イラクの空爆と戦争倫理学

加藤尚武(京都大学)

1998年2月13日


アメリカのクリントン大統領が査察を拒むイラクに軍事攻撃をするから、 支持して欲しいと各国に要請している。すでにイギリスは賛成をしめし、軍事 的協力をするという。ドイツのコール首相は、平和解決への努力を期待しなが ら、ドイツの軍事基地を利用することに同意するという。

この問題で日本の対処が問われている。当然、「なお平和解決への努力を期待 する」と言明するだろうが、アメリカのイラン攻撃を支持するかどうかについ て、決定的な言辞を回避するのではないかと危ぶまれる。これについて、次の ような条件で検討しよう。

第一に、アメリカのイラン攻撃は世界の平和に貢献するという前提をいったん 認めることにしよう。またクリントン大統領の主張に偽りが含まれるから反対 という論点も、ここでは採用しない。「イラク攻撃が引き金になって、戦争を 誘発する可能性があるから反対」という主張を用いない。つまり、クリントン 大統領の主張するとおりに、効果が上がるだろうと想定する。

第二に、「平和的解決への努力はすべて行った」というクリントン大統領の主 張が正しいと仮定する。「平和的解決に向けてのあらゆる努力」という言葉を 定義することは、非常に困難であるが、すでに戦闘行為が行われている場合に は、「平和的解決への努力はすべて行ったが戦闘行為を終わらせるための軍事 的行為を開始する」という決定は、「早すぎる」という間違いを犯すことが少 ない。しかし、現に戦闘行為が行われてはいない状況では、「平和的解決への 努力はすべて行った」という判断が、「早すぎない」という証明はほとんど不 可能であろう。

第三に、「イラクと国際連合との間では、国際法上は戦争状態が継続しており、 国連決議に対する違反があった場合は、国際連合が戦闘行為を行うことは国際 法上合法的である」という見解について、私には細かく吟味することができな いので、この論点の吟味は課題として留保する。しかし、ある戦闘行為が国際 法上合法的であることは、その戦闘行為を行うための必要条件であっても、十 分条件ではない。したがって、この論点も、今回は無視する。

第四に、非戦闘国民に被害が及ぶことを含むから反対するという論点を用いな い。確かに、この論点は重要ではあるが、今回の議論では論点から除外する。 同様に環境破壊を招くから反対という論旨も度外視する。

第五に、われわれが日本人であり日本国憲法のもとにあるから反対という主張 をしない。ことなる憲法のもとにある人々ですらも、どのような対処をすべき かを議論する。

問題は次の一点に絞られる。「まだ戦闘行為が開始されていないという状況で、 戦闘行為を開始することの正当化は成り立つか」ということである。

この問題についての第一の態度は、「平和への実効性のある対処」という視点 から攻撃に賛成という態度である。すでにアメリカ、イギリスはこの視点でイ ラク空爆を正当化していると思われる。ユーゴスラビアで空爆を戦闘終結の手 段として用いて良いかという問題が生じたが、この場合には「すでに戦闘状態 が存在しているという状況のもとで空爆という相手の戦闘能力をはるかに上回 る戦力を投下して解決に当たることがよいか」という問題であって、今回のイ ラク攻撃とは問題の与件がことなる。すると、イラク攻撃を正当化できる戦争 倫理学は「結果として大規模な戦争の発生を予防するという目的設定のもとに、 予測される因果関係が成り立つなら、戦闘を開始してよい」という原則を採用 することになる。そして、この場合、投下してよい戦力の規模と形態は「味方 の損害を最小にするもの」という条件が採用されるだろう。そして空爆という 形態が正当化されるだろう。

第二の態度は、絶対的平和主義の視点から反対という態度である。これは「た とえすでに戦闘行為が行われていたとしても、それを停止するために戦闘とい う手段を用いることは許されない」という原則を意味する。これは「一切の戦 闘行為の拡大には反対する」という主張となる場合もある。するとすでにある 戦闘行為を停止させるための行為が戦闘行為の総量を拡大しないという条件で なら戦闘行為の開始が許されるということを含意する。しかし、この論点をも 否定して、戦争の物理的な規模が拡大することに反対するだけでなく、戦闘の 当事者が増えることにも反対するという自衛権否定論が登場するかもしれない。

第三の態度は、「正義の戦争」という視点から反対という態度である。これは 「戦闘行為の開始を正当化できる唯一の根拠は、あらゆる平和的な解決の手段 を尽くした後で、現に存在する戦闘行為を停止させるための不可欠の手段であ る場合に限られる」という原則を採用することを意味する。そして、この場合、 投下してよい戦力の規模と形態は「敵味方双方の損害を最小にするもの」とい う条件が採用されるだろう。そして空爆という形態は正当化されないだろう。

日本はアメリカのイラク攻撃を支持するかという問題が出されたとき、戦争倫 理学の方法を採用することの有効性を指摘したい。戦争倫理学については、加 藤尚武「戦争論序説」(新岩波講座哲学、十一巻、1986年、加藤尚武『世 紀末の思想』PHP1990年に「戦争の正義とは何か」として採録)を参照し て貰いたい。


KATO Hisatake <kato@socio.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Tue Feb 17 17:02:24 JST 1998