12 携帯電話考


持つまいと思ってはいたのだが、ちょっとした事情があって携帯電話の契約をせざるを得ないことになってしまった。いまさらながら驚いたのは、このわずか数十グラムの電話機がいまやインターネット接続という点でも相当に高機能の情報端末になっているということである。以前電車の中で、ものすごい勢いで携帯のダイヤルキーを親指で押し続けている学生を見たことがあるが、思えば、あれは電子メールの読み書きをしていたのだろう。日本最大のインターネット・サービスプロバイダは、いまやNiftyを抜いてNTTドコモiモードであるといわれる。私の使用している機種は、WAP(Wireless Application Protocol)という世界標準の通信プロトコルを用いてメールやWebなどのインターネットサーバにアクセスするものだが、こうしたサービスの普及は、電子ネットワークというもののありようを大きく変化させてしまうだろう。何より、キーボードとモニタを前にしたときには存在していた「インターネットを使っている」という意識が希薄化することはまちがいない。すでにチェーンメール化したデマメールなどの古典的問題も大型化した形で現れている。公教育における情報教育が「情報モラル」教育をも含めて実施されようとしているが、今後は携帯電話というものを視野に入れていない情報教育は画竜点睛を欠くことになるだろう。

携帯電話のマナーということが問題になりはじめたころ、車内での通話が迷惑に感じられる理由として、対話者の片方の音声だけしか聞き取れないコミュニケーションは、当事者以外にとっては無意味なノイズでしかないということがあげられることが多かった。たしかにこれは一面の真理をついているとは思うが、もうひとつ、携帯電話という装置そのものに対する嫌悪感というか蔑視があるのではないかと考えたことがある。もともとポケベルなどの携帯機器は、ヤクザの下っ端など、常に呼び出し可能な状態にいることを強制されている立場の者が持たされていたもので、サラリーマンでも管理職などが日常的に持つことはまれであった。その結果、ある年代以上の人間にとって、携帯情報端末というものは哀れで卑しいものというイメージが形成されたのだろう。しかし、いつでもどこでもつながるということが、おしゃれでかっこいいと感じる世代には、こうした意識はまったくなく、持っていて当然のアイテムとなった。携帯のマナーには、自動車の運転中の利用や、心臓ペースメーカーなどの医療機器に影響を与えかねない病院や満員電車での送受信などに関して、絶対に守ってもらわねば困ることも多いが、普及率が上がるにつれて変化するマナーもあるだろう。携帯電話の普及率が50%を越えているといわれる香港では、劇場などでの迷惑電話防止のために妨害電波を流すところもあるというが、車両内での携帯使用はマナー違反とは考えられていないそうだ。日本では携帯電話使用可能車両などというものが考案されるかもしれない。ちなみに先頃まで滞在していた米国のプリンストン大学では、キャンパス内で携帯電話を持っている人間を見かけたことはただの一度もなかった。

通信スピードや表示機能、使用可能なアプリケーションの制限など、まだまだ改良の余地のある端末ではあるが、現時点でも興味深い現象がいくつか起きている。たとえば、「ろう文化」の研究をしている若い研究者から聞いた話によれば、携帯電話の電子メール機能が、ろう者のコミュニケーションにとって画期的な変化を引き起こしており、一種のブームにすらなっているという。これは電話という音声言語に特化した遠隔コミュニケーションツールがろう者にとってほとんど役に立たないものであったことを考えれば、技術による情報弱者の救済という点でも大きな意味があるだろう。通信料の軽減や無税化などの措置が強く望まれる。

また、先にふれた親指打ち入力ということは、現在主流のQWERTYキーボードでの両手打ちローマ字入力という方法が決して唯一のものではないことに改めて気がつかせてくれる。この、どう考えてもすぐれているとは思えない入力方法が日本語の標準記述手段として定着しなければならない理由はどこにもない。親指一本はともかくとして、片手で入力するのに便利な入力装置が標準になったってよいのである。そもそもペンという普遍的な筆記用具は片手で使うものだったのだ。携帯電話の爆発的普及が、よりすぐれた日本語入力システムの開発のきっかけになればよいと思う。

少々心配なのは、サーバのセキュリティやプライバシー保護といった問題である。WAPなどのサーバシステムでは、既読メールやWebコンテンツ以外にもアドレス帳やスケジュールなどの個人情報を端末側ではなくWebサーバに保存する。大量の人間が利用するこのサーバがクラックされたり、あるいは犯罪に用いられたらという嫌疑からディスクが警察に押収されたりした場合に流出する個人情報は、質量ともに大変なものになるだろう。こうした問題にあまり関心がない層の利用が中心となることが予想されるだけに、携帯電話の各キャリア側には十分な対策と情報公開をお願いしたいところである。

(2000年5月号)

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