1 世界的な情報基盤は民主的な技術か

デボラ・G・ジョンソン

出典

Deborah G. Johnson, "Is the Global Information Infrastructure a Democratic Technology?" in Joroen van den Hoven (ed.) Computer Ethics: Philosopical Enquiry, Department of Philosphy, Erasumus University, 1997.

Key Words

1 論文の目的と全体の概要

筆者のジョンソンは自らの論文の目的を次のように述べている。

「世界的な情報基盤(以下、GIIと呼ぶ)は民主的な技術であるとしばしば主張される。すなわち、GIIは電子上の民主主義を創出したり、民主的な手続きを促進或いは強化すると主張される。この論文の目的は、そのような主張で意味されているであろうことを検討し、そのような主張を評価するために有益な、GIIへのアプローチを提示することである。それは、GIIの社会的、特に価値観的な含意に着目することとなるであろう。その課題は、次の三つの基本的な問いを必然的に含んでいる。(1)GIIとは何か。(2)民主主義とは何か。(3)技術が価値観を担うとはどういうことなのか。」

ジョンソンは、第一の問いに対しては、GIIという技術が絶えず発展していることを理由に、次のように概略的にのみ答えている。「私はGIIをコンピュータ/情報技術と電気通信とが結びついたものとして理解している。」第二の問いに対しては、「民主主義」という言葉が様々な仕方で使われ、民主的な社会の様々な特徴を言い表していると述べた上で、民主主義から連想される様々な考え(ideas)の基礎にある考え方は「民衆主権(Popular sovereignty)」であると述べる。第三の問いに対しては、技術が担っている価値観の「道徳的・形而上学的な意味」、「支持するという意味」、「物質的な意味」、「表現する意味」に着目して四つのタイプの説明を試みている。

ジョンソンは、このうち第三の問いから分析を始め、章立てから言えば全体の3/4を使ってそれを行っている。(以下、章立て番号及び節番号は紹介者による。)そして残りの1/4を使って第二の問いに答え、それを手掛かりにGIIの分析を行っている。第一の問いに対しては正面からは取り扱っていない。

本論文の構成を概略的に示すと次のようになっている。ジョンソンは、先ず技術と価値観の関係について述べている(第一章「技術と価値観」)。次ぎに技術が価値観を担っているという主張で意味されていることに対して四つのタイプの説明を与えている(第二章「 技術に埋め込まれた価値観」)。そして更に、その四つのタイプの説明をGIIに当てはめて分析を行っている(第三章「 世界的な情報基盤に埋め込まれた価値観」)。そして最後に、「民主主義」という概念、特に民主主義から連想される様々な考えのうちGIIの反民主主義的な傾向を指し示す「権力が多数の人々のもとにあるという考え(Power to the Many)」と「一緒に討議するという考え (Joint Deliberation)」から出発してGIIの分析を行っている(第四章「出発点としての民主主義:力と偏狭」)。

以下、各章の内容をジョンソンの立場に立ちながら、簡単にまとめていきたい。(但し、「直訳及び意訳をした箇所」と「要約した箇所」とを特に区別しなかった。)

2 各章の内容

第一章「技術と価値観」

第一章では、「技術」と「価値観或いはその価値観を含む社会」との関係の捉え方の変化が述べられている。すなわち、20数年前までは「技術は価値中立的(value-neutral)である」という主張が主流であった。これに対して現在は、「科学と技術の研究」(science and technologies studies: STS)領域のほとんどの学者によって、こうした想定は否定あるいは修正され、「技術(科学)は価値観を帯びている(valueladen)」と考えられている。つまり、科学の方向とその中身は社会的に影響され、たとえ社会による影響を「科学的な方法」については認めない人でも、「研究主題の選択」や「資金の投資」については認めざるをえない。

そして現在、STSの基礎には次ぎの二つの見解がある。すなわち、一つは「技術が社会(の型)を形作る (technology shapes social patterns) 」という見解であり、もう一つは、「技術は、それが置かれている社会的な文脈によって形作られる (technology is shaped by its social context)」という見解である。社会が価値観を含んでいるという点に着目すると、STSの二つの見解についての明確な表現は「(1)価値観は技術を形づくり、(2)技術は価値観を形作る」という主張を含んでいると言える。この技術と価値観の関係を GIIと価値観との関係について当てはめたい。しかしそのためには、「技術が価値観を帯びている」或いは「価値観が技術に埋め込まれている」ということで意味されていることをもっと具体的に理解する必要がある。

ジョンソンはこのように述べて、本論文では主に二つの見解のうち「技術が価値観を形作る」という見解について焦点を絞る。つまり、ジョンソンは「如何なる価値観がGIIに埋め込まれているのか」を問い、 GIIの発達を形作った価値観については簡単に触れるだけとしている。

第二章「技術に埋め込まれた価値観」

第二章では、「価値観が技術に埋め込まれている」ということが、ウィナーの論文「人工物は何かしらの政治的立場を表明しているのか」(Winner, L., "Do Artifacts Have Politics?" in The Whale and the Reactor, Chicago, The University of Chicago Press, 1986.)を手がかりに考察されている。ウィナーは、この論文の中で次の二つの区別を行なっている。すなわち一つ目の区別は、「技術の特性」に関わる区別である。技術には、社会関係や社会組織のある特定の類型を要求するという「融通が効かない特性(intractable properties)」と、他の類型とも両立することができるという「融通が効く特性(flexible properties)」の二種類の特性が存在するのである。もう一つの区別は、そうした「技術の特性」と「その特性によって余儀なくされる社会関係」との関係に関わる区別である。但し、ウィナーは社会関係のうち権力や権威の類型に特に関心を払っている。

ジョンソンは、ウィナーのこれらの区別を使ってGIIが民主的であるか否かを考察する。具体的には、先ず、「GIIは各個人を結びつけ『仲介されない(unmediated)』コミュニケーションを容易にする」という考えから「GIIが民主的である」と直ち結論づけることが適切であるかを考察する。「GIIが『仲介されない』コミュニケーションである」ということを仮に認めるとしても、GIIは必ずしもそうしたコミュニケーションを容易にするとは限らない。つまり、技術が世界中の人々をつなぐことは原理的には可能かもしれないことを認めるにしても、現在それが未だ実現していない限り、一定の集団にアクセスを制限した配線も可能である。また仮にすべての人々を配線でつないだとしても、ソフトウェアでアクセスを制限することができる。したがって、GIIは必ずしもコミュニケーションを容易にするとは言えないし、そのことを理由に「GIIが民主的である」と結論づけることもできない。更に「GIIが『仲介されない』コミュニケーションである」という主張自体が間違いであり、コミュニケーションはコンピュータによって媒介されているのである。そこで問題となるのは、「コンピュータによる仲介がどのような影響をコミュニケーションに与えるのか」ということであり、「コンピュータによる仲介は民主主義を促進するのか減退させるのか」ということである。

次に、「GIIは政治的な話題を話し合うフォーラムを個人に提供する」という考えから「GIIが民主的である」と直ち結論づけることが適切であるかについても考察する。ジョンソンは、次の理由からこれについても否定する。すなわち「GII上の議論が民主的であるか或いは民主的なプロセスを促進するか」ということは、「誰が誰に話し、何について話し、どのような手続き上の規則がそこにあるのか」ということにむしろ依存するのである。

ジョンソンは、このようにウィナーの区別を使って、「技術が価値観を帯びている」という主張の意味内容を明かにしているが、これ以外に更に次の四種類の説明を与えている。

一つ目は、「技術が価値観を帯びている」という主張で意図されているのは、技術に「埋め込まれた価値観の道徳的・形而上学的な意味(The moral/metaphysical meaning of embedded values)」だという説明である。すなわち「技術」と「その技術を生み出した団体、実行者、関係者」との間には「技術が生み出した発明品や製品」を通じて「変わらない結ぶつき(inalterable link)」がある。そして、技術の発展の歴史を通じて引き継がれるものが「道徳的な価値観」であるという意味で、その結ぶつきは「道徳的」である。また、それらの価値観が必ずしも技術の物理的な性質においてではなく、「その技術が存在すること」において保持されているという意味で、その結びつきは「形而上学的」である。そして最も重要なことはその技術を使う者もそのような技術の歴史に巻き込まれるということである。この例としては、奴隷によって造られた建造物やナチスの科学者によって考え出された知識などが挙げられている。

二つ目は、「技術が価値観を帯びている」という主張で意図されているのは、技術に「埋め込まれた価値観を支持するという意味(The Support Meaning of Embedded Values)」だという説明である。これは「技術」と「技術が生み出した発明品や製品」との間の結びつきが切り離せないという点では一つ目の説明と似ているが、「発明品や製品」を通じて結びつく「団体、実行者、関係者」が現に生きている人であり、技術の「創造」ではなく技術の「支持」に関わる点で異なる。つまり、ある技術を使用することがその技術を生み出した価値観を支持することになるという意味で、技術は価値観を帯びているのである。例えば、ペットボトルの使用は、石油依存ひいては帝国主義的な政府を支持することになる。

三つ目は、「価値観は、物の物理的あるいは物質的な性質のうちにある(The Material Meaning of Embedded Values)」という説明である。これには次の二つの類型が考えられる。第一の類型によると、物質的な対象はそのデザインのうちに価値観(アイディア)を伝えていて、その対象を見たり触れたりすることによってその価値観を読みとることができる(Gorenstein, S., "Introduction: Material Culture", Knowledge and Society, Volume 10, pp.1-18. 1996.)。例えば、プラスティックの飲料水ボトルのデザインを見るだけで、それが片手で持て、ポケットに入り、散歩やジョギングなどの携帯用であることが分かる。物質的な説明のこの類型では、技術のデザインは人間の身体や仕事(task)に対する技術の関係についてのアイディアを伝え、その意味で技術のデザインは価値観を含んでいる。ここでの価値観は、物によって容易となる行為、作業、機能を指す。第二の類型はウィナーの説明を用いたものである。すなわち、技術は、特定の社会パターンを採用することによってのみ使用することができる。それらの社会パターンは技術によって担われ、そうした社会パターンが価値観を体現している。今述べた二つの類型を厳密に区別することはできない。なぜならば、技術と社会関係との接点は「技術が生み出した物質的なものやデザイン」のうちに見い出されるからである。

四つ目は、「技術の中の価値観は、その技術が置かれている社会的な文脈を理 解することによってのみ理解することができる(The Expressive Meaning of Embedded Values)」という説明である。これを考える時には、技術はその機能、 効果或いは意味において、多くの可能性(polypotency)を持っているという考え 方(Sclove, R. E., Democracy and Technology, New York, The Guilford Press, 1995.)が役に立つ。例えば、かなづちの使用を通じて、釘を打つだけではなく、物質の質感や構造を学び、筋肉がつき、神話を思いだしたりする。この説明によると、私たちは物の重要な機能からだけによってではなく、私たちの文化における象徴的な意味からも物を買って使っている。例えば、時速120kmで走る車を買うのは、速い車が必要だからというよりも、そのような車が「マッチョ、セクシー、成功」といった意味を私たちの文化において持っているからである。この四つ目の説明は、技術から価値観を読み取る点で三つ目の説明と似ているが、そうした読み取りを行なうために社会的な文脈の理解を要求するという点で三つ目の説明とは異なる。但し、今述べた四つの説明は相互に排他的関係にはないことに注意しなければならない。

第三章「世界的な情報基盤に埋め込まれた価値観」

この第三章では、今述べた四種類の説明を使ってGIIに埋め込まれている価値観を探り、その価値観が「GIIが民主的である」ことを指し示すか否かが検討されている。以下順に見ていく。

先ず、一つ目の道徳的・形而上学的説明からすると、技術がどのような道徳に 関わる価値観を引き継いでいるかをみるために、技術の起源、技術の発達に関 わった「団体、実行者、人々」を吟味する必要がある。GIIはインターネットの 進化したものであり、インターネットはその起源をアメリカ合衆国の軍隊に持 つ。軍隊の企ては不道徳だと考える人は、GIIの起源が汚染されていると思うか もしれない。しかし、GIIについて書かれた解説書(social commentary)などで はこうした連想はめったに述べられない。GIIのもっと最近の起源としては、ア カデミーやハッカー文化のうちに一般に認められている。コンピュータの初 期の歴史においては、ハッカーは犯罪者ではなく、コンピュータに熱中して いた人であった。この時期においては、価値観は民主主義と結びついていたと いえるかもしれない( Levy, S.: Hackers, Heroes, of the Computer Revolution. New York, Anchor/Doubleday, 1984.)。しかし、GIIとハッカー文 化との結びつきでは、「GIIが民主的である」と主張するのには弱い。

二つ目の説明からすると、GIIの歴史を分析するのではなく、GIIを生み出し支持している「団体、実行者、関係者」が民主的かどうかを分析しなければならない。しかし、GIIはグローバルなシステムであり、それらの人々は様々な国において異なった条件下で働いているので、その分析を行なうのは難しい。またGIIは進化しているために、更にその分析は難しい。この二つ目の説明で重要なポイントは、自分が技術を購入したり利用するときに、どのような価値観を支持しているかを知る必要があると指摘している点である。GIIを利用している時に、民主的な団体を支持しているのか、非民主的な団体を支持しているかはあまり論じられて来なかった。後で見るように、システムを生み出し、それを支持している団体などに注目すると、技術のまったく非民主的な特徴が明らかとなる。

三つ目の説明からすると、GIIの物質的なデザインが問題となる。GIIが民主主 義を体現していると主張されるときには、「すべての個人が線で結ばれている こと」と「情報が分散して伝達されること」の二点が、技術のハード面での特 性としてよく挙げられる。 しかし、GIIは「制限されたアクセス」と「中央集 権化した伝達」とも両立することができる。個人の自律性に着目して、「GIIは アクセスする相手と内容を個人がコントロールすることを許す技術である」と 主張する場合でも同じことが言える。つまりその場合でも、GIIという技術は、 個人の自律的なコントロールを目に見えない仕方で変形させることとも両立す るということに注意しなければならない。例えば、サーチエンジンが情報を表 示する仕方は、そのサーチエンジンの開発者に対してどれぐらい支払われたか に依存する。

四つ目の説明からすると、GIIの文化的な意味が問題となる。GIIが持つ文化的 な意味は様々だが、最も有力な意味は、GIIが「未来」、すなわち世界が向かう 方向性を象徴しているということである。GIIは他の社会的な意味も持ち、この 論文が示しているように民主主義とも結びつくことができる。

第四章「出発点としての民主主義:力と偏狭」

ジョンソンはこのように四つの説明を用いてGIIが持つ価値観を分析し、GIIの民主的な傾向性と非民主的な傾向性を明らかにしている。それに対してこの最後の第四章では、「民主主義」という概念の考察から出発し、それを基礎にGIIの考察を進めている。以下順に見ていく。

アルブラスターによれば、「民主主義」のあらゆる定義の基礎にあるのは、「民衆に根ざした力(popular power)という考え、すなわち権力が、そしておそらく権威もまた、人々とともにある状況という考え」(Arblaster, A., Democracy, Minneapolis, University of Minnesota Press.)である。つまり、「民衆主権」は、「民主主義」と結びついた様々な概念、--- 例えば「選挙、代議制」、「政治への参加」、「権力が多数の人々のもとにあるという考え」、「一緒に討議するという考え」など--- の基礎にある考えである。ジョンソンは、このアルブラスターの考察を手掛かりに、特に最後の二つの考え、すなわち「権力が多数の人々のもとにあるという考え」と「一緒に討議するという考え」という二つの考えに着目して、二つの節に分けてGIIの反民主主義的な傾向性を明らかにしている。

第一節「多数の人々へ力を(Power to the Many)」では「情報は力である」ということの意味が問題にされる。すなわち、多くの人は、「GIIが民主主義である」と主張するときには次の推論を行なっている。すなわち、(1)「民主主義は多数の人々が力を持っているということを意味している」。(2)そして「情報は力である」。また「GIIは多数の人々に情報をもたらす」。(3)したがって、「GIIは民主主義である」。しかし、このように推論されるときの「情報は力である」という前提は次の全く異なる二つの意味を有している。一つ目は、「情報を受け取った人が力を得る」という意味である。例えば、私はある政治家が賄賂を受け取ったという情報を手に入れた場合、より賢く投票することができる。それに対して二つ目は、「情報の送り手が力を得る」という意味である。例えば、ニューヨークタイムズに書いた人は、その読み手に対して影響力を持っている。普通は第一の意味が念頭に置かれ、実際にGIIは情報へのアクセスの可能性を飛躍的に増進させ、その情報の受け取り手に力を与えている。しかしながらGIIでは第二の意味においても「情報は力である」。但し、これはあまり認識されていない。つまり、第一の意味に基づいて「情報は多ければ多いほどいい」と前提され、「情報は多ければ多いほど良い」と考えられてきた。しかし、個人にとっては「正確で、信頼ができ、関係する情報」が必要なのである。そこで情報をフィルタリングし、それに信頼性を持たせなければならないのだが、これがGIIにおいてどのように行われるべきであり、また実際に行われているのかということにはあまり注意が払われてこなかった。暗号技術は情報の認証を扱うが、その内容の完全性までは扱わない。したがって情報の送り手とフィルタリングをする人(例えばテレビ局) が、今まで以上に力を持つようになるのである。

第二節「一緒に討議する」では、先ず一緒に討議することの重要性が説かれる。 すなわち、民主主義とは、(市場で行うように)個人が票を投じて自らの要求を 表すことだけを指しているのではない。一緒に議論することが大事なのである。 なぜならば、相互に批判しあうことで、より良い考えが生まれる。また個々人 が議論を通じて学び成長し、活動的になる。そして 困難な問題を共に乗り越え ることによって人々の間の絆が強まる。「GIIは民主的である」と主張する人は、 GIIがオンライン上のフォーラムを提供することによって、今述べたような「一 緒に討議すること」を容易にすると考えている。

しかしこれに対しても、あまり認識はされてはいないが、GIIがその反対の傾向 性も持っていることに注意しなければならない。それは、適切な言葉がないが、 「偏狭(insularity)」への傾向性であると言える。すなわち、自分の好きな相 手とだけ話し、好きな情報のやりとりだけをするという傾向性である。偏狭へ の傾向性は、取引データの解析に基づくマーケット戦略によってますます高め られる。すなわち、GII上での個々人の活動データに基づいて推測したものが供 給されることによって、消費者は新しい趣向を持ちにくくなる。

つまり、GIIがグローバルな体系だというのは明らかに偏見である。オンライン上でのコミュニケーションで時間を使えば使うほど、オフライン上でのコミュニケーションの時間が減る。また地理的に遠い人と交流する時間が長いほど、地理的に近い人と過ごす時間が短くなる。こうしたことは様々な(国の)人とコミュニケーションを促進するから良いことだと考えられてきた。しかし実際には、自分のコンピュータを持っている人や英語を知っている人など、相手はまったく限定されている。また、そうしたことは地理的に近い人々との交流を持たなくてもいいということを意味しているのである。

GIIは、民主主義において地理的空間が果たす役割という古くからの興味深い論 点を、新たな形で問うている。すなわち、民主主義は共有された空間以外の場 所で成立することができるのかと問うているのである。市民がグローバルなコ ミュニケーション・システムを用いるときには、国境が意味をなさなくなって いく。なぜならば、情報は態度や信念や忠誠心を形作るからである。国家との つながりよりも、ネット上の情報提供者とのつながりの方が強まるのである。 しかし、本当にこのような環境で民主主義が成立するのだろうか。歴史的には 同じところに住んでいるということが政治的な共同体の基礎になっていたが、 物理的、地理的な空間に依存しないときに、何が私たちを結びつけるのだろう か。

3 まとめ

以上のようにジョンソンは、「GIIは民主的な技術であるか」という問いに対して、次の二つのアプローチで答えている。一つ目は、そもそも「技術が価値観を担う」ということの意味を問い直すことから始め、そこで考えられる四つの意味を手掛かりに「GIIは民主的な技術であるか」を検討している。二つ目は、そもそも「民主的である」ということの意味を問い、そこから「GIIは民主的な技術であるか」を検討している。そして、いずれのアプローチからも「GIIが直ちに民主的な技術であるとは言えない」と結論づけている。

この帰結は、インターネットに代表される近年の急激な世界的な情報基盤の拡張を、安易に民主主義の促進と結びつけて奨励する議論に対して一定の歯止めをかける役割を果たしていると言える。

参考文献


(深谷太清)
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