遺伝子医学・医療と倫理

遺伝子医学・医療と倫理

武部啓

京都大学医学部

1はじめに

私は遺伝学の教育と研究に従事していますが、倫理的な問題にかかわるようになったのは、l0年近く前に、京都大学医学部に医の倫理委員会が設置され、委員の1人に任命されてからであります。当初は、医学部出身でない者ということで任命されたと思うのですが、実際審議される問題の中には、遺伝に関する問題が多くあります。また3年前からは、ヒトゲノム解析計画の国際組織であるHUGOの倫理委員会のメンバーをつとめています。今日は、そのような体験の中で学んだことも加えて、遺伝子医学・医療における倫理的な諸問題の現状を報告するとともに、私の考えを述べます。

2遺伝学と優生学

第二次世界大戦の前から戦中にかけて、日本は非常に優生思想の盛んな国でありました。現在、静岡県三島市に国立遺伝学研究所があります。1949(昭和24年)に創立された当時、終戦直後で、米がなかったので稲の品種改良をすることなども設立の目的の一つだったと聞いています。国立遺伝学研究所を作ろうという動きは昭和15年ごろからすでにありまして、その時に国会で貴族院議員が質問をしておりますが、ナチスドイツは遺伝学を使って民族改良をしておる、日本もそれが必要だ、という趣旨でありまして、それは素晴らしいとほめた学者もおります。遺伝学という学問にはそういう面のあることを常に留意しておかねばなりません。最近大きな問題となっているのは、中国の一人っ子政策です。中国は新聞に報道されましたが、一人っ子を強制するために、健全な子を生むことを奨励し、遺伝病の子供を生むおそれのある人などは子供を作るべきではない、ということをある程度ボランタリーではありますが、法律で定めたという話がありました。1998年に国際遺伝学会議というのを中国で開くことになっていまして、私もそれに一票を投じた一人であります。「ネイチャー」という雑誌によりますと、国際遺伝学組織の代表者が中国に対してこのような法律の制定を撤回しなければ学会を返上しろという文書を送ったとのことです。私は国際組織の委員の一人なのに全く相談を受けていないので、これからこちらの学会で相談して本部へ抗議文を送るつもりです。私は国際会議を返上させるのは逆効果をもたらす、と考えていますが、是非は別として、そういった形で遺伝というのは政治とも切っても切れない問題になることがあります。

一方日本では、癌と遺伝というのは医者にとりまして実は告知のできない問題の最たるものです。癌は最近よくなってまいりました。つまり治るものも増えたので、安心して告知することができる場合があります。遺伝に関しては依然として治せない、という前提があるためか、遺伝という言葉に日本ほど激しい抵抗感が、医者にも、患者にも、家族にも、あるいは社会にもある国はない、といってもよいのではないかと思います。

3.現在の日本の「遺伝」への理解

私は一番の弱点は医学教育における遺伝学の欠如だと思っております。現在、国公私立合わせて80の、医科大学・医学部があるわけですが、遺伝という看板をかかげた講座は、ほとんどなく、あっても大腸菌の研究をしているとか、遺伝子レベルのみの研究が中心で本当の意味での医学的な遺伝教育・研究というのは残念ながらほとんど行われていません。高等学校の教科書などでも人間の遺伝の話はきわめて限られています。対照的に私はアメリカの高校の教科書を見ましたところ、ヒトの遺伝に関しては、最新の遺伝子治療まで書いてあってしかもその倫理的問題は何ページも書いてある。これは20年、30年の遅れではなくて天と地ほどの差なのです。同じように大学の教養のテキスト、私の娘が某私立大学の学生でありましたが、その教科書をみてびっくり仰天いたしました。保健体育の教科書に、遺伝という項目があって、その内容が何かというと、良い相手を選んで幸せな結婚をしよう、そのためには遺伝学が大事だ、その証拠に昔カリカックという男がいて、この人は非常に良い家の御令息であって、良い家からお嫁さんをもらったら素晴らしい子孫が何百人といた。一方、浮気をしてバーの女と子供を作ったらまた子孫が何百人いて、それがすべて犯罪者か飲んだくれかであった。これはでっちあげた有名な話でして、これが今日の大学の教科書に載っていて、しかもそれをただ一つのサイエンティフィックな根拠にしているなどとは、もうひどいものです。

「障害」とか「正常」とか「handicapped」とかいうのは現在の人間社会をたまたま標準にしているだけです。たとえば皆さん方の中に血液型がAB型だからといって、悲観している人はいないと思います。日本の場合ではAB型の人が血液型占いでは一番悪く書かれております。その理由は簡単なのです。AB型が一番少ないからなんです。よく書いたら売れない。一番よく書かれているのはA型なのです。A、O、B、ABの順に4:3:2:1で、A型が一番多いからなので、AB型がよく書いてあれば少数の人しか買いません。要は遺伝子の分布なんです。遺伝子のなかにたまたま現在の社会的な生活にちょっと不便を感じるというものがありますが、不便なのはわれわれ社会を作っている人間の責任というふうに考えないといけません。これは病気、これは異常というように、私は講義の中でついうっかり異常の遺伝子、あるいは悪い遺伝子と言ってしまって非常に反省するのですが、そういう言葉自体が問題だという認識を持つ必要があると思います。

4.遺伝性疾患とは

遺伝性疾患で例えば医者が患者とか家族への説明で一番困るのは、あなたのお子さんは遺伝病ですよ、という時に、重い遺伝病ほど両親は見かけは全く正常なので、なぜ遺伝したと言われるのが理解してもらえないことです。これは常染色体性劣性遺伝といいまして、親の両方ともが一個ずつ病気になるような遺伝子を持っていて初めて現れるんです。両親とも、もう一方の遺伝子が正常な機能を持っているので、その人には全く現れないというのが普通の重い遺伝病の常で、遺伝学のきわめて初歩的なことです。そういったことすら医師が患者、家族に対して説明する力をほとんど持っていないという現状を私はいやというほど知っています。遺伝病は治療すべきではないという意見があります。遺伝病を治療すると、またその遺伝子が残ってどんどん民族が悪くなる、これは非常にけしからん、これは大きな声では言えないが正論だ、という人がよくあります。これは強く批判すべきことであり、木田先生などは長年批判の先頭にたっておられます。医学にとって病気を治す、目の前にいる苦しんでいる患者を治す、これは医者の使命でして、この人は治したらまた遺伝するからとかそういうことを言うべきではない。当たり前のことなのですが、親が治るならば子供も治るんです。私どもの若い頃は結核になったら命取りでした。私の姉が60歳になって国立がんセンターに行って肺癌だと思っていたら結核だった、その時医者がなんと言ったかというと、おめでとうございます、結核です、と言った。もう今や結核は肺癌よりもめでたいのです。治る病気はめでたい病気なのです。遺伝病が治るなら子供に伝わっても心配はいらない、こういう当たり前のことが全然わかっていない、というのが残念ながら医学部にいまして痛感しているところです。

一方、診断はできるんですが治療が全くできないという病気がいっぱいあるわけです。対症療法ぐらいはできる。それに対して二つの意見がありまして、そういう病気は診断すらすべきではない、という意見と、それからやっぱり診断して少しでもいいから対症療法をすべき、という意見とこれはなかなか難しい問題です。私自身、現在答を持っておりません。答を持っていないというのは医学としては非常に困るんです。医者というのは、目の前に患者がおりますから、今、答がないから待っていてくれというわけにはいかないという問題があることを申しておきます。

5.遺伝子診断と遺伝子治療

癌とは遺伝子の変化が積み重なって生じる病気であるということが定説になり、癌の遺伝子診断も一部可能になってきました。癌の遺伝子診断がどんどん進みますと、癌になりやすい人がわかったときにそれを告知するのは、恐怖心を煽るだけではないかと強い反対意見がありまして、つい2、3カ月前も「AERA」という週刊誌がそういう方向で書きました。それに対して情報を提供した中村祐輔先生が非常に怒りまして、自分はそんなことは言っていない、早期診断ができたら必ず早期発見、早期治療というふうにつながるという努力をすればいいのであって、癌の遺伝子診断は決してネガティブではないのだ、ということを強調した反論を同誌に載せるよう求めたそうです。「AERA」に投書として載せるという形で妥協したそうですが、私も中村先生に賛成であり、これによって癌と遺伝の二つのタブーが破れることを期待しています。ただし依然として治療法が確立されていない疾患の問題は残ります。遺伝子治療については、ようやく日本でも厚生省、文部省、二つの委員会ができまして、なぜ二つの委員会ができたのか、私は最もばかげたことだと思っているのですが、ともかくできまして合同で委員会を開いています。つい先日、私は遺伝子治療の先進国であるアメリカで専門家の意見を聞いてきましたが非常に驚いたことがいくつかあります。まず遺伝子治療については私どもは遺伝病の治療という観点から生まれてきた学問であって、癌の治療などいうものはそれから派生したものだと思っていましたら、それがいまや逆転しましてアメリカで新しい例というのはほとんどが癌の治療なのです。それははっきり言いまして患者が多いからです。どの遺伝病も患者の数は少なく、いわゆる少数派なのです。少数派がいかに大事かということを私は加藤先生の「応用倫理学のすすめ」という本に書いてあるのを拝読しまして非常に感銘を受けたんですが、多数決では少数派が負けるに決っているんですね。遺伝病というのは全員が少数派なんです。癌は死因の中の2番目という多数派で、何かの原因で死ななくて生きとったら癌になるしかないということで癌はどんどん増えております。またいっべん癌が治ってまた癌になる。だから癌は研究が進み、治療が進めば進むほど増えるべき病気なのです。そのために癌の遺伝子治療に圧倒的な努力と金が注がれている、それがアメリカの最近の現実です。第二に癌の遺伝子治療に対して実験・研究が不十分なために、専門家の間では賛否の激しい対立があることを知りまして、非常に驚きました。遺伝子治療には日本でも相当覚悟をして研究段階からやらないと、ただアメリカで成功したものを真似してベクターをもらってきて、そのベクターの安全性も秘密のままだという状態ではやはりうまくいかないのではないかと考えています。

6.おわりに

遺伝学、遺伝子というと特殊な学問と思われるかもしれませんが、最近では癌とか老化とかすべて不可分でして、医学の基礎といえば遺伝子がわからなかったら全く理解できないという状況になってきております。日本における遺伝学と倫理の問題というのは、私は正しい判断のできる医師をいかに養成するか、というのが一番これから大事ではないかと思っています。私自身が医者ではないということで非常に大きなハンディキャップを感じていますが、外国では例えばアメリカでは遺伝相談などというのはほとんど医者ではない、そういう専門のコースをでたマスターの資格を持った人達が担当しています。今の日本の3時間待って3分診療で、それで遺伝相談するなんてことは到底できないですね。東京女子医大の調査でも、遺伝相談には最低30分、少なくとも1時間かかるというのは常識であるというアンケートがでております。そうなると日本の医療体制ではとうてい対応できない、という問題があります。

何よりも大事なことは、遺伝子の多様性ということが生物の基本的な特性であって、病気の遺伝子を絶滅することは、理論的にも不可能です。遺伝病がなくなることが医学の理想であるとは私は絶対に思いません。いつまでも遺伝病は存在するはずなのです。それといかに共存するかということが社会、ならびに医学の責任であると思います。


Dept. of Ethics <ethics@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>

Last modified: Tue Sep 22 03:55:14 JST 1998