クローン人間の規制根拠

加藤尚武(京都大学)

1998年5月27日


医療行為の本来的な利用は患者の権利であるから規制することができないが、 便宜的な利用については規制することができる。その根拠として、医療技術の 開発を公共財とみるという前提が考えられる。しかし、そのような論点の組立 は、自己決定の許容範囲は社会的な承認の結果であるという共同体主義的な解 釈によると思われる。それに反して、自己決定は個人の究極の権利であり、社 会的な承認をまって成立するものではないという個人主義の反論がありうる。

第一(処罰の条件)

違法と見なされ、違法性阻却理由が成立しないすべての行為が可罰的であるわ けではない。クローン人間を作ることが処罰の対象となるためには、第一に 「クローン人間禁止法」が成立していて、違法行為として特定されていなくて はならない。第二に、目的や意図に関して正当行為としての医療の範囲を逸脱 している場合に限られる。第三に、結果に関して「刑罰を加えるに足りる程度 に違法」(可罰的違法性)であって、しかも法的規制が有効でなくてはならない。 オランダで安楽死の事件で、違法であるけれども刑罰を科さないという判決が でるように、価値判断としては違法だが、刑罰に値しないという場合がある。 双子を作ることとクローン人間を作ることは結果的には同じであるが、クロー ンの場合は違法になるという条件で、クローンの場合に可罰的と言えるかどう かが問題になる。

第二(正当な医療行為)

人間のすることはたいてい幸福の追求のためであるから、およそ「幸福追求の 権利」に含まれないものはない。人工授精、性転換手術、精子売買、男女の生 み分け、選択的人工妊娠中絶、代理母、クローン人間の産出、、胎児の卵子利 用、胎児利用を含めてあらゆる人体利用が正当化されると言うのは、「幸福追 求の権利」の行き過ぎた適用であろう。

男女の生み分けの場合、男を生んでも女を生んでも違法でないのに生み分けを すると違法になるのは、社会全体の男女比にアンバランスが生まれるからであ る。個別の行為には何ら不正がなくても、社会全体のバランスという観点から 違法性が成立する。これは古典的な刑法概念にはなかった違法性の範疇である。 (男女比のアンバランスを理由として違法視すべきではないという議論も可能 であろう。同性愛者に権利を認めると社会的アンバランスが生まれるという議 論に同種の反論がある。)

不妊対策でない代理母の場合(たとえばバレリーナが公演を継続するために代 理母を依頼する)、結果として一人の子どもが生まれることで社会的な不利益 は生じない。もしも禁止されるとしたら、出生についての機会の社会的な公平 の感覚に合わないということだろう。便宜的な選択的人工妊娠中絶についても 同じことが言える。

医療技術という公共財は治療目的で利用するものにのみ開かれていると考えて いいのではないだろうか。

第三(優生的医療の禁止)

「バレーボール選手になるような子どもを生むために身長が平均よりも長くな るようにする」という目的が、禁止されるべきであるのはドーピングの禁止と 似た理由による。公正な競争は身体の人為的な改造をしないという条件でなさ れるという暗黙の合意があるからである。

第四(恣意的な選択出生の禁止)

ブルネットの髪ではなくてブロンドの髪の子どもが欲しいという目的で、遺伝 子操作をすることや、選択的人工妊娠中絶をする事は禁止してよい。これは優 生的選択ではないかもしれない。しかも、髪をブロンドに染めることは禁止さ れていない。それなのに生まれる子どもを、髪の色で選択することは、いまま で人類に認められきた出生の公正という概念に一致しない。しかし、社会のルー ルが変わる可能性はある。社会的な合意によって禁止してもいいという事例に なる。

第五(治療概念の拡張)

精神的な傷害の「治療」として性器の不可逆的な変形の手術をすることは、厳 密な意味での治療ではない。脳内異常の原因をそのままにして、その異常な脳 の状態に合わせて性器を変容させるのだからである。治療ではなくて、「患者 を苦しみから解放する」措置である。その点では安楽死と同じである。人工授 精、人工肛門、バイパス手術、血液透析、生体検査など、疾患の原因となる患 部を正常に戻すのとは違う医療行為のなかには、厳密な意味での医療行為とまっ たく同じ法的な意味をもつものもある。人工授精は「拡張された治療概念」に 属するが、人工肛門は「厳密な意味での治療概念」に属すると判断される。

クローン人間の出生が、「治療目的」でなされる場合があったとしても、「厳 密な意味での治療」ではありえない。

クローン人間の問題だけでなく、人工授精、性転換手術、精子売買、男女の生 み分け、選択的人工妊娠中絶、代理母、クローン人間の産出、胎児の卵子利用、 胎児利用を含めて人体利用について、全体の枠組みとなるような判断の枠組み が必要なのである。

(かとう ひさたけkato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp)


あなたのご意見をお聞かせください

お名前

Mail アドレス

Subject:

本文

/


KATO Hisatake <kato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Wed May 27 10:17:25 JST 1998