on CLONE technology, part 2

クローン人間の倫理(続編)

加藤尚武(1997年7月26日)


 フランス大統領、アメリカ大統領が声明を出して「クローン人間は禁止」の方向を打ち 出した。さらにアメリカでは九〇日以内にこの問題での報告書(Report and Recommendation of the National Bioethics Advisory Commission)を作成し、「研究目 的であれ、臨床目的であれ体細胞核移植クローニングによって子どもを作ることを禁 止するために、連邦法が制定されなければならない」という勧告が出されている。従来 、アメリカでは公共的な研究費の支給をうけている研究活動には政府機関による倫理 規制が行われていたのだが、クローン問題では民間の研究や治療まで法を制定する ことによって規制するという方向が出てきている。また臨床目的(clinical setting)でも 禁止という点も、新しい動向である。アメリカ独立宣言にある「生命、自由、幸福の追求 の権利」に基づいて医療のアクセス権が成立するとすれば、この医療目的であれば禁 止できないという考え方が今までは支配的だった。法を制定して民間を含めて医療目 的でも禁止という内容には従来のアメリカ自由主義とは違った傾向が含まれているよ うにも見える。

 これらの禁止理由には、クローン人間を作ることは人格の尊厳を犯す、クローン人間 を作ることには安全性が確立されていない、クローン人間を作ることにはさまざまの倫 理的な弊害が派生するという三種に分けることができる。

 人間のクローンを作ることは人格の尊厳を犯し倫理的でないから禁止されるべきだと 言う意見の根拠になるのは、主として「DNA同一=身体同一=人格同一ゆえに人格 の尊厳を侵害」というテーゼである。「ニューズウイーク」などアメリカの雑誌のクローン 羊特集では、このテーゼの間違いを訂正して、クローン人間は同一人格という想定が なりたたないことを明確に述べているのだが、日本では医学や生物学の専門的な知識 の持ち主までが、「クローン人間を作成することは人格の尊厳を侵害する」と本気で信 じ込んでいる。この間違いの根源にあるのは、第一に「DNAはすべての遺伝情報の 担い手であるから、DNAが同一であるクローン人間は完全に同一である」という間違 ったDNA決定論がある。第二に「同じDNAを持ち、本質的にクローンと同じ遺伝的条 件をもつ一卵性双生児について、百%とは言えないまでも、ほとんど身体的に同じで ある」という一卵性双生児に関する誤解がある。第三に遺伝的に同一であれば人格と しても同一であるという人格の遺伝的身体還元論がある。


1、同一DNA→同一身体という誤り

 まず第一に、「クローン人間は同一のDNAをもつから、同一の身体をもつ」と言える かどうか。一卵性双生児にも先天的な差異が存在する。一卵性の双子ではDNAは同 じだが、生まれたときの身体にはさまざまな個体差がある。見ただけでは一卵性双生 児であるかどうかが分からないので、DNA鑑定をして一卵性であることが分かるとい うケースも多い。DNA同一=身体同一というのは科学的な間違いである。

 分子生物学者の香川靖雄さんのメイルを私に転送してくれた人がいるので引用させ ていただく。「遺伝子の互いに等しい一卵性双生児は今日でも社会問題にはなってい ません。それどころか不妊症の治療に排卵促進剤を用いて5つ子が生まれることも、 ウシの受精卵を分割して、遺伝子の同じ子ウシを生ませることも技術として常識化して います。人間の個性の中核である人格について、一卵性双生児で遺伝子と環境、教 育の関係を調べた厖大な研究があります。例えば精神分裂病の発病の一致率は一卵 性双生児でも50%に過ぎません。つまり、遺伝子が等しいということは、全く同じ個人 ができることを意味しないのです。」

 双子の研究していてたまたま自分も双子のお母さんになった天羽幸子さんは「一卵 性双生児は、外見的にみれば確かに似ている。このため性格も似ていると考えられが ちであるが、多くの母親に聞くと<こんなに違っていて、一卵性なのかしら>という答え が返ってくることが多い。」(早川和生「双子の母子保健マニュアル」医学書院)

 多くの人が「一卵性双生児は百%同じではなくても、九十%以上は同じだ」と思って いる。特に最近は「DNAはすべての遺伝情報を担っているから、二つの個体でDNA が同じならまったく同じ」と誤解している人が多い。もっと詳しい報告はプロミン「遺伝と 環境」(安藤寿康、大木秀一訳、培風館ーークローン人間の倫理を考える上での必読 文献)などを見れば分かるが、、一卵性双生児でもだいたいの印象として身体的に九 十%、精神的な態度で五十%ほど似ている程度である。身体的に一卵性に見えない 一卵性児もいる。DNAが同じでも誕生の時点ですでに脳を含めて身体の内部が違っ ている。


2、同一身体=同一人格という誤り

 次に、「身体的に同一の人間は同一の人格である」と言えるかどうか。完全に同じ身 体があり得たとしても、その身体をもつ人間が同一の経験をもつ同一主体であるという 仮定には現実性がない。解剖してみても身体的にまったく見分けがつかないヒトが二 人いたとしても、その二人の脳に記入される経験の内容が違う。

 一卵性双生児の場合、たとえ同じ胎内にても、一人は母親の心臓の音を近くで聞き 、もう一人は遠くで聞いているだろう。生まれた段階で、脳に記入された母の心音の情 報は違っている。だから身体がまったく同じでも生まれた段階ではすでに違った記憶を もっているから、違った人格である。

 ここに工場から出荷されたばかりの二つのテープレコーダーがあり、それらはまったく 同一で、しかもカセットが内蔵されていて、機械本体と一体になっているとする。このテ ープレコーダーに何かが録音されて、その内容に違いがあれば、このテープレコーダ ーは同一とは言えない。

 しかし、この二つのテープレコーダーの製造年が、五十年ずれていると仮定しよう。こ の二つのテープレコーダーを同一の録音内容とすることはとても困難だろう。周囲から 入ってくる雑音、日常的な言葉づかい、さまざまな習慣などなど、ようするにこの二つ のテープレコーダーはまったく歴史的に違った時代を生きることになる。アメリカの前記 報告書(Report and Recommendation of the National Bioethics Advisory Commission) では、ドリーのクローンのことを「遅れて出生した単身の成熟した羊の双子」(a delayd genetic twin of a single adult sheep)と呼んでいるが、人間の場合、40歳のドリーさん から、第二ドリーが作られたとき、この二人のドリーが同一の環境を生きることはあり得 ない。実際に人間のクローンが作られるとすれば、ほとんどの場合は、成人の細胞か ら新生児が作られるのであって、それらが同一の人格である可能性はまったくない。

 DNAが同一の双子であっても、この二人は環境因子という点では、いままで観測さ れ、記録されたどの双子よりも違った環境に生きるのであって、同一人格ということは あり得ない。


3、クローン人間を作ることは人格の尊厳を犯すという誤り

 第三に「複数の同じ人格をつくりだすことは人格の尊厳に反する」と言えるかどうか。 DNAが同一、なおかつ身体のあらゆる特徴が同一、年齢も記憶の内容も同一という 双子が存在すると仮定しても、そのこと自体は「人格の尊厳の侵害」とはならない。お そらく周りの人は、彼らを夏彦と冬彦というように別の名前で呼び、兄とか弟とか別人 格として扱うだろう。したがって、ある時までこの二人のヒトの記憶内容がたとえ同一で あったとしても、別人格として扱われることによって、直ちに別人格になってしまう。

 クローン人間が存在すると法律面で混乱が起こるというのは、間違いである。見分け のつかない人間が増えて社会的に混乱するという問題も、服装などの目印で識別可 能にすれば解決する。

 「人格の概念には、唯一の個体で他の個体から外面的内面的に識別可能な特徴を もつことが含まれるから、クローン人間は人間の尊厳に反する」と考えている人がかな りいるようだが、まったくそっくりの人間が作られたとしても、それが人格の尊厳を侵害 するとは考えられない。その理由は、個体の唯一性、外見の差異性は、人格の本来の 意味には含まれないからである。人格とは、個人のなかにある理性にしたがう可能性 である。誰かが私とそっくり同じ人間を製造することに成功したとしても、それは私の人 格の尊厳を侵害することにはならない。

 人格の同一性とは、二人の人間は、たとえまったく識別できなかったとしても違った 人間として取り扱うという社会的なタテマエの観念的な結晶である。私が、病院に入院 したら、隣のベッドの男とまったく識別できないほど良く似ていたとする。その場合でも 医師やや看護婦やまわりの患者たちは、私をその良く似た男とは別人格として扱うだ ろう。

 また私が四十年経って、見る影もなくちがってしまったとしよう。しかし、それでも他人 は私を「同じ人格」として扱う。人格とは、絶対に同じものが二つと存在しないと想定さ れ、同じものは永遠に同じ変わらないと想定される、そういう社会的な約束である。だ から、身体的な存在として、どんなに識別困難な第二のドリーが作られても、その第二 のドリーを人格として、人々が扱う限り人格の尊厳は保たれている。

 第二ドリーを、一個の独立した個体として扱わない、第二ドリーの同意能力を認めな い、他の人格が必要とすることがらの手段としてだけ利用することは人格の尊厳を侵 害したことになるが、第二ドリーが出生することは、第一ドリーの人格に対するなんら の侵害にもならない。

 個体性の尊重、多様性の尊重という理念は、ミルの『自由論』では認められているが 、カントの『実践理性批判』には見られない。だから、古代の霊魂概念に潜在的には含 まれていたが、恐らく十九世紀の中頃あたりから、個性の尊重が社会的に評価される べき価値として認められるようになったものと思われる。ミルの場合でも、政府が個人 の趣味の領域について不当な干渉をするな(たとえばポルノグラフィーを禁止するな) という形で述べられているのであって、そこからクローン人間の禁止を引き出すことは できない。

 ニーチェが個性のない人間の群を「羊の群」や「畜群」にたとえたのも、この新しい個 性尊重の文化の表現だと言える。

 人格の本質は、同一の人格は存在しない(唯一性)というタテマエ(理念)なのである 。事実上、見分けがつかない人間がいたとしても、違った名前をつけて、違った人格と して扱えば問題はない。ところがこのタテマエは、普通の生活の中では、「十人十色」で 誰でも識別できる特徴をもっているので、経験的な事実の裏付けがある。たまたま見 分けのつかない人がいると不安になったり、不気味に思われたりする。江戸時代の日 本では「畜生腹」と呼ばれて不吉なものと見なされることもあった。ライプニッツやパス カルの場合などについては、加藤尚武『形の哲学』を参照して貰いたい。

 同じものがありえないのに、同じものが現れるということへの恐怖感(たとえばドイツ・ ロマン派の文学に登場する「ドッペル・ゲンガー」)は、一種形而上学的な不安(不気味 さ)と言える。この不気味さと法律的な概念としての可罰的違法性とが、まったく別の 次元にあるということも、クローン人間論の重大な欠落であるようだ。  


4、治療目的としてのクローン人間産出はありうるか

 クローン人間を作ることは、かならず非人間的な目的でなされると言えるだろうか。あ る夫婦が手塩に掛けて育ててきた子どもが二才で死んだとする。両親の嘆きは深く、 その精神的な苦痛を解除する唯一の手段は、その死んだ子どものクローンを作ること であると精神科の医師が判断を下す。非常に激しい精神的な苦痛の場合には性転換 手術すら「医療目的」として正当化されているのだから、子どもを亡くした親にクローン を作ってあげるという行為それ自体に非人間的な要素があるとはいえない。

 不妊の治療法としても、クローンの方法が使われる可能性は多くの産婦人科医が否 定していない。


 以上のことを綜合するとクローン人間を作ること自体が、倫理的に不正であるとは言 えない。しかし、クローン人間を作ることの安全性が確立されていないから禁止すると いうのであれば、現行の基準によってできる。安全性という観点から言えば、上に挙げ たアメリカの報告書でも「十分に禁止に値する」と述べている。

 実際問題として、DNAの特定の状態が、身体の特定のあり方と因果的にどう関連し ているのかという点では分かっていないことが多すぎる。だから安全性という観点から クローン人間を作ることを禁止するのは、きわめて妥当な措置である。従来すでに「遺 伝子の操作は生殖細胞に触れず、体細胞に限定する」という制限がガイドラインに盛 り込まれていたが、この表現で規制の目的が達成されるかどうかを検討し、人間につ いて禁止、人間以外の動物について完全に自由という線引きで十分かどうかを検討し 、すでに行われているガイドラインを微調整することはもちろん必要である。

 クローン人間を作ることが安全であってもなおかつ禁止されるとすればそれは何故 か。私がもっとも重要だと思うのは、この問いである。(以上)  人間のクローンを作ることは人格の尊厳を犯し倫理的でないから禁止されるべきだと 言う意見の根拠になる「DNA同一=身体同一=人格同一ゆえに人格の尊厳を侵害」 というテーゼの最大の罪は、この本質的な問題を覆い隠してしまうことにある。

 クローンと個体差の関係を理解するための文献を挙げておく。

  1. プロミン「遺伝と環境」安藤寿康、大木秀一訳、培風館
  2. 早川和生「双子の母子保健マニュアル」医学書院
  3. 安藤寿康「遺伝要因と教育環境」(並木博編『教育心理学へのいざない』八千代出 版所収)
  4. 安田徳一「人のための遺伝学」裳書房
  5. シンガー「人間の遺伝学」関谷剛男訳、東京化学同人
  6. 「体外受精マニュアル」(「臨床産婦人科」1995年8月、医学書院)

 尚、直接の関係はないが、生殖に関する倫理学・法律学的な文献を、いくつか挙げ ておきたい。

  1. 京都大学文学部倫理学研究室編『ヒトゲノム解析研究と社会との接点』(第一集は 在庫切れとなったため、現在FD版を作成中。第二集は在庫あり。)
  2. 北海道大学法学部・東海林邦彦編『生殖医療における人格権をめぐる法的諸問題 』
  3. 三菱化学生命科学研究所社会生命科学研究室『生命・人間・社会』
  4. 生命倫理研究会・生殖技術研究班『生殖技術と私たち』

以上


KATO Hisatake <kato@bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu July 26 16:45:21 JST 1997