21 能力障害、能力の欠如とサイバースペース

ジョン・ペリー他

出典

John Perry, Elizabeth Macken, Neil Scott, and Janice L. Mckinley,"Disability, Inability and cyberspace", in Batya Friedman (ed.), Human Values and the Design of Computer Technology, CambridgeUniversity Press,1998.

keyword

  1. disability 能力障害
  2. impairment 機能障害
  3. handicap 社会的不利
  4. inability 能力の欠如
  5. cyberspace サイバースペース
  6. accomplishment space 実現空間
  7. primitive accomplishment space 基本的な実現空間
  8. extended accomplishment space 拡張された実現空間
  9. intrinsic concept of disability 能力障害の内在的概念
  10. environmental concept of disability 能力障害の環境的概念

この論文の構成

  1. まず、この論文で扱う問題を概説し、最終的に何を目的とするかが述べられ、
  2. いくつかの用語を定義した上で、能力障害の環境的概念を導入され、
  3. 実現空間について述べた後で、サイバースペースが定義される。
  4. 次に、以上での理論面での考察とは別に、実践上の問題が説明され、
  5. 実践上の問題を解決しうるシステムが紹介される。それが環境的概念に基づくものであることも示される。
  6. 最後に、このシステムと能力障害の環境的概念がAmericans with Disability Actに結び付けられる。

1 この論文の扱う問題と目的

  1. 現代は、コンピュータやコンピュータネットワークが発達。サイバースペースでは、テクノロジーによって我々の感覚器官の働きや手足の届く範囲及びその効果を拡張することができる(*
    例を挙げると、WWWを利用すれば、遠隔地にある情報を閲覧することできる。

    *)

  2. こういった人間の置かれる条件の変化には、障害を持った人と障害を持たない人との差異を縮減させる可能性がある。両者の差異は、コンピューターネットワークにアクセスするために必要とする入出力装置の違いのみということになる。
  3. しかし、この違いが実践上の大きな問題となりうる。というのも、コンピュータの処理能力の増大に伴うインターフェイスの複雑化高度化により、障害を持つ人がアクセスできないようなアプリケーションが増えているからである(*
    GUI の普及が視力障害者にとって不利に働いた、という例が補遺で述べられている。

    *)

  4. この問題は、ある面では経済的な問題である。コンピュータ企業は財源をアプリケーションに注ぎ込んでいて、アクセスの問題を後回しにしている。また、デザインの過程でデザイナーは標準的な能力を持つ人物のみを利用者として想定しているという、想像力の欠如の問題でもある。
  5. 障害を持った人が直面する困難を生み出すような決定や革新が行われるのは、悪意によるというよりも、障害に対する考え方が混乱していることに原因がある、と思われる。
  6. この論文では、すべての人々にとってより良いデザインに到達できるようなデザインの考え方の枠組み(*
    このようなデザインの考え方の枠組みとして有名なものには、ユニーバーサルデザインが他にある。両者を比較してみると、この論文で示される枠組みとユニバーサルデザインの考え方との間には、共通点も多いが、重大な違いが存在するように思われる。それは、ユニバーサルデザインが、文字通り障害を持つ人と持たない人に「普遍的な」デザインを理想として掲げるのに対し、ここで述べられている考え方は普遍化と特殊化を同時に押し進めるものであるからである。ユニバーサルデザインは、バリアフリーの要求が「特殊な」要求として考えられており、また高価につくという批判から生じたのであるが、ここで述べられている考え方は、機能をコンポーネント化して、ネットワークの最末端のマン--マシーンインターフェイスのみを個別のユーザーの要求に合わせて特殊化する、というものである。このような設計思想により、普遍性と特殊性の両立が可能になり、またバリアフリーで問題となったコストの問題も解決しうる、とされる。この考え方のユニバーサルデザインに対する優越性は、この論文中でも述べられていることであるが、個々のユーザーの要求が解決可能な場合でも、それらの要求を同時に解決することは不可能であるかもしれない、という「普遍性」そのものの実現可能性という問題を回避できることにある。逆に、ここで示されているデザインの考え方の枠組みは、コンピューターネットワークの性質に全面的に依存しているので、ユニバーサルデザインほどの広範な影響力は持ちえないだろう。論文中ではユニバーサルデザインについて特に述べられてはいないが、能力障害と環境要因との関係を考察する際に何が問題とされているのかをより明らかにするために、以下の註で二つの枠組みを突き合わせることにする。(ユニバーサルデザインについては、NC State University, The Center for Universal Design のサイトを参照のこと。http://www.design.ncsu.edu:8120/cud/ )

    *)を提案したい。

2 能力障害と社会的不利の二つの概念

情報時代において、障害を持つ人がそうではない人にとって対等なパートナーとなるためには、製品や労働環境のデザイン過程の早い段階から障害を持った人々の状況が考慮されなければならない。そのためには、能力障害と社会的不利との関係についての一般に広まっている混乱した考えを取り除くことが必要である。

2.1 障害の分類と定義

そこで、次のように各用語を定義する。これはWHOによる分類(*

The International Classification of Impairments, Disabilities, and Handicaps (ICIDH), 1990. そこでは次のように定義されている。(訳は、厚生省大臣官房統計情報部編・発行『WHO国際障害分類試案(仮訳)』1984年による。)

このモデルは、機能障害から能力障害、社会的不利へという一方通行の因果モデルとして解釈される。また、このモデルに対する批判としては、これは障害を医学と障害を持つ人個人から説明する「医学モデル」であり、障害が社会環境と個人の複合から生じるという観点が含まれていない、というものがある。この論文の重要な論点の一つは、こういった部分を補うことにあった。しかし、1999年現在で、すでにWHOでもこれらの論点を考慮する形で改定が進められており、ICIDH-2の草案が示され、フィールドテストが行なわれている。また、そこでは、能力障害や社会的不利等のネガティブな含意を持つ用語が姿を消し、より中立的な用語が用いられている。

*)に、その論理的なギャップを埋めるために独自に「能力の欠如」を加えたものである。

2.2 各分類間の関係

能力障害は、直接的にあるいは環境に応じて、能力の欠如あるいは社会的不利に結び付く。「直接的に」とは、能力障害を持つことが直ちに能力の欠如を持つことに結び付く場合、すなわち、能力障害を持つ人物にとって、その事柄を実現する方法が全く存在しないことを表わす。それに対して、「間接的に」とは、適切な道具等が利用できる場合には、その事柄を実現する方法が存在することを表わす(*

この二つの違いについては、次のような例を挙げて説明されている。対麻痺という能力障害は、歩く能力の欠如に直接的に結び付く。しかし、車椅子等を利用する場合には、自力で移動することは可能である。よって、この自力で移動する能力の欠如とは環境に応じて結び付いていることになる。

*)

社会的不利は、能力の欠如の特別な場合である。ある能力の欠如によって周囲と比較して不利な状態に置かれる場合を指す。

それに対して、社会的不利と能力障害は必ず結び付くというものではなく、ある人物に能力障害が存在しなくとも、社会的不利は存在しうる(*

日本語を知らないアメリカ人が東京を訪れた場合、という例が挙げられている。町中でその旅行者の周囲にいるほとんどの人(すなわち日本人)は標識等から重要な情報を得ることができるが、旅行者はそうすることに困難を抱えることになるだろう。その場合、ここでの定義では、その旅行者は社会的不利を負っていることになる。

*)。また、逆に、能力障害があっても、適切な道具等が利用できるなら、多くの事柄に関して社会的不利にならないこともありうる。

2.3 能力障害の二つの概念

以上をふまえて、能力障害の二つの異なった概念を導入する。

環境的概念によれば、能力の欠如を取り除くことは---それが能力障害であるかどうかに関係なく---、単に技術上の問題であり、誰もが普通に行なうこととなる(*

たとえば、声が届くようにマイクを使う、ビリヤードで普通には打てない時にメカニカルレストを使用する、等。

*)

また、ある事柄に必要な能力とは、それが要求する課題を実現する能力のことであって、それを標準的な方法で実現する能力のことではないことになる。

3 サイバースペースと実現空間

  1. サイバースペース時代においては、能力障害の環境的概念が正しく理解されることが重要である。
  2. 次のような理由で、サイバースペースは能力障害を持つ人の活動領域をそうでない人の活動領域と同一水準にする機会を提供する。
  3. ある人物が何かを意図的に実現することができる場合に、その目標はその人物の実現空間にある、という。すなわち、その目標を実現するために、その人物が置かれている環境において一連の動作を行うことができ、環境に関する情報を獲得できる、場合である。これは、サイバースペースでも変わらない。
  4. 道具の助けや他人の介入ぬきでされる実現のみを含む実現空間のことを、基本的な実現空間という。人間は、かつては主に基本的な実現空間で活動していた。その時代には、能力障害の内在的概念は能力障害の概念として適切であっただろう。

    しかし、現在我々は皆、拡張された実現空間を生きている。コミュニケーション、道具、インフラストラクチャー、の利用を通じて実現空間は拡張される。

  5. サイバースペースは、コミュニケーションを成り立たせる巨大なインフラストラクチャーによって創出された実現空間である。また、我々が自然に持つ感覚や能力の限界を超えて実現空間を拡張していく長い過程のもっとも最近の段階でもある。
  6. 一般に、実現空間が拡張されればされるほど、能力障害の内在的概念は能力障害の概念として適切なものではなくなる。

4 アクセスのジレンマ

  1. だが、能力障害の環境的概念を採用するだけでは、すべての問題は解決しない。実際にアクセスを提供する段階で、多くのジレンマが現れうる。
  2. 多くの場合には、問題は技術的には解決可能である。しかしながら、それが適切な価格で商業的に利用可能かどうかは別の問題である。
  3. 問題を複雑にする要因の一つは、現在では一人の人が多くのコンピュータを利用することが珍しくない、ということにある。そのすべてをアクセス可能にすることはできないかもしれない。
  4. 逆に、一台の機械を多くのユーザーが使うという場合もある。たとえば、公共性の強い設備(*
    例えば、ATMや公共施設内のエレベータ等。

    *)がそうである。そのような場合、だれがアクセス可能にする責任を負うのか、あるいはどの能力障害に合わせて調整されるべきなのか、あるいはいかにしてアクセス可能にしながら公共物としての安全性を確保するか(*

    すなわち、フェイルセイフfail-safeでなければならない。ユニバーサルデザインの原則でも第五原則(エラーに対する許容性)で挙げられている。

    *)、というような問題がある。

  5. 最大の問題は、次のようなものである。いかにして、誰も利用法がわか らないほど複雑なものにしてしまうことなしに(*
    この要請は、ユニバー サルデザインの第三原則(簡略で直感的な使用)に対応する。「使用者の経験や知 識や言語技術やその時点での集中レベルに関係なく、簡単に使用法が理解されな ければならない。」また、使用法を直感的に伝えてくるようなデザインについて の議論は、 Donald Norman の著作に詳しく述べられている。例えば、Norman, D. A., The design of everyday things, New York, Doubleday, 1990.

    *)、コン ピュータをすべての必要な能力障害に合わせて調整するか? 個々の問題は対処 可能であっても、それらを一挙に解決することはできないかもしれない。当然、 コスト的な問題もある。

  6. 次に説明されるThe Archimedes Project(*
    スタンフォード大学のプロジェクト。http://archimedes.stanford.edu/arch.htmlを参照。

    *)は、こういったジレンマをある程度解決すると思われるシステムを開発するものである。そのシステムは、「Total Access System (TAS)」と呼ばれている。

5 アクセシビリティーのためのアーキテクチャー:THE TOTAL ACCESS SYSTEM (TAS)

能力障害を持つ人たちは、キーボードやマウスやディスプレイが原因で、コンピュータへのアクセスに問題を抱える。

しかし、これらの装置は、人とコンピュータがコミュニケーションする場面でのみ、機能する。従って、コンピュータ間のコミュニケーションには不要である。

この事実は、アクセスの問題を二つの小問題に分割するという方法を示唆する。つまり、能力障害を持つ人に一台のコンピュータへの完全なアクセスを提供するという問題と、そのコンピュータからその他のすべてのコンピュータへのアクセスを提供するという問題と、にである。

TASはこの分割に基づいている。そこでは、前者をPersonal Accessor(以下、個人端末と表す)が受け持ち、後者をTotal Access Port (以下、TAP)が受け持つ。この両者はArchimedes Protocol というプロトコルで通信する。

5.1 個人端末の利点

個人端末は、特定の人物が必要とするアクセス装置として機能するようにハードとソフトを組み込んだパーソナルコンピュータであり、次のような利点を持っている。

5.2 TAPの利点

TAPは、ホストコンピュータのキーボードポートとマウスポートに取り付けられる。この装置は、標準化されたプロトコルを用い、次のような利点を持っている。

5.3 デザイン上の利点

伝統的な「ホスト組み込み」方式に対して、TASには次のような利点がある。

6 社会的不利を生み出すような実践とTHE AMERICANS WITH DISABILITY ACT

1990年のADAの原因となった、能力障害を持つ人々の権利を求める運動は、能力障害の環境的概念に訴えかけた。

たとえば、ADA の第1章102節5Aでは、雇用者の義務として次のように述べられている。「求職者や被雇用者である、その他の点では条件を満たしている能力障害を持つ個人に関する既知の肉体的あるいは精神的制約に対して、適切な調整を施さなければならない。ただし、そのような調整が業務の遂行に不適当な支障をもたらすであろう場合は除く。」

能力障害の環境的概念の立場からすれば、この要請は、社会が能力障害を持たない人の能力の欠如に対して採るのと同じ対処法を能力障害を持つ人に対して適用しているだけである。すなわち、(能力障害のあるなしに関係なく)ある人物の能力の欠如を除去するために、科学や技術や知識をつぎ込んで、人々の必要や要求を「適切に調整」するのである。それには、道具や設備を提供するということと同じく、人々の望む目的をその人々自身の実現空間の範囲に収めさせることにもよるのである。

6.1 社会的不利を生み出すような実践

しかし、このような見方は典型的なものではない。この問題にあまり知識のない人々は、混乱していて、盲目のレースドライバーというようなありえない例を持ち出して議論をしたりするのである(*

このような、能力障害を持つ人のためにあらゆる労働環境をコストを無視しても変えなけらばならないというのがADAの内容である、という誤解はかなり広く持たれているようである。このような誤解については、障害保健福祉研究情報システム(Disabilities Information Resources)のサイト(http://www.dinf.ne.jp/)にある 'MYTHS AND FACTS ABOUT THE AMERICANS WITH DISABILITIES ACT' という文章を参照のこと。

*)

このような反応は、この法律を能力障害の内在的概念で理解しようとすることによって生じる、と思われる。

この知的混乱は、社会的不利を生み出し永続化させるような実践を導く可能性がある。そのような実践とは、次のようなものである。

6.2 情報に対する平等なアクセス

  1. ある調整が適切であるとすべての人が同意した場合にも、誰がそれを行い、費用を払うか、という問題が残る。

    コンピュータに関連するような問題の場合には、これは常に明らかとは限らない。だが、TASに示されるような「分割して克服する」方式には、コストを低くし、分散させる可能性がある、と思われる。

    最初の段階としては、次のようなガイドラインが提案されるだろう。

  2. サイバースペースにおける行為者でない人々は、そうではない人と比べて縮減された実現空間を持つ。すなわち、社会的不利を持つ。

    それが能力障害を持つ人の場合には、更なる問題があるかもしれない。すなわち、正しい道具を見つけるのが難しかったり、そもそも存在しないかもしれない。

    今日の情報志向的な社会では、このような能力の欠如は社会的不利を生み出す条件となる。

  3. 機会の平等や法の前での平等は、アメリカの基本的原理であると考えられている。ADAでは、これらの原理はアクセスの平等と労働環境の調整という概念において具体化されている。情報時代においては、これらの原理は互いを必然的に伴う。すなわち、情報への平等なアクセスには、サイバースペースへの平等なアクセスが含まれているのである。

7 補遺: グラフィカルユーザーインターフェイスの問題

  1. GUIは、盲目のユーザーのアクセシビリティーをむしろ低下させる(*
    なぜなら、テキストベースではスクリーンの情報を音声や展示に自動的に変換するプログラムは完成の域に達していたが、GUIにおいては同様のプログラムはまだ完成度が低いからである。

    *)

  2. GUIが用いられる領域が広まれば広まるほど、問題も広まる。コンピュータ以外の機器にも、アクセスできなくなる。
  3. 主要な問題点の一つは、グラフィックが扱われる方法に標準がないことである。
  4. もう一つの問題は、グラフィカルな情報を、それを見ることができない人に表現する方法について余りよくわかっていないこと、である。
  5. これらの問題の解決には、さまざまな技術が必要となるだろう。

(神崎宣次)

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