6 サイバーフェミニズム

キラ・ホール

出典

Kira Hall, "Cyberfeminism", in Susan C. Herring (ed.), Computer-Mediated Communication: Linguistic, Social and Cross-Cultural Perspectives, John Benjamins Publishing Company, 1996.

1 はじめに

科学技術の発展は思想・哲学の世界にも多大な影響を及ぼしてきた。特にインター ネットをはじめとする、近年のめざましい情報通信技術の発展は、コミュニケーショ ンのあり方を根本的に変えようとしているが、そのことに対する哲学からの統一的な 回答は得られていないように思われる。本稿では、特にインターネットの普及が現代 フェミニズムにいかなる影響を与えているかに焦点をあてて論じているキラ・ホー ルの論文「サイバーフェミニズム」を紹介する。

2 導入

ダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」は、科学技術の発展がフェミニズムに及ぼす影響を述べ、新しいフェ ミニズムを予告した新しい古典である (*

Haraway, Donna. "A Manifesto for Cyborgs: Science, Technology, and Social Feminism in the 1980s" In K. V. Hansen \& I. J. Philipson (eds.), Women, Class, and the Feminist Imagination. Philadelphia: Temple UP, 1990, 580 - 617.(Repr. from Socialist Review 80. 1985, 65 - 107.)

*) 。ハ ラウェイは、人間と機械の間の境界をかすませることは結局男性と女性という分類を すたれさせると主張し、「ジェンダーのない途方もない世界の可能性に対するユート ピア的な夢」を持っていた(*

ibid., 610.

*)。そして「女神になるよりはサイボーグになりたい」と結 論していた。ハラウェイの夢は、ジェンダーは本質的なものでも男と女という二元的なものでもないというポストモダニズムの理論的 信条から生まれている。ジャクリン・ジータは、この信条は、そこで身体が「再発明」されるコンテクスト上の場所を変えることによっ て男性が女性へ変容することを可能にする、と主張する(*

Zita, Jacqueline, "Male Lesbians and the Postmodern Body", Hypatia 7(4), 1992, 106 - 24, 110.

*)。この認識は最近ではアメリカの同性愛理論の発展において現れている。現在多くの同性愛団体は、コン ピューターを文化的偶像と考え、それをジェンダー・人種・性的志向の差異を無化するユートピア的媒体として理論化している。

こういった新しいコミュニケーション媒体の出現はフェミニズムにも影響を与えてい るが、1990年代はじめに2つのフェミニズムが異なる反応を示している。ホールは2 つをまとめてサイバーフェミニズムと呼び、これらを調停したいと考えている。

3 リベラルサイバーフェミニズム

 リベラルサイバーフェミニズムのキーワードは、ジェンダーの(抑圧ではなく)平等、(二元主義 ではなく)多元主義、(分類ではなく)流動性、(分離主義ではなく)統一である。 それは技術の洗練と身体抜きのコミュニケーションにヒントを得たビジョンである。 技術の発展が物理的な世界の限界から人々を自由にするということは以前から信じら れてきた。物理的な身体の不安定性についての理論が物理的な男女の分類の不適切性 についての理論に発展した。身体を抜きにした相互交流は、男/女、異性愛/同性愛と いう二分法から人々を解放すると考えられたのである。コンピュータを媒 体とするコミュニケーションではまさにそれが可能であることに注目したのが、リベ ラルサイバーフェミニズムだった。

 リベラルサイバーフェミニズムに非常に極端な媒体の一つが女性の編集するサ イバーポルノ雑誌 Future Sexである。リベラルサイバーフェミニストは、ジェンダー の平等が実現する前に女性の性的解放が必要だという1980年代に発展した政治的イデ オロギーである性解放論を進めるためにハラウェイのサイボーグフェミニズムを支持 する。この性解放論は、ポルノは本質的に女性にとって有害であると主張するラディ カルフェミニズムとは対立するものであるが、リベラルフェミニズムが「セックス賛成」リベラリズム で、ラディカルフェミニズムが「ポルノ反対」ラディカリズムであるというラベルは誤解を招きやすい。リベラ ルフェミニズムは表現の自由を最も重要であるとみなし、サイバーカルチャーを性的 積極行動主義と性的反乱の新たなフロンティアと考えているのである。それが雑誌 Future Sex の創刊につながった。そのめざすところはジェンダーのないヴァーチャルユートピア である。

 リベラルフェミニストである編集人リサ・パラックは次のように主張する。電子的 エロティカのみが「性の知の進化を促がす」。 Future Sex誌の方針は、ジェンダーと 性的ヒエラルキーの存在を否定し、将来的な平等を仮 定すること。人種、ジェンダー、性的志向の構造に対する視覚的な、また言葉による 挑戦を通じて性の進化を始めさせること。その挑戦とは性転換、異人種間のカップリ ング、男装・女装、ロールプレイング、バイセクシャル、サド−マゾヒズムなどであ る。 Future Sex誌にはレズビアンフェミニストから異性愛の男へ「進化」する人物な どが登場する。

「フェミニストではなくヒューマニスト、レズビアンでなく同性愛者」という電子 メールの署名が多くの女性ネットサーファーによって支持されていることの 背景にもおそらくリベラルサイバーフェミニズムの考え方がある。こういった署名は特定の ジェンダーを示唆せず、統一や性的多元性を表すからである。彼らはジェンダーを自己同定にとって不適切だと考えているのである。

3.1 インターネットにおけるリベラルサイバーフェミニズム

リベラルフェミニズムの実践の一つに性横断的表現(cross-expressing)がある。これ は言葉の上でジェンダー移動を実践することである。他の人格を演じるために電子技術の匿名性を活用する。現実世界では身体的な特 徴の為にアクセ スすることのできない分野に、ヴァーチャルな世界ではアクセスすることができるよ うになるのである。匿名性が可能にする移動の例として、ジェンダー、性的種類(レズ、バイセクシャル、無性別)、グ ループ内での志向(レズの男役と女役)、性的振る舞い(支配的、従属的)における移動が挙げられている。

3.2 サイバーマスカリニティー

マスカリニティー(男らしさ)とはフェミニティー(女らしさ)に対立する概念 である。リベラルサイバーフェミニズムがジェ ンダーのないユートピアになると期待したヴァーチャル世界には、実は現実世界と同 じようにマスカリニティーが存在した。 

幾人かの研究者によると、電子メールは他の種類の文字によるコミュニケーションよ り感情を表出する構造を持つという。これはコンピュータというメディアの技術的特徴への自 然な適応だと説明されている。

言葉遣いは、ジェンダーの違いに応じてはっきりと異なっている。コンピュータを媒体と するコミュニケーションにおいて、女性と男性では異なった感情表現の仕方 をするのである。男性はネットにおける男女入り混じった会話で支配的であるように みえるだけではなく、しばしばオンライン-セクシュアルハラスメントの煽動者であ ると確認される。これはジェンダーの無化されたユートピアというリベラルサイバー フェミニストの考えと調和させることの難しい研究結果である。男性参加者によって 「学問的社会的秩序に破壊的だ」と考えられるものは、女性参加者には ジェンダーに基づいた言葉の上の虐待として認識されている。

3.3 サイバーマスカリニティーの発露の例

1.会話の支配

ネットにおける会話で男性が支配的であるのは、現実世界での顔を合わせた会話にお ける問題とパラレルに捉えられる。女性を黙らせるために、女性が持ち出した話題を 無視する、協力ではなくヒエラルキーに基づいた会話のベースを作る、女性の反応を 的外れだとして退ける、男性のメールの割合を女性よりもはるかに多くすることに貢 献するなど、現実世界と同様の手法が見られる。

2.言葉による嫌がらせ

上述のような言語学的観察は印象的であるが、まだ十分ではない。公のメーリングリ スト(以下MLとする)における衝突(flames)の多くの女嫌いの性質や、私的な電子 メールや掲示版の上での攻撃的なセクシュアルハラスメントの原因を説明していないからで ある。比喩的表現や言葉の種類、暗喩の選択にみられる違いに対してはより研究が必 要である。セクシュアルハラスメントの例としては、ネット上の「ストーキング」、セッ クスジョーク、望んでもいないポルノ映像、わいせつな詩などがある。

3.異性愛主義(heterosexism)

サイバーマスカリニティーの重要な類型は異性愛主義である。これは「反同性愛」論の増殖を通じてインターネット上に現れる偏見であ る。公のフォーラムに おいて反同性愛のメールが増大してきている。これはしばしば男 性によってあおられている。

異性愛主義の例として、アメリカオンライン(AOL)におけるものが報告されてい る。1993年春、50人以上の参加者が「ゲイバッシング」を好みの 暇つぶしだと言っている。彼らは「ヘテロ」や「ネオナチNo.1」といった仮名を用 いる。こういった反同性愛主義は女嫌いや動物虐待、人種差別主義と関連しあっているの だが、このつながりはさらなる研究に値するだろう。

4.身体的ヒエラルキーと「語る男根」

身体的匿名性に護られて、かなりの数の男性ユーザーはコンピュータを媒体とする新 しい議論の場を野卑と下品のはけ口とみなしている。どんなに抑圧的な言動も、「本 当の存在(real life existence)ではない」というのである。「これがリアルライフ ではないという事実は仕掛けの効果をより高くするだけだった。それは私のリアルライフ に対して純粋になんの関係もない一連のできごとだった。」

多くの男性サイバー哲学者の議論によると、身体的な自己の喪失は、究極的には暴力的で性的な言葉 の上での代償作用を招く。クローカーは「仮想世界における舌」を理論化す るにあたって、この代償作用を「語る男根」とよぶとき、その存在を明確に認めてい る(*

Kroker, Arthur. Spasm: Virtual Reality, Android Music, Electric Flesh. NY: St. Martin's Press, 1993, 23.

*)

身体抜きのコミュニケーションは、少なくとも多くの男性ユーザーにとっては、ジェ ンダーなしのやりとりによってではなく、むしろマスカリニティー(男性らしさ) という文化的概念の誇張によって特徴付けられている。それは会話の支配やセクシュ アルハラスメント、異性愛主義、身体的ヒエラルキーの構築を通じて実現されている。

4 ラディカルサイバーフェミニズム

ラディカルサイバーフェミニスト達は、サイバースペースはユートピア ではなく、むしろマスカリニティーがより激しく現れる場であるという現実をふまえ て活動を行う。

その活動とは、具体的にはサイバースペースに女性専用の空間を創造することであ る。より多くの女性が彼女ら自身のMLや掲示板を組織し、参加してきている。そこで は参加者同士が協力して、マスカリニティーに対抗するジェンダーを構成することが できる。

女性のみから構成されるMLのうちで最大のものがSAPPHOである。それは主にレズビア ンとバイセクシャルの問題を議論するためのものである。SAPPHOの構成員は主に3つの職業グループに分けることができる。大学生ある い は教官(27%)、コンピュータ関連分野で働く女性(22%)、大学職員(21%)である。 リベラルフェミニズムとは異なり、SAPPHOは男性/女性の区別をあいまいにするのでは なく、メンバーにはっきりと課す。サイバースペースの特徴である匿名性を考えれ ば、「女性専用」の空間を維持するのは難しいように思われるが、SAPPHOは新しい参加者のジェンダーを判定する多くの方法を考案して きた。オンラインスクリーニングとでも呼ばれるものに本質的なのは、新しい参加者の議論の基準 を満たすための能力とこのMLのベテランである。 以下、そのスクリーニングの例をSAPPHOの特徴を紹介しつつ挙げてゆこう。

1.名前の適合 (name conformity)

スクリーニングは参加者の名前の審査から始まる。電子的コミュニケーションにおい ては、電子ペンネームは必ずしも本人の性別を明らかにしないにもかかわらず、参加者は女性らしく聞こえる電 子メールタイトルをつけることを期待されている。「アヒルらしく見え、アヒルらし く鳴くのなら、それはアヒルだ」というのである。  Jamesという名前の女性がSAPPHOに参加したときの例が挙げられている。彼女はその 名前の故に、男性ではないかと疑われ、プライベートにおいて疑いのメールが山のよ うに送られてきたのである。最後には、彼女は公の投稿で名前の選択を正当化する必要にせ まられたのだった。

2.けんか反対(Anti-flaming)という方針

女性らしい名前を持つということだけでなく、議論の女性らしさというMLの趣旨に従 うことも期待される。特に政治問題についての議論には侮辱的な言葉が確実にあらわれ るが、MLの参加者の大多数はけんかに断固として反対する。女性は「男性のように話 す」べきではないという考え方がそこにはある。 ある参加者が「女性専用」のMLにおいては不適切だと他の参加者が考えるような激烈なメッセージを送ると、公にあるいは私的に批判の メールが送られた という例が報告されている。そのようなメールには直接的に批判するものもあれば、比喩によ る皮肉であるようなものもある。

サイバースペースの匿名性という特徴ゆえ、こういったスクリーニングは容易なこと ではない。非常に攻撃的なメッセージを流し、多くの人を当惑 させ、怒らせた人物いたのだが、「彼女」が女性であるのか男性であるのかについての騒ぎは、結局メンバーのいく人かが直接会って女 性であることを確かめることによって静まったという。 サイバースペースにおける問題が、現実世界での行為によって解決されたのである。 また逆にある参加者が実は女性だったケースも言及されている。

3.支援と尊重

新しい参加者がつむじ曲がりのメッセージを出したときに教えられる「あなたの、サイ バースペースにおけるご近所さん(e-neighbor)をあなた自身と同様に尊重しなさい」と いうルールはSAPPHOにおけるネチケットである。SAPPHOのメンバーはMLを安全な空間 として維持しようと考えている。一般に男性はその逆の認識を持っているといえよ う。男性はMLにおける議論が激しさを増してゆくということを前提し、安全を求め るならば参加するべきではないと考えているのである。女性と男性ではネットにおけ る振る舞いだけではなく、それに置く価値も異なっている。 SAPPHOの参加者は圧倒的に「礼儀に基づいたコミュニケーションの倫理」を重 んじ、男性が重くみる「自己決定と活発な議論の倫理」を軽蔑する。

4.政治的な正しさ

議論の適合性に対する欲求は非常に強いので、これをあてこするむきもある。批判者の 報告によるSAPPHOのネチケットを枚挙すると、以下のようになる。

これらは、MLへの投稿の特徴であるのみならず、女性らしさ の証拠として要求されてもいる。

5.分離主義とサイバーカルチャーの創造

この女性ジェンダーのネチケットに対応するのは、いかなる男 についての話にも寛容にならないという分離主義的態度である。 SAPPHOに嫌気がさしたというある性転換者の言葉を借りれば、この態度は「女神への 過度の信仰と、男への不寛容を押し付けるレズビアンのレトリック」である。 SAPPHOの参加者はこの不寛容の理由を、分離主義的サイバースペースの必要性を指摘 しながら、次のように説明する。サイバースペースに専用空間を維持したいと考える 女性は、互いに協力して、ひとつの文化を創造したいと考えているのである。男性の 排除はそういった空間を創造する前提条件で、目的それ自身ではない。女性のスペースは単に男性のためのものではないというだけなの である。この説 明は、具体的にはGAYNETの、男性による反分離主義の流れに対しての反応であった。 上記の「文化の創造」は専ら言葉による実践を通じて成し遂げられる。基本的には、女性で あり、SAPPHOの一員であることは何を意味するかというこ とに関する議論を通して、またそれだけではなく女性に関わる話題についての 長い議論を協力して発展させることを通して実現されるのである。

女性賛美的な態度を主張することも文化の創造の道具である。参加者はしばしば男らしさに対抗さ せて女らしさ(womanhood)を主張する。たとえば、女性はより注意深く、思いやりがあ り、全人的で、内省的であり、従順で、美しく、中心的で、自然で、基本的にヒト という種の軸となるものだ、と主張するのである。SAPPHOの構成員のいく人かが、自分たちのジェ ンダーを発展させるために、いかに女らしさ と女性らしさ(feminity)という文化的概念を投稿の中で極端に推し進める かということが、こういった誇張によって示されている。  

6.署名

SAPPHOの参加者の多くは電子メールの最後に付ける署名で、女性であることをはっきりと示 している。これらの署名はほとんど常に女性賛美的である。本からの引用などのもじりになっている 場合も多い。

5 結論

 この論文で、私はサイバーフェミニズムの2つの種類を特定した、とホールは書い ている。一つはハラウェイのサイボーグフェミニズムに影響を受けて始まったもの、 もう一つはインターネットにおける男性による嫌がらせの存在を自覚することから始 まったものである。仮想現実に関する研究のパイオニアであるロジー・ブレイドッ ティーの言明をホールは引用している。

サイバースペースに対するイメージの大きな矛盾の一つは、それら がジェンダーのない世界や多ジェンダーの世界の驚異と不思議を約 束していて想像力を刺激するのに、そういったイメージは想像できる限りで最も陳腐で平板なジェンダーを反映した振る舞いのイメー ジのいく つかを再生産するだけでなく、両性(the sexes)の違いを強化する、ということだ。

同じことがコンピュータを媒体とするコミュニケーションにも当てはまるのである。 電子的な媒体は、リベラルフェミニズムが目指したジェンダーの無化ではなく、ジェ ンダーの強調を促す。身体的なものがないとき、ネットワークユーザーは自分たちをジェン ダーによって分けようとして、女性らしさと男性らしさの社会的観念を誇張す る方向へ進む。ジェンダーとは、ポストモダンの理論家が言うように、おそらく不適当なニ分法であろうが、サイバースペースは、サイ ボーグではなく女神と狼 を生み出している。

ホールのこの結論は確かに現実に則しているといえる。しかし、リベラルサイバー フェミニズムとラディカルサイバーフェミニズムの調停はなされていない。リベラ ルフェミニズムは空想的で現実に沿っていないから不可能である、とまでは述べ られていない。ラディカルフェミニズムの実践がずっと現実的で、創造的であると 簡単に言いきることもできないだろう。このあたりはいまだ解決されていないが、見 過ごしてよい問題ではないと紹介者は考える。


(松村路代)

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