「安楽死」事件の再発

加藤尚武

本稿は6月14日産経新聞掲載の原稿に補遺を加えたものである。


京都府の病院長が自分が主治医として治療にあたっていた48歳の末期がん患 者に筋弛緩剤を注射して死にいたらしめるという出来事が起こった。似たよう な事件は、1991年4月にも東海大学で起こっており、それについての横浜 地裁の判決が出たのが昨年3月のことで、懲役2年執行猶予2年という有罪判決が 出ている。「本人の明らかな意志表示のない安楽死は違法である」という世界 的な基準が日本でも追認されたかたちになっていた。一種の温情判決と言える だろうが、罪に問われたのは経験の浅い内科の助手だった。

今回の事件では、手を下したのは58歳の病院長である。未経験の医師が 苦しむ患者と助けて欲しいとすがってくる家族の挟み撃ちにあって狼狽して判 断を間違えたという同情論はなりたたない。しかも、共同で治療に当たってい た外科の担当医の判断を求めずに独断で決行している。同僚に対する職業倫理 にもとる決断であったと言えるだろう。日本では主治医以外の人の判断(セカ ンド・オピニオン)を求めることが習慣化していないが、オランダのように安 楽死を事実上合法と見なす制度を作っている国でも、主治医だけで決定するこ とは許されていない。

[補遺]東海大事件では、塩化カリウムが使われ、今回は筋弛緩剤が使われた。 どちらも使用すれば死以外の結果はでない。モルヒネを多量に用いた結果、死 にいたらしめたというのは刑事的な意味が違う。

横浜地裁の判決内容は、要約すると、(1)患者が耐えがたい苦痛に苦しんで いる、(2)死期が迫っている、(3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法 を尽くし、他に代替手段がないこと、(4)生命の短縮を承諾する患者の明示の意 志表示があることである。この内容は、これまでの安楽死をめぐる法律論を 整理統合したもので、国際的な論議に照らして見ても、現在で日本で考えられ る安楽死基準として妥当な内容である。

この内容を知らない医療関係者に私は出会ったことがないが、もしかするとこ の院長は、この判決内容のなかに自分の守らなければならない基準が含まれて いるという認識を欠いていたのではないだろうか。「医師の信念で行った」と 述べているそうだが、この人が医師とししての裁量の権限について間違った判 断枠をもっていることは確かだと思う。

横浜地裁の判決がこの種の事件の再発を予防することに役立たなかった以上、 その判決の内容に、検討すべき点がなかったかどうかを考えてみる必要がある。 この判決では本人の同意がなかったという点が、有罪の決め手になったのだが、 患者の苦痛を除去するために他の手段がなかったことの証明ができるかどうか も問題になるはずである。そして担当の医師はその立証の根拠となる書類を残 すべきではないだろうか。

聖ヨハネホスピスの医師、山崎章郎氏は「モルヒネなどの鎮痛剤を充分に使用 しても取りきれない痛みがあったとしても、大量の鎮静剤や麻酔剤を使えば、 患者さんは痛みを感じずに眠ることができる。肉体的な苦痛は安楽死を認める 理由にはならない」と書いておられる。東海大学の事件でも、今回の事件でも 担当の医師が、山崎章郎氏の持っているのと同じレベルの鎮痛のノウハウを持 ってかったことに事件発生の根本原因がある。

[補遺]山崎氏の判断枠については、(1)鎮痛のノウハウのズレが問題なのか、(2) 鎮痛処方の安全性の評価基準のズレが問題なのか、両方の側面から検討する必 要がある。

私の知人で膵臓炎の発作で死ぬほどの苦しみを味わったがかつぎ込まれた病 院の医師が鎮痛の措置を施してくれなかったために、別の病院に転院して苦痛 を取り去ってもらったという人がいる。つまり、日本の医療体制では苦痛を除 去するための最善のノウハウを持っている医師と持っていない医師とが共存し ていることになる。

患者の側からみれば、激痛を除去してもらえるかどうかという問題は、生命 の質(クオリティ・オブ・ライフ)にかんする最大の関心事である。ところが日 本では、「治すか治さないか」が医療行為の最大の目標になっていて、苦痛を 除去することを、医師の最優先の義務であるとする体制になっていない。

今回の事件を、裁量権について誤解している医師の個人の問題として扱うこと は、国民にとっての医療体制の問題として不安を残すことになる。医師会など の職業団体が医師の再教育という課題に取り組むべきなのではないだろうか。

まず安楽死についての法的な基準とその背後にある考え方について、すべての 臨床医に再確認する必要があるだろう。横浜地裁の判決内容の性格は、「この 四条件を守りさえすれば安楽死は法的に許される」という充分条件ではなくて、 「少なくともこの四条件を充たさない限り違法となる」という必要条件である。 実際に安楽死を行う際の充分条件としては、主治医以外の医師の判断を求める ことも要求されるだろう。

[補遺]日本の医師会で、安楽死の十分条件を定めたとしても、それを事前に裁 判所に問いかけて、「この基準でいいか」と質すことはできない。すると、実 際にはどのような条件を想定しても、「それが十分条件だといえる保証」が成 り立たない。従って、実際にできることは、必要条件に連言する条件を付加す ることでしかない。

つぎに鎮痛の技術という患者にとっての最優先の医療目的については、その 最新のノウハウを普及する努力が組織的に行われてしかるべきではないだろう か。

[補遺]ペイン・クリニックなどのターミナル・ケアの基礎技術について、医師 の個人差が大きすぎる。このことは麻酔学者などが、かなり以前からしている ことである。

(加藤尚武)


KATO Hisatake <kato@socio.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Jun 23 18:00:32 JST 1996