マイケル・トゥーリイ教授との対話

--クローン人間の道徳的地位--

加藤尚武

1999年6月6日


1999年6月5日、京大会館で生命倫理学会と共催による講演討論会「クローン人 間の道徳的地位」が開催された。トゥーリイ教授がThe Moral Status of the Cloning of Humans(直訳すれば、「人間をクローン化することの道徳的地位」) が読み上げられ、討論が行われた。注目すべき論点は、次のような点にあると 思われる。

第一は安全性の評価。テロメア説に関連する点などまだ人間クローンの安全性 が確立されていないので、現行の技術のなかでは実用化すべきではないとトゥー リイ教授は主張する。これは賛成できる。日本では「羊、牛で成功しているの ですでに人間の場合についても事実上安全性は確立されている」という意見が あるが、これは間違いである。クローンで生まれたドリーは、元のオリジナル 個体よりも20%テロメアが短く、したがってその意味ではオリジナル個体より も高齢であるという報告がでている。

第二はOrgan臓器、Tissue組織のクローンについては、人工妊娠中絶と同じ論 点で道徳的に問題がないというトゥーリイ教授の主張である。「核移植による 受精卵を子宮に着床させることによって個体としてのクローンを生んでその臓 器や組織を利用することは禁止する」という合意が国際的に存在すると見なし てよい。 トゥーリイ教授や会場での質問者のイメージに「個体としてのクロー ンの利用」が想定されているかに見える。「脳をもつ個体クローン」、「脳の ない個体クローン」、「個体ではない臓器と組織クローン」について、「脳を もつ個体クローン」の作成と利用は認められないが、「脳のない個体クローン」 と「個体ではない臓器と組織クローン」の作成と利用は認められるというのが トゥーリイ教授の判断であるように見える。「脳をもつ個体クローン」も「脳 のない個体クローン」も作成は禁止されるべきであり、「個体ではない臓器と 組織クローン」だけが許容できるという基準が正しい。トゥーリイ教授は「個 体に霊魂が宿るなら生存権が発生している」という人工妊娠中絶反対論の論点 が個体クローンに利用に適用されると想定して、「個体に霊魂が宿らないクロー ン」が利用可能だと主張しているが、「臓器と組織を利用する目的で個体クロー ンを作ることはいかなる場合でも禁止する」という基準にすれば倫理的問題は 発生しない。もっと拡大して「臓器と組織を利用する目的でヒト個体を作るこ とはいかなる場合でも禁止する」という原則を確立すべきであろう。

第三は個体性侵害説に対して、クローン人間は元のオリジナル個体と環境要因 による個体差をもつと指摘した点である。トゥーリイ教授は「平均して、一卵 性双生児の個体性性向the personality traits of identical twinsは50%の 相関度である。非一卵性双生児fraternal twinsでは比較すると25%であり、 双子でない兄弟姉妹間では11%であり、関係のないヒトの場合ではほとんどゼ ロである」(Bouchard, Thomas J., Jr., "Whenever the Twain Shall Meet," The Sciences 37/5, September/October 1997, 52-57.)という引用をしている。

私は会場で「競走馬論法」の紹介をしてトゥーリイ教授の意見を求めたが、 「上記の観点で個体性は保証されるから問題はない」という趣旨の答を得た。 「競走馬論法」とは次の見解である。「競馬の馬がクローンで作られたらゲー ムがつまらなくなるから禁止するという日本の競馬協会でも採用しているルー ルを人間にも適用せよ。子どもが性交によってできるとき、精子は減数分裂と いって四六本の染色体を23本に減らす。二三個のスイッチがあって、それぞれ をONかOFFかどちらかにする場合の数を考えれば分かるように、2x2x2・・・ =約800万の場合がある。女性の卵子も同じように800万の可能性がある。これ が掛け合わせになるので、64兆の場合がある。トランプのゲームで一回ごとに カードをシャフルして、ふたたび配分のし直しをするのと同じように、普通の 生殖では世代を重ねる度毎にカードをシャフルして、多様性を維持している。 シャフルを止めたらゲームはつまらなくなる。」シャフル抜きのゲームはルー ル違反である。しかし、少数の例外的なクローン人間の出生はシャフル抜きに はならない。クローン人間の出生はミクロ無罪マクロ有罪という形になる。だ から「いかなるクローン人間の出生も禁止せよ」とは言えなくなる。

私は競走馬論法を「個体性の侵害になるからクローンはいけない」という理由 として指摘したのではない。人間が全体として改良されるにせよ、改悪される にせよ、人生のゲームがつまらなくなるからいけないと述べたのである。

日本の個体性侵害論者は、最近では「識別可能な個体差が存在したとしても DNAの全体という高度の類似を意図的に生み出すことは個体の尊厳の侵害であ る」という立場を取り始めている。個体性について「識別可能であれば個体性 は侵害されていない」という概念を採用するという点で、私はトゥーリイ教授 に賛同する。しかし、シャフル理論(競走馬論法)を理解していないという点で は問題がある。

第四は、目的自体としての人間論法(人間の育種、道具化・手段化禁止論法)で、 人を手段として使うなと言う命法からクローン人間の禁止を導く論法への批判 である。トゥーリイ教授はクローン人間の子どもも、普通の子どもと同じよう に親の愛情を受けると述べている。これで批判としては十分であろう。

第五は、クローン人間は健康、才能などで有益であるという主張である。(1) 個体性侵害論法も(2)目的自体としての人間論法も成り立たないから、(3)有益 である以上、(4)クローン人間は正当化できるというのが、トゥーリイ教授の 「クローン人間の道徳的地位」論文の骨格である。たとえば同性愛者は子ども をもつことができるという有益さがある。これに対して会場から「個人にとっ てmeritoriousであるということは社会にとってobligatoryであることを意味 しない」という批判が出されたが、至当である。私はむしろ、(1)個体性侵害 論法も(2)目的自体としての人間論法も成り立たないし、なおかつ(3)有益であ るかもしれないが、(4)社会的公正という観点からクローン人間の正当性が吟 味されるべきだと考える。

まず(1)根治型治療と(2)救済型治療(不妊治療のおおくがそうであるように不 妊の原因は除去できないが別の道を使って子どもを作らせる)には患者の医療 アクセス権が成立する。したがって、まずクローン法を使う以外に治療が不可 能であるような病気が存在するかどうかが吟味されなくてはならない。次に (3)「非治療型身体介入」(nontherapeutic body-invasion)については、社会 的な公正という見地から個人のアクセス権を否定する場合もある。治療の目的 が成立しない場合に生殖についての人為操作の範囲を拡大することは原則とし て避けた方がいいという暗黙の原則が成立していると思われる。 (了)

(かとう ひさたけkato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp)


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Last modified: Thu Dec 16 17:29:38 JST 1999