8 Pokémon 騒動インUS


ローマでの国際学会を済ませ、久々の日本滞在を経由してプリンストンに戻ってきた私を待ち受けていたのは、全米規模で話題になっている、わが「ポケモン」にまつわる騒動であった。事は情報倫理学と関係がないわけではないので、今回はそれをレポートしてみたい。Pokémon(すなわち、当地の新聞によれば Pocket Monsterの「ジャパニーズピジンイングリッシュ的表現」。eの上にアクセント記号があるにもかかわらず、大半のアメリカ人はポキモンと発音する)は、出国前でも相当なブームであったが、ここへきてポケモン映画第一作が封切られるに及んで、その名をテレビや新聞で目にしない日はまったくないといっていいほどの大騒ぎとなった。何しろ、あのバーガーキングがスポンサーなものだから、ここ静謐な大学町プリンストンでもポスターなどでピカチュウの姿をしばしば見かける。ハロウィンの夜などピカチュウの扮装をした子どもを何人も見た。当然というか、苦笑すべきというか、「有識者」によるポケモンバッシングがさまざまなマスコミを賑わせることになる。

子どもを「有害」情報から守るということに関しては偏執狂的になることすらあるアメリカ社会のことだから、われわれ日本人には人畜無害に思われるポケモンであっても、なにがしかの「有害性」が嗅ぎつけられる。日本では、ポケモンのTVアニメのあるシーンが多くの子どもに痙攣性の発作を引き起こす原因となったという事件があったが、それ以外に問題視されたことはまずなかろう。しかしアメリカでは、お約束の「暴力的」というのから、映画でピカチュウなどのポケモンが自分の名前を繰り返す以外に何のセリフも言わないという点をつかまえて、無内容でありコミュニケーション能力の育成にとって有害であるといった、ほとんどいいがかりのようなものにいたるまで実に多種多様な批判が展開される(大人げなくいいがかりを返すなら、イギリスの放送局の制作だったか「テレタビーズ」という幼児番組をこちらで見たことがあるのだが、これこそ無内容の極みで、私に幼い子どもがいてもこれを見ろとは決して言わないだろう。あれを見たらあほになる。それに「暴力的」というんだったら、「バットマン」はどうしてくれる)。

ポケモンがそもそもはゲームボーイ用のソフトであり、そうしたゲームと子どもの学力の低下の関連がかねてより取り沙汰されているということも関係するだろう。また、あらゆるメディアを利用してゲームを始めとするポケモングッズを売りまくろうとするNINTENDOの商業主義への(貿易摩擦とも関連する)批判ということもあろう。実際、ある新聞の映画評は、これはマンガ映画ですらなく、たんなるコマーシャルにすぎないとまで断じていた。しかし、それ以上に特殊アメリカ的な事情が存在する。それは、スポーツ選手などのカードを収集し、交換するという当地に古くからあるカードトレーディングの趣味である。この趣味は大人でも熱狂し、プレミアムカードなら数万円することも稀ではない。双方をご存じの方ならおわかりだと思うが、このシステムは、実によくポケモンにマッチするのだ。日本でもかつて切手やある種のシールの収集が子どもたちの間で流行したこともあったが、いずれも一過性のものであった。しかし、アメリカではこの趣味はもはや国民的伝統に属する。実際、今回のアメリカでのポケモン騒動の大半は、このトレーディングカードに関わるものだといってもよいくらいである。巧妙に計画されたプレミアムカードの配布が子どもたちの熱に火をつけ、しばしばトラブルも発生する。トラブルの種のひとつがインターネットを通じての取引であることはいうまでもない。これを嫌う大人が多く出てくるゆえんである。コロラドのある牧師などは、この熱狂を「いかれたカルト」だと決めつけ、ポケモンカードの束を燃やし、ポケモン人形を説教壇で引き裂いたという。

もちろん、好意的な見解もないわけではない。ある新聞の社主は、このポケモンカードトレーディングが、無害であるのみならず、社会的インタラクションの能力を涵養し、大人になってからの実社会における商取引にも役立つと、手放しのほめようである。彼は、彼の8歳になる娘が、巧みな駆け引きで年長の男の子との取引を有利に成功させ、また、妹にカードを分け与えるという姉妹愛も発揮していることをたいそう喜んでいるようだ。もちろんこうした見方も極端だとは思うが、この国は学校の教室で株の模擬取引をやらせることもある資本主義の総本山であることを考えれば、理解不能ではない。新聞の論説に取り上げるほどのこととも思えないが、先の狂信的牧師の行動に比べればよほど微笑ましいと感じるのは身内贔屓だろうか。

ポケモン映画は、各地で順調な興行成績をあげているようである。多くの大人たちは、アメリカの誇るディズニー制作のToy Story 2の方を好むようだが、感謝祭からクリスマスにかけてのシーズンでポケモンがこれを圧倒するようなことになると、また「問題視」する人々が出てくるに違いない。わがポケモンの次なる敵は「アメリカの威信」かもしれない。

(2000年1月号)

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