外交畑のフロラ・ルイスに「技術論」を振り当てるという読売新聞の企画の国 際会議で私は一九九二年にロンドンにいた。EC推進派として大きな力を振るっ ていたダーレンドルフも招待されていた。フロラ・ルイスがさかんに語ってい たことは「マケドニア問題が世界の最大の問題で、第三次世界大戦の発火点に なるかも知れないから、先手を打て」と言うのだった。会の舞台裏で語られて いることは「今度は国連ではなくてNATOでやる」ということだった。
私はナイジェル・コールダーと生命科学の安全性について報告する役目を負っ ていたのだが、舞台裏の事情は分からないが外交畑のフロラ・ルイスもそのセ クションにいた。彼女は、舞台の上ではおざなりなレポートを読み上げてお茶 を濁し、もっぱら舞台裏で「マケドニア問題に先手を打て」と説いて回ってい た。幸い神谷不二教授がそばにいて私が初等的な質問をしても丁寧に教えてく れたので、私なりの理解をもつことができた。
今回のコソボ空爆のきっかけは中国(台湾)の国連での拒否権発動である。中国 (台湾)は二つの中国論への報復として、コソボのNATO駐留を拒否した。これは 「今度は国連ではなくてNATOでやる」と、チャンスを狙っていた勢力(NATO軍 をEC共同軍として機能させようとするECの黒幕勢力)にとっては、絶好のタイ ミングだった。
米ソの軍事力にはさまれて、どの国も自決権を有効に行使できない冷戦体制か ら脱却して、NATO軍が共同体全体の安全保障の抑えとして機能するという方向 にアメリカを巻き込む、アメリカはソ連の軍事的影響から離れたヨーロッパ秩 序の支配者の位置を得たと錯覚するという筋書きを誰かが動かしている。
コソボ空爆は、(1)「国連無視することが許されない」という声が弱まる状況 を利用したという点では成功している。(2)「国民自決権の侵害だ」というミ ロセヴィッチ、ソ連、中国などの言い分について、日本人は思っているのだろ う。私は、以前ホームページに、空爆について(3)「非戦闘員の意図的な殺傷 は不正である」とする戦争倫理学の視点からの判断を示しておいた。
(1)「国連無視することが許されない」というのは、まったく無意味である。 国連は台湾の拒否権の別件的な行使によってすら、機能停止するような存在で ある。
(2)「国民自決権の侵害だ」というのは間違っている。国民自決権というのは、 国家が自国民の権利を保護する自衛権を守るためにあるのであって、自国の中 で民族浄化をする権利を含まない。したがって、民族浄化を行う、国家的な意 志決定によって基本的な人権を蹂躙している、正当な理由なく報道を規制して いる場合には、国民自決権という権利は成立していない。つまり、国民自決権 に、民族浄化権、人権蹂躙権、言論抑圧権は含まれない。したがって、ユーゴ 空爆が、国民自決権の侵害であるという非難をすることは、国民自決権の不当 な拡張に加担することになる。
(3)「非戦闘員の意図的な殺傷は不正である」という論点だけが、有効な批判 の原理である。この点は、目下の段階では、判定できない。
冷戦後のヨーロッパの軍事バランスという視点で見ると、ソ連が経済的にIMF 依存体制になっていることから、対抗的な軍事力の行使ができないだろうとい う読みは、なされていたに違いない。その意味では冷戦型軍事バランスが空爆 阻止にむけて機能することができなかった。ソ連は軍事的に牽制することはで きても、自ら軍事力を投下してバランスを取ることはできない。
ミロセヴィッチは、武器としての難民を有効に使って、浄化作戦の目的も達成 してしまった。しかし、ユーゴ軍の被害についてまだ報道がないので、評価し きれない。
岩田昌征氏から、チトーの民兵組織が存在したのでユーゴの各地に武器が分散 しているという話を聞いたことがある。しかし、ユーゴで現在使われている武 器は、すでにチトー時代のものではない。主としてソ連・中国からミロセヴィッ チが買ったものであろう。ユーゴで死の商人を演じているものは誰かをつきと める必要がある。
もしもミロセヴィッチに対して、ヒトラーを温存した過ちを繰り返したくない という正当な動機からその武装解除をせまるのなら、まずユーゴへの武器の搬 入を阻止する、限定された空爆で制空権を得る、大量の地上軍の投入で、国民 を民族浄化から救出するという筋書きになるはずである。そもそも空爆だけで 民族浄化からの救出ができないということは、はじめから分かっていたことで はないだろうか。
NATOがECの国際警察として機能する可能性を私は期待する。そのために有益で あるかないか。コソボ問題の根底はこの点にあると思う。(了)
(かとう ひさたけkato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp)