個人情報のセルフコントロールと〈アイデンティティ〉

菊地建至

本発表の主題は、広範な領域において加速する高度情報化の流れにあって「個人情報のセルフコントロールに関する権利」が有する意義の一側面を、明らかにすることである。

そして、本発表の重心は、とりわけ以下の二つの視角にあった。すなわち、一つは、現在の日本の社会状況において「個人情報のセルフコントロールに関する〈権利〉」をめぐる議論への多様なアプローチが欠かせないという認識、もう一つは、「個人情報の〈セルフコントロール〉」が自己の「アイデンティティ」を根本的に支える条件となるケースがあるという認識、これらをそれぞれ基礎とするものである。

以下、本発表の議論を簡潔にまとめよう。

まず、日本における「個人情報の処理」に関する法制化の現状およびその基本的な方向性を批判的に考察した。 それにあたって、発表者は、1999年11月「官邸・高度情報通信社会推進本部・個人情報保護検討部会」によって出された「我が国における個人情報保護システムの在り方について(中間報告)」(以下、「検討部会中間報告」と略す) の諸論の基本軸と、OECDによる「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドライン理事会勧告の附属文書」(1)(1980年、以下、「OECD文書」と略す)および「個人データ処理に係る個人の保護及び当該データの自由な移動に関する欧州議会及び理事会の指令」(2)(1995年、以下、「EU指令」と略す)のそれとを比較し、日本の現状およびその基本的な方向性の問題点を明確にした。

一言で言えば、発表者は、データ対象者による個人情報の「セルフコントロール」、それに関する「権利」、そして「スティグマ」をめぐる個人情報の処理 (3) 、これらを〈主題〉とする考察が喫緊の課題であることを、とくに指摘した。

つづいて、〈スティグマ〉をもつ人にとって「個人情報のセルフコントロール」がいかなる仕方で自己の「アイデンティティ」を根本的に支える条件となるかを考察した。

それにあたって、発表者は、アーヴィング・ゴッフマンの「〈スティグマ〉論」および鷲田清一氏の「〈じぶん〉論」を手がかりに、〈スティグマ〉をめぐる人間存在の諸制約、およびスティグマをもつ人の〈アイデンティティ〉をめぐるあやうさを、主に論じた。

要点のみ記そう。スティグマをもつ人にとって「自己のアイデンティティの探究」は、当の「スティグマ」に焦点が当てられることにより、他の場合よりもいっそう限定される可能性がある。しかも、このように自身の個人情報の開示が自己のアイデンティティのありように深くかかわる可能性を否定することができないうえに、ステイグマをもつ人は、「個人情報の処理」に関して、他の人よりもいっそう限定的な〈主導権〉しかもちえない、という傾向は、スティグマをめぐる人間存在の諸制約のうちの中心的なものの一つでさえあろう。これらのことに加え、(上で指摘した)日本における個人情報の処理に関する法制化の現状およびその基本的な方向性をも理解するならば、現在の(もしくは将来も含めた)日本社会において「〈スティグマ〉にかかわる個人情報の処理」をめぐる議論が深められねばならないことは、明らかである。

本「発表要旨」では発表において論じた他の諸契機について全く触れなかったが、以上のことから、人が「自身の〈スティグマ〉にかかわる個人情報の処理」および「自身の〈スティグマ〉をめぐる他者との関係」を主導する諸条件を探ること、より限定して言うならば、「個人情報のセルフコントロールに関する権利」の探究は、《情報倫理》の主要な課題の一つとなるべきである、と本発表は結論する。

(1)「検討部会中間報告」は、「OECD文書」を、日本における個人情報保護システム構築の一つのモデルとみなしている。(2)「EU指令」は、個人情報の処理における「個人の保護」および個人情報のセルフコントロールに関する「権利」の保障に関して、「OECD文書」よりいっそう踏み込んだ内容を明示している。 (3)「EU指令」はこの問題を主要なものとして位置づけたうえで、以下に具体的に示す「特別カテゴリーのデータの処理」 (「EU指令」から引用)に関して、極めて慎重な扱いを要求している。すなわち、「EU指令」においては「人種、民族、政治的見解、宗教、思想、信条、労働組合への加盟に関する情報を漏洩する個人データの処理、もしくは健康又は性生活に関するデータの処理」(「EU指令」から引用)が主題化されている、と言えよう。

※「OECD文書」および「EU指令」からの引用に際して、「電子商取引実証推進協議会 ECOM プライバシー問題検討ワーキング・グループ」による翻訳を使用させて頂きました。 また、「OECD文書」、「EU指令」、および「検討部会中間報告」、これらを含む「個人情報とプライバシー」関連の資料に関して、「岡村法律事務所ホームページ ( http://www.law.co.jp/cyberlaw.asp) 」による「法律とサイバースペース関係リソース集 ( http://www.law.co.jp/link/link_pri.htm ) 」、および「明治大学法学部法情報学ゼミ(夏井高人研究室)ホームページ ( http://www.law.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/)」による「コンピュータ・ネットワーク関係のガイドラインなど (海外) (http://www.law.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/doc/intnl/index.htm )」を参照させて頂きました。以上の作成者の方々に、御礼申し上げます。


(龍谷大学非常勤講師)
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