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住民基本台帳ネットワークの現状と問題点

南篤司

住民基本台帳ネットワーク(以下住基ネット)が2002年8月5日に稼動した。しかし、住基ネットの稼動の前後を問わず、さまざまな批判や問題が明らかになってきている。この報告では、まず、住基ネットがそもそもどういった性質のものであるのかを概観した後、いったいどのような批判が出ているのか検討し、住基ネットを取り巻く議論を整理する。その際毎日新聞の記事や関連webサイト、とりわけ批判紹介の部分では法学セミナー7月号の住基ネット批判特集から参照した。

1)住基ネットとは何か

1-1)住基ネットの狙い

まず、住基ネットがいかなる目的を意図して創り出されたものか見てみることにしよう。自治省(現法務省)は住基ネットの目的を「高度情報化社会に対応して住民の利便の増進及び国・地方公共団体の行政の合理化に資する」(住民基本台帳法の一部改正案について 自治省鈴木行政局長)ためである、としている。 また、具体的には、以下のように説明している。

では住基ネットは政府方針の全体的位置づけからどのようなものであるといえるのか。参考webサイトからの抜粋を見てみよう。

1-2)住基ネットの全体的位置づけ

「住民基本台帳ネットワーク」は、「総合行政ネットワーク(LGWAN)」とともに、e-Japan戦略に基づき、政府が2003年に実現を目指す電子政府・電子自治体の基盤となるネットワークシステムだと位置づけられています。

住基ネットは、「住民記録システムのネットワークの構築等に関する研究会」の報告を元にした「住民基本台帳法の一部を改正する法律」(一部修正の上、自民党・自由党・公明党による賛成多数により1999年8月12日成立、同18日公布)に基づき構築されます。

住基ネットは、市町村と都道府県、そして指定情報処理機関である財団法人・地方自治情報センターの本人確認情報(氏名、生年月日、性別、住所、新たに全国民にふられる11桁の住民票コード及びそれらの変更情報)を記録・保存したコンピュータ(サーバー)を電気通信回線(IP-VPN:仮想専用線)で結ぶことにより、国民の本人確認情報を自治体や政府機関が必要に応じて、利用できるようにするシステムです。   (自治体情報政策研究所より引用) http://www.jj-souko.com/elocalgov/contents/c101.htmlより

次に住基ネットの特徴を細かい点に分けて整理してみることにする。

1-3)住基ネットの特徴

以上が住基ネットの主な特徴である。

表面的には住基ネット導入が、高度情報化社会に適応するための行政システムの抜本的改革であるように思えても仕方のないところであろう。

しかし、住基ネットの導入は、「国民を情報の主体から、情報の部分ないしは客体に転落させる」(金基中弁護士)という危険性を孕む、という認識は持つべきである。 ではその危険性が一体どのようなものであるのか、現実に起きてしまった問題と、それに対する地方自治体の自己防衛を眺めることで把握してみたい。

2)住基ネット稼動前後の問題発生について

2-1)個人情報の漏洩

「やはり漏れた」

この見出しは8月7日の毎日新聞朝刊に掲載されたものである。同記事によると、住基ネット稼動からわずか2日目の8月6日、大阪府守口市で約170世帯に別の市民の生年月日や性別などが記載された住民票コード通知書が配達される、というミスが発覚した。決して漏れてはならない個人情報が漏れた、という重大なミスの発生に、多くの国民は戦慄した。国が「万全の対策を講じてきた」(片山虎之助総務相)と胸を張っていた個人情報の保護政策は、その脆さを露呈した。

その他にも、稼動直後においては多くの障害が発生している。以下は関連する障害を伝えた記事の引用である。

総務省は稼働初日の障害は、同日午後五時現在で、富山県山田村で発生したコンピュータのハードディスク障害など六市村とし、不正アクセスもなく「順調に稼働している」との見解を示した。しかし、共同通信社調べでは、ほかにも京都府木津町などで接続トラブルが、千葉県松戸市などで入力エラーがあるなど各地でトラブルが相次いだ。(共同通信より引用) http://www.kyodo.co.jp/kyodonews/2002/juki/news/20020806-87.html

総務省は7日、住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)の稼働を受けて住民に連絡する住民票コードの誤配送が相次いだため、取り扱いは十分慎重に行うよう、全自治体に注意喚起を促すことを決めた。

同省に入った連絡によると、これまでに大阪府守口市、兵庫県三田市、宮崎市から、住民票コードの通知票の一部を誤って配達したとの報告があった。同省はプライバシー保護の観点から、誤配送した住民票コードは変更するよう求める。 (Mainichi INTERACTIVE より引用) http://www.mainichi.co.jp/digital/network/archive/200208/07/7.html

このように稼動直後だけでも深刻な問題が多く発生していることが分かる。では、それらの問題は全く予見されていなかったのだろうか。

そうではない。深刻な問題、とりわけ個人情報の漏洩は多くの自治体で懸念されていたのである。事実、自治体の住基ネット運用にあたり、総務省が定めたセキュリティー基準が告示されたのは6月10日で、さらに、住基ネットの事務処理要領が決まったのは7月12日である。22日の仮運用の前にようやく形だけは整ったが、職員の習熟にはまだ時間がかかる。このような状況下で住基ネットに参加することに、ほとんどの自治体が強いられたわけである。このような総務省のずさんとも言える情報保護対策に業を煮やし、住基ネットからの離脱を表明する市町村が相次いだことは当然の流れであった。

2-2)住基ネットからの離脱

次に、住基ネットから離脱する地方自治体の動向について、 「電子自治体情報(JJ-SOUKO.COM)」の記事を引用する。

住基ネットからの離脱は、2002年8月5日の稼動を目前に控えた7月22日の福島県矢祭町の宣言から始まり、東京都国分寺市、同杉並区、三重県小俣町、同二見町と続きました。また、8月2日には、神奈川県横浜市が市民選択制をとることを表明しました。

この結果、8月5日の稼動スタート時点で、400万人を超える国民が住基ネットに参加しないという前代未聞の事態が生じてしまいました。

その後、三重県小俣町、同二見町は情報漏えい対策の要綱などを制定したとして参加に踏み切り、情報漏洩や不正侵入が起きた場合には切断することを表明する自治体が次々と出たものの、事態は一段落したかに見えました。

ところが、9月11日に至って、東京都中野区が「個人情報の安全保護措置が十分に確認できない」として離脱をしてしまいました。もちろん8月5日の稼働後の離脱自治体は同区が初めてです。同区は東京都への個人データの更新作業をこの日を最後に中止し、区民課から住基ネット用コンピューター端末も撤去したといいます。政府の付け焼刃の対策や誠意のない説得は、功を奏することなく、住基ネットからの離脱人口は、またまた30万人増えてしまいました。(「住基ネットワークからの離脱を表明する自治体」より引用) http://www.jj-souko.com/elocalgov/contents/c1094.html

以上は住基ネットから離脱する地方自治体の動向を表した記事からの引用である。 では、これら混乱を押してまで国が住基ネット稼動にこだわる理由とはいかなるものであるのか。国の隠された意図を究明する中で、住基ネットが本質的に孕む危機的な問題点は一体何であるのかを、いくつかの批判から考えていきたい。

3)住基ネットを取り巻く批判と隠された行政の意図

では住基ネットがこのまま稼動していったとして、一体どのような問題が我々に降りかかるのだろうか。その問題点が指摘されている批判文を参照し、以下に項目ごとでまとめることにする。

3-1)疑わしい住民メリット

  

行政は「国の行政事務効率化」および「住民サービスの向上」(具体的には、ICカードを使えば居住地以外の自治体で住民票の写しが取得できるようになる。またカード所持者は、引越し手続きを転居先の自治体だけで済むサービス「転入転出特例」が受けられる。)という二つのメリットをあげて住基ネット推進の根拠としている。

ただしこの2つのメリットには条件がつく。まず、広域交付で発行された住民票には本籍地の記載がない(本籍地記載がなければパスポートや運転免許証の取得申請が利用できない)。転入転出特例も決められた様式の書類で特例転出入による届出を行うことを転居先の自治体に事前に郵送しておく必要がある。総務省はこれらのメリットを金額に換算して、具体的には毎年約270億円の住民メリットがあるとしているが、個別に積み上げた数字でない以上、信頼性には疑問が残る。運用初年度だけで構築費と運用費合わせて555億円もかかる住基ネットを、これだけのメリットを理由に実施するのは、どう考えても割りの合わないことである。(法学セミナー7月号P38・P39を参照)

3-2)ICカードによる行き過ぎた個人情報の把握

 

ICカードとは、ICチップが埋め込まれたプラスチック製のカードで、従来の磁気ストライプカードの百倍から数千倍もの記憶容量を持つ。その膨大な記憶容量で官民合わせた個人のさまざまな情報がひとつのカードの中に集約される、という事態の到来は容易に予測される。実際、政府はこの方向性で各種法案を成立させていている。となれば、われわれ個人の一挙手一投足が政府に掌握されることになってしまう。非接触カードの規制緩和など、政府によるICカード普及の施策はさかんに行われている。政府はICカードの中に入れられる個人情報を将来拡大する可能性を残している。このことによって我々国民はほぼすべての社会活動を記録に残る形で国に把握される、という不当な人格権の侵害を受けることになる。(法学セミナー7月号P31・P32・P33・P35を参照)

3-3)住民表コードは実質的には「国民総背番号」

現時点で我々が多く目にする行政目的別の固有番号(たとえば運転免許番号やパスポート番号)の漏洩はあまり問題にならないが、住民票コードの漏洩は深刻な問題になる可能性がある。それは、それら番号の性質の違いに由来する。前者は特定の行政目的に限って使われる「限定番号」である。一方後者は、汎用、すなわち、様々な用途で多目的に使われる「共通番号」となる道が開けているのである。「限定番号」においては、たとえその番号を知ったからといっても、即座に他人の個人情報を手に入れられる、といった事態には至らない。なぜなら、その番号は一定の行政目的にのみ「限定」されているからである。それに対して、多目的利用を前提としている「共通番号」においては、その番号を入手しさえすれば、いもづる式に様々な個人情報を入手できる可能性は極めて高くなる。それだけ個人のプライバシーを保護することが困難になってしまう。では、住民票コードではどうなのか。

政府は、実施がスムーズに行けば、コードの使用範囲をどんどん拡大する意向である。総務省や政府与党は、住民票コードが本人の申し出により変更できることになっている、という点から、「生涯不変の国民総背番号ではない」としているが、ただ本人の意思により変更可能であるという理由だけで、国民総背番号にはあたらないとする根拠にはならない。第3者に自分の番号が知られた場合は、その番号を変更することで個人情報の流出を防ぐことはできるが、その自衛行為も所詮行政の掌の中である。実際、コードの変更履歴は行政で一生涯保存、利用される。

住基ネットの稼動によって、官は国民の個人データを収集する仕組みを構築することができたと言える。また、本来、官の不当な個人情報使用を禁止するべき行政機関対象の個人情報保護法案の改正案でも、目的外利用に対する罰則規定を設けないなど、法の実効性が疑問視されている。(法学セミナー7月号P33〜P37・P50を参照)

3-4)技術革新によるプライバシーの変容

コンピュータの登場により、今までよりも大量のデータを半永久的に保存することが可能になった。さらに、そうしたデータが圧倒的な情報処理能力により他のデータと結合され、新たな意味が付加される。そしてそれらの情報は容易に転送され、共有される。コンピュータの性能が上がるにつれ、必然的に情報セキュリティーは困難になっていく。

高度情報化社会においては、移動、消費、通信などの人間の活動のすべてが記録されうるとともに、自分に関する情報がどこで利用されているのかいちいち知ることは困難であるため、個人情報が自らに不本意な形や仕方で取得され利用されているかもしれない、という不安の存在は以前よりも大きくなっている。問題は、自分に関する情報が集中的に管理されるとともに、それぞれ異なる目的を担う「部署」によって情報が「共有」されるという事態は、自らに不利益をもたらす文脈の中に別の目的で記録された自己情報が接ぎ木されるという可能性をもっているのである。現代におけるプライバシーの問題は、個人の私秘的な領域の保護ということに留まらず、すでに公開され純粋に「私的」な領域だとは言えなくなった個人情報が文脈を離れて使用されることの問題性へと拡張されなければならない。

個人情報保護法案は、この意味では、民間での個人情報の取り扱いを主なターゲットとしているため、行政の保有する個人情報の取り扱いの規制という側面が希薄である。プライバシーは公益性と秤にかけられるものである。しかし、何をもって「公共性」とするのか、その尺度の不在が大きな問題である。(法学セミナー7月号P41〜P43を参照)

主要な批判点として以上のようなものが考えられる。ただし、これらの批判は住基ネットの持つ問題点を明確に描き出してはいるが、問題となる事態が全て同じレベルで語られている訳ではない、という点にも留意する必要がある。3-1)では、住民の受けるメリットが行政のコストに見合わない、という費用対効果が問題となっている。これは行政のコスト削減の努力や技術革新によって解決される可能性がある。一方、3-2)と3-3)で取り上げられている問題は、技術革新を背景に、行政が国民の個人情報把握を進める目的で各種法案に自らの管理範囲拡大の可能性を残している、という行政の隠された政策的意図にある。最後の3-4)における問題は、「行政は一体どの程度個人情報を取り扱うべきか」という基準の不在によって生じる理念的問題であることは見逃せない。現状の議論ではこれら問題の「層」の違いが明確に区別されておらず、住基ネットの本質的問題を扱う際には、問題の「層」の区別は不可欠であるように思われる。

4)おわりに

住基ネットにまつわる問題を見渡して、自ら感じたところを記して本報告の結びとさせて頂く。

政府は住基ネットをe-japan戦略の核であると位置づけている。 なぜなら、住民票コードは将来国民識別番号へと性質を容易に変容させることが可能であり、全国民のデジタル化された個人情報を国が一元管理する目標のために、国民に汎用的な番号を強制付加することはその必要条件であるからである。

このようなプライバシーの公有化について、我々一般人の権利意識は低いといわざるを得ない。自分たちの目先の生活や「快適さの増大を求める」価値観に捉われるあまり、生活の場から離れたところで起こる権利侵害には鈍感で、あまり積極的に考えようとしないところがあるのではないだろうか。「行政は個人の情報を掌握していて当然である。近代国家はそうして国家を運営してきたのであるから」といった行政に対する無条件の権利移譲が、自らの無思慮により国民の中で蔓延しているのではないか。我々国民は情報化が高速に進む社会に暮らす以上、もっと目を凝らして政府の国民統制を監視しなければならないのではないだろうか。国民は危機感をもって自らが固有に持つプライバシーを侵害する行政と対峙せねばならない。自らの権利意識を高めることによって、行政が把握しておいてしかるべき個人の情報と、他者が踏み込んではならない個人情報を峻別し、官の施策がもたらす社会構造の変化を見逃さない目を持つことこそが、今求められている。

5)参考文献および参考ウェブサイト


(みなみあつし 京都大学文学部)
この記事終り