7 患者の自己決定支援システムとしての医療情報システムとは

---氾濫する医療情報に対する情報リテラシーの試み---

板井孝一郎

はじめに

ここ数年、医療情報の電子化が主として大学病院や大規模病院を中心に活発化しており、またその重要性が認識されつつある。とりわけ最近注目されている電子カルテや、MML(Medical Markup Language)を用いた電子医療情報のデータ互換の標準化構想等(*

MML研究グループ: MML working group 総括研究報告概要(情報技術開発研究事業)医療情報の交換手順の標準化に関する研究 1997.2, http://www.miyazaki-med.ac.jp/medinfo/Sgmeeting/document/mm19702/techcore.html

*)は、医療関係者にとっては「情報の共有化」を促進し、また患者サイドにとっても「わかりやすい説明」の提供となり、インフォームド・コンセントの定着・拡充を進めていく上でも重要な「医療情報データ・ベース」となりうる点で、医療サービスの質的向上に対しても大きなメリットをもたらすことが期待されている。医療情報を電子化し、ネットワーク上でそれらを様々な形態で活用する試みが、医療サービスの質的向上という点でどのような貢献をなしうるかということに関しては、アメリカでもいくつかの具体的な成果が報告されている(Preston 1994; Derse and Krogull 1994; Lipson 1995)。また、カルテの電子化をはじめとする病院情報システム (Hospital information System:HIS)の導入が、病院内リスク・マネジメントを進める上でも非常に有効な役割を果たしたとする報告(Bartlett 1994)は、我が国でも近年、続発している医療事故・医療過誤の防止という問題を考える上でも注目に値する。

しかしながら、こうした診療業務等の電子化による医療情報システム(Medical Information System: 以下 MIS)の導入は、その導入に伴って生じるであろうと予測されるいくつかの問題をあらかじめ整理し、それらに対する対策をたて、ある程度確実に実行性のある体制を整えておくというプレ・アセスメントを行なっておかないと、患者サイドはもちろん、医療サービス供給側にとっても、その期待とは裏腹に様々な難問・難題をもたらす可能性がある。積極的な成果を挙げているとされるアメリカでもMIS導入のプラス面にばかり目を奪われ、楽観的すぎる見通しや、導入に向けてのコンセプトがあまりにも不明瞭で「とにかく便利だろうから」という甘い見通しのために、意図的ではないにしても医療関係者の守秘義務が遵守されなかったり、患者の個人情報が漏洩するといったプライバシーに関わる問題がやはり生じてしまっている(Goodman 1998; Alpert 1995, 1998; Anderson and Aydin 1998)。

こうした事態が生じてしまう理由はいくつか考えられるだろうが、MIS導入の基本的な方向性を意識しないで、"導入まずありき"という姿勢にならないことが大切だといいうる。そのためには、(1)そもそも医療情報とは何か、(2)電子カルテをはじめとするMISとは、いったい何のために、誰のために、そしてどのように活用されるものなのか、(3)医療情報システムが、医療の質的向上に資するためにはいったいどのような社会的インフラ整備を進める必要があるのか、といった3つの視点を明確にすることが重要であると思われる。

本稿ではこうした課題に対して、「患者の自己決定支援システム(Patient's Decision making Support System:PDSS)」としてのMISとは?という視点から、医師や看護婦、理学療法士や作業療法士、そして医療ソーシャル・ワーカー等のコメディカルを含めた医療関係者に対する情報教育のあり方、そして何よりも本来の医療の主役である患者と患者の家族に対する情報教育のあり方について論じてみたい。

1 医療情報(Mdeical Information)とは何か?

私たちは通常、「医療情報」と言われると病院が提供する診療情報のことを思い浮かべる。特にカルテと呼ばれる和製カタカナ独語を日本語にした場合、「診療録」とか「診療記録」と言われるが、現在、主に電子化の対象として注目されているのも、このカルテに記載されている診療情報である。また、通常「診療録」と言った場合には含まれない(*

以下のホームページを参照のこと。「診療情報管理士 鈴木英雄さんのホームページ:診療録とは」 http://www3.ocn.ne.jp/%7Ehideo/

*)が、外来・入院を問わず、"責任ある医療提供者側からの情報発信であることを明確にできる情報(患者個人識別記録・既往歴・現病歴・理学所見・経過記録・手術記録・対診記録・検査記録・医師指示書・看護サマリー・看護記録・レセプトなど)"は、患者とその家族にとってはとても重要な情報となる。

では、こうした診療情報が電子化されMISの柱として導入されると、どういう問題が生じると予測されるだろうか。

1.1 診療録データの入力及び互換方式の統一・標準化の問題

"書いた医師本人でさえ読めない文字の羅列"といったひどい揶揄はともかくとしても、「医師の数だけカルテ記載の方法がある」と言われるぐらい千差万別の記入がなされ、物理的なペーパー・メディアの段階ですらその統一化が難しいという問題がある。しかし今日では、診療録を単なる医師の備忘録や雑記帳にしないために、 Lawrence Weedが1969年に提唱したPOS(problem-oriented system:問題志向型システム)に基づいたPOMR(problem-oriented medical record:問題志向型診療録)によるカルテ作成がほぼ大勢を占めている(*

田村康二編『診療録の書き方』金原出版株式会社、1999年。

*)。また、平成7年度厚生省健康政策調査研究事業報告「電子カルテシステムに関する研究」(*

平成7年度厚生省健康政策調査研究事業報告、電子カルテシステムに関する研究 http://www.miyazakimed.ac.jp/medinfo/Sgmeeting/document/ehr_kousei_full.web_ver/her_kousei_full.html

*)や、その母体研究集団である日本医療情報学会「電子カルテ研究会」(*

電子カルテ研究会ホームページ http://www.miyazaki-med.ac.jp/medinfo/SGmeeting/SGmeeting.html

*)、およびワーキング・グループ情報技術開発研究事業「医療情報の交換手順の標準化(MML:Medical Markup Language)に関する研究」等、すでにこうした統一・標準化の技術的問題については先進的な取り組みが進められており、いずれは解決に向かうと言ってよい。

1.2 電子化された診療情報における患者のプライバシー保護の問題

カルテが電子化された場合、最も懸念され、大きく取り上げられるのがこのプライバシー保護問題である。患者のプライバシーに関わる診療情報にアクセスする医療関係者に対し、どのような情報倫理教育を実施していくかという問題 (この点については後で論じる)をはじめ、十分に検討されなくてはならないいくつかの問題がある(*

情報倫理学がプライバシー問題とどのように関わるか、という単に現実の個別的課題に対する"対処療法的な"取り組みを越えて、「学」として持つ意義については、次の論考が極めて優れた提言を行なっている。水谷雅彦「インターネット時代の情報倫理学」越智貢、土屋峻、水谷雅彦編『情報倫理学 ─電子ネットワーク社会のエチカ』、ナカニシヤ出版、2000年。また医療情報の電子化に伴うプライバシー保護問題については、以下の論文を参照のこと。蔵田伸雄「電子化された医療情報のプライバシー保護に関する諸問題」『情報倫理学研究資料集II』日本学術振興会「未来開拓学術研究推進事業」「情報倫理の構築」プロジェクト室 京都大学文学研究科 2000年6月発行。

*)。例えば「電子カルテのプライバシー問題」と言われる多くのものは、病院内のサーバに不正にアクセスした第三者閲覧によって生じる患者の現病歴・既往歴等に関する個人情報の漏洩に関わる問題がある。それらはファイア・ウォールの強化や、個人診療情報のパスワード管理のあり方、または不正にアクセスした者に対する法的制裁の整備といった技術的あるいは法律的問題である (Alpert 1995, 1998; Anderson and Aydin 1998)。しかしながら今後、さらに電子ネットワーク化が進んでいくならば、単に技術的・法律的課題にとどまらず、複数の医療施設間での「情報の共有化」が促進することと、医療関係者に義務付けられているいわゆる守秘義務とのバランスをどのように保っていくのかといったことに関わる、基礎的な概念的吟味も必要になってくることが予測される。

その他にも、診療報酬の不正請求を行なうためにレセプトが改竄されたり、医療過誤を隠蔽するために電子データの改竄が行なわれたりしないようにするための防止策といったテクニカルな問題もある。現在すでにこうしたセキュリティ問題に対しても、例えば先の改竄防止策に関しては、音楽CDなどのデータ処理ミスをチェックするために用いられる「ハッシュ」を使うことが構想されていたり、電子カルテがネットワーク上で他人に盗まれたり、第三者が患者本人のパスワードを悪用する「なりすまし」のリスクを回避するためには、銀行業務やネットワーク上での電子商取引の領域ですでに実用化されている公開鍵暗号を用いた認証と暗号化の活用が構想されている (*

平成9年10月21日付「朝日新聞」掲載記事「電子カルテの現状と将来」参照。

*)

1.3 法制面や社会的インフラ整備の問題

いわゆる「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会報告書」(*

この問題については、奥野満里子「診療録の開示をめぐる議論 ─「カルテ等の診療情報の活用に関する検討会報告書」とジュリスト1142号特集「診療記録の開示と法制化の課題」 ─」『情報倫理学研究資料集 I 』日本学術振興会「未来開拓学術研究推進事業」「情報倫理の構築」プロジェクト室 京都大学文学研究科 1999年3月発行、を参照のこと。

*)において提唱されている「カルテ開示法」をはじめ、医事法関連の整備問題、特に「診療情報管理士 (旧診療録管理士:カルテキーパー)」の資格制度の整備と拡充(*

「診療録管理士(カルテ・キーパー)」や「診療情報管理士」に関しては以下のホームページを参照のこと。「日本診療情報管理士協会(JMRIMA)のホームページ」 http://jmrima.med.u-tokai.ac.jp/ また河村徹郎、坂部長正「医療情報を担う専門職種とは」第17回医療情報学連合大会報告、1997年11月  http://www.shimane-med.ac.jp/jcmi97/paper/OS11-211.htm も参照のこと。

*)などの課題がある。

この点に関しては、「患者の自己決定支援システム(PDSS)」としての医療情報システムをどのように実現していくのかという視点から、医療情報の利用者に対する情報教育の問題と関連づけて最後に論じることにしたい。

2 「広義の医療情報」をめぐる情報リテラシーの能力と利用者の"自己責任"

ところが実際にはもうひとつ、いわゆるカルテを中心とする医療情報以外にも私たちを取り巻く「医療情報」が存在する。そして実は、インターネットの普及が進むにつれて、よりいっそう私たちにとって身近な医療情報となりえ、そして現になりつつある医療情報ソースがある。

先に考察した、(1)カルテ等をはじめとする"責任ある医療情報提供者側からの発信であることを明確にできる医療情報"は、診療行為を保障された医療機関からの情報発信であることから「診療情報」と解し、これを便宜上「狭義の医療情報」とするなら、もう一方の医療情報というのは、(2)主としてインターネット上で飛び交っている"責任の所在が明確であっても医事法上、診療情報と認められないか、または責任の所在が明確とは言い難い、あるいは明らかに責任の所在が不明確な医療情報提供者側からの発信である医療情報"といいうるものである。これはさらに、(1)責任ある医療機関がネット上で行なっている診療情報の提供も、あくまでも現時点では医事法上は"医療相談"であって"診療行為"とすることはできないのだから、この場合の診療情報は「診療支援情報」(*

「日本インターネット医療協議会(JIMA)」では、インターネットをはじめとする情報通信ネットワークを使った医療機関からの情報提供のことを、「医療情報支援」と呼んでいる。ホームページも参照のこと。 http://www.jima.or.jp/

*)とし、また(2)例えば、ドクター・キリコの名の元に青酸カリをネット販売していた事件や、高額な健康食品をあたかも医学上、治療効果があるかのように喧伝する等、診療情報を"装ったもの"は、「擬似医療情報」とする、という2つに大別しうる。これらは先の診療情報を「狭義の医療情報」としたのと対照的に、「広義の医療情報」と名づけうる(*

すでに述べたように「広義の医療情報」と言う場合、本稿では"責任の所在が明確であっても医事法上、診療情報と認められないか、または責任の所在が明確であるとは言い難い、あるいは明らかに責任の所在が不明確な医療情報提供者側からの発信である医療情報"であるとしたが、何もこれはインターネット上に限ったことではない。毎朝自宅に届けられる新聞の折込広告を見れば、ほとんど毎日のように「健康食品」や「代替療法・民間療法」に関するおびただしい医療情報が発信されてきている。それらの全てが"まがいものだ"と言いきるつもりは毛頭ないが、しかし少なくともそれらの全てが"本物だ"と言うのは明らかに危険である。こうした「擬似医療情報」を見極める"読み方"を、非常に親切な形態で提供しているホームページには、以下のものがある。「健康情報の読み方」http://www.page.sannet.ne.jp/onai/

*)

現在、インターネット上で責任ある医療機関等が実施している「診療支援情報」の発信形態は、主に次の4つに分類可能である。(1)個々の利用者からの相談に対して医師が個々に回答する形の「電子メールを使った情報発信」、(2)利用者からの相談に対して複数の医師が回答し、なおかつそのやり取りを第三者が閲覧可能な「メーリング・リストを使った情報発信」、(3)不特定多数の利用者がアクセス可能な「ホームページによる情報発信」、(4)遠隔地にいる患者の状態把握やそれに基づく診断・治療を行なうことを目的とした、高画質画像通信を中心とする「遠隔医療 (telemedicine)」の4つである。最後の遠隔医療は、「厚生科学研究費補助金・情報化技術開発研究事業」の「遠隔医療研究班」の取り組みを中心に、単なる「診療支援情報(医療情報支援)」としてではなく、明確に「診療行為」として位置づける先進的な試みがすでに行なわれている(*

「医療情報技術の総合的評価と推進に関する研究」http://square.umin.ac.jp/%7Eenkaku/Welcome.html また「遠隔医療研究/ 総括班報告書(日本語版) Study Report revised in March 1997 (in Japanese)」 http://square.umin.ac.jp/%7Eenkaku/96/Enkaku-RepSoukatu-nof.html

*)ので、今回ここでは考察の対象としない。

さて、先の3つの形態についても、パソコン通信の頃から先駆けて医療情報の提供に取り組み、自主的にガイドライン作成に関わってきたメンバーを中心に提案された「メディカル・ネチケット」と呼ばれる、インターネット上で医療情報を提供、ないしは利用する際の手引きがすでにWeb上に公開されている(*

「メディカル・ネチケット ---ネットワークを利用した医療情報支援のマナーについて」  http://www.kodomo.co.jp/medneti/index.htm

*)。この「メディカル・ネチケット」では、インターネットで医療情報を「利用する側」に対する情報リテラシー上のインフォメーションだけでなく、医療情報を「発信・提供する側」に対するガイドラインも記載されている。

ここでその全てを紹介し、そのひとつひとつを検討する余裕はない。そこでまず、医療情報を「発信・提供する側」のガイドライン項目として挙げられている全25項目の内、特に本稿のテーマである「患者の自己決定支援システム(PDSS)」という点に関わって重要だと思われる項目だけをセレクトしてみたい(以下のナンバリングは筆者によるもので、実際のWeb上には番号はない)。

((電子メール・電子掲示板システムを用いた情報支援の場合))

ここに挙げた第2項〜第5項までに表現されていることで注目しなければならないのは、あくまでもネット上での医療情報の提供は「助言行為」であって診療行為ではないことを明記し、その上でさらにネット上の相談によって利用者(患者)に万が一不利益が生じても、情報発信・提供者側としては責任を負えないことを強調している点である。この点は、〈ホームページを用いた情報支援の場合〉においても、「第4項 入手した医療情報は主治医と相談の上、自己責任での利用を明記すること」とあるように、あくまでもネット上で入手した医療情報は、利用者(患者)の「自己責任」において活用することを繰り返し明記している。この「自己責任」での利用、ということを常に呼びかけることは、最大のリスクヘッジとして強調されている。

また反対に、ネット上での医療情報を「利用する側」に対しても、やはりこの「自己責任」という概念は以下のように繰り返し強調されている。

〈電子メール・電子掲示板システムを利用し相談する場合〉

〈ホームページに記載された情報を利用する場合〉

しかし最も大切なことは、こうした「自己責任」ということを利用者(患者)に対し、いつ、どこで、誰が、どのようにして教育するのか、ということである。利用者(患者)ははじめから完成した「自己責任」の担い手ではない。むしろ医療情報に不案内な素人であるからこそ、医療情報の発信者を"頼って"来たのだということを忘れてはならない。だからといってインターネット上での医療相談を行なっているすべての医師が、懇切丁寧に利用者(患者)の情報教育に時間を割け、と言いたいわけではもちろんない。そんなことをすれば本来の診療業務に支障をきたすだけである。こうした患者の情報教育は、まさに「意思決定支援システム」としてのMISの大切な役割である。

3 「医学的意思決定支援システム(MDSS)」としてのEBM

アメリカにおけるMISの活用、特にコンピュータ・プログラムを医療分野で活用しようという試みは、医師が患者の診断や治療方針の確定を行なうに際してどのような臨床上の意思決定を行なうか、という「医学的意思決定支援システム(Medical Decision making Support System:MDSS)」として1980年代に導入が試みられた事に始まると言われている(Shortliffe, 1987)。当時、それまでは主に患者に対する1回分の投薬量の算定(drug dosages)や、ICUでの静脈点滴量のコントロールなどを中心に活用されていた医療用コンピュータ・プログラムが、医薬品の副作用情報の管理・提供にはじまり、個々の症例に関して過去の医学文献からサーチする検索エンジンとしての役割を付与されるようになっていった。同じく1980年代には、M.Weinsteinと H.Feinbergが産業界で発展してきていた「判断学(decision making science)」を、臨床判断分析(clinical decision analysis)に応用して創始したといわれる「医学判断学(medical decision making science:「医学的意思決定の科学」と訳される場合もある)」が、臨床だけでなく、予防医学、健康政策科学や医療費効用分析などにも広がっていくことで、単なるカリキュレータ支援システムとしての医療用コンピュータが医療情報の管理に関わっていく傾向に拍車がかかった(*

縣俊彦編著『EBM 臨床医学研究の方法論』中外医学社、1998年、参照。

*)

そして今日、臨床上の意思決定に関わるMDSSは、患者の診断、治療、予後などに関するデータを疫学的・生物統計学的に解析し、個々の患者にとって最も適切だと考えられる医学的決断を下す臨床疫学の手法と出会うことでEBM(Evidence-Based Medicine: 科学的に信頼できる証拠に基づいた医療)との結びつきを得るに至っている。

このEBMとは、1993年にカナダ、マクスター大学のD.Sackett, P.Tugwellらを中心に検討が進められ、現在では北米のAmerican College of Physiciansが提唱しているように、エヴィデンスとしての科学的信頼性を保証するものとしての無作為化比較試験 (Randomized Controled Trial:RCT)と、それらを総合的な視点から分析するメタ・アナリシスの実施がポイントとなっている。

このように、MDSSとしての医療情報の活用形態がEBMへと展開を見せていくことになった大きな要因としては、次のような歴史的・技術的背景を挙げることができる。個々の医師が自分の臨床経験の枠内で対応していた1970年代頃までは、それぞれの患者に対して行なう診断・治療も個々の医師の裁量に任されていたと言ってよい。しかし1980年前後から、すでに述べたように医療分野へのコンピュータ・システムの導入が進み、地域や国を越えて情報集積が進行するにつれて、同一疾患であってもそれぞれの地域で診療内容(あるいは医療サービスの質)に大きな隔たりがあることが明らかとなってきた。また、おりしもこの1970年代という時代は、アメリカ病院協会によって「患者の権利宣言」が1972年に採択されたことに象徴されているように、医療に関する情報がいわゆるパターナリズムに基づいて医師側に独占されていた(まさに医師の裁量に任されていた)時代から、インフォームド・コンセントを基盤に「患者への医療情報の開示・提供」が進められていく時代へと転換していく時期に重なっていたことは注目に値する。さらにQOLという観点から、単に患者の疾病を生理学的にキュアすることのみでなく、患者の日常生活に関わる機能障害、ADL、治療に対する精神的な満足度、医療費など、従来の疾患立脚型研究(disease oriented research:DOR) だけでは軽視されがちだった患者立脚型研究(patient oriented research:POR)をも採り入れた臨床研究、すなわち「患者のニーズを満たす」ということを目標とするアウトカム(outcome)研究が重視されてくるようになる(*

「患者立脚型研究 (POR:patient-oriented research)」に関しては、以下の文献を参照のこと。福原俊一、ジョセフ・グリーン「患者立脚型研究のすすめ」『EBMジャーナル 創刊号』Vol.1 No.1,2000年1月号、中山書店、P106-P110

*)

こうして個々の医師が自分の臨床経験を中心にしながら、ごく身近な周辺的情報の枠内に留まって臨床上の意思決定をしていればよかった時代が終わりを告げ、より広範かつ科学的にも信頼性の高いエヴィデンスという医療情報を収集する必要性が生じてきたのだった。医療情報の活用形態がこのように大きく変化していくことを可能にした根拠が、1990年代に入って高性能コンピュータが急速に医療現場にも普及し、世界各地の医学文献のデータベース化が進み、インターネットによってWeb上の医療情報に迅速にアクセスできるようになった事にあるのは明白である。

3.1 EBMにおける情報収集の重要性とインターネット

このEBMは、世界中の医療情報に迅速にアクセスすることが可能になったという技術的な革命という意味でのいわゆるIT(Information Thechnologie)革命を背景にしている。そしてまた、このIT革命を背景とするMDSSとしてのEBMの一層の展開は、特にインターネット上での医療情報ソース(例えば、米国医学図書館[ National Library of Medicine; NLM ]が作成・管理している世界最大規模の医学文献データベースである MEDLINEをはじめ、臨床上有効なエヴィデンスを検索するという点ではMEDLINEよりも効率的であると定評のあるThe Cochrance Libraryなど)であるならば、医師はもちろん、それ以外の医療関係者(ナースや、OT、PT、MSWなどのコメディカル)であってもアクセス可能であるという点から、医療関係職種間の医学知識のボーダーレス化を促進し、医療サービスの質的向上に一層貢献するであろうことが期待されている。

さらにインターネット上の医療情報であるなら、医療のプロフェッショナルのみならず、すでに見てきたように、医療サービスの消費者である一般利用者(患者)にもアクセスすることを可能にした点において、医療関係者と一般利用者(患者)との間でも医学知識のボーダーレス化をもたらし、医療への患者側からの主体的参加を促す情報基盤(Information Infrastructure)の整備にも大きく貢献するだろうという期待もある。

しかしながら、すでに「自己責任」に関わる箇所でも少し触れたように、医療の素人である一般利用者(患者)は、何が信頼できる医療情報なのかを見分ける能力をはじめとする情報リテラシーの能力を、はじめから備えているわけではないことを忘れてはならない。しかも、こうした情報リテラシーをめぐる問題は、こと医学の"素人"である一般利用者(患者)に限ったことではなく、医療のプロフェッショナルである医師やコメディカルにも言えることである。真にEBMがMISとしての有効性を発揮するためには、情報ネットワークのインフラ整備が必要なだけでなく、それらを利用する主体の側の情報リテラシーの育成がどうしても必要となってくる。

3.2 インターネット上でエヴィデンス収集をする上での注意すべき問題点

Debora G.Johnsonは、インターネットを中心とするGII構想(The Global Information Infrastracture)に関連して、インターネットの利用者が意識しないうちに取り込まれてしまう危険な罠をいくつか指摘している(Johnson 1997)。いかに利用者が自己責任のもとに自律した情報活用をしているつもりでも、Web上の情報ソースそのものに、様々なバイアスがかかっていることを忘却してしまうというリスクはその中でも重要なもののひとつである。

EBMにおけるエヴィデンス収集のために、インターネット上の医療情報を活用する場合にも、同じことが言える。インターネット上での情報バイアス(偏り)を十分自覚した上で情報収集し、さらに収集した情報そのものの性格についても熟知しておかないと、せっかく収集した情報も価値がなくなってしまう。

(1) 研究段階でのバイアス(submission bias)

研究者はその研究の企画段階からすでに、できるだけポジティブな研究データや結果を求める傾向があり、研究にとってマイナスだと思われるデータを排除したり、あるいは排除しないまでもデータの公表を遅延したりする傾向がある。 /P>

この研究段階でのバイアスを示す、我が国での有名なケースとしては、1994年に実施されたTetrahydrobioterin(THBP)の二重盲検試験に関するものが挙げられる (*

伊佐知信二、熊本一郎「インターネット上のエビデンスの問題点」『EB Mジャーナル 』Vol.1 No.2,2000年3月号、中山書店、P74-78. また本文中で挙げた「3つのバイアス」については、この論考を参照させて頂いた。但し、この論考では先の3つ以外に、「方法論的バイアス(methodological bias)」と「計算値上のバイアス(framing bias)」の2つを併せて全部で5つのバイアスをあげているが、本稿ではそのうち特にインターネット上の医療情報にアクセスする際に求められてくる情報リテラシーに直接的に関係すると思われるものに絞った。

*)。またサリドマイド禍や森永ヒ素ミルク事件、漢方薬小柴胡湯とインターフェロンα併用による致死性の間質性肺炎発症、そして非加熱性血液製剤による薬害エイズ事件などに見られるように、「副作用情報の表面化が遅れる傾向」も、残念ながら事実として存在していることも忘れてはならない。極めて厳密だと思われている治験過程をパスしているはずの薬剤が、重篤な副作用を引き起こしているという事実を踏まえるなら、われわれは本当にそういったネガティヴな情報を把握しきれているのかどうか、そしてまたそういう情報をインターネット上で把握しきれるのかという問題がある。

(2)公表バイアス(publication bias)

このバイアスも、先の研究段階でのバイアスと性格的には類似している。研究グループのメンバーも、医学専門誌の編集者も、やはりできるだけポジティブな結果を掲載したがる傾向があると考えておくことが妥当であるし、ましてやWeb上での公開となると宣伝効果を考慮しないでいると考える方が不自然であるともいいうるだろう。特にスポンサーが薬品メーカーであったりするなら、新薬の治験データの公表に関して危惧される点は多い。また、単純にWeb上の電子データにされていないだけ、という場合もあるだろうし、インターネット上にある医療情報のみが常に最新で、誤謬のより少ない情報源だという確実な保証はないということを自覚しておく必要がある。

(3) 要約バイアス(abstracting bias)

実際にMEDLINEにアクセスして検索を行なったことがある人は経験したことがあると思うが、いくつかのフィルタリングをかけて探し求める文献にたどり着いたとしても、せいぜい要約だけを読んで事たれりとしてしまう傾向はないだろうか。しかし、要約にはフルペーパー以上に、ポジティブな結果だけを強調しようとする傾向があることにも注意が必要である。確かに忙しい毎日の業務の中では、フルペーパーを読了している暇はないし、そもそもPubMed上では要約までしか閲覧できないため、フルペーパーを希望するには別の手続きが必要であるという問題もある。インターネット上で検索エンジンを使ってエヴィデンスの収集を行なう場合、ネガティブ・データを検索するには、かなり入力キーワードを絞るとか、最初からネガティブ・ワードを入力するなどの意識的な工夫をしないと見つけにくい構造になっている。

Web上の医療情報にアクセスするにあたっては、単にコンピュータを操作する技能に長け、検索エンジンを使いこなせるというコンピュータ・リテラシーの能力があるだけでは十分ではない。Web上の医療情報とは、このような様々なバイアスに侵された "不完全なデータベースなのだ"ということを常に自覚して利用するという、単なるコンピュータ・リテラシーとはまた異なった情報リテラシーの能力が極めて重要である。

4 「患者の自己決定支援システム(PDSS)」としてのMIS

前節で触れたように、1980年代にアメリカでMDSSが臨床の現場に導入され始めた頃、すでにいくつかの倫理問題が指摘されていた。その際、問題になったいくつかの重要項目を、Miller & Goodmanは次の4点に整理している(Miller & Goodman 1998)。

  1. MDSSは、何故、またいつ活用されるべきなのか?
  2. MDSSは、どのような状況のもとで、また誰によって活用されるべきなのか?
  3. MDSSは、臨床上の標準的な意思決定支援システムにどのような影響を与えうるのか?
  4. MDSSは、伝統的な医療者-患者関係に変化を及ぼしうるのか?

こうしたMDSSに関わる4つの観点についてはしかし、これまで見てきたように、あらためてPDSSとしてのMISとは?という視点から、再検討される必要がある。

4.1 PDSS活用の目的

MDSSの活用は、導入当初はあくまでも"医師が"医学的な意思決定をするにあたってのサポートシステムを目的としてのものであった。確かに医学的な知識の格差が激しく、またすでに述べたようにインフォームド・コンセントをはじめとする医療構造の転換がないうちは、それでも良かったと言えるかもしれない。しかしそもそもMDSS も、あくまでも患者の疾病を治療し、患者の健康を増進することを目的とし、その目的を迅速かつ的確に行なうために導入されたことを思えば、なおいっそう明確にMDSS の目的は、"医師の"医学的判断支援システムではなく、"患者の"自己決定支援システム、すなわちPDSS(Patient's Decision making Support System)として位置付け直されなくてはならない。

4.2 PDSSはどのような状況下で、誰によって活用されるのか?

PDSSとして再定義されたMDSSは、以下のような状況で活用されることが考えられる。

(1) コンサルテーション・システムとして

患者が十分な情報提供に基づき、自律的で自発的な自己決定をすること、これがインフォームド・コンセントの理想であるならば、自己決定を行なうための十分な情報源の提供がまず保証されなくてはならないのは当然のことである。しかし、今現在、患者が比較的気軽に医療情報にアクセスできる環境が十分に整えられている病院の数は極めて少ない。すでにアメリカなどや日本の一部の病院でも、少ないながらではあるが、既存の病院図書室を、「患者のための医療情報室」や「健康情報ライブラリー」という位置付けを与えて、「患者に自己責任や自己決定を求めるなら、まず情報の提供をしなくては」という試みを先進的にすすめている所もある(*

2000年3月 18日付「読売新聞」記事「医療情報 患者も気軽に ─病院図書室の今」を参照。

*)。PDSSとしてのMISのあり方の具体的な一例である。

(2)教育システムとして

しかし、ただ単に病院図書室を患者に開放しただけでは意味がない。やはり、そこに医療司書や、診療情報管理士など、MISに精通した専門スタッフを常駐させ、患者教育の一環として明確に位置付ける必要がある。その際、例えば日本インターネット医療協議会が提示している「インターネット上の医療情報利用の手引き」や先に挙げた「メディカル・ネチケット」などについて、情報教育を行なうことが求められてくる。また患者に対してだけでなく、医師をはじめ、その他のコメディカルに対しても情報リテラシー教育を実践する診療補助部門としての役割を、既存の病院内の医療情報部が担うことが必要であるし、またそういう位置付けを得なくてはMIS導入のポジティヴな意義は現実のものとはなり得ない。

4.3 PDSSがもたらす意思決定支援システムへの影響

インフォームド・コンセントにおいて医療者側がしばしば直面する重要な問題のひとつは、医学的に十分な根拠に基づいて医療者側としては最善だと判断した治療方針であっても、必ずしも患者側が等しくその判断を最善だ、とは受け取らないということである。乳ガンの外科手術に際して、再発や転移の100%防止という観点から、乳房の切除をベストだとする医学的判断が、患者にとっても等しく最善であるとは限らない、という問題は周知の事実である。そうした観点にたつと、MDSSがPDSSとして再定義される場合に最も重視されなくてはならいのは、すでに触れたように疾患立脚型 (disease oriented)の視点からの情報収集だけでなく、QOLを主軸とした「患者のニーズを満たす」という患者立脚型(patient oriented)の視点からの情報収集ということになる。

4.4 PDSSの医療者-患者関係に対する影響

こうして見てくると、MDSSがPDSSとして転換されるならば、確かにインフォームド・コンセントの定着・拡充に役立つといいうる。しかし何度も繰り返すことになるが、気をつけなくてはならないのは、MISが真にPDSSとして患者の自己決定をサポートする情報システムとして機能しうるためには、利用者(患者)に対する情報教育を抜きにしてはありえない、ということである。これは単に、コンピュータの端末を利用する知識を習得したり、実際にキーボードをたたくことができるようになるとか、健康情報ライブラリーの検索システムを活用することができるようになるといったような、いわゆるコンピュータ・リテラシーの能力を育成することだけを指すのでは決してない。収集した情報の中から、どういったコンテンツを選び出すのか、それにあたってはどういうことに注意する必要があるのか、といった情報の内容や質そのものを吟味する能力である情報リテラシーの能力まで視野に入れる必要がある。そういった視点を欠くなら、かえって利用者(患者)を氾濫する情報の荒波の中に投げ込むか、鬱蒼と生い茂った情報のシュヴァルツ・ヴァルト(暗黒の森)の中に迷い込ませるだけである。"理念なきMIS導入"は、PDSSとして医療情報のボーダーレス化をもたらすどころか、むしろ医療情報をめぐる「情報の非対称性」や、医療の世界での「デジタル・ディバイド(情報を持つ者と持たざる者との格差・断絶)」を促進することにもなりかねない。

5 おわりに

繰り返しになるが、MISをPDSSとして導入したからといって、それがそのまま自動的に医療サービスの質的な向上に直結するわけでは決してない。すでに述べてきたように、MISはいったい何のために、誰のために導入するのか、といった導入に先立つプレ・アセスメントを行ない、そのアセスメントの内容を病院関係者に徹底することを行なわないなら、かえって"MISという名のお荷物"を抱えるだけになってしまう。そして、何よりもインターネット上での医療情報の活用をはじめとするMISに関する情報教育を、患者(利用者)へ提供できる体制を整備していくことが強く望まれる。 

参照英文文献


(京都大学文学研究科リサーチアソシエイト/日本学術振興会研究員)
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