19 インターネットと倫理:大学教育制度に対する矛盾と解決

B. C. シック・デイ & P. C. デイ

出典

B. C. Chic Day and Pat C. Day, "The Internet and Ethics: Dilemma and Decisions for Institutions of Higher Education" in Social and Ethical Effects of the Computer Revolution, edited by Joseph Migga Kizza, 1996, MacFarland & Company, Inc.

概略

この論文「インターネットと倫理:大学教育制度に対する矛盾と解決」は、 J. M. Kizzaによって編纂された『コンピュータ革命の社会的・倫理的影響』に掲 載されている情報教育に関する論文の一つである。

本論文では、筆者はまず現在の大学でのコンピュータ利用状況について、学生の 意識調査や実際におこった事例をもとに整理する。そして、そこから導き出され たコンピュータ管理の困難さ・複雑さから、大学教育制度がジレンマを抱えてい ることを述べる。そして、検閲などの外からの強制的な管理ではない、学生一人 一人が責任の重さを意識する自主管理を強調し、そのためにより現実的で実用 的なアプローチの仕方を考えていく。そのアプローチの仕方として、倫理教育の 充実と、コンピュータ利用綱領(code)、方策(policy)、そして常任倫理委員 会の設置が挙げられており、それぞれの結合が期待されている。

以下で、その内容を要約している。

1 状況

最初に筆者は、ある大学で起こったコンピュータ利用に関する二つの出来事について 挙げる。

一つ目の出来事は、大学内のコンピュータ実習室で、一人の教授がわいせつな 画像を印刷していた学生を見つけたことに端を発する。教授は早速最近の出力状 況を調べ、それに対する対処(わいせつ物への遮断システムの有無・大学側の方 策)について管理センターに質問するが、満足のいく答えは返ってこなかった。 そして、わいせつな画像を印刷した学生からは、「あれはポルノではなく芸術だ」 と反論を受け、逆に許可なくメールを見たことを非難されてしまう。

二つ目は、同教授が耳にした二人の秘書の話についてである。その会話の内容は、 もしE-mailの名前が女性のものとわかるならば、翌日ひわいな(lewd)メールが 届くので、メールを見たくない、拒否したい、というものであった。

このような実際に起こった二つの出来事は、アメリカでは珍しいものではなく、 日常的に起こりうる問題である、と筆者は最初に述べている。

2 学生の調査と反応

筆者は、以上のような状況を受けて、学生(大学の新入生68人と上級生22人)を 対象にアンケートを試みる。使用したアンケート用紙は、以下のものである。

シナリオ

学生はコンピューター実習室で大学のパソコンを使用し、インターネットにアク
セスしている。学生は利用できるデータを調べていると、わいせつな
マテリアル(material)を含むファイルのソースを見つけた。そこに教授が
通りかかり、表示されているマテリアルに気がついた。

・あなたが感じた状況を処理するもっともいい方法を、それぞれの質問について回答シートにOで囲って下さい。

・回答シートには名前を書かないで下さい。

・また、2・3・4番にも答えて下さい。

状況シートを読んだ後に、回答者に次のような回答シートが与えられた。

Student Response Sheet

 
 (1)この状況に対する答えとしてあなたが薦める行為は?(最もよい方法を一つ)

    a. 何もしない。
    b. 管理者側は学生を処罰すべきである。(ある期間謹慎させる。またいくつか処罰を加 える)
    c. 処罰はしないが、大学は公の方針(policy)を制定するべきである。
    d. 教職員は学生に注意し、パソコンを切るべきである。
    e. 教職員は学生に注意すべきである。(非倫理的である、パソコンの使い方がまずい etc.)

 (2) 学生は非倫理的な(unethical)行為をしたか?
 (3) 学生は違法な(illegal)行為をしたか?
 (4) わいせつ物を見るために大学のパソコンを使うことに対して法はあるべきか?

この調査結果は以下の通りである(数値の単位は%)。

(1)薦める行為は?

a b c d e
新入生(68人) 13.2 2.9 61.9 13.2 8.8
上級生(22人) 18.0 4.5 54.5 9.0 13.6
合計(90人) 14.0 3.2 60.2 11.8 10.8

(2)非倫理的な行為(unethical manner)か

?
はい いいえ
新入生 71.6 28.3
上級生 72.7 27.2
合計 72.8 27.1

(3)違法な行為(illegal manner)か?

はい いいえ
新入生 14.9 85.1
上級生 14.2 85.7
合計 14.0 86.0

(4)ポルノグラフィーに対する法(law against pornography)に?

賛成 反対
新入生 66.2 33.8
上級生 66.7 33.3
合計 65.2 34.8

この調査結果から、筆者は学生の間にコンピュータ利用のための倫理的要素が受 け入れられているとする。そして問(4)の結果から、調査された学生の多くが 何らかの電子データの検閲(censorship)を支持しているように見ている。しか しながら、検閲はすべての人に支持されているとはいいきれないとも述べている。

また、大学のコンピュータを使用してわいせつな画像を見ることが、非倫理的で あるかどうかについては、未だ議論の余地あるものであり、ここまでみてきたわ いせつ物の事例は、現在のインターネット利用において非倫理的な行為と見なさ れているものの単なる一例にしかすぎないと考えている。

以上のことから、単に急激に発展する電子技術と関連した方策(policy)を設け るだけでなく、情報の自由の必要性と、様々な共同体の慣習の食い違いの両方を 満足させる方法を見つけだそうとする大学教育制度に、私たちはジレンマを抱え ることになる、と筆者は述べている。

3 環境

ネット利用者も急激に増加し、その数も毎年倍増するであろうと推測される現代 社会において、大学もまた電子社会へと変わりつつある。さらに、このことは大 学だけでなく、大学寮やその他の建物にもあてはまり、図書館へのアクセスや、 研究課題の提出、授業の登録など日常的に行われている。つまり、学生にとって インターネット利用が身近なものになり、学生生活の道具の一つとなりつつある。

しかしこのような大学環境の変化やユーザーの急激な成長に伴って、E-mailハラ スメントや、著作権違反(copyright infringement)、その他疑わしい悪習の問 題など、大学内において学生や教職員によるインターネットの誤用(Internet misuse)が現実的なものとして持ち上がってきている事実も見逃せない。その例 として筆者は、Cornell大学でのチャイルドポルノに関するFBIの調査など、現実 に大学で起こった事例をいくつか挙げる。

さらに、筆者は学生の誤ったインターネット利用に対する大学の対応について、 特にわいせつ物への対処の仕方を取り上げて見ていく。

例えば、カナダの大学では、ネット上のいかがわしい情報へのアクセスを遮断す る大学(Carleton, Manitoba, etc.)と、本人の言論の自由(free speech)から、 アクセスを許可している大学(MacMaster, Ottawa, Waterloo, etc.)に分かれてい る。また、アメリカのミシガン大学では、不快感を感じる人から隠されている限 りでは、不快なマテリアルの使用を許可する方策(policy)に向かっている。そ してCarnegie-Mellon大学では、1994年11月学生がわいせつな画像を呼び出すの に利用していた掲示板へのアクセスを遮断することに決めたところ、学生と公共 団体から激しい抗議をうけ、そのために大学側は、最終的にテクストは許可する が、成人向けの画像に対してはそのまま立ち入りを禁止する、という結果に落ち 着いている。

このような大学の様々な対処の事例からもわかるように、現在大学は、多様化す る学生の利用について管理しきれずに、そこから噴出した問題の対処に迫られて いる。そしてその状況に危機感を覚えて、解決するための最善の策を求めている、 と筆者は述べている。

4 管理についての専門的綱領

大学において、技術的困難さや時間と財政上のコスト、ユーザーの技術などの理 由から、大学生のインターネットアクセスを管理することは、実行可能で望まし いと筆者は考えている。それでは、従来のコンピュータ管理に変わる、問題に対 処しうるより実用的なアプローチの方法はないのだろうか。ここで筆者は、その 方法への一つの試みとしてコンピュータの専門家によるアプローチとして、ACM 綱領(code)に注目する。

ACM (アメリカ計算機学会The Association for Computing Machinery)とは情報工 学の分野における専門家の組織であり、雇用者、国民、社会全体に対するメンバー の専門家としての義務と責任について述べられた管理綱領をもっている。

1992年に採用された新しいACM綱領では、倫理の問題と専門家の 管理(conduct)を扱い、その内容は、知的所有(intellectual property)、プラ イバシー、信義性(confidentiality)、専門家としての質、公正さと差別 待遇(fairness or discrimination)、責任(liability)、ソフトウェアの 危険性(software risks)、公益と利益の衝突(conflict and interest)、コン ピュータシステムへの認可されていないアクセスについて述べられている。

この新しいACM綱領は、考え得る限りの違反を列挙して、ガイドラインを 無視した団体に罰則を与えると脅すという性質をもっていたそれまで(1972年 採用)の綱領とは異なっている。新しい綱領は、従来の綱領では倫理的な検閲機構 としての役割を果たすには不十分だったという理由から、コンピュータ ・エシックス(computer ethics)がより普遍的な倫理的原理と同等に見な されるように具体化された一般名辞に対するメンバーの同意と公約に依存した 自主管理(selfregulation)を強調している。すなわち新しいACM綱領は、 強制的な刑罰法規ではなく、むしろ社会化と教育を強調するものであり、 個人の意志決定(decision making)を助長するものとして捉えられるものである。 筆者は、この点に注目する。

5 教育と倫理

次に筆者は、「独特な大学の環境における倫理学への教育的なアプローチ」につ いて考える。そのアプローチの仕方を筆者は以下の四点から考えていく。

まず第一に、筆者はほとんどの大学が、情報倫理の講座で不十分な教科書を用い ていることを指摘する。

その典型的なものとしてとあげられている教科書(the laudon, Traver and Laudon approach)では、コンピュータを使用する職業における倫理的問題の認 識・プライバシー、個人の自由、所有権、そして知的所有権を侵害しうるコン ピュータの使用法・コンピュータの生活の質や職場生活、健康、安全、そして環 境に対する影響・コンピュータ犯罪や天災、人的過失、といったコンピュータと 倫理に関する議論の余地のある分野を説明している。これにさらに加えて、プラ イバシーと倫理を扱っている連邦法のリストと、管理についての専門家の組織 綱領の二つの例を挙げている。これだけの内容が、教科書の中ではたった一つの 章に収められていることから、筆者はコンピュータを使いこなすことだけを重視 した従来の教育の在り方について議論の余地があるものとして受け止めている。

第二に、筆者は(情報)倫理教育によって現在の状況に効果があるかどうかにつ いても議論が分かれるとする。ここでは倫理教育肯定派の意見として、著作権侵 害など企業倫理問題の数の増加は、コンピュータ・エシックスへの理解のカリキュ ラムが実施されることで抑制されると考えるBloombecker、そして、大学生のソ フトウェアの違法コピーに対する意識の低さ・知識のなさを指摘したChaneyと Simmonが挙げられている。

それに対して、倫理教育からは利益は得られないとする意見 として、D. Khazabchiの意見が挙げられている。彼は、 倫理学の講座だけで十分効果があ るので、倫理教育は必要ないと考えている。以上のことから、筆者は大学教育に おける倫理教育では、まずその実施について内外ともに抑圧を受けると考えてい る。第三に、コンピュータ・エシックスの教育が大学で実施された場合、その講 座での焦点はどこにあわせるべきか、何について教えるかということが問題になっ てくる。それはつまり、教科書や専門家の組織の綱領によって描かれた標準的な 問題に焦点を当てるべきか、それとも、学生が直面するであろう問題に焦点を当 てるべきか、ということである。

これについて、筆者はBently大学を事例として挙げる。この大学では、入学した学 生はE-mailソフトの利用法と同時に、E-mailやtelnet、FTP、News Groupsの誤っ た、非倫理的な行為から生じる個人・公共的問題について講義を受ける。さらに すべての学生と教職員に適用される公正な方策と綱領があり、個人やコンピュー タに「危害を与えないdo no harm」という個人的責任が強調されており、これら を侵害することに対して警告が発せられている。筆者はこの学生志向の立場を重視 し、 コンピュータ・エシックスの教育の焦点は、抽象的な、観念的なものよりむしろ、 現実的・実用的なものであるべきであるとする。

最後に、コンピュータ・エシックスの教育は、どのように達成されるのか、とい う問題が生じてくる。それについて筆者は、コンピュータ科学などの一部の学生だ けでなくすべての学生が教育の対象となり、さらに社会的問題について考えるた めに、それを教える人々(教師)の強い関心も必要とされる、と述べている。

以上のことから、コンピュータ・エシックスの教育が成り立つためには、はっきりと 確定された、合理的で話題に即した、そして実行可能な綱領と、倫理的なコンピュー タ利用の方策をみたし、共同体の中にある学生・教職員・大学スタッフ・そして行政 に至るまで、すべてのものが積極的な参加者でなくてはならない、と筆者は述べてい る。

6 大学とインターネットの現在と将来)

最後に筆者は、方策とそれについて議論を行う常任倫理委員会(a standing ethics commitee)の設立の必要性について述べている。

現在、倫理的問題はコンピュータ技術と絶え間なく変わっていく社会の革命的な 進歩によって、進化し続けている。それ故に筆者は、大学教育機関でのコンピュー タ利用の倫理的方策は、当時公表されたものに執着するべきでなく、柔軟で将来 を考えて変化していくものでなければならないとする。なぜならば、実際現在は 十分だと思えるものでも、何年か先には倫理的矛盾を抱えることになるかもしれ ないからである。

そしてさらに、筆者は方策に柔軟性をもたせるために、研究し話し合われる場と しての常任倫理委員会の設立の必要性を説く。その設立メンバーとしては、筆者 は意見の同意と公約が発展していくために、インターネットについて異なる観点 をもつ共同体の人々(学生・教職員・行政機関・理事・卒業生・地方共同体など) を含むことが必要である、と考えている。

インターネットとは、無限の情報を流すものであり、同様に倫理的・非倫理的利 用への無限の可能性をもつものといえる。以上のことから、外面的で不適切な規 制の危険をさけるためにも、大学教育制度には、教養あり、責任ある自主管理の 文化を育てられるよう、これまで見てきた(情報)倫理教育と、コンピュータ利用 綱領、方策、常任倫理委員会の設立を実現し、それらを結合させて効果的に利用 していく必要性がある、ということを筆者は強調しているのである。

以上が本論文の内容であるが、次いで本論文について簡単なコメントを寄せておく。

コンピュータの専門家だけでなく、すべての人々が利用の対象へと変わってき ている現代の状況に対応するために、本論文中では、キーワードとなっている 「倫理教育」、「コンピュータ利用綱領」、「方策」、「常任倫理委員会の設 立」、そしてそれらの結合していく動向を重視し、大学教育制度の改革を行うこ とが主張されている。実際に、現在の日本の教育の進んでいる方向を考慮すると、 2001年以降全国の公立学校をインターネットで結ぶという計画が背後に控えてお り、それに先んずる形で大学ではコンピュータ導入が進んできた。要するに今現 在大学で生じている問題は、場所を変えて小・中・高等学校でも起こりうると考 えてもいいだろう。さらに将来的にコンピュータ利用者が増加することは明らか であろう。以上のことから、大学においてコンピュータやそのネットワークを利 用する際に望ましい行為について教育を行うということは、将来教師となり学校 に戻っていく人々だけでなく、その他の人々にとっても将来的に子ども達を育成 していく環境を整備していくことへの同意につながっていくように考えることが できるので、その基盤となるべき情報倫理教育についての大学教育制度のあり方 をもう一度問い直そうとする筆者の立場には必要性から同意する。しかしながら、 何がその基盤となるか、判断の基準が今現在模索中であり、はっきりしない上に、 興味のある人しか問題と考えないのではないかという懸念から、結果的に筆者の いう共同体ではなく、その道に詳しい専門家だけに頼ってしまうことにはならな いだろうか、という点に疑問を抱かざるを得ない。


(細羽嘉子)
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