3 ネットワーク社会のプライバシー


世間では例の「盗聴法」案が話題になっているようなので、今回はプライバシーについて考えてみよう。一般にプライバシーの権利とは、個人の私生活に関する事柄がみだりに他人の目にさらされない権利のことだと解されている。しかし、このごく当たり前のことであると思われている権利について少し突っ込んで考えてみると、他の基本的な人権と比べて少々やっかいなところがあるのに気がつく。

まず、プライバシーとは多ければ多いほどよいといった類のものではないということがある。もし各人がつねに完全なプライバシーというものを主張したとするならば、われわれが円滑な社会生活をおくることは不可能になるであろう。もちろんプライバシーの完全な喪失というのも困ったことではあるが、他者との人間関係を築くにあたって、なにがしかの個人的情報の開示はつねに必要なものとなる。教師が顔を隠して授業をすることは認められないであろうし、医者に裸を見せることを拒否するのは現実的ではない。しかし、教師がどのような性的嗜好をもっているかということを生徒に公表する必要はないし、医者に職業を告げる必要はほとんどの場合ないといってよい。要は、プライバシーというものが関係性のなかで成立する相対的な性質のものであり、さまざまな社会的役割の背後に存在する絶対的に私秘的な領域、つまり「本当の私」などというものが想定されているわけではないのである。私に関するある情報は特定の親友には教えるが、そうではない他人には教えたくはないということがプライバシーの本質に属する。

また、プライバシーの侵害ということが、たんに「いやだなあ」といった感覚の存在だけを根拠に主張できるということも、この権利を一風変わったものにしている。もちろんプライバシー侵害には、名誉毀損や雇用差別などの別の重大な被害につながるケースが多いのは事実である。しかし、そうした不正はそれ自体として問題にされればいいのであって、それとは別にプライバシーの権利を独立して保証する必要はないとは考えにくいだろう。いかなる道徳的基準に照らしてでも全く恥じることのない事柄であり、それが公開されたところで何らの経済的、社会的被害を被ることがないとしても、ただ主観的に「いやだ」と感じるだけでそれを隠すという権利がプライバシーの権利なのである。ルース・ゲイビソンという法律学者が挙げているのは、空きベンチが他にたくさんあるのに自分が座っているベンチに座ってくる他人によって侵害されるものといった例である。この点からすると、「ひとりで放っておいてもらう権利」というプライバシーの伝統的な解釈の正当性が理解できよう。これはいま風にいうなら、自分に関する情報へのアクセスを自分で管理する権利とでもなろうか。

やっかいなのは、実際に「いやだなあ」という感情をもつ機会がないままにプライバシーが侵害されるケースが考えられるということである。つまり、プライバシー侵害は、多くの場合当人に自覚されない間になされる。今回の「盗聴法」の問題点のひとつは、通信の傍受が当人に無断でなされ(これは「盗聴」ということからして当たり前ではある)、しかも事後においても告知されない可能性があるというところにある。そのような場合、われわれは、通信はつねに傍受されているということを前提にして行動するようになるかもしれない。もちろん暗号などの使用によって「防衛」することは可能であろうが、すべての通信が暗号化されなければならない社会をわれわれは望むだろうか。それに、今回の「盗聴法」は暗号の私的な使用を規制する別の法律がなければ骨抜きになることは必定であるが、そのような法律がいかなる点で正当化され得るのかは十分な議論を必要とする。

さて、コンピュータや電子ネットワークとプライバシーの問題との関係であるが、多くのコンピュータ・エシックスの書物がプライバシーに関する章を設けているのをみても、これらの新しいテクノロジーが、プライバシーにとって脅威となるということは確かであろう。第一に、保存可能なデータ量の圧倒的な増大ということがある。これにともなって、以前はスペースの関係で割愛されたり、一定の期間の後に廃棄されたりしたデータが、「いまは不要だが、何かの役に立つからついでに集めておこう」とばかりに蓄積されていくということがある。第二に、データ処理速度の増大がある。これは、異なった目的で集められた複数の種類のデータを結合させることで、新しいデータをつくりだすということをきわめて容易にした。いわゆるコンピュータ・マッチングである。これによって、ゲイビソンが挙げているような例、すなわち「私が司祭になって初めて受けた告白は殺人についてのものでした」という情報と「私はあの司祭に最初に告白をした人間なんです」という情報という、それ自体無害なふたつの情報が組み合わさることで、個人にとってきわめて重大な情報に劇的に変化するというようなことが頻繁に発生することになる。第三に、情報の転送速度の増大というものがある。新しい土地で一からやり直そうと考えている人や国外に逃亡しようとしている犯罪者にとって、いまや個人情報は彼自身の移動よりも早く転送され得るのである。第四に、情報の流出可能性の増大ということがある。公的機関の金庫に保管されている個人情報にアクセスするよりも、クラッキングはもっと容易かつ安全に行われるだろう。情報テクノロジーの発達がセキュリティを低下させるというのはいまや常識である。また、プライバシーと深く関わるであろう匿名性にしても、ある意味では電子ネットワークの特性のひとつであるともいわれるが、すべての通信がトレース可能であることを考えれば原理的に保証されたものではない。「盗聴法」が郵便物は対象とはしていないが、電話と並んで電子メールをも対象としているという点は銘記しておくべきであろう。

(1999年7月号)

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