最新・生命倫理学入門

加藤尚武

2000年5月10日


イントロダクション

英米型の医の倫理は生命倫理学(Bioethics)と呼ばれてもいる。その原則の中 心を占めているのは、他人に危害を加えない限り公共機関などの他者から制約 を受けないという「他者危害原則」である。ところがこの原則では処理できな い事例が増えてきた。典型的な問題はクローン人間問題であるが、生殖援助技 術(ART=Assisted Reproduction Technology)でも、他者危害原則の限界が見え てきている。医の倫理では、インフォームド・コンセントを徹底して自由主義 の原則を確立するという動きと、その自由主義の限界を脱却して生殖医療、遺 伝子治療などの実用的なガイドラインを作成しようとする動きとが、同時的に 進行している。医療技術の情報化、医療全体のEBM(Evidence Based Medicine) 化と環境ホルモン問題に見られるような社会環境と医療との結びつきが重視さ れるにつれて、医の倫理の重心が個人の自己決定(Self-decision)から公共選 択(public choice)に移動してきているという点で、ダイオキシン問題など生 命への危害防止にかかわる環境倫理学との接点もでてきた。


1. 古典的自由主義の限界

自由主義とは「自己決定権に制限を加えることができるのは危害原理のみであ る」という立場である。したがって、医療行為を法律で禁止できる場合は「医 療行為が患者などに危険もたらす可能性がある場合に限る」という考え方が有 力である。

自由主義の医療倫理を要約すると次のようになる。(1)(valid consent)成人で 判断能力のある者は、(2)身体と生命の質を含む「自己のもの」について、 (3)(harm-principle)他人に危害を加えない限り、(4)(the right to do what is wrong 愚行権)たとえ当人にとって理性的にみて不合理な結果になろうとも、 (5) (autonomy)自己決定の権利を持ち、自己決定に必要な情報の告知を受ける 権利がある。

このタイプの理論には次のような代表的な難問がつきまとう。

  1. パターナリズム(paternalism)--- 患者の意志を否定する方が患者の利益になる場合、 親心的な一方的措置(paternalism)はどの限度まで許されるか。
  2. 代理決定(proxy consent)--- 患者の代理で決定する人間は「輸血拒否」のような愚行権の行使も許されるか。
  3. 対応能力(competency)--- 患者の医師との対話し応答する対応能力 (インフォームド・コンセントの可能な限界)をどのようにして評価するか。

しかし、今ではこの理論的枠組みをすりぬけるような問題が続出している。他 者危害原則を唯一の規制原理とする自己決定論では、クローン人間、代理母、 男女の生み分け、精子売買、卵子売買、臓器売買、二人の同性愛者の遺伝子を もつ実子出産、優生主義的な選択的人工妊娠中絶、優生主義的な遺伝子操作は 規制できない。古典的自由主義では、規制不可能な事例をどのように扱うかと いうのが、生命倫理学の新しい課題である。


2. エホバの証人の輸血拒否(古典的自由主義)

エホバの証人の治療をめぐって、まず東京地裁判決(一九九七年平成9年3月12 日)、東京高地裁判決(一九九八年平成10年2月9日)、最高裁判決(2000年平成12 年2月29日)があった。「輸血をしないで欲しい」と文書まで出した女性信者 (一九九二年平成4年8月に68歳で訴因とは別の理由で死亡)に輸血を行ったとい う事件である。精神的苦痛を受けたとして遺族が東大医科学研究所付属病院の 医師と国に計1200万円の損害賠償を求めた。

肝臓の右葉付近の腫瘍の摘出手術で東大医科研の医師に「手術中いかなる事態 になっても輸血をしない」と約束してほしいと、免責証書を交付したにもかか わらず、1200ミリリットルの輸血をした。医師側では、免責証書は患者の一方 的な通告にすぎず、「いかなる事態でも輸血しない」と約束したわけではない という。

医科研にはガイドラインが定めてあって、1. 治療拒否はしない、2. 輸血は極 力避ける、3. 緊急の場合は輸血を行うというものだった。まず、信仰上の患 者の主張よりも、医師が自殺幇助の疑いを受けることは避けるという方針も含 まれていたかもしれないが、まず救命こそ医師の任務だという倫理的姿勢が感 じられる。手術中予測した1500ミリリットルを超える2245ミリリットルの出血 があり、輸血以外に生命を救えないと判断した。

東京地裁の判決は、輸血拒否は自己決定権の濫用であるとみなしているようだ。 中心となるポイントは「輸血しないという特約は公序良俗に反するので無効」 (民法90条)という点である。

この「公序良俗」判決が東京高裁判決(平成10年2月9日)でひっくり返った。東 京高裁は、請求を棄却した1審を変更し、計55万円の支払いを医師側に命じた。 稲葉威雄裁判長は「人の生きざまは自ら決定でき、尊厳死を選択する自由も認 められるべきだ」と踏み込んだ判断を示し、「救命手段がない場合、輸血する という治療方針を女性に説明すべきだった」と述べた。「治療法をめぐり患者 の自己決定権を明確に認めた判決は初めて」と9日の毎日新聞は論評している。

判決は、絶対に輸血しないという条件で手術をして、患者が死亡した例があり、 その場合にも医師が刑事責任を問われたことがないと指摘している。日本医師 会や大病院も輸血無しの手術を認める見解を示している。法曹界でも患者の意 思決定を尊重する見解が多数発表されているなどの現状も指摘している。

女性の絶対に輸血しないという要望を病院側は明確に承認しておらず、輸血に ついて合意は成立していないと認定したものの、病院側が説明義務に違反し、 患者の自己決定権、信教上の良心を侵害したと認定した。つまり、高裁では 「自己決定に必要な説明を十分せず輸血する場合、輸血が救命に必要だったと しても説明義務を怠った違法性は免れない」と判断した。、医師には患者が判 断して同意するために必要な説明をする義務があると指摘した。医師側は「輸 血の可能性がある」という説明を怠り、手術を受けるかどうか選ぶ機会を与え ず違法であるとして、東大医科学研究所付属病院の担当医3人と国に55万円の 損害賠償の支払いが命じられた。

高裁は「人が信念に基づき生命をかけても守るべき価値に従い行動することは、 公共の福祉などに反しない限り違法ではない」として、絶対輸血しないという 特約があっても公序良俗に反しないと判断した。また自己決定権について「交 通事故による救急治療など特別な事情がある場合を除けば人生の在り方や、死 に至るまでの生きざまを自ら決定でき、尊厳死を選択する自由も認められるべ きだ」とした。(厚生省は97年4月、輸血には患者本人の同意を得ることを義務 化しいる。)

最高裁判所判決の主文は「本件上訴及び付帯上告を棄却する」という短いもの である。「患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、 輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような 意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならな い。・・・上告人らは、右説明を怠ったことによりXが輸血を伴う可能性のあっ た本件手術を受けるか否かに意思決定をする可能性を奪ったものと言わざるを 得ず・・・」というのが、判決の趣旨であるが、しかし高裁判決と厳しく対決 する一面を最高裁判決は含んでいる。

最高裁判決は「患者の自己決定権は、自己の生命の喪失の結果となる選択まで 含むものではない」と述べて、生命に危険が及ぶときには輸血するという東大 医科研の態度そのもが不正でも非倫理的でもなく、ただ、その方針を告知して いなかった説明義務違反のみが問題となるという判断を示した。高裁判決では 輸血をしたこと自体が不正であるという判断内容であるが、最高裁判決は輸血 をしたこと自体は正しいが、説明義務違反があったという判断である。最高裁 判決は「X医師らは手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずると判 断した場合には、Y(患者)に対し、医科研としてはそのような事態に至ったと きは輸血するとの方針を採っていることを説明して、・・・本件手術を受ける か否かをY(患者)自身の意思決定にゆだねるべきであった」と述べている。


3. 信仰上の輸血拒否の成立条件

判決の内容に私の意見を加えて、整理すると、信仰上の輸血拒否が合法化され る条件は、次のようなものではないかと思う。

  1. 成人で判断能力がある者の真摯な明示的委託がある。
  2. 性転換手術と違って消極的な措置(真性不作為)である。
  3. 教団の内部で信者の自由意志が尊重されている。 患者の自由意志の確認義務が医療側に存在するとは言えないが、 医師は患者に「輸血拒否はいつでも撤回できます」 とだめ押しをする必要がある。
  4. 一五歳以下の子どもの場合、親等による代理決定が可能か、 どうかはおおいに問題となる点である。 私の判断では、 命を失う危険のある愚行権の行使に代理決定は成立しないと思う。 代理決定は、「患者の最善の利益」(PBI=PATIENT'S BEST INTERESTS) の代弁であるべきだと思う。
  5. 法律の領域では自殺権は成立していないが、 輸血拒否が直ちに死に至る場合もそれが合法かという問題がある。 つまり、輸血を回避した場合に医学的に生存の可能性がまったくなくても、 医師による自殺幇助とならないかという問題である。 これは積極的安楽死と消極的安楽死とは法的に同じ意味かどうかが 問題になったときに、ビーチャムの出した問題と関係がある。 つまり「積極的な安楽死では結果は100%の死であるが、 消極的安楽死では100%ではないので、 両者を区別することができるという論法である。 輸血拒否の場合、たとえ医学的には100%の死が帰結する場合でも、 法的には100%だと評価するというのが帰結主義的解釈である。
  6. 医師の側からの治療拒否権は成立する。 医師法19条「診療に従事する医師は、診療治療の求めがあった場合には、 正当な事由がなければ、これを拒んではならない」の適用対象となる。 患者に愚行権の行使を認める以上、 その選択に同意できない場合には医師の側に治療拒否の権利が成立する。

4. 正常と異常という基準は使えるか(性転換手術の倫理問題)

常識的には「異常な身体を正常な身体にすることは治療行為であるが、正常な 身体を異常な身体にすることは傷害行為である」という基準が使われる。ここ で想定されている「正常と異常」という枠組みそのものを批判する声もでてい る。色盲、同性愛、左利き、近親相姦、麻薬使用、ダウン氏症などに、「正常 と異常」という基準を使うことは、社会的偏見であるというのである。

「正常と異常の区別には客観性がない」という主張の代表的なタイプに、 (1)連続説 (2)変動説 (3)少数派擁護説 (4)自然原因説などがある。

たとえば埼玉医科大学で1998年に行われた性転換手術を「異常な性同一性意識 を正常な性同一性意識に転換するための治療行為である」評価するのか、それ とも「正常と異常という区別が存在しない以上、患者の要望に従うのは当然で ある」と評価するのか。

(1)同一事例が過去の判例では違法とされている。(2)男性性器を人工的に作成 することはいかなる意味でも「治療」ではありえない。(3)もしも患者の意識 が正常化したら、ふたたび同じ不幸に陥るが、救済の方法がない。

ホルモン療法、心理療法で治療効果のない性同一障害患者の性器を外科的に変 容させるのである。これは「異常な状態を正常な状態にすること」という本来 の治療の概念とはそのままでは一致しない。「局部的に正常な器官を不可逆的 に異常な状態にする」という過程を含むからである。

1969年に性転換手術を行って有罪になった医師の例では「故なく生殖を不能に することを目的として手術してはならない」という「優生保護法」の規定が適 用された。つまり治療目的ではない便宜的な外科手術の利用は禁止するという 考え方である。埼玉医科大学倫理委員会でも便宜的な利用を排除するためのガ イドラインを作成(1997年5月28日)している。

性転換手術の正当化の条件。(1)患者が男性器を持たないことに精神的に耐え 難い苦痛を感じていて、個人の性別の決定に際して、脳のなかの性同一性意識 と性器の形態とが不一致である場合に、脳のなかの性同一性意識を重視する。 (2) 脳内の性意識と性器の一致を、性器の生殖機能よりも重視し、性転換手術 によって患者が喪失する正常な機能とそれによって得られる精神的な利益と比 べたとき、精神的な救いの利益の方が大きいと判断する。(3)脳のなかの性同 一性意識が、胎児段階の脳の性意識の形成段階で生じたもので、極めて安定的 で治療不可能であり、性転換手術をする以外に、この苦痛を解除する方法がな い。(4)患者自身が自己の性同一性意識に従うことを希望し、その場合にのみ 手術による損失について十分に理解した上で、インフォームド・コンセントが 可能になる。


5. 個人には医療にたいするどんな権利があるか

(1)根治型治療は、病気の原因をなくしたり、病気の結果が現れたりするのを 防ぐ措置である。根治型治療には、患者の側に医療アクセス権が請求権として 成立し、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛 生の向上及び増進に努めなければならない」のだから、公共機関は根治型治療 を受けることが可能になるように措置しなくてはならない。

(2)救済型治療は、病気の原因そのものは除去できないし、根治することはで きないが、患者を医療技術によって苦しみや不便さから救うことである。医師 が「これは根治できないが、救済方法はある」と判断すれば、国民の側には受 ける権利が発生している。患者の側に医療アクセス権が自由としての権として 成立するが、しかし必ずしもで公共機関は医療を受ける可能になるように措置 しなくてもよい。(保健の適用外としてもよいが、可能なかぎり適用すべきで ある)。

(3)非治療型身体介入---治療の対象となる障害が存在しないにもかかわらず、 医療技術を用いて「患者」の希望を達成するもので、生体臓器移植の際の臓器 摘出、美容整形、人工妊娠中絶、割礼などが行われているが、実行するには社 会的な承認を必要とする。社会的な承認を経てはじめて自由としての権利が成 立する。たとえば西欧社会では、医師がある種の割礼を行うことを禁止してい る。

臓器移植、遺伝子治療は根治型の治療であって、その正当化にコンセンサスを 必要とするわけではない。人工授精、人工肛門、バイパス手術、血液透析、生 体検査、生体臓器移植の際の臓器の摘出など、直接に疾患の原因となる患部を 正常に戻す行為とは違う医療行為ではあっても、厳密な意味での根治型治療に とって不可欠であって、それと同じ法的な意味をもつものもある。

救済型治療とは、病気(異常)の存在が客観的に診断可能であって、根治型治療 の不可能なものである。男性の精子数が異常に少ないという診断が成立して初 めて、顕微受精は救済型治療となるのであって、大量の子どもを作るために顕 微受精をする場合には、(3)非治療型身体介入と見なされるべきである。


6. 不妊治療の類型

不妊の根治型治療が不可能で、救済型治療になるものを人工的に援助して子ど もを出産させる技術が開発されている。これらの中には、従来の概念では自然 な子ども作りとして認められていなかったものがある。これはもしも(3)非治 療型身体介入と解釈するなら、社会的な承認が成立しないので禁止するという 可能性もあるが、しかし、(2)救済型治療とみとめることが可能であるなら、 それを許容しても良いはずである。

妊娠・出産には次のような八つの類型がある。


    1. 不妊でない普通の夫婦の場合    自精子、自卵子、自子宮
    2. 借り腹(ホストマザー)の場合     自精子、自卵子、他子宮
    3. 卵子だけ提供を受ける場合     自精子、他卵子、自子宮
    4. 代理母(サロゲートマザー)の場合   自精子、他卵子、他子宮
    5. ドナーによる人工授精(AID)の場合  他精子、自卵子、自子宮
    6. AID+ホストマザーの場合        他精子、自卵子、他子宮
    7. 精子と卵子の提供の場合        他精子、他卵子、自子宮
    8. 完全他人の場合                他精子、他卵子、他子宮

まず「子どもを生んだ女性をその子の母とする」と定めるとする。すると他人 のお腹を借りて子どもを生んでもらう契約をしても、その生んだ人が実母なの だから、子どもを産むことを依頼した人は、実母にはなれない。つまり、借り 腹(ホストマザー)も、代理母(サロゲートマザー)も禁止する。理由はこうであ る。実際に子どもを自分のお腹で育てた人は、産まれた赤ちゃんを自分のもの だと思わずにはいられない。この気持ちを否定するような態度を無理にとると さまざまの精神障害が発生するおそれがある。

古い哲学には、「譲渡してはならないもの」という概念があった。たとえばお 金をもらって、プロテスタントからカソリックに改宗することは、宗教的信念 という譲渡してはならないものを譲渡する罪であるという理論があった。生ん だ子の母であることは、絶対に譲渡してはならないことであると考えるのがよ いと私は思う。すると、生んだ子を養子に出すことも禁止するのかと聞く人が あるかもしれない。子どもを生んだ女性をその子の母とする場合には、生んだ 子を養子に出す場合でもその子の親として法律的に記録が残され、その子の母 としての決定権を行使する形になる。こういう理由で「他子宮」を原則的に排 除すると人工的に援助された出産について吟味しなくてはならないのは、次の 3つの場合だけである。


    3. 卵子だけ提供を受ける場合     自精子、他卵子、自子宮
    5. ドナーによる人工授精(AID)の場合  他精子、自卵子、自子宮
    7. 精子と卵子の提供の場合        他精子、他卵子、自子宮

この中ですでに正式に行われているのは、5.ドナーによる人工授精の場合(他 精子、自卵子、自子宮) である。1949年に慶応大学で始められ、現在までに約 一万人の赤ちゃんが産まれたと言われている。法律的は、現在は夫の実子とし て扱われ、慶応大学では精子の提供者・受容者の記録を残しているが、子ども に精子の提供者を教えることはしていない。

5. ドナーによる人工授精の場合(他精子、自卵子、自子宮)が事実上、社会的 な承認を得てしまっている以上、3.卵子だけ提供を受ける場合(自精子、他卵 子、自子宮)も同等の扱いにすべきであると私は考える。ドナーによる人工授 精の場合(他精子、自卵子、自子宮)では、夫は子どもの遺伝学的な父ではない が、卵子だけ提供を受ける場合(自精子、他卵子、自子宮)には、夫が子どもの 遺伝学的な父であるという点で、もっとも自然に近い形である。

7. 精子と卵子の提供の場合(他精子、他卵子、自子宮)は実用的にはもっとも 可能性があると言われる。現在の人工授精技術では、凍結保存した未受精卵を 使って授精させることはできないので、不妊治療を受ける人は、受精卵を凍結 して用いている。10個の受精卵を用意して、九個目で妊娠すれば、1ケの受精 卵があまる。これを提供してもらう可能性はある。

3. 卵子だけ提供を受ける場合(自精子、他卵子、自子宮)だと、卵子の提供者 は数週間病院に通ってホルモン注射を受けた上で、手術に近い形で卵子をとり ださなくてはならない。ここには危険が伴うので、できれば3.卵子だけ提供を 受ける場合(自精子、他卵子、自子宮)は避けたいと思う医師も多い。不妊治療 を受ける人は、凍結した受精卵を用いるので、不妊治療を受けている人が、不 要になった未受精卵を提供する場合は事実上存在しない。するともっぱら卵子 を提供するだけのために卵子摘出という危険を自発的に冒す人が必要になる。 諏訪クリニックの根津八紘氏が手がけた場合では、妻の妹が提供者になってい る。しかし、そうした提供者が見つからないときには、たとえば「卵子提供者 に30万円差し上げます」という報酬を提供して卵子を得ることになる。

精子の提供者、卵子の提供者は子どもにたいして何の権利も義務もないことを 法律的に確定する必要があるだろう。その子どもにはしかし遺伝的な親を知る 権利がある。子どもが将来結婚するときに、相手の人と遺伝的な近親関係になっ ていないかどうか知りたいという場合が考えられる。他方、子どもが遺伝病で あることが疑われる症状を示しているので、遺伝的な父親の病歴を知りたいと いう場合もある。子どもが自分が父親とあまりも似ていないので不安になり、 自分の遺伝的な親を知りたいと思う場合もあるだろう。要するに、子どもが自 分の遺伝的な親を知りたいと思う理由には、近親相姦の回避、遺伝病の診断と いう合理的な理由もあるが、漠然とした不安に駆られて、「本当のお父さんは どこにいるか」を知りたがるという非合理的な理由もある。イギリスでは、情 報管理センターをつくって、合理的な理由による問い合わせには、提供者の名 前を知らせずに、近親性と遺伝病の照合結果だけを知らせている。日本でも、 いずれにせよ、遺伝的な親についての情報提供の可能性をつくらなくてはなら ない。しかし非合理的な理由で親の名前などを知りたいという子どもの要求を 認めるかどうかは、難しい問題になる。精子の提供者には、子どもに対して一 切の権利・義務が成立しないという約束をしている。提供者が、遺伝的な子ど もに名前や履歴を知られるとすれば、そこには親としての精神的な負担が掛かっ てくる。子どもに遺伝的な父を知る権利を認めるなら、精子の提供者を確保す ることは、ますます難しくなる。

精子の提供を受けたり、卵子の提供を受けたりする人は、正式の夫婦でなけれ ばならないだろうか。せっかく子どもを得たのに、法律上の父と母が、子ども を厄介者あつかいしたりしないだろうか。などいろいろの心配があるので、正 式の夫婦でないと人工授精などを受けられないという考え方をする人が多い。 子どもに対する養育の責任を確保するためには、正式の夫婦であるという条件 を付けた方が安全だというわけである。現代では、籍を入れた夫婦と籍を入れ ていない夫婦とを法律的に同じに扱うべきだという意見が有力になってきてい る。たとえば扶養手当の支給とか遺産の相続とか親子関係とかで差別しないと いう考え方である。これに対して生まれてくる子どもの権利確保のために「籍 を入れて下さい」と要求することは、差別扱いとは言えないだろう。妊娠と出 産には八つの型があり、その中で不妊治療という枠に入る6つの型のうち、 「他子宮」という型を除いた三つの型を、社会的に見て許容可能であるとみな し、入籍した夫婦に限り、精子・卵子の提供者は子どもにたいして何の権利も 義務もないことを法律的に確定した上で、遺伝情報管理センターで情報を管理 して子どもの出自を知る権利を保障するというガイドラインができあがるだろ う。実際の運用に当たっては、卵子の提供者をどのように制限するとか、さら にさまざまの技術的制約が付く。

人間と技術という視点で、こうしたガイドライン作りを観察すると、人間が技 術開発で拡張した自分の可能性を子どもの権利など技術以外の倫理的・法的・ 社会的意味(ELSI=Ethical Legal Social Implications)から調べ直して逆に制 限するという構造になっている。手短に言うと、技術的に拡張した可能性を倫 理的・法的・社会的に制限している。

生殖援助のガイドライン

(1)技術的に安全性が成り立つ、(2)生まれる子どもが法的な地位をもち、親か ら十分な配慮と愛情を注いでもらえる、(3)子どもの遺伝的な情報について正 確な記録が残される、(4)救済治療であって便宜的な利用ではない、(5)過剰な 商業化を招かない、(6)優生主義とならない、(7)出生の人為的な操作の可能性 に不要な拡大をしない、(8)当事者が十分な説明を受けて自発的に同意してい るということである。


7. 細胞工学の安全性

読売新聞(1999.11.8)に見出しは「人間と牛の細胞融合…東京農大」というの だった。記事の内容は、東京農業大(東京都世田谷区)の研究者らが、人間の細 胞を牛の未受精卵に移植し、「異種間融合胚(はい)」と呼ばれる細胞を作製し ていたことが、八日までにわかった。核の遺伝子はすべて人間由来というこの 牛の細胞は、試験容器内で培養したところ、通常の受精卵が育つ時と同じよう に分裂を開始した。成人の体細胞を、あらかじめ核を除いた牛の未受精卵に入 れた。その際に微弱な電気を加え、分裂の開始を促したところ、三回分裂して 止まった。

11月12日には、東京農業大学学長から文部大臣への説明書が届けられた。それ によると経緯は、国立国際医療センターX博士からの依頼で、「ヒト白血病細 胞の分化誘導療法開発の一環として、除核したウシ卵子への白血病細胞の核移 植による研究に協力してほしい」と依頼されて、試行的実験として開始された。

  1. 10年10月13日にX博士からヒト白血病細胞株(K562)が送付された。 東京農業大学のY教授はその細胞培養をおこない増殖を確認し、 11月の実験まで凍結保存した。
  2. ウシ卵子を卵巣より採取し、炭酸ガス培養器内で培養した。 翌日、顕微鏡下で卵子の核を除き、 これに培養しておいたヒト白血病細胞を導入し、 電機融合装置により細胞融合を行った。 これら卵子を炭酸ガス培養器内で培養し、12時間ごとに観察した。
  3. 27個の卵子に移植したが、2細胞期以上に分裂した卵子数は8個、 そのうち2個が8細胞期まで分裂し、その後分裂は停止した。
  4. 使用した経費は10000円相当で、科学研究費は使用していない。

まずこの実験が文部省の指針に違反していないか、どうかが問題になった。文 部省指針第3条には「ヒトのクローン個体の作製を目的とする研究又はヒトの クローン個体の作製をもたらすおそれのある研究は、行わないものとする。2. 前項の趣旨にかんがみ、ヒトの体細胞(受精卵、胚を含む)由来核の除核卵細胞 への移植は、研究においてこれを行わないものとする」と書いてある。「ヒト のクローン個体の作製をもたらすおそれのある研究」と言えるかどうか。「ヒ トの体細胞(受精卵、胚を含む)由来核の除核卵細胞への移植」というとき、人 間の赤ちゃんができる前に、細胞を破壊して生殖過程を止めさせるなら、許容 されるのか。文面上の「除核卵細胞」はウシでもヒトでも当てはまるのか。そ れともヒトだけに当てはまるので、ウシの場合は指針に反したことにならない のか。Y教授が「ドナーがヒトである場合でも、レシピエントがヒトでなけれ ば違反していない」と誤解する余地はなかったか。しかし発生の専門家の間で はこの文章に誤解の余地はないのであって、「除核卵細胞」はウシでもヒトで も当てはまると解釈するのが自然だそうである。

新聞に載ったY教授の話では「牛と人間の融合胚なら、いずれは分裂が止まり、 どちらの子宮に戻しても着床せず出産には至らない。このため、クローン人間 作りにつながる実験との批判は受けないと思っていた。しかし、公的なルール 作りが進んでいる点を考えれば、軽率だったといわれてもしかたがない」(11 月8日14:32 読売)韓国でもヒトクローンを途中まで作ったという事件があり、 その場合には「細胞分裂が行われても子宮に着床させなければ、個体は発生し ない」と弁明されている。しかし、3条規定ですでにそのような言い逃れは禁 止されていると解釈される。着床以前の細胞分裂を「発生の準備」として違法 扱いしているのではなく、細胞分裂の過程そのものを違法扱いしているからで ある。

もう一つの問題点は、文部省指針第4条「大学等の研究者は、計画している研 究について、前項の規定に違反するおそれがある場合又は同条の規定に違反す るとの疑いが生じるおそれがあると考えられる場合においては、当該研究を実 施するに当たって、あらかじめ当該研究が同条の規定に違反しないことについ て、大学等の長の確認を受けるものとする。2. 前項の確認を求められた大学 等の長は、次条に定める審査委員会及び文部大臣に意見を求めるものとする」 という規定があり、当然、倫理委員会を作って、そこの認可を受けなければな らなかった。

X博士がヒト白血病細胞株(K562)をどうやって入手したかといえば、多分、ア メリカで実験用の資料として流通しているものを入手していたのだろう。アメ リカでは1980年に、国立の組織バンク(National Human Disease Interchange=NDRIが移植、診断、治療および希少疾病の研究のために、ヒト細 胞や臓器を入手して、研究者に供給している。1997年までにアメリカ、カナダ、 ヨーロッパ、日本の研究者2200人以上に125000件以上の臓器、組織を供給して きた。

日本にもこのNDRIと提携契約を結んだ機関があってすでに活動している。1992 年2月にHAB協議会(Human & Animal Bridge Discussion Group)が設立されて、 1996年からヒト脳死肝臓を入手して配布している。またアメリカの別の機関 IIAM(International Institute for the Advancement of Medicine)で作られ たヒトの肝細胞をすりつぶして代謝機能が含まれている部分を遠心分離したヒ ト肝ミクロゾームが、ドナーの年齢、死因、病歴、人種などの情報を付けて、 数万円で販売している機関もある。日本の試薬会社ではIIAMから入手した肝細 胞と薬物を培養(incubate)して、薬物の代謝産物を測定する受託業務(十数万 円) を行っているところがある。

HAB協議会からだされた報告書には、「新鮮ヒト肝臓は手術摘出材料の場合は 肝炎ウイルスをはじめ未知のウイルスの汚染材料である恐れが多分にある。こ の故に取扱者の安全性の確保、教育、訓練ならびに梱包の警告表示など全般に わたった細心の規則が必要である」と書かれている。

第一に、ことなる機関のあいだのダブルスタンダード状況という問題がある。 先ほど例に挙げた東京農業大学の事例について、問題が共同研究から始まった という点に着目して見たい。東京農業大学のY教授は、家畜の発生工学のトッ プを行く研究者で、ドリーを作ったイギリスのロスリン研究所にも留学経験が あり、その研究者としての力量は高く評価されている。円満で誠意あふれる人 柄で、今回の出来事の背後には、Y 教授の善意が感じられるほどで、けっして 暗い影はないと思う。問題はウシの研究とヒトの研究の接点で発生していると いうことである。ドリー誕生以来、日本でも科学技術庁、文部省、厚生省でガ イドラインの審議が行われたが、「家畜に関して研究は完全自由、ヒトについ ては当面は全面禁止」という骨格のものであった。

似たような構造がヒトの研究の中にも発生する可能性がある。民間の製薬会社 と医療機関の共同研究、アメリカの研究機関と日本の研究機関の共同研究が行 われたとき、一方ではヒト組織の資料は事実上有料で取り引きされており、他 方では原則として無料で取り引きされている。たとえば日本の厚生科学審議会 が出した答申案の一つに「研究実施機関の長は、試料等またはそれから得られ た遺伝情報を国内外の営利を目的としている団体の研究実施機関が行う遺伝子 解析研究のために提供する場合には、提供元において行われている匿名化の方 法、提供先における利用目的、責任体制について、書面で契約を結ばなくては ならない」と書かれている。同一の試料が倫理基準の違う二つの研究機関の間 で流通するという場面では、つねに倫理基準に違反する扱いを受ける危険があ る。また研究交流が、無料で提供された試料を入手するためのトンネル組織に 使われる可能性も否定できない。Y教授の実験が1万円で行われたとすると、ヒ トについての研究も畜産部門に委託するという経済的なメリットが成立する可 能性がある。

第二に、無償原則の空洞化という問題がある。経済的な問題について、やや古 い資料であるが、日本組織培養学会の中間報告書には、つぎのような内容が書 かれている。支払いは避けたいという立場はフランス的な立場である。支払う という立場は米国的な考え方である。「博愛主義的な無償提供は理想的である が、必要なヒト材料を賄えないとき、必ずブラックマーケットが生ずる。これ を容認してはならない。また、本人の善意によってヒト材料を提供する場合に おいても、善意に対して無償を強いるのではなく、代価を支払おうとする態度 自体は好ましいとする立場である。」(日本組織培養学会「組織・細胞培養に おけるヒト組織・細胞の取り扱いについて」中間報告書、1995年4月、11頁)

無償という原則のもとで「ただし実費支払いは認める」という但し書きがつき、 たとえば自分の研究室の学生から試料を提供させて「交通費1万円」とか、医 薬品の治療による試験に協力してくれる患者さんに、一回通院のたびに「交通 費に見合う五千円のプリペイドカード」を渡すということが、実際に行われて いる。無償原則の空洞化が進んでいる。

第三に、特許の問題がある。アメリカでは組織を提供した人が、その組織を使っ て上がった利益の配分を得る権利があるという主張をしたひとがいるそうだが、 たとえば「研究の結果得られた成果が知的所有権等の対象になる場合、それら の権利は提供者に帰属するものではない」(科学技術会議生命倫理委員会ヒト ゲノム研究小委員会「ヒトゲノム研究に関する基本原則」案、平成12年4月10 日、第3節17項)と書かれていて、日本では組織の提供者は特許権を持てない。 これは特許がそもそも自然界に存在するもについて成り立つのではなく、特許 の対象が「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」という日 本の特許法の定義からして、当然の措置である。しかし、私の身体から取った 細胞を使って、製薬会社が巨額の利益を挙げているとき、私に何の配分もない ということに私の胸は収まりがつかないかも知れない。すると、組織の提供を するときに、もしもこの組織の利用によって巨額の利益が挙がったら、自分も 配分にあずかるという条件付きで提供しようと考えたくなるだろう。そもそも 利潤追求を目的とした薬品作りに有益な組織を無料で提供させるという仕組み がおかしいという批判もでるだろう。

第四に、プライヴァシー保護の問題がある。血液を提供しても、必要な検査が 済めば、それが誰の提供した血液であるかという情報は消滅させてしまう。連 結不可能匿名化の措置という。私が精子を提供して、それで誰かが赤ちゃんを 産んだとき、私が精子を提供したという情報は保存しておく。そうでないと私 の遺伝上の子ども同士が結婚するという危険を避けるためには、情報を保存す る必要がある。しかし、子ども達に貴方の遺伝上の父は加藤尚武ですと教える わけではない。これを「連結可能匿名化」の措置という。

遺伝子解析研究では、原則として試料は「連結可能匿名化」の状態で使われて いる。すると、私のDNAが培養されて生き続けている限り、いつか私のDNAを使っ て私の子どもを作るひとが出てくるかもしれない。

細胞工学の安全性にかんして、まず、ウイルス感染やヤコブ病感染など直接に ヒトに危険が及ぶ場合がある。つぎに、そこから人間性そのものを脅かす生物 が生まれる可能性がある。これはヒトの同一性への危険である。第三に、個人 の情報が、記録という形で管理されて安全性が確保されるのではなくて、実物 そのものが情報となって流通する危険がある。こうした細胞工学の可能性を考 えると、いままでの科学と技術の関係では、考えられていなかったような新し い倫理基準が必要であると思う。

第一に、すべての細胞工学の研究内容が公開されるべきだと思う。民間企業が 利潤目的で行っている研究では、その内容を公開すれば研究の経済的な価値が なくなってしまうという事情があって、すべての研究が公開されているわけで はない。特許という形で、あとになって公開され、公開される代わりに、その 内容の独占的利用権が確立されると言う方式の限界も見えてきている。

第二に、試料が私有物であるからと言って、その処理を所有主の意思で決定で きるという所有の原則が、細胞工学の試料では成り立たないという観点に立つ べきである。たとえ私有物であっても、その物質の中には人類に共通の情報も、 その提供者に固有な情報も含まれている。厳密に言えば、ヒト組織の資料はも はやモノではない。提供者の承諾を得ることは、それを用いることの必要条件 ではあっても十分条件ではない。研究目的そのものが倫理性を持たなくてはな らない。

第三に、核移植によってクローン人間を作る可能性が見えてきた段階で、ヒト 組織を用いた研究開発の倫理基準は、全面的に見直されなくてはならないのに、 基準案そのものが、ばらばらな寄せ集めの状態である。しかも、もしも現在の ばらばらな基準案の状態で起こりうる最悪の事態を想定したら、だれも自分の 組織を提供しなくなる可能性がある。危険を国民に知らせない限りで研究開発 が可能になると言う体制は根本的に間違っている。どうしたら、科学の現実を 十分に知らせて国民の同意を得ることができるのか、個人レベルのインフォー ムド・コンセントだけではなく、国民的な規模でのインフォームド・コンセン トが課せられている。

第四に、ヒト組織の限りない商品化に対して、国際的にダブルスタンダードが できないような体制をつくることなしに、それを防ぐことができない。無償原 則のなし崩しの空洞化に対して、今、私たちが細胞工学の長期的な視点にたっ て、はっきりとした見通しを確立しなくてはならない。無償原則を空洞化させ ないという方式を確立するのが、商品化をやむを得ない流れととらえて、商品 化による弊害を防ぐという方法を採用すべきであるのか。現在の世界の流れは、 どっちつかずのままでなし崩しに、変化していくという状況である。(以上)


参考文献

(かとう ひさたけ kato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp)


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KATO Hisatake <kato@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sat May 13 01:53:48 JST 2000