25 コンピュータの所有権は絶対か

リチャード・ストールマン

出典

Richard Stallman, "Are Computer Property Rights Absolute?", in D. Johnson & H. Nissenbaum, Computers, Ethics & Social Values, Prentice-Hall, 1995.

キーワード

1 概要

本論は、(一)コンピュータセキュリティに関するリチャード・ストールマンの小論、(二)彼の議論に対する反論、および(二)に対する(三)ストールマンの回答によって構成されている。プライバシーの保護やクラッキングによる被害の防止のためにコンピュータセキュリティを強化すべきだという主張に対して、ストールマンは、セキュリティの強化はシステム管理者による全体主義的なユーザ管理や外部からのアクセスの排除につながるので望ましくないと反論している。彼の考えでは、コンピュータの所有権は絶対的でなく、余っている資源を外部からのユーザも使用できるようにすることが社会的に見て有益である。

2 ストールマンの主張

コンピュータのセキュリティを破ることはゆゆしき問題ではなく、むしろあるゆゆしき問題に対する反応なのである。すなわち、コンピュータセキュリティが、システムのユーザや外部の者に対する不親切な扱いの口実になっているという問題である。

ストールマンによれば、絶対的な所有権というものは存在しない。ある財産の所有者は、財産を使う権利はあるが、むだ使いする権利は持たない。つまり、所有者のみではなく、その財産に関わる人すべての善が考慮されねばならないと考えるのである。このことをコンピュータに適用すると、あるコンピュータシステムの所有者は、誰の干渉も受けずにシステムを使う権利はもちろん有するが、それを使っていないときには、社会的に建設的な目的のために人々がシステムを利用できるように、提供するべきだということである。建設的な目的の例としては、若者がプログラミングを学ぶことが挙げられる。

また彼は、コンピュータのセキュリティによって正当なユーザーが被る害として、少数の管理者への権力の集中を危惧している。セキュリティを強化することは、つまり管理者でなければできない作業を増やすことであり、管理者により大きな権力を与えることである。管理者はユーザーのファイルや行動を、自由に調査することができるが、その一方で、一般ユーザーは必要な作業をしてもらうために、管理者とつねに良い関係を保たなければならない。これはまさしく全体主義的な警察国家に他ならない状態である。

コンピュータシステムにおいて、部外者によるプライバシー侵害を防ぐためには、このような全体主義以外に方法はない。しかし、ストールマンは、プライバシーの名で厳格に管理されるくらいならば自由でありたいし、自由の権利は放棄されるべきではない、と主張する。もし、本当に保護が必要なファイルがあったならば、そのファイルをマイクロコンピュータなどに保存して、物理的に隔離するほうがよい。

彼の経験によれば、セキュリティを破ることに興味を持っていて、実際に害を与えた者はごくわずかだし、しかもその実害も比較的軽微なものである。むしろセキュリティをなくして、システムを人々に開放した方が、人々は友好的になるのである。 セキュリティという制約がないほうが、熱心な人間の生産性を刺激するし、また部外者に相互協力の考えを教えることができる。それゆえ、コンピュータのセキュリティは利益よりは害をもたらすものと判断すべきなのである。

最後に、ストールマンは、コンピュータのセキュリティを破る行為は「ハッキング」ではなく「クラッキング」と呼ばれるべきだ、と強調している。

3 これに対する反論とストールマンの解答

ある批判者は、絶対的所有権を認めないことに同意はしているが、その解釈は異なっている。つまり、マルチユーザシステムにおいてセキュリティ管理をすることは、自分の車に夜間、鍵をかけておくことと同様に、自分のためでもあり、また公衆の利益のためでもある、というのである。それに対し、ストールマンは、コンピュータにリモートアクセスすることと、車を借りることはまったく別である、と答え、三つの論拠をかかげている。すなわち、 (一)車は物理的に所有者の手を離れる。 (二)貸した車が、偶然あるいは故意に返却されない場合がある。 (三)車は、事故によって第三者に対し害を与える危険がある。

さらに、コンピュータセキュリティを擁護する立場から、数人の批判者が意見をよせている。彼らの意見によれば、セキュリティは、ストールマンの言うような全体主義ではなく、プライバシーを維持する要求によって動機づけられている。また、ビジネスや商取引に関する情報は公開されるべきではないということは明らかである。それに、研究者たちは、剽窃されることを怖れて、自分の研究結果を公開したいとは思わないであろう。また、クラッカーはシステム管理の助けになりうるというストールマンの主張は実状とは反対であると主張する批判者もいる。

これらの問いに対し、ストールマンは(必ずしもこれらの質問ひとつひとつに対し答えているわけではないが)以下のように返答している。彼は、批判者がもっているセキュリティや所有権に関する暗黙の前提を指摘する。それは「セキュリティを破ることは破壊活動と同義である」ということと、「ある所有物は、その所有者のみが、それを秘匿するかどうかの決定権をもつ」ということである。ストールマンによれば、実際にセキュリティを破られたサイトも、実害はほとんど受けていない。また、全体に対して有用であるようなものは、隠したり、どこかにしまいこんだりするべきではない。もし本当に隠さねばならないものがあるなら、誰も使わないところへおいておけばいいのである。コンピュータシステムの管理において、セキュリティを達成しようとするならば、すべての部外者を疑わねばならないであろう。ファイルを共有するシステムにおいて、プライバシーを要求するということは、ファイルを共有する人すべてのために、部外者を疑えと管理者に要求することなのである。

プライバシーの要求は反論しがたいものであり、それを要求するのは自由だが、情報をオープンにする自由もある。ストールマンにとっては、プライバシーの要求を大義名分に、全体主義的システムを強いる利己的組織のほうが問題なのである。


(徳田尚之)
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