環境倫理---人と自然---

加藤尚武

市民のための環境公開講座

1999年4月27日

安田海上火災株式会社主催


1.

西欧での自然保存への関心は一九世紀初期に発展し、それは啓蒙思想的価値観 に対するロマン主義の反動に大きな影響を受けている。ルソー(一七一二--一 七七八)は、その意味で自然の価値を認めた先駆者であり、その影響のもとに ゲーテの「若きウエルテルの悩み」が成立する。自然の合理的理解よりも直観 的理解を追求した文学および美術運動であるロマン主義は、英米の文化圏では ウィリアム・ワーズワース(一七七〇--一八五〇)の詩、ジェイムス・フェニ モア・クーパー(一七八九--一八五一)の小説、ジョン・コンスタブル(一七 七六--一八三七)の風景画に表現されている。アメリカの超絶主義もロマン主 義的価値観に深い影響を受けた。ラルフ・ウォルド・エマソン(一八〇三--一 八八二)は、自然は神の存在に満ちでいると信じていた。

西洋の思想は、キリスト教的天人分離、デカルト的心身二元論、主観的精神と 客観的自然の対立、原子論的要素主義であるから、そこから生まれた文化は自 然破壊を引き起こすが、東洋の思想は、天人一体、心身一元論、主観客観・精 神自然の総合、有機的総体主義であるから、自然保護に適合しているという観 念がさまざまに語られている。日本では、このような東西思想の対立図式は明 治時代に井上哲次郎、井上円了という二人の哲学者によって生みだされ、西田 幾多郎とその影響を受けた人々によって引き継がれ、「近代の超克」という標 語に集約されて、帝国主義的ファシズムの哲学的背景を形づくった。環境問題 の浮上と、ハイデガー、デリダの影響を受けた構造主義の登場とともに、同じ 「近代の超克」観念がふたたび再評価を受けようとしている。

西洋にも天地呼応の思想が存在した。天と地は異なる素材から出来ているが天 の火星は人の血液と呼応し、天の土星は人の胆汁と呼応するという思想が西洋 自然哲学の土台をなしていた。その基礎原理となった「天は大宇宙、人は小宇 宙」という観念は東洋にも見られる。ガリレオ、デカルト、ニュートンの近代 科学は天と地は同一の素材から出来ているために同一の法則に従うという観念 であって、これも一種の天地一体の思想である。したがって西洋思想はすべて 天人分離という原理の上になりたつという判断は根底から誤っている。

西洋哲学では天人分離であり、東洋哲学では天人一体であるという観念が示し ているのは、東洋思想の優越性ではなくて、是が非でも西洋思想を二元論的な 対立構造にはめ込んでしまうとする意思であり、そこに見られるのは西洋に対 する劣等感以外のものはない。

仏教のある僧侶は、豚肉を食らうときにも自然に対する感謝の気持ちを忘れる なという。一木一草に仏性があるとすれば、植物ですらも食べてはならないと いう実践的な指針がでてくるはずである。一木一草に仏性があるという感謝の 念をもって米を食い、豚を喰うことが大事だというなら、どのような自然破壊 でも自然に対する感謝の念をもってすればいいという限度のない自然破壊につ ながる。感謝の気持ちを持たずに豚を喰う猫と感謝の気持ちを持って豚を喰う 猫とは違いがあると信じる観念論よりも、どちらも喰うことに違いがないと信 じる唯物論こそ自然保護に役立つ。重要なのは一面的な自然との一体感情を口 先だけで吐露することではなくて、自然保護と自然利用の限界を合理的に設定 することであり、また、自然保護のために何を犠牲にしてよいかを見極めて実 践することである。

熊沢蕃山(一六一九--一六九一)は次の問いを掲げている。「山川は国の本な り。近年、山荒れ、川浅くなれり。これ国の大荒なり。昔よりかくのごとくな れば、乱世となり、百年も二百年も戦国にて人多く死し、その上、軍兵の扶持 米難儀すれば、奢るべき力もなく、材木、薪をとること格別少なく、堂寺を作 ることもならざる間に、山々もとのごとく茂り、川々深くなるといへり。乱世 をまたず、政にて山茂り川深くなることあらんか。」(熊沢蕃山『大学或問』、 日本思想体系、岩波書店、三〇巻、四三二頁)

「山川は国の本なり」という言葉では、治山治水と森林保護とが一つに捉えら れている。そして、自然のままに放置することも、それなりの解決策であると いう。乱世となり、百年も二百年も戦国で人が多く死に、兵隊の扶持米が不足 すると、勢いにまかせて発揮される力もなくなって、材木・薪をとることも際 だってすくなくなり、お寺を作ることもできない間に、山々がもとのように茂 り、川が深くなる。問題は、乱世をまたず、正しい政策によって山が茂り、川 が深くなることはできないだろうかという点にある。

この問答には、自然保護・環境問題のもっとも基本的な問題が出されている。 環境の劣化、資源の枯渇のような事態になったときに、放置すればそれなりに 解決は得られる。人間は石油の最後の一滴を求めて殺し合いをするかもしれな い。劣悪な環境で生き残るために過去の文化遺産をすべて放棄するかもしれな い。ただ生き残るだけならば、現在の人類の人口が半減した時点で、人間はふ たたび幸福な生活を開始するかもしれない。それも解決の一つではある。しか し、最悪の解決である。

一六五四年、岡山藩では干ばつにつづく大洪水があって、流失崩壊の家屋が、 さむらい屋敷四三九軒、足軽屋敷五七三軒、町屋四四三軒、農家二二八四軒に および、荒廃してしまった田畑が一一六六〇石、流死者一五六人、ひきつづい て起こった大飢饉による死者が三六八四人というありさまだった。(熊沢蕃山 『集義和書』、日本思想体系、岩波書店、三〇巻、解説、四八四頁)

蕃山は、洪水の原因が新田開発、社寺新築、塩田、陶器製造の燃料消費などに よる森林伐採にあることを見抜いていた。治山、治水の土木工事、山林への課 税廃止をすると同時に新田開発を止めるということが彼の重要な政策になった。 森林政策が、あらゆる政策の基本になくてはならないと彼は主張した。

ここには「百年」とか「二百年」という、とても長い期間にわたる経験が背後 にある。森林保護は、決していわゆる「近代化」に対抗する措置として生まれ てきたのではなく、すでに明治以前の寺社建立、築城、開墾、鉱山開発、塩田、 陶磁器製造によって必要とされた政策だった。熊沢蕃山は、各地での森林政策 に学んだ実務家であると同時に理論家でもあった。朱子学の自然観と森林保護 の政策を結びつけた点に、思想としての射程の長さが示されている。

蕃山は、中江藤樹に師事したが、彼の学問はほとんど独学で、朱子学、陽明学 を学んでいる。「書を見ずして心法をねること三年なり」と回想しているよう に、書物よりも精神鍛錬に意を注いでいた。岡山の池田光政に仕え、災害対策 などで非常にすぐれた腕をふるったが、「乞食、非人もなく国安穏に」という 池田候の思想を支えていたのは、親の代からの浪人生活で貧乏のどん底を経験 してきた、蕃山の現実主義的な福祉思想だった。熊沢蕃山は、災害を受けた農 民の保護政策に腕をふるっただけではない。災害の原因となった森林の荒廃に 目を向け、朱子学、陽明学の思想から、自然保護の原理を導き出している。

「万物一体と言ひ、草木国土悉皆成仏と言うときは、同じ道理のように聞こえ 候」という質問に、蕃山はこう答える。

「万物一体とは、天地万物みな大虚の一気より生じたるものなるゆえに、仁者 は一木一草をも、その時なく、その理なくては切らず候。いわんや飛潜動走の もの[鳥獣虫魚]おや。草木にても強き日照りなどにぼむを見ては、我が心も しほるるごとし。雨露の恵みを得て青やかに栄えぬるのを見ては、我が心も喜 ばし。これ万物一体のしるしなり。」
(熊沢蕃山『集義和書』、日本思想体系、岩波書店、三〇巻、十三頁、日本の 名著、中央公論社、十一巻、百八十頁を参照)

自然物については、まず利用も破壊もしないという原則があり、適切な時期と 理由があるときに限り、利用が認められるというのである。その理由は、自然 と人間とが根本的に一体となっているという根本原理に基づくのである。

「人は小体の天にして、天は大体の人」(同)。自然はマクロコスモス・大き な人間であり、人間はミクロコスモス・小さな自然である。

このようなマクロコスモスとミクロコスモスの対応・呼応という思想は、西洋 ではパラケルスス(一四九三--一五四一年)のものが有名であるが、ギリシャ 末期からストア主義、ルネッサンスと系譜をたどってゲーテにまで至ることが できる。

たとえば私が犬を叩くと、その犬の中にかつての友人がいるかもしれない。牛 の肉を食らえば、そのなかに自分の父がいるかもしれない。原始的なアニミズ ムから生まれた自然哲学が洗練された形になると、東洋でも西洋でもミクロコ スモスとマクロコスモスの同型性という観念になる。

天地自然の理法と人間と社会の道徳とが、究極的には同一のものだという観念 は、東洋では朱子学という形で定着していた。そこから積極的に自然保護の基 礎付けを与えたという点に蕃山の特色がある。それは蕃山が単に机の上だけの 著作家ではなくて、岡山の池田光政に仕えて実務家として藩政を動かしていた という実績とかかわっている。


2. ルソーと安藤昌益

ルソー(一七一二--一七七八年)は、安藤昌益(生没年不詳、一七〇七--一七 六二年と推測)とまったく同じ時に生きた人である。昌益の方が五歳ほど年上 になる。人為的な文化が人間をダメにしているのだから、本来の自然に立ち返 らなくてはならないという思想は、両者に共通している。もちろん両者には何 の連絡もないのだから、影響関係はありえない。

農業を重視する、肉食を禁止する、医療では自然治癒を旨とする、人間の平等 を説く、などの共通点がある。人為的な文化がある程度まで発達してきたとき に、それが人間にとってマイナスになっているという反省が、東西世界で同時 に発生したとしか考えられない。

昌益は、貴賎、男女の差別をなくし、万民が直耕するユートピアを描いたが、 そこでは文字も学問も存在しない。医術は、米食して農耕しつつ自然治癒をま つという方式に変わる。徹底的な自然主義的な生活が理想とされる。

「衣服は、上は綿布、下は麻布にかぎるものとする。絹の類は全面的にこれを 禁止する。…鳥獣虫魚は大が小を食うのに序列があって食ったり食われたりす る。鳥獣虫魚はおたがいに相手の食物である。だから人間の食物ではない。鳥 獣虫魚を食用に供することは禁止すべきである。人間に備わっている食物は穀 物と野菜である。酒はもとより人間の飲物として自然に備わっているものでは ない。人間にとっては大毒である。ゆえに全面的にこれを禁止する。」
(安藤昌益『自然真営道』日本の名著、中央公論社、十九巻、二五二頁)

昌益の場合でも、基礎理論は根源となるひとつのものが自己運動的に展開して いって万物となるという朱子学型の思想である。ただし、昌益は先行のあらゆ る思想を批判して独自の展開方式を編み出している。この自然の営みに合わせ て生きることが正しい生き方になる。

「しかるに聖人は山中の金を掘り出し、金、銀、銭を鋳て、これを天下に通用 させた。これ以来世界万国で金のある所を穿ち掘り、金を宝とするようになっ たのである。…もしも金を用いる人間がこれを貯えておいて万々年本処の土に 戻さず、ひたすら掘り取るばかりであったらどうなるであろうか。土中では金 気の堅めが弱く、天気は濁りやすく、不正の気が行われて人間は病気になりや すく、海の気は澄みにくく、水は湧きにくく、山は崩れやすく、河は埋まりや すく、地震は起こりやすく、人気はもろくなって体内に病気が発しやすく、山 には木が生えにくくなるにちがいない。今日の世の天気、海の気、地の形、河 海のありさま、人気の状態などは、まったくこれに応じている。これは聖人の 罪である。」
(安藤昌益『自然真営道』日本の名著、中央公論社、十九巻、二七六頁)

昌益の研究者のなかには、この記述について「当時の東北地方一帯なかんずく 秋田藩における大がかりな金銀銅山開発という背景があったと思われる」(寺 尾五郎、安藤昌益全集、十三巻、解説、六二頁)という人もいる。「その開発 の急成長ぶりはすさまじく、院内銀山のごときは、わずかの間に秋田城下の一 万人をしのぐ一万五千人という人口増加を見せている。そこには農村地帯の牧 歌的平安とは異なり、奴隷的な労働にまつわる喧噪と乱脈があった。山師、金 名子、掘子や大工・炭焼を中心に、食いつめ者、切支丹、牢人などが、さらに は博徒・遊女が流入したものであろう。そのような都市的乱脈にたいする見聞 が昌益にも達していたと想像してもよかろう。」(同) 

昌益は「もしも金を用いる人間がこれを貯えておいて万々年本処の土に戻さず、 ひたすら掘り取るばかりであったらどうなるであろうか」と自問して、土地が 荒廃し、鉱山がいつかは廃坑になる時には取り返しがつかなくなっているとい う現実的な見通しを立てるのではない。「金の気が弱く、天の気は濁りやすく、 病の気が強くなりやすく、海の気は澄みにくく、水は湧きにくく、山は崩れや すく、河は埋まりやすく、地震は起こりやすく、山には木が生えにくくなり、 今日の世の天気、海の気、地の形、河海のありさま、人気の状態など」森羅万 象が疲弊し、病変していくという幻想的な場面を繰り広げ、「これは聖人の罪 である」と断定する。

聖人とは誰か。四書五経の作者だけではない。あらゆる文化の創造者、制度の 設立者、ようするに人間の社会を自然状態の楽園から、文化の状態へと「進歩」 させた張本人が「聖人」なのである。


3. ソロー「森の生活」

ゲーテが東洋の詩を勉強した先駆者であったように、エマソンは初めて東洋哲 学を研究したアメリカ人の一人だった。彼はそこから自我を自然との同一性の 次元にもたらすという、シェリング哲学のモチーフを自ら体現するという新し い自我観を築き上げていった。エマソンによれば、自己信頼は利己主義ではな く、むしろ其のアイデンティティーの発見なのである。エマソンは社会に追従 する狭量な範画を超越し、より大きな宇宙(コスモス)を受け入れる広い自我 意識を求めた。このような超絶主義はへンリー・デヴィッド・ソロー(一八一 七--一八六二)の思想の核心でもある。

彼は一八四二年から二年あまり、アメリカの北東部マサチュセッツ州ウオール デンの森にひとりで自活して清貧生活をした。その記録である「ウオールデン・ 森の生活」(1854)は、アメリカ精神の一つの原点を示す古典である。

「自然は人類の母である。地中から霜が這い出たものは、春であり、地球がま だその襁褓(むつき)の時期にあることを示している。神話が詩に先立つよう に、それは緑の、そして花咲く春に先駆ける。冬という食いもたれを一掃する のにこれに越したものはない。恐れを知らぬ大胆な額からは、新しい巻毛がは えだす。そこには無機的なものは何もない。これらの葉群れのようなかたまり は炉のなかの鉱滓のように、土手に沿って横たわり、自然がまだ内部ではさか んに吹き分けられていることを示している。地球は書物の紙葉のように層をな して重ねられ、死んだ歴史の断片ではなく、花や果実に先駆ける木の葉のよう な生きている詩である。その偉大な中心の生命に比べれば、すべての動物、植 物の生命はたんに寄生的なものにすぎない。」
(神吉三郎訳「森の生活」岩波文庫、三八〇頁)

大地は生命の根源であり、あらゆる生物の生命の支えである。大地そのものが 根源的な流動体で、その変容の仕方のなかには、人間の平凡な観察眼では見落 とされてしまうような知恵が隠されている。地球という大きな生命のなかに大 地と森林という生命があり、そのなかに個体としての動植物の生命がある。自 然の全体は、ミクロコスモス(小宇宙・個体自然)がマクロコスモス(大宇宙・ 地球)を模倣するという形になっている。


4. レオポルトの「土地倫理学」

現代的意味で初めての環境主義者の一人と言えるアメリカのナチュラリスト、 ジョン・ミューア(一八三八--一九一四)は、アメリカの超絶主義者の影響を強 く受けていた。ミューアは、動植物、岩、水はすべて「神の魂の火花」である と信じた。ミューアら保存主義者(preservationists)は、原野をそのままの状 態て残すべきである、つまり健全な生態系は人間の管理ではなく自然の過程の 結果であると主張した。

ギフォード・ピンショーは、自然地域の「賢明な利用」づまり「計画的な開発」 を認め、原野は人間の要求を満たすために科学的に管理されるべきであると主 張した。彼らは保全主義者(conservationists)と呼ばれる。

アルド・レオポルトは「土地倫理」(land ethics)という考え方を提起して、 「土地は所有物ではない」と主張した。 Aldo Leopold: A Sand County Almanac, Oxford University Press, 1949. (邦題『野生のうたが聞こえる』新島義昭訳 森林書房 1986年)

アルド・レオポルト(Aldo Leopold 1887-1948)は、合衆国森林官の仕事を長年 務めたのちにウイスコンシン大学の教授となり(1933)、狩猟鳥獣管理(game management)の授業を受け持った。「土地倫理」は、彼の遺稿である「砂の国 の暦」の中に書かれている。

「オデュッセウスは、トロイの戦いから帰還すると、留守中に不埒な振舞いが あったと見なして、自分の家の奴隷少女十二人を一本のロープで縛り首にした。 縛り首の処置に、適否の問題はなかった。少女達は所有物だった。所有物を処 分することには、当時も、現代と同じく、便宜(expediency)の問題であって、 正しいか間違いか(right and wrong)の問題ではなかった。…これまでのと ころ、人間と土地および土地に依存して生きる動植物との関係を律する倫理は 存在しない。オデュッセウスの奴隷少女と同じように、土地はいまなお所有物 である。土地との関係は相変わらずまったく経済的関係で、[人間に]特権は あるが義務がない。」
(邦訳310-312頁、語句を多少変更)

人間が一方的に土地を利用し処分することは不当であり、土地の側にも権利を 認めなくてはならない。土地はいまでも所有物であるが、本当は所有物ではな い。人間が自由に処分したり、廃棄したり、利用したりする物件ではない。こ こでいう「土地」とは、「生態系」のことであり、「生物共同体」という言葉 もレオポルトは使っている。「あるものは、それが生物共同体の統合、安定、 美を保つ傾向にあるならば、正しい(right)。反対の傾向にあれば、間違っ ている(wrong)。」(邦訳343頁、語句を多少変更)


5. レイチェル・カーソン『沈黙の春』

レイチェル・カーソン(一九〇七--一九六四)は、アメリカの海洋生物学者で あり、海について、人間の文化史を含めて、あらゆる科学の成果を総合して、 美しい見事な文章で描いた『われらをめぐる海』(日下実男訳、ハヤカワ文庫) は、一九五〇年に、爆発的な人気を呼んでベストセラーとなった。一九六二年 には、癌におかされた身体で『沈黙の春』を書き上げ、農薬による環境破壊に 警告を発した。

海だけでなく、生き物と生き物が相互に作り上げている生態系という秩序は目 に見えない無数の相互依存関係のネットワークである。

このネットワークそのものと、そのなかに生きる生物には、調和が壊れても、 ほぼ自動的に調和がとりもどされるような仕組みが、組み込まれている。だか ら、自然の世界の調和は、永遠に終わることのないハーモニーを奏でつづけて いるのである。

ところが最近、自然の歴史のなかで未だかつてなかったようなできごとが生じ た。それは、つぎのような物語で示される。

「アメリカの奥深くわけ入ったところに、ある町があった。生命あるものはみ な、自然とひとつだった。町のまわりには、豊かな田畑が碁盤の目のようにひ ろがり、穀物畑の続くその先は丘がもりあがり、斜面には果樹がしげっていた。 春がくると、緑の野原のかなたに、白い花の霞がたなびき、秋になれば、カシ やカエデやカバが燃えるような紅葉のあやを織りなし、松の緑に映えて目に痛 い。丘の森からキツネの吠え声がきこえ、シカが野原のもやのなかを見えつか くれつ音もなくかけぬけた。
(中略)
ところが、あるときどういう呪いをうけたのか、暗い影があたりにしのびよっ た。いままで見たこともきいたこともないことが起こりだした。若鶏はわけの わからぬ病気にかかり、牛も羊も病気になって死んだ。どこへ、行っても死の 影。…
自然は沈黙した。うす気味悪い。鳥たちはどこへ行ってしまったのか。みんな不思議 に思い、不吉な予感におびえた。」
(レイチェル・カーソン『沈黙の春』青樹簗一訳、新潮文庫、十一頁)

まるでSF映画の出だしのようなイメージだが、これがアメリカ全体で起こって いる事実を一箇所に圧縮した姿だとカーソンはいう。そして「アメリカでは、 春がきても自然は黙りこくっている。そんな町や村がいっぱいある。いったい なぜなのか。そのわけを知りたいと思うものは、先を読まれよ。」(同、十三 頁)と述べて、全米からたんねんに集めたデータを科学的な解説としては分か りやすさの手本となり、今後の生活の予感としては胸に迫る詩的な名文で、 DDTやBHCなどの駆虫剤を中心とする農薬の生態系への恐るべき影響を描き出し た。

「撒布剤、粉末剤、エアゾールというふうに、農園でも庭園でも森林でも、そ してまた家庭でも、これらの薬品はやたらと使われている。だが<益虫>も< 害虫>も、みな殺しだ。鳥の鳴き声は消え、魚のはねる姿ももはや見られず、 木の葉には死の膜がかかり、地中にも毒はしみこんでゆく。そして、もとはと いえば、わずか二、三の雑草をはびこらせないため、わずか二、三の昆虫が邪 魔なためだとは…。地表に毒の集中砲火を浴びせれば、結局、生命あるものす べての環境が破壊される。この明白な事実を無視するとは、正気の沙汰とは思 えない。<殺虫剤>というが、<殺生剤>と言ったほうがふさわしい。」
(同、十七頁)

自然の生態系のなかでは、さまざまな生物が相互依存のネットワークを作って いる。ところが人間は、特定の作物だけを保護するために特定の生物を死滅さ せようとして化学薬品を使う。ところが化学薬品はあらゆる生物を無差別に殺 害する。それによって生態系全体が死滅の危機に追いやられる。生命界の一部 分である人間は、生命界全体のなかの特定部分を利用し保護するために、他の 部分を殺害しようとして、結局は全体を死滅させる。その結果として人間は人 間を死滅させるだろう。

「自然を征服するのだとしゃにむに進んできた私たち人間、進んできた跡をふ りかえって見れば、見るも無惨な破壊の跡ばかり。自分たちが住んでいるこの 大地をこわしているばかりではない。私たちの仲間---いっしょに暮らしてい る他の生命にも破壊の鉾先を向けるのだ。
過去二、三百年の歴史は、暗黒の紋章をもつ。アメリカ西部の高原では野牛の 殺戮、鳥をうって市場に売り出す商売人が河口や海岸にすむ鳥を根絶にちかい まで大虐殺し、かたはしから大白鷺を取りまくって羽をはぎとった、など。そ していままた、新しいやり口を考えだしては、大破壊、大虐殺の新しい章を歴 史に書き加えていく。あたり一面殺虫剤をばらまいて鳥を殺す、哺乳類を殺す、 魚を殺す。そして野生の生命という生命を殺している、そう言っても嘘にはな らない。 私たち現代の世界観では、スプレイ・ガンを手にした人間は絶対な のだ。邪魔することは許されない。昆虫駆除大運動のまきぞえをくうものは、 駒鳥、きじ、洗い熊、猫、家畜でも糞喰らえ、雨あられと殺虫剤の毒はふりそ そぐ。誰も反対することはまかりならぬ。」
(レイチェル・カーソン『沈黙の春』青樹簗一訳、新潮文庫、一〇五頁)

カーソンは、自分で新しい事実を発見したのではのではなくて、情報を集約し て、そこに個々の情報では見えない連関を指摘した。その結果つぎのようなこ とが明らかになった。

  1. 有機塩素系化合物と有機リン系化合物が「動物には害がない」 と考えられていたのに対して、鳥や魚を殺すばかりか、人間の神経系を冒す。
  2. 人間の身体のなかでさまざまの化学物質が複合して 生理障害精神障害癌の発生をうながす際にはとても長い期間がかかる。
  3. 撒布された農薬が地下水を汚染し、 多様な化学物質が反応しあって発ガン物質が発生する。
  4. 農薬が生態系の中の食循環に入り込み、長期にわたって残留し、 植物に移動するなどする結果、たくさんの種類の生物の死滅の原因となる。
  5. 昆虫が農薬に対して進化による耐性を身につけるようになるために、 農薬により昆虫退治は限りなく危険な薬品を使用する方向にエスカレートする。 危険度の少ない薬品に切り替えるとか、 天敵を利用するとかの生態学的技術の方が有効である。
 

東方的な自然愛は、西方的な自然保護と、基本的に共通の部分をもちながらも、 自然を人間の保護下に置くというよりは、自然にゆだね、自然そのものの奥深 さを敬意をもって見守るという態度に現れることになるだろう。人間の自然に 対する働きかけが、失敗し、破綻するところに自然が勢力を回復するというの ではない。人間と人間、国家と国家のあいだには、「乱世」があってはならな い。まず平和がなければならない。「乱世をまたず、政にて山茂り、川深くな ることあらんか」という熊沢蕃山の言葉には、21世紀の世界文化に東方文化が 寄与することのできる方向性が示されている。「山茂り、川深くなること」が 人間の営みの指標とならなくてはならない。

金銭的な富をどれだけ大きくすることができたとしても、それによって「山茂 り、川深くなること」が失われるならば、その経済は経世済民の実を上げたこ とにならない。「草木のしぼむを見ては我が心もしほるるごとし」という言葉 が、単に個人の感情のなかに育まれているだけではなくて、「政にて山茂り、 川深くなる」という政治の精神にも生かされていなくてはならない。一方の手 が破壊する自然を他方の手が修繕しても富は多く数えられる。自然という富の 豊かさを、人間の富に数え入れるならば、経済活動によって、どれだけ自然の 富が増加したかという指標こそ、本当の豊かさの指標となるだろう。(了)

(かとう ひさたけkato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp)


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