卵子提供の倫理問題

加藤尚武(京都大学)

1998年7月25日


諏訪マタニティークリニック院長根津八紘氏が、日本産科婦人科学会の「会告」 (一九八三年)に違反して、ある夫婦の妻の妹の卵子と夫の精子を体外受精させ、 妻の子宮に着床させ、双子の男の子を出生させたという理由で、一九九八年六 月二七日、同学会幹部理事会が、根津八紘氏を除名処分にした。


一、当面の「モラトリアム宣言」の是非

これに対して、当面の問題は、厚生省などの委員会名などによって、詳細な検 討をするまえにまず「モラトリアム宣言」をして、当面、夫婦以外のものの配 偶子提供による体外受精を事実上禁止すべきであるかどうかということである。

モラトリアム支持派は、(1)法的な地位の不安定な子どもを生み出すというこ とは、その子どもに対する重大な人権侵害であり、なお(2)すでに社会的に承 認を得ている精子提供と違って、(3)卵子提供は、提供者のがわの大きなリス クを含むものであるから、(4)当面は事実上禁止という措置をとるべきである と言う。

私は、この判断を支持しない。 (1)出生した子どもは出生届を済ませており、夫婦間の「実子」として法的な 地位を保証されている。この子どもが、予防接種、入学、結婚などで特別な不 利益を被るとは考えられない。この法的な地位の授与手続きについて、一部の 学者が適法性を疑ったとしても、その子どもの法的な地位そのものが、否定さ れる可能性は考えられない。したがって、今後、同一の事例が発生するとして も、それを「重大な人権侵害」と見なすことはできない。

(2)モラトリアム支持派は精子提供と卵子提供は違っており、精子提供は合法 的であるが、卵子提供は違法と見なすことができると主張する。モラトリアム 支持派は、精子提供は、すでに社会的に承認を得ているが卵子提供はまだ社会 的な承認を得ていないから禁止することができると主張する。もしも卵子提供 を禁止する理由が、「生物学的に実子でないものを実子として記載し、そのよ うに扱うことは正義に反する」という血統主義であるならば、精子提供もまた 禁止されるべきであり、血統主義を理由とする以上は、精子と卵子とで扱いを 別にすることはできない。

精子提供が、もしもすでに社会的に承認を得ているとすれば、社会通念は血統 主義を放棄したと見なすべきであり、それゆえ卵子提供にも社会的な承認を与 えるべきであると世論を説得しなくてはならない。

したがって、精子提供と卵子提供はともに合法であるか、ともに違法であるか どちらかになる。 (3)また、モラトリアム支持派は精子提供と違って、卵子提供は提供者のがわ の大きなリスクを含むものであるから、禁止することができると主張する。通 常、卵子提供は提供者のがわの大きなリスクを含むことは確かである。それな らば、体外受精をすべて禁止すべきであって、ある妻が自分の卵子を一度摘出 して体外受精を行うことも禁止すべきである。危険性を理由とする限り、第三 者の卵子提供は禁止するが、自分の卵子を摘出ことは合法的というように取り 扱いを変えることは不可能である。 (4)モラトリアム支持派は、審議期間である当面は事実上禁止という措置をと るべきであると言う。しかし、モラトリアムというような緊急の措置は、「明 白な現前する危険」(clear and present danger)に対処する時に正当となるの であって、卵子提供のように解釈次第では合法性が疑われうるが、子どもが出 生したという事実そのものには祝すべきであるという以外のいかなる危険もな いときには、適用できない。もちろんガイドラインの検討期間に、学会の会員 が自発的にモラトリアム体制をとることは、審議機関が有効な限度内に設定さ れる限りで、望ましいことである。しかし、モラトリアムを強く要請もしくは 強制する根拠はない。

断り書き、

根津八紘氏は依頼人(患者)の守秘義務を遵守しており、この点での過失はない。 卵子の提供者に対するインフォームドコンセントは有効であったと認められる。


二、日本産科婦人科学会の「会告」(一九八七年)の根本問題

1996年慶応大学で開かれた第7回生命倫理学会年次大会で唄孝一氏、飯塚理八 氏臨席のもとで中谷瑾子氏はおおよそ次のように発言されたと私は記憶してい る。----飯塚理八氏は人工授精を開始するときに法的な側面について相談を受 け、唄孝一氏と協議した上で、民法七七二条「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫 の子と推定する」という規定によれば、精子を第三者から提供されることは実 子であることの妨げにならないという解釈が可能だと判断した。その後、日本 では夫から否認の申し出や、子からの実父確認の法的申し出がなく、法律的に はまったく問題が起こっていないが、外国で子の父を知る権利を認めるべきだ という考え方が出てきて、実際に訴訟になる例もあるので、日本でもその権利 を保障できる体制にするべきである。

私は「民法は物わかりがいいのですね」と感心した。おそらく民法の制定者は、 妻から生まれたことはひとまず特に異議申し立てのない限り夫の実子と見なす のでないと、実子としての認知を受けられないという不利益が母子に及ぶ可能 性があるという点を配慮したのだろう。この規定は、妻の不倫の可能性はない ものと想定しているというよりも、たとえ万一夫の子でないとしても、なるべ く夫の子として認知されやすいように配慮してあるような気がする。ともあれ、 この規定は第三者の精子提供による人工授精の可能性をまったく考えていない から可能になったものである。 だから民法七七二条を典拠にして精子提供を正当化するというのは、法のある べき姿からすれば問題の多い仕方である。中谷瑾子氏もこの解釈が、「日本私 法学会の公認を得ていない」ことを確認している(註)。その後、卵子提供の可 能性が見えて来たが、まだそれには危険が伴う等の判断が加味されて、「精子 提供は許容、卵子提供は禁止」という内容のガイドライン(会告、1983年と 1997年)ができあがってしまった。したがってこのガイドラインそのものが矛 盾を含んでいるのであって、このガイドラインに違反した行為が直ちに倫理的 に不正であるとは言えない。したがって日本産科婦人科学会の除名措置は行き 過ぎであろう。少なくとも、期限を限定した上でのガイドラインの見直しを約 束し、その間、会員が慎重に対処するように指示するというのが適切な判断で あったと思う。

中谷瑾子「我が国における不妊治療の展開と課題」「産婦人科の世界」 Vol. 49. No. 1 Jan. 1997所収


三、将来の方向----血統主義から心性重視主義へ

親子関係の規定の仕方が、まったく変化してしまった以上、遺伝的な要素(遺 伝子、精子と卵子)の提供、子宮の提供、養育という三つの要素に従って親が 決められる。実子と養子の区別、嫡出と非嫡出の区別についての根本的な検討 が迫られている。

留意すべき基本的な視点は、第一に、親子関係の生物学的な記載について、虚 偽、誤解、不明確さを排除すること、第二に、責任感と愛情のある親に扶養さ れると言う子どもの権利を保障すること、第三に、なるべく自然に近い子ども 作りを承認することである。

血統主義を見直すということが中心になる。根津八紘氏の依頼人の卵子提供者 から見れば、その姉は「代理母」と同じ役割を演じたことになるが、しかし、 この特殊な「代理母」は自分の腹を痛めて産んだ子を自分の子にすることにな る。もしも血統主義から言えば、姉は妹の代理母であり、その子は姉の養女に なるはずである。しかし、心理的にみてこの姉が「実母」としての地位を認め られて良いだろう。すると実親のもっとも大事な条件は、その子を自分の子だ と認めて、その子の最大の幸福を願う気持ちを持つということだろう。

第三者の精子と第三者の卵子によって、妻が妊娠して子を産むとき、その子を 養子と解釈する心理的な理由はない。心理的には、普通の意味での「実子」で ある。すると子どもを持ちたいと願い、そのためにさまざまな努力をして、そ の子どもを育てようとする人を実の親と見なすという親子関係に法的基礎を与 え、生物学的な意味での親子関係の記載を残すという形で、あたらしい民法を 構想することができる。

子どもをもつことを強く求め、その養育の責任をもち、子どもの幸福を願うも のは、遺伝的な関係などがどうあろうと実親としての法的資格をもつ。それ以 外の精子、卵子、子宮の提供者は、いかなる親としての権利も義務ももたない。

そのような民法に向けての移行措置として、現行のさまざまな人工的な出産の 方法を位置づけるかという問題に改めてわれわれは直面する。

同一の夫婦から、複数の人工的に援助された子どもが生まれた場合、出生の8 類型に応じて遺産相続の順位が異なるかどうかと言う問題に解答することは、 あまり現実的な意味はないだろう。血統に濃淡に応じた遺産相続の順位という 考え方そのものを廃止した方がいいと思う。


三、なるべく自然に近い子ども作り

不妊の根治が不可能である場合、精子、卵子、子宮を配偶者以外から提供され て子どもを持つことが技術的に可能である。夫の兄の精子と妻の妹の卵子と妻 の母の子宮で生まれても、その夫婦の実子と見なしてよいか、それとも精子、 卵子、子宮のどれかが配偶者のものである必要があるか。この問題は血統主義 を部分的に存続させるかどうかと言う問題である。精子、卵子、子宮がすべて 第三者のものであるなら、「養子」もらうのと同じだという主張は、それ自体 血統主義を前提している。たとえ、直接の血統でなくても、夫の兄の精子と妻 の妹の卵子と妻の母の子宮というように、配偶者による出生となるべく近い条 件で子どもを持ちたいという要求が存在するだろう。

 

これらの8類型のなかで、実感的に「実子」という経験を与えてくれるものは、 「自子宮」という条件を満たしている場合であろう。今回、スキャンダル扱い されたのは、卵子だけ提供を受ける場合(自精子、他卵子、自子宮)である。自 子宮の場合の4類型を並べて見よう。卵子だけ提供を受ける場合(自精子、他卵 子、自子宮)は夫婦共同型であって、もっとも自然の出産に近い形だと言うこ とができる。従来、行われてきたドナーによる人工授精の場合(他精子、自卵 子、自子宮)と比べて、はるかに自然の形に近いと言える。

 

これら自子宮の場合、妻の妊娠期間を夫はともに見守って行くわけであって、 心理的にももっとも自然な型であり、この類型は合法的と見なしてもいいだろ う。

この場合には遺伝的には従来の実子と同じである。しかし、代理母の心理的同 化過程を経て、そこから子どもを引き離すという点に心的障害の原因があるの で、これを正当化しないという可能性がある。結局、精子提供、卵子提供は認 めても、ホストもサロゲートも認めないと言うガイドラインが適切なのではな いだろうか。


四、健全な意味での子どもをもちたいという願望への寛容

血統主義の要素をどれだけ存続させるかという問題とは別に、子どもを持つ直 接的な動機や、間接的な意図が健全であるかどうかという問題がある。

優生主義的な動機----優秀な遺伝子を入手するために、どれかの要素の提供を 求める。

金銭的な動機----遺産の相続を受けるのに有利な条件を作るために子どもをも ちたい。

搾取を目的とする動機----子どもを働かせることで親が利益を得たいという動 機。

親の養育を目的とする動機----老後の世話をさせるために子どもをもつ。

人間関係を維持するために子どもをもつ----離婚を避けるなどの目的で子ども をもつ。

臓器移植の提供者を得るために子どもをもつ----第一子が腎臓病であるとき、 将来のドナーを確保するために第二子をもつ、など。

親に不妊という条件がない場合には、どれほど不純な動機で子どもをもつこと に対しても、禁止や制限はない。第三者から、精子、卵子、子宮の提供を受け る場合に限って、子どもをもつ動機が不純であってはならないという制限が付 くことが正当か、不当かという問題が発生する。また子どもをもつどの親にも 純粋な動機と不純な動機が混ざっているものであって、その両者を区別するこ とはできないと言う主張もある。

通常の場合、親が子どももつことに不純な動機が働いていたとしてもそれを規 制することはしない。普通の親以上に純粋に、素朴に「子どもが欲しい」とい う気持ちの依頼人の場合、それを不当な要求を持つものとして退ける積極的な 理由はない。依頼人の健全な要求を満たすということ自体には非倫理的な要素 はない。


四、営利主義の排除

不妊対策が、営利的な目的でなされている悪質な利潤追求であって、その行為 それ自体が、倫理的に許容できないという主張もある。暴利の追求とは、依頼 人の切実な要求の足下を見て、客観的なコストを大幅に上回る価格を請求する 行為とされる。人工授精、体外受精について、医師が暴利を得ているという疑 いは、ないわけではない。

しかし、価格は客観的なコストによって決定されるのではなくて、需要と供給 の関係で規定されると見なせば、そもそも暴利という概念が成り立たなくなる が、子どもをもつチャンスの社会的な平等が著しく阻害されることは好ましく ないので、商業化への規制は可能であろう。

麻薬中毒患者に麻薬を売る、凶暴な犯罪者に銃器を売る、敵に軍事秘密を売る、 子どもに危険な薬品などを売る----などの行為は、予想される結果として社会 的にみて危険な結果の発生の原因となりうるので、公益の観点から売買が禁止 される。

不妊の夫婦のために子どもをもたせるための援助行為は、それ自体が公益に反 する結果と結びつくものではない。したがって、卵子の提供がなされても、も しも、親子関係の法律的な処置が適正であれば、なんら公益を害するものでは ない。親子関係を法律的に明確化することが、商業化への法的規制の前提にな る。


五、卵子提供のリスクについて

生体臓器移植の場合にも、ドナーにリスクを含む外科的措置が行われるが、そ の行為自体は、ドナーを治療するための行為ではない。しかがってレシピアン トには行為の正当性が成立しても、ドナーについても行為の正当性が成立する かどうかが問題になる。

    これらの条件を満たしている限りで、許容できる。「リスクが存在する」とい う理由だけでは禁止の対象とはなりえない。医学的にみてどのレベルのリスク であれば許容できるかは、別に検討しなくてはならない。ドイツ医師会の1988 年ガイドライン(三菱化学生命科学研究所発行「Studies」No. 2「先進諸国に おける生殖技術への対応」1994)は、夫婦間では卵子の摘出を認め、第三者に 関しては卵子の摘出を認めていないが、この点については技術的検討を必要と する。

六、規制の有効性について

法的処罰、免許停止の権限をもつ職業団体の自主規制、免許停止の権限をもた ない職業団体の自主規制という三つの形態が考えられ、職業団体の権限強化と いう案が有力になってきている。しかし、法的処罰や免許停止を決めれば取り 締まりに実効性が確保できるというのは甘い見方である。処罰の対象とする以 上、それによって何を守るかという基本的な利益が問われる。実質的に妥当な 規制内容を明らかにすることが先決だろう。

妥当な規制内容を定めた上で、虚偽の記載や報告は法的に処罰の対象にしてよ い。もしもある医師の記載が間違っていたとしたら、それは完全に客観的に立 証が可能だろう。その医師の援助のもとで生まれた子どもについて、DNAのサ ンプルを保存しておくとすれば、記載の間違いは、出産から何年経っても証明 できる。意図的な間違いだと分かれば、医師の免許が取り消しになるとしよう。 この記載の厳格さを要求するという方式は、十分に不正防止に役立つと思う。

高度の情報化社会でのサンクションの無効化という問題は、情報倫理の領域で も問題になっている。しかし、どのようなサンクションのシステムを設計して も、最後に問題となるのは、「自発的に倫理性を維持できる集団」に決定権を 委託することが、どのようにしたら可能かという問題に帰着する。


参考となる文献


(本稿に対して意見を述べたい人は、kato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jpにメイル してください。本稿をコピイなどして多くの人に閲読の機会をあたえることに ついて私は異議を唱えません。本稿は特に異議がないかぎりホームページに掲 載します。7月25日)

(かとう ひさたけkato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp)


あなたのご意見をお聞かせください

お名前

Mail アドレス

Subject:

本文

/


KATO Hisatake <kato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sat Jul 25 20:53:35 JST 1998