金属バット殺人事件への解釈

--倫理学的な問題としての少年犯罪

加藤尚武(京都大学)

1998年3月2日


少年の凶悪犯が増加し、そのなかでも突出した事例として、次の殺人事件がある。

神戸のA少年を例外的な精神体質をもつ人間と見なすことが可能であるとし ても、全体的な状況から判断して、日本の文化のなかで倫理性の産出機能が構 造的な崩壊を進めているのではないかと疑う必要が生じている。

道徳意識の形成について、倫理学と教育学と発達心理学がまったく分離してお り、しかも、それぞれの領域が、十分な成果をもっていないという学問状況か ら出発して、倫理学研究の未来像を描いて置く必要があるように思われる。

経済活動が成り立つには、その当事者間に信頼が成立することが不可欠である。 信頼の根拠は各人の身につけた倫理性であるが、経済活動はそのような倫理性 を生み出しているわけではない。すると経済領域にとって倫理性は不可欠であ るが、その倫理性は外部から供給される。経済活動は倫理性の消費者であるが 生産者ではない。

ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、その外部 がプロテスタンティズムにあるというモデルを提示している。またウエーバー 「官僚制」には、「即物性」(Sachlichkeit)という精神性が官僚を支えている ことが描写されているが、その即物性の生産がどの領域でなされるかは書かれ ていない。

階層的にみて、社会の倫理性の主たる生産領域は、中産階級の家庭であったと 思われる。上流階級、下層階級が倫理性の産出機能が構造的な崩壊に陥ってい たとしても、中産階級が倫理性の産出機能を維持するならば、彼らが官僚とな り、企業や地域社会の管理者となることによって、社会全体の秩序が維持され る。

儒教倫理を支えた東洋の中産階級、プロテスタンティズムを支えたヨーロッパ の中産階級は、その数と社会的な役割の点で、構造的に違った要因を含んでは いても、倫理性の生産という点では類似の機能をもっていた。

このような特定の社会階層が倫理性の生産の主力的な役割を果たすという分業 関係が現代では崩壊している。日本の社会はある意味では過度に倫理的に均質 化している。大蔵相のキャリア組とノンキャリア組が同じ接待を受けている。 階層差は厳然として存在し続けるが、堕落の品位に階層差が見られない。

日本の社会では「団塊の世代」(1947-49年生まれ)が、「団塊ジュニア世代」 (1972-1974年生まれ)を生み出したときが構造的な転換点である可能性がある。 1974年生まれの子どもが14歳になるのは1988年であり、目黒区の中学二年生の 両親祖母殺害事件が、世代的に一致する。

1996年11月6日に起こった金属バット殺人事件は、1946年頃に生まれた父親が、 1982年頃に生まれた子どもの家庭内暴力に耐えきれずに殺害したという事件で、 世代的に見れば典型的な団塊の世代と団塊ジュニア世代に起こっている事件で ある。父親は東京大学の倫理学科の卒業生である。彼はカウンセラーの意見を 聞いて、子どもの暴力に耐えることが最前の治療だと判断した。耐えることに 彼の倫理性は消費され、それが尽きたとき彼は子どもの頭に金属バットを振り 下ろしていた。

彼の誤りは、第一に子どもに観察し、待機し、治療という成果が上がると 期待するという「医療もどき」の態度をとったことである。ここには倫理的対 話がない。怒りの対決だけが対話でありうるという瞬間に対決を回避して観察 者の視点に自己を置いた父親の過ちが悲劇を生んだ。子どもの最初の暴力に対 して「原因は何か。対策は何か」と「医療もどき」の態度をとるべきではなく、 圧倒的な父親の体力で子どもをねじ伏せるべきであった。それで子どもとの肉 体的な戦いに敗北しても全力を尽くして戦えば活路は開けた。子どもの求めて いたものは、父の怒りであり、そして何をしても怒らないのではないかとい不 安に応えてくれない父の不在感の解消だったのだろう。

第二に自発的改善への過度の期待である。「子どもは自然に善良になるはずだ」 という自然主義を背景にして、「子どもが自発的に自覚して自己の暴力性を克 服するのでなければ意味がない」という自発性の期待があっただろう。

そして第三に「自分がこれほどの苦しみに耐えるならば、子どもに気持ちがつ ながり、何らかの良い結果が得られる」という苦しむものは救われると言う希 望の持ち方に問題がある。父母が苦しめば苦しむほど子どもが異常になってい くという連関がなりたってもまだ苦しむことを持続しようとした父の意志には、 苦しみへの依存がある。苦しみへの逃避がある。

子どもの最初の暴力に直面したとき、この父には対決するという姿勢がな かった。そこに問題がある。倫理学的には問題はつぎのようになる。子どもに 「暴力は正義のためだけに用いられるべきであり、正義のためでない暴力は制 裁をうける」(正義の力)という観念原型を身につけることを期待するか、それ とも「いかなる暴力も禁止されるべきである。たとえ正義のためであっても暴 力という手段に訴えることは許されない」(絶対的非暴力)という観念原型を身 につけることを期待するか。

この父親が、正義の力という観念を自覚的に拒否し、絶対非暴力の立場を意図 的に選択した可能性がある。しかし、同時にこの父親が絶対的非暴力主義の観 点で育てられ、彼の心情にはもともと正義の力という観念原型が不在であった 可能性がある。

この父が1946年に生まれたとすると、それは新憲法の成立した年であり、日本 では反軍国主義の声がとても大きかった。アメリカ的な「新しい育児法」が輸 入されつつある時でもあった。現代の子どもの凶悪犯増加は、その子どもの祖 父の世代の軍国主義から平和主義への転換と関わりがあるとはある程度まで言 えるだろう。しかし、もちろん軍国主義を復活すれば子どもの凶悪犯が減ると 主張しているのでもない。

(かとう ひさたけkato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp)


KATO Hisatake <kato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon Mar 2 13:11:06 JST 1998