9 情報倫理学と国際学会


生まれてまだ20年もたたない情報倫理学に関連する領域でも、すでにいくつかの国際的な研究集会が存在する。今回は、そのうち定期的に開催されているもので、われわれの「情報倫理の構築」(FINE)プロジェクトともなんらかの関係があり、私自身や共同研究者が参加した研究集会を2、3紹介してみたい。

まず、Computer Professionals for Social Responsibility(CPSR)。これは、もともとは以前にも触れたことのあるレーガン政権時代のアメリカの戦略的防衛構想(SDI)の持つ危うさに気がついたテリー・ウィノグラードなどのコンピュータの専門家たちが、コンピュータ技術に付随するさまざまな問題を政府主導ではない形で議論するために組織した会合である。その後も、サンデビル作戦と呼ばれたFBIによる強引なハッカー狩りへの抗議や、クリッパーチップに関する論争、PGPという暗号ソフトの配布をめぐる問題、さらには例のCDA(Communication Decency Act;インターネット上の猥褻文書や画像を規制する、アメリカの通信品位法)騒動などにも深く関与してきた。98年の例会はMITで開催され、FINEからも3人の若手研究者が参加した。その時の総合テーマはOne Planet, One Net: The Public Interest in Internet Governanceというもので、議論された個別テーマは、インターネットに関わる政策決定に対して市民の果たすべき役割といったものや、法的規制とプライバシー、ユニバーサル・アクセスという理念と現状での情報弱者の存在などが中心であった。これをみてもわかるように、CPSRという歴史的にも重要な役割を果たしてきた団体は、コンピュータ技術者の団体から、様々なビジネスや市民運動を巻き込んだより包括的な団体へと変貌をとげつつあるように思われる。アカデミックには、いわゆる科学・技術・社会(STS)と呼ばれる科学技術と市民生活の関係を議論する研究領域との関係が今後も増大するであろう。哲学、倫理学をバックグラウンドとするアメリカの情報倫理研究者たちの多くは、このCPSRを、その成立事情からかハッカー(もちろん正しい意味での)の集団であってアカデミックな集会ではないとみなす傾向があるようにみうけられるが、CPSRそのものの変容にともなって倫理学プロパーの研究者も積極的に関与すべき時期がきているように思われる。1999年の大会は10月にStanford大学で、The Internet Gold Rush of '99: Can We Pan for Gold while Serving the Good?という総合テーマで開催された。なお、日本では東北大学の山根信二氏がCPSRの活動に積極的に参加し、国内での広報にもつとめておられる。

最も大きな国際研究集会としては、ETHICOMPがある。これは、およそ18カ月に一回の割合で主にヨーロッパで開かれる。1999年10月には、第4回の大会がローマのLUISS大学でLook to the Future of the Information Societyという総合テーマのもとに開催され、3日間にわたって、プライバシー、知的所有権、コンピュータ技術者の責任、情報教育、電子ネットワークとジェンダー問題、平等なアクセス、など広範なテーマに関する合計百以上の発表、討論がなされた。今回の後援団体でもあるせいか、イタリア政府関係者や軍関係者の発表もいくつかあった。参加者の所属は地元イタリアは言うに及ばず、アメリカ、イギリス、ベネルクス、北欧、東欧、日本など、まさに国際学会の名にふさわしいものであったが、不思議なことにフランス、ドイツの2大国からの参加者は皆無であった(アジア人は日本以外ではロンドンに留学中の中国人院生がひとりだけ)。オランダ人の友人に聞いたところ、フランス人というのは英語を公用語とする国際学会には英語ができたとしても参加したがらないものだし、ドイツ人はそもそも英語ができないと冗談めかして言う。どこまで本気なのかはわからないが、多くのフランス人が現在のインターネットがフランス語文化にとって脅威であると感じているのは事実であり、環境倫理学や生命倫理学の研究は盛んになってきているドイツでも情報倫理学研究はまださほど認知されていないようだ。コンテンツの法的規制や盗聴法の成立など、日本と類似した問題を抱えるドイツの研究者と意見交換ができなかったのは残念であった。特に大会最終日の午後の総合討論ではヨーロッパ型の法的規制とアメリカ型の法的規制の相違についての議論が展開されたにもかかわらず、フランス、ドイツからの参加者がいないためか盛り上がりに欠けたような気がする。ちなみに発表要項には公用語は英語と明記されているにもかかわらず、地元イタリアの教授の何人かは堂々とイタリア語で発表していた。大会場には同時通訳システムがあったので問題はなかったが、われわれとしても見習うべき(?)ところだろう。

ETHICOMPが相当大きな集まりで、哲学、倫理学の専門家だけの研究集会ではないのに対して、これも3年に2回ほどの割合で開かれるComputer Ethics: Philosophical Enquir(CEPE)は、哲学、倫理学をバックボーンとする研究者を中心にした比較的こぢんまりとした集まりである。最近では98年12月にロンドンのLSEで開かれた。1会場のみで2日間で20本の発表があるだけなので、かなり親密な雰囲気のなかでの専門的な議論が可能である。すべての発表が終わったあとのワークショップでは、われわれ日本の研究者に対して、アメリカ、西欧を中心とした情報倫理学の研究体制とアジアでのこれからの情報倫理学研究をつなぐハブとしての役割が期待されるといった見解が表明された。James Moorや Deborah Johnsonなどのコンピュータ・エシックスの領域の開拓者を中心としたこの集まりのレギュラーメンバーはある種の研究者集団を構成しているといってよく、1999 年にはEthics and Information Technologyという新雑誌を創刊する母体にもなった。また2000年には、さらに大きな国際学会として再構成されることが計画されており、わがFINEのコアメンバーも設立準備に関与することになっている。次回のCEPEは、新学会の設立準備総会を兼ねて2000年7月にアメリカのDartmouth大学で開催されることが決まっている。

さて日本での国際研究集会であるが、過日ご報告した、1999年3月の1st International Workshop for Foundations of Information Ethics(FINE99)が、小規模ながらも最初のものであることはまちがいないだろう。2001年春には、広島で第2回を開催する予定であるので、ぜひご参加いただきたい。生命倫理学や環境倫理学の領域では、先行する欧米の議論を輸入、紹介することから始めなければならなかったが、歴史の浅い情報倫理学においては、お説拝聴から始める必要はなく、直ちに第一線での国際的議論に参加可能である。そのためにも、日本での情報倫理学研究の裾野がさらに拡大することが望まれる。

(2000年2月号)

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