現代的プライバシー権(「自己情報コントロール権」)との相違について瞥見した上で、この「自己情報コントロール権」としての「現代的プライバシー権」を、自分の遺伝情報に関する諸々の権利の基礎として用いるというアプローチについて確認する。

近年プライバシー権について、伝統的な「一人にしておいてもらう権利 the right to be let alone」等の消極的・受動的な定義にかわる現代的な定義として、積極的・能動的要素を含む「自己情報コントロール権」という定義がなされるようになってきた(35)。

プライバシー権とは多義的な概念であるが、基本的には「私生活の公開を避け、個人の秘密を守る権利」である。しかしアメリカでは「プライバシー権」は、単に「自分の情報を他人から保護する権利」としてだけでなく、「ある種の重要な意志決定における自主権」を保護するものとして理解されている(36)。1965年には憲法上プライバシー権は認められとする合衆国最高裁判決(Griswold v. Connecticut)が下されたが、この判決は、ただ単に自分の情報を他人から保護する権利としてプライバシー権を捉えるだけでなく、政府の介入を受けないように個人を保護し、個人が自由に活動できる領域を創り出すための権利としてプライバシー権を論じたはじめての判決だった(37)。このような権利は「一人にしておいてもらう権利 」として理解された。これが「伝統的プライバシー権」である。このような権利に基づき、妊娠中絶をする権利(Roe v. Wade 1973)、医師が既婚者に避妊法を助言する権利、家で猥褻物を見る権利、一定の情報を秘密にしておく権利などが憲法上認められるようになった(38)。

この伝統的プライバシー権は、「一人にしておいてもらう権利」であると同時に「一定の情報を秘密にしておく権利」でもある。そしてこの伝統的プライバシー権を医療において保護した法律には、先にあげた刑法134条の医師等に対する秘密漏泄罪の規定などがある。医療情報に関してこの伝統的プライバシー権を尊重するということは、「診察で知りえたことを第三者にもらさない」ということを意味しているが、自分の医療情報を自分が「知る権利」や「知らないでいる権利」や「テストについてのインフォームド・チョイスを受ける権利」等が、この伝統的プライバシー権に含まれているとは言い難い。特に遺伝情報については、誰と誰に情報を与え、誰に与えないのかについて本人が決定する権利をかなり認める必要があるが、このような権利も伝統的プライバシー権に含まれるとは考えにくい。したがって遺伝情報について議論するためには、伝統的プライバシー権よりも強い権利概念が必要になる。

一方「プライバシー(権)とは、個人(中略)が自己に関する情報を、いつ、どのように、またどの程度他人に伝えるかを自ら決定できる権利である」とも言われている(39)。このように「自己に関する情報の流れをコントロールする権利(individual’s right to control the circulation of information relating to oneself)」(40)として捉えられたプライバシー権は、「現代的プライバシー権」と呼ばれている。この「現代的プライバシー権」としての「自己情報コントロール権」は「自己情報に関する知る権利」であり、また「自己情報管理権」「自己情報決定権」でもある(41)。そして伝統的プライバシー権が知られたくない情報か否かという情報の内容に着目するのに対して、現代的プライバシー権は、情報の収集・蓄積・利用といった情報の流れや処理に着目している(42)。この現代的プライバシー権は伝統的プライバシー権を含む概念とされており(43)、またこの「自己情報コントロール権」としての現代的プライバシー権は日本国憲法13条の幸福追求権から導出可能であるとも言われている(44)。そしてこのような「自己情報決定権」は「自分の問題を自分で決める権利」としての「自己決定権(または自律 autonomy)」に含まれると言ってよいだろう。

この「自己情報コントロール権」としての「現代的プライバシー権」は遺伝情報を含んだ自分の医療情報についても適用可能なはずである。まずそれは「自己情報に関する知る権利」であるから、それは自分の医療情報を「知る権利」でもあり、また「自己に関する情報の流れをコントロールする権利」でもあるから、「知らないでいる権利」つまり「ある自己に関する情報が自分に入ってこないことを決定する権利」もそこに含まれることになる。さらにそれは自分に関する情報の流れをコントロールする権利であるから、自分の医療情報を他人に知らせない権利の基礎ともなり、医療情報に関する医者の守秘義務の法的根拠ともなる。またそれは「自己情報管理権」でもあるから、そもそも自分が遺伝子テストを受ける、または受けないことを決定する権利や、自分の遺伝情報の研究上の利用等についてもある程度決定することができる権利ともなる。

なお日本において現代的プライバシー権を想定した法律としては、1988年に制定された「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律(個人情報保護法)」がある。しかしこの法律によって保護できるのは、行政機関がコンピューターに蓄積している個人情報のみである。つまりこの「個人情報保護法」によって国立病院のコンピューターに蓄積されている医療情報等は保護できるが、コンピューター以外の媒体に蓄積された医療情報や、民間の病院や保険会社が蓄積している医療情報を保護することはできない。よって医療情報についての現代的プライバシー権を想定した法律は、実質的にはまだ無いと言ってよい(45)。従って現代的プライバシー権の立場から、遺伝情報を含めた医療情報を保護する法律や条例を制定する必要があるだろう。なお1993年4月1日の時点で、個人情報保護条例を定めた地方自治体は983あり、この中には行政機関が保有する電子計算機処理に係る個人情報のみならず、個人の医療情報の保護に関する規定を含んだものがあるが、それも一部の自治体でしかない(46)。

また既に個人情報の蓄積は自治体や企業によって行われているが、今後政府や自治体等の行政機関や警察、保険会社、信用調査会社等が遺伝子スクリーニングテストの結果として得られた遺伝情報をもとに、「遺伝子データバンク」をつくることが考えられる。人々の遺伝子データを集積して売買するような会社も生まれてくるかもしれない。そのような遺伝子データバンクには本人も知らない情報が蓄積され、プライバシー権が侵害される可能性がある。このような遺伝子データの蓄積と利用を現代的プライバシー権の立場から規制する必要があるだろう。

また遺伝子スクリーニングによって得られる遺伝情報に関して言えば、「ある情報を第三者にもらさない」ことによって保護される伝統的プライバシー権の重要性は、現代的プライバシー権の重要性に劣らない。なぜなら遺伝子スクリーニングによって得られる情報には、医者や臨床遺伝学者や雇用者等以外にも、看護婦や臨床検査技師等の医療従事者、さらに病院等の事務職員、保険関係団体の関係者、行政機関の関係者、医学・生物学の研究者等多くの人が関与することになると思われ、それだけ遺伝情報が漏泄される危険性が高いからである。従って上記のようなすべての人に対して、遺伝情報に関する守秘義務を法的に課す必要がある。またサンプルと遺伝子データとの対応は番号等で示す等の手段を講じることによって、どの遺伝情報が誰のものであるのかは特定できないようにしておく必要もあるだろう。

しかしプライバシー権にもとづく守秘義務はできるだけ尊重されねばならないが、それは必ずしも例外の無い絶対的な義務ではない。特に守秘義務の遵守が結果として他者に危害を加えることになる場合には、守秘義務に例外を認めなければならない。そこで次に、どのような場合に遺伝情報の守秘義務について例外を認めなければならないのかを見ておこう。

7.遺伝情報に関する守秘義務の例外

特定の第三者に対する危害を避けるために、医者の守秘義務に例外を認めなければならない場合があることは、すでにアメリカの判例でも認められている。たとえば感染力が強く危険な伝染病に患者が感染している場合には、配偶者などを感染から守るために、配偶者などにその旨連絡しなければならない。また「タラソフ対カリフォルニア大学理事会(Tarasoff v. Regents of University of California)」の裁判の判決では、ある精神病患者がある女性を殺すと言っているにもかかわらず、その患者の主治医がその女性に警告することを怠ったためにその女性がその患者に殺されたことについて、主治医は責任があるとされた。この判決でも医者の守秘義務に対する例外が認められたことになる(47)。

遺伝情報の守秘義務についても同様の例外を設ける必要があるだろう。例えばある人の職務が電車の運転手やパイロットのような多くの人の安全に関わる職務であり、かつその人が空間知覚力の低下や運動障害など職務の遂行の妨げになるような症状を呈する遺伝病(ハンチントン舞踏病など)の保因者であるとしよう。この場合には、「他者に対して危害を与えてはならない」という「無害性の原則」(principle of nonmaleficence)にもとづき、その人にその仕事をやめさせなければならない。そしてその人がまだその職についていない場合には、その職につくことをあきらめさせなければならない(48)。そのためには、その人に職業適性が無いことを雇用者等に知らせる必要が生じるだろう。もっとも、先に述べた1970年代アメリカにおける鎌型赤血球性貧血の保因者に対する差別のように、そのような措置が不当な差別につながらないよう厳しい規準を設定しておく必要がある。またそのような情報を雇用者等に知らせるためには、原則として本人の同意を必要とするという条件をつけるべきである。またこのような場合には本人を無理やりやめさせるのではなく、まず本人に自分が重篤な遺伝病の保因者あることを告知し、カウンセリングを通じて、本人にそのような職種から離れるよう説得するべきだろう。さらに先に述べたように、雇用者等に開示する情報もいわば「イエス」か「ノー」かといった必要最低限の情報だけでよく、それ以上の情報を与える義務は無いという基準を設定しておいたほうがよいだろう。

しかし遺伝情報を開示しないことから生じる危険を同定することができ、かつそのような危険を確実に予測することができるような場合はきわめて少ないと思われるので(49)、遺伝情報の守秘義務に関する例外を認めなければならない場合はあまり多くは無いだろうと思われる。だが、そのような例外的な事態にも十分対処できるだけのシステムをつくっておく必要がある。

以上の議論では、被験者本人のプライバシーを保護することによって遺伝的差別に対抗するという手段について考察したが、遺伝的差別に対抗するために一種のアファーマティブ・アクションに訴えるという方法もある。そこで最後にそのような方法について考察してみたい。

8.アファーマティブ・アクションの可能性

先に見た70年代アメリカでの鎌型赤血球性貧血の保因者に対する差別は、確かに「不当な」差別であった。しかも鎌型赤血球性貧血は黒人に多い遺伝病であったこともあって、その保因者に対する差別は黒人差別と結びついていた。しかし「正しく」評価された遺伝情報に基づいてなされる選別は、人種などの「不当な」根拠にもとづいているのではないので、「差別」ではないと主張することもできる。たとえば職業教育に高額な費用が必要で、雇用者がその費用を回収するために被雇用者を長期間その職場で働かせることが必要な職場では、「将来遺伝病を確実に発病する」ことを理由に採用を拒否することは「不当な」ことではないという主張をしりぞけるのは難しい。

しかし純粋に企業の論理に従ったとしても、「健康」だが無能な人間よりも、遺伝病の保因者であっても有能な人間の方が好ましいはずである。また現在(軽度の)障害者に対して種々の物理的配慮はするが、採用をはじめ待遇・昇進・仕事内容の上で健常者との区別をしない企業がある。それと同じように、十分な能力があれば将来確実に遺伝病を発病する人でも採用するという企業もあるだろう。

しかし遺伝病や遺伝的素因に関係のある疾病の保因者については、その事実が過度に評価されてひどく不利な状況におかれる可能性が高い。また重篤な遺伝病患者の雇用の促進を図る必要もある。よって「正義の原理(the principle of justice)」に従うならば、このような「遺伝的差別」をできるだけ防がなければならないだろう(50)。遺伝性疾患の保因者の雇用に関しても、障害者の雇用に関する場合と同じように、「企業の社会的責任」を基礎にしたアファーマティブ・アクションが必要になると思われる。

現在障害者については「身体障害者雇用促進法」によって障害者の法定雇用率が定められている。それと同じように、遺伝病や遺伝性疾患の保因者の法定雇用率を定めた法律を制定する必要がある。ただしこれは遺伝的差別に対する対抗策として身体障害者雇用促進法を用いるということではない。アメリカでも「アメリカ障害者法(ADA the Americans with Disabilities Act)」によって、遺伝病の保因者を職業差別から守るというアプローチが試みられているが、今のところこの試みは成功していない(51)。

しかし遺伝病の保因者の法定雇用率を定めた法律や条例を制定するとしても、それはかなり先のことになるだろう。そしてそのような法律等が制定されるまでは、遺伝病の保因者は「他者に危害を加えることにならない限り」自らの遺伝情報をある程度隠すことができる権利を認めるべきであろう。

9.結語

今後DNA診断の発達と普及につれて、遺伝子テストは従来よりも広く行われるようになるだろう。21世紀には、DNA診断が予防医学の中心をしめることになるという予想もある(52)。また人々は病気であるから医者の所へ行くというよりも、「自分の運命を洞察してほしい」という要求をもって医者の所へ行くようになるだろうと言う論者もいる(53)。これはあまりに極端な意見であるとしても、今後DNA診断の普及とともに、医学の中で予防医学が占める位置が大きくなるだろうということは否定できない。そのような趨勢の中で、遺伝子スクリーニングの普及に対して歯止めをかけることは難しいだろう。

遺伝子スクリーニングが制度として定着するのはそう先のことではない。そして遺伝子スクリーニングが制度化されたときに、自分の遺伝情報のために不利な立場に置かれる人の数は膨大な数にのぼるだろう。従って人々を遺伝的差別から守る法律をできるだけ早く制定するべきである。そして人々を遺伝的差別から守る法律ができるまでは、「プライバシー権」にもとづく「自らの遺伝情報を隠す権利」によって職業選択の権利や保険加入の権利を守るべきだろう。

(1)島田和典編『遺伝病』化学同人 1993 p.180 等

(2)木南凌・中村祐輔編集、松本幸次協力『「DNA診断学」のすすめ-臨床応用にむけて-』メジカルビュー社 1991 p.62

(3)米本昌平『バイオエシックス』講談社現代新書 p.110 等

(4)茂木毅「遺伝子プライバシー-第三者による遺伝子診断の利用とその制限-」(『ジュリスト増刊 May,1994;情報公開・個人情報保護』有斐閣 pp.249-253)p.249 等

(5)茂木前掲論文 p.250

(6)Lori B. Andrews & Ami S. Jaeger`Confidentiality of Genetic Information in the Workplace'(American Journal of Law & Medicine Vol.17 Nos.1&2 pp.75-108)p.76 etc.

(7)Institute of Medicine”Assessing Genetic Risks”National Academy Press 1994 p.93

(8)イヴ・K・ニコルス 高木俊治訳『遺伝子治療とは何か』 講談社ブルーバックス 1992 p.91

(9)米本昌平『バイオエシックス』講談社現代新書 1985 p.118。

(10)保木本一郎「DNAマッピングをめぐるゲノム学と優生学」(國學院法學第32巻第3号 1994 pp.1-65)p.39

(11)ロバート・シャピロ著,中原英臣訳『ゲノム=人間の設計図を読む』 講談社 1993 p.116

(12)”Assessing Genetic Risks”p.282

(13)K・ニコルス 前掲書 p.90;牧野賢治「遺伝医学の新しい時代への社会的対応」(藤井典生、メイサー ダリル(編)『ヒトゲノム研究と社会』ユウバイオス研究会 1992 pp.99-103)p.102

(14)保木本前掲論文 pp.45-55

(15)中村祐輔、辻省次(編)『実験医学増刊 vol.12 No.6 疾患遺伝子解明の最前線』羊土社 1994 等

(16)ハンチントン舞踏病の告知やケアについては以下の文献を参照のこと。J.Brandt`Ethical considerations in genetic testing: an empirical study of presymptomatic diagnosis of Huntington’s disease'(Fulford,Gillett,Soskice(ed.)”Medicine and Moral Reasoning”Cambridge University Press 1994 pp.41-59);”Assessing Genetic Risks”pp.88-9;金澤一郎「ハンチントン舞踏病の遺伝子診断とカウンセリング」(藤木典生、メイサー ダリル(編)『神経難病,ヒト・ゲノム研究と社会』ユウバイオス倫理研究会1994 75-77頁)、川村佐知子「ヘルス・ケア・システム」(同書 123-126頁)

(17)”Assessing Genetic Risks”ibid.

(18)ニコルス前掲書 p.89

(19)ニコルス前掲書 ibid.

(20)”Assessing Genetic Risks”ibid.

(21)Brandt op.cit. ibid.

(22)D.C.Wertz & J.C.Fletcher`Privacy and Disclosure in Medical Genetics Examined in an Ethics of Care'(Bioehics vol.5, No.3,1991 pp.212-232)p.227

(23)茂木前掲論文 p.250

(24)牧野前掲論文 p.101

(25)Andrews & Jaeger op.cit. p.81

(26)この点は以下の文献から示唆を得た。村岡潔「先端医療」(黒田浩一郎編『現代医療の社会学-日本の現状と課題-』世界思想社 1995 pp.225-244)p.244

(27)朝日新聞1995年3月30日夕刊、保木本一郎『遺伝子操作と法-知りすぎる知の統制-』日本評論社 1994 p.130

(28)この例はニコルス前掲書にあげられている例をもとにしたものである。ニコルス前掲書 p.90

(29)白井泰子「市民の立場からみた遺伝子治療」(『からだの科学』181,1995.3,p.123)

(30)”Assessing Genetic Risks”p.280

(31)`NEWS:California Law Will Prohibit Genetic Discrimination’ Nature vol.371,6 October 1994

(32)”Assessing Genetic Risks” ibid.

(33) H.T.Engelhardt,Jr”The Foundations of Bioethics”Oxford University Press 1986 p.297;邦訳 H.T.エンゲルハート 加藤尚武・飯田亘之監訳『バイオエシックスの基礎づけ』朝日出版社 1989 p.373 等

(34)茂木前掲論文 p.249

(35)堀部政男『プライバシーと高度情報化社会』岩波新書 1988 p.60 他

(36)R.フェイドン/T.ビーチャム 酒井忠昭・秦洋一訳『インフォームド・コンセント』みすず書房 1994 p.39

(37)フェイドン/ビーチャム前掲書 pp.37-8

(38)田中英夫 編集代表『英米法辞典』東京大学出版会 1991 項目「プライバシー」;高井裕之「医療における自己決定権の憲法論的考察-アメリカ法を素材として-」(植木哲・丸山英二編『医事法の現代的諸相』信山社 1992 pp.347-408);堀部前掲書 pp.23-25等

(39)堀部前掲書 p.27

(40)安冨潔「DNAデータベースとプライバシーの保護-アメリカ合衆国における動向-」p.25 刑政105巻6号 1994.6 pp.16-25

(41)堀部前掲書 p.60

(42)兼子仁・佐藤徳光・武藤仙令編著『情報公開・個人情報条例運用事典』悠々社 1991 p.136

(43)渡邊亮一「医療情報とプライバシー」(『ジュリスト増刊 1994 May 情報公開・個人情報保護』有斐閣 pp.244-248)p.244

(44)奥平康弘『憲法Ⅲ 憲法が保障する権利』有斐閣法学叢書10 1993 p.107

(45)渡邊前掲論文 p.246、茂木前掲論文 p.253

(46)渡邊前掲論文 ibid.

(47)Andrews & Jaeger op.cit. p.87;R.Macklin`Privacy and Control of Genetic Information’p.162 in G.J.Annas,S.Elias(ed.)”Gene Mapping-Using Law and Ethics as Guides-“Oxford University Press 1992 pp.157-172

(48)Brandt前掲論文では、ハンチントン舞踏病の保因者である若者に、カウンセリングを通じてパイロットになろうとする希望を捨てさせるケースについて報告されている。Brandt p.54

(49)Macklin op.cit. p.163

(50)Darryl Macer`Whose Genome Project ?'(Bioethics Vol.3 No.3 1991 pp.183-211)p.206

(51)”Assessing Genetic Risks” p.272

(52)木南凌・中村祐輔前掲書 p.62

(53)D.C.Wertz & J.C.Fletcher op.cit. ibid.

(謝辞)

木田盈四郎先生、武部啓先生、保木本一郎先生、松原謙一先生の各先生 には、本稿作成上のいくつかの疑問点に関する筆者の質問に快く答えていただ いた。また本稿の構想段階から加藤尚武先生には多くの貴重なアドバイスをい ただいた。中村嘉孝氏には資料をお貸ししていただいた上、特に医学上の知識 について多くのことを教えていただいた。板井孝一郎氏、樽井正義氏、村岡潔 氏の各氏からは参考資料を提供していただいた。また京都大学生命倫理研究会 のメンバー諸氏からは、本稿の原形となった草稿に対して多くの貴重な御指摘 をいただいた。以上の諸氏に謝意を表したい。

Dept. of EThics <ethics@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>

Last modified: Tue Sep 22 13:33:56 JST 1998