パーフィットにおける人格の還元主義と配分的正義

鶴田尚美

はじめに

道徳理論において、人格（person）は重要な概念である。一般的に、人格は道徳的責任や義務、権利などの主体である。また、道徳的問題を論じるに当たっては、利害を考慮する単位となることも多い。多くの哲学者たちが人格固有の価値や不可侵性(inviolability)について語ってきた。

だが、デレク・パーフィットは、次のような問いをわれわれに投げかける。われわれは、それほどまでに人格という概念を重視すべきなのだろうか。それはこの概念の実質を捉え損ねてはいないだろうか。人格の価値について語るとき、われわれが本当に価値を置いているものは何なのか。自分自身の生にとって真に重要なものは何なのか。通念を取り払って考えてみてはどうだろうか。

本稿では、パーフィットが提唱する人格の還元主義と、この人格概念が道徳理論、特に配分原理と平等論に与える影響について検討する。配分原理と平等に関する道徳的議論では、ジョン・ロールズの名がしばしば挙げられる。ロールズによれば、社会の各構成員は不可侵性と人格の別個性(separateness of persons)をもつ。人々は、互いにはっきりと区別された存在者であり、ある利益が私にもたらされるのと他人にもたらされるのとには道徳的に重大な違いがある。したがって、各人が得る利益の配分は、道徳的に考慮すべき重要な問題である。パーフィットは、このような見解を、われわれの人格概念を見直すことから再検討する。

1.人格に対する二つの信念

『理由と人格(以下RPと略)』第3部は、時間を通じた人格の同一性(Personal Identity)を主題とする。ある時点のある人物と、他の時点でのある人物を同一人格だと見なす基準は何か。

1-1.非還元主義

パーフィットが、通常、多くの人々が抱いているであろうと想定する信念が、非還元主義(Non-Reductionism)と呼ばれる信念である。第一の非還元主義は、パーフィットの主な議論の対象となる、人格の本質を実体として考えるタイプである。このタイプの非還元主義は、「私は考える実体である(Descartes, p.91)」と述べたデカルトを代表的論者とし、バトラーやリード、さらに現在でもスウィンバーン(Swinburne, p.33)らによって支持されている。彼等によれば、人格の本質は非経験的な実体である。

第二の非還元主義は、実体説をとらないタイプである。この種の非還元主義者たちは、人格が非経験的な実体であるとは主張しない。しかし彼等も、人格というものは経験から独立した概念であり、心理的関係や物理的関係には還元できない何かがあるはずだと主張する。パーフィットは、この還元不可能なものを「さらなる事実(further fact)」と呼び、このタイプの非還元主義を「さらなる事実の見解」と名づける(RP, p.210)¹。

いずれのタイプの非還元主義であるにせよ、共通する特徴は、人格の同一性は経験的事実によっては説明し尽くせないと考える点である。例えば、私の経験(大学に行った、散歩をした、友人と会った、転んで怪我をした、など)を網羅したとしても、まだ私が同一の人物であると言うには不十分である。なぜなら、そこには、経験する主体である私というものが抜けているからである。さらに、経験的事実は一過性のものでしかない。記憶は徐々に薄れていき、身体は年月が経つにつれ成長し、やがて老いていく。しかし、川を流れる水のように消え去っていく経験とは独立に、自分について内省すれば、私は常に確固として存在する。だから、たとえ記憶を失っても、腕を一本切断したとしても、あるいは15歳の少女が70歳に年老いたとしても、依然としてそれは一人の私である。私とは、世界の中でただ私のみが内省によって直知しうる存在なのである。

¹ 「さらなる事実」の内容についてパーフィットは述べていない。実体説をとらない非還元主義の主張には、「生の形式」には人格という概念が必要である(ウルフ)、カント主義的な人格の実践的必要性(コースガード)、物語的統一をもった人格という概念の必要性(チャペル)などがあり、これらが「さらなる事実」の実質的内容と考えられる。

1-2.還元主義

人格の本質について上と対立する信念が、還元主義(Reductionism)である。還元主義者によれば、人格の同一性は、なんらかの経験的事実に還元可能である。代表的論者としては、ロックやヒューム、ウィリアムズなどが挙げられる。例えば、ロックは人格の同一性を意識の連続性に求め、ウィリアムズは身体の連続性に求める。還元主義者が主張するのは、ある人物の存在は、ある脳と身体の存在や、相互に関係するさまざまな物理的、心理的出来事²に還元できるということである。したがって、人格の同一性もまた、いくつかのさらに細かい物理的、心理的事実に還元できる。

パーフィットは、非還元主義が完全に誤りであるとも、還元主義が真だとも断定しない。むしろ、非還元主義者には、自らの主張を経験的には論証する手段がないと考えている。例えば実体説を支持する非還元主義を考えてみよう。われわれは、いかなる経験的事実によっても、この実体を指示することができない。つまり、ある人を同定するために、固有名、心理的特徴、身体的特徴などを用いることはできない。他人によって同定できないだけでなく、当人自身も自分が同一の実体であるかどうか知ることはできない。例えば、この実体が真に存在すると仮定しよう。そして、現在、私の中に存在している実体が、突然に他の人の中にいる実体と入れ替わったとしよう。このような事態が起こったとしても、私の身体や脳や心理状態、あるいは言動に全く変化は生じない。では、誰がその事実を知るのだろうか。このような場合、単に周囲の人々がこの実体の交換に気づかないだけでなく、当の私自身がいかにして経験的にそれを知りうるのかが不明である。果たして、このような見解を支持することに意味はあるのだろうか。また、われわれにとって信じうるものだろうか。それよりも、われわれ自身が経験的に知りうる何らかの特徴に還元する方がより理解可能な説明であろう。パーフィットは、還元主義の方が、経験的に有意味な説明を与えることができると主張する。

² 出来事(events)には、ある行為の遂行、ある考えの思考、ある経験の生起などのほかに、信念や欲求の持続なども含まれる(RP, p.211)。

2.人格の還元主義による人格の同一性の基準

われわれが自分自身や他人についてもつ信念が還元主義であるか否かに応じて、人格の同一性の見解もまた変化する。では、現在の私と過去(あるいは未来)の私は同一か。同一ならば、その基準は何か。非還元主義によれば、人格を諸経験から独立に規定するのだから、当然ひとりの人は生涯を通じて同一である。還元主義では、必ずしもそうは言えなくなる。というのも、身体や脳の細胞、記憶や欲求など、ひとりの人を構成する要素は、時間が経過するにつれて徐々に変化していく。あるものは長時間維持されるかもしれないが、あるものは短期間しか存在しないかもしれない。これらの要素が変化した結果として､何十年も離れた未来あるいは過去の人格が、現在とは異なる要素から成る人格であることも十分ありうる。つまり、人格の還元主義では、遠い過去あるいは未来の時点の自己が、物理的、心理的に、現在の自己と同一ではないこともありうることになる。

したがって、還元主義をとるならば、人格の同一性という概念そのものは重要性をもたない。パーフィットによれば、われわれが人格の同一性について議論しているとき実際に重要視しているのは、同一性という概念それ自体ではなく、この概念を構成する要素である。パーフィットは、この重要な要素とは、記憶や欲求、意図といった心理的関係の持続であると言う。心理的関係には、心理的連結性(psychological connectedness)と心理的連続性(psychological continuity)とがあり、これらはR関係と総称される。一つ目の関係すなわち心理的連結性は、個々の直接的な心理関係であり、過去と現在の記憶などが維持されている期間に成立する。二つ目の関係の心理的連続性は、複数の心理的連結性が切れ目なくひとつに繋がっている状態を言う。

これらの二つの関係のうち、心理的連結性は、ロックを始めとして多くの哲学者達によって論じられてきたものである。ある人が同じ人物であると言うには、直接の心理関係が失われても維持できる心理的継続性だけではなく、記憶や欲求を直接的に持ちつづけること、すなわち心理的連結性が維持されていることもまた不可欠である。現在と昨日あるいは明日とでは、ほとんど同じ記憶や欲求をもつのだから、ほぼ同数の心理的連結性が維持されているだろう。けれども、遠く離れた過去や未来と(例えば5歳の時点や80歳の時点)と現在では、非常にわずかな数の心理的連結性しか保たれていないかもしれない。そこで、心理的連結性の数を基準として、自己の持続も程度の問題として考えることができる。パーフィットはこのような考え方によって再構成された自己を「引き続く自己達(Successive Selves)」と呼ぶ(RP, p.302)。心理的連続性と多くの心理的連結性がある期間を「私」、心理的連続性はあるが心理的連結性がほとんどない場合は「自己」とする。つまり、現在の私と多くの心理的連結性をもつ人物を「私」と呼び、心理的連結性が少ないために、今の私と同一だとは思えない過去あるいは未来の人物を「自己」と呼ぶことにするのである。心理的連続性がある限り全くの他人になってしまうことはないが、時間的に遠く離れた人物は「過去(あるいは未来)の自己の一人」と呼ばれることになる。

この「私」と「自己」の区別は、本人の恣意的判断だろうか。そうではない。「私」とは認めず「過去の自己」と呼ぶのは、過去の人物と現在の私との間にほとんど心理的連結性が維持されておらず、過去の人物に何ら関心を抱いていないということである³。

さらに、このような呼び方を用い、ある人が私かどうかがR関係の程度であるといっても、「私」が瞬間的にしか成立しない存在者となるわけでもない。われわれの記憶はそれほど簡単に失われるものではない。性格特徴もまた、一般的に長期的に持続するものである。欲求の中には短期的なものもあるだろうが、数年間もちつづける長期的な欲求もある。人によっては、生涯を通じて一つの目的をもちつづけることもあるだろう。還元主義をとったとしても、このような心理的特徴からなるR関係の持続によって、程度の差はあれ長期的に存在する人格を想定することができる。

このように人格に対する信念を見直すことが重要なのは、これによって、われわれのもつ合理性概念に大きな影響が生じるからである。伝統的には非還元主義が自明視されていたので、われわれの行為については自己利益理論(Self-Interest Theory)が説得力あるものとされてきた。自己利益理論は、生涯を通じて自己利益を最大化するよう行為することを行為者に命じる。例えば、現在の私には不利益となる行為であっても、長期的に見て不利益を十分に埋め合わせることができるのならば、この行為は合理的な、なすべき行為である。ところが還元主義的信念をもつのなら、自己利益理論は非還元主義者に対してもつほどの力を発揮できない。還元主義的に人格を理解するならば、われわれの同一性は程度の問題であり、私は必ずしも生涯を通じて同一人格だとは断言できない。したがって、現在の自分が50年後になるであろう老人の利益(例えば、健康や財政状態)を考慮しなくても、それを不合理であるとは言えないかもしれない。なぜならば、非還元主義では、私が私自身の利益を気にかけることは極めて当然のことだと思われていたが、還元主義ではそうではないかもしれないからである。

³「私」から「過去の自己」への変化については、Parfit1971で詳細に論じられている。

3.人格の還元主義と道徳

では、このような人格の還元主義が道徳原理に与える影響について考えてみよう。

パーフィットはRP第3部第15章で、パターナリズム、責任、コミットメントなどを論じている。本稿ではそのうち配分的正義、とりわけ平等原理に関する議論を取り上げる。

3-1.功利主義に対する批判

パーフィットが取り組むのは、人格の別個性にまつわる功利主義批判の見直しである。RPにおいて、パーフィットは功利主義を支持すると明言しているわけではない。だが、彼が提言する道徳理論は、行為が誰に影響するかは重視しない行為者中立的な帰結主義であり、概ね功利主義的であるといえる。

人格の別個性という点から功利主義を批判する近年の代表的論者はロールズである。ロールズの『正義論』によれば、社会の各成員は正義に基づく不可侵性をもつ(Rawls, p.3)。この不可侵性は、利益の考慮に優越する。ゆえに、ある人が不利益を被ることによって他の人々が利益を受けるといった、個人間の利益の相殺は拒絶されねばならない。しかし、功利主義者は、この不可侵性を直接には重要視できない。さらに、功利主義はひとりの人(理想的な観察者)の判断を集団に適用しようとしていると非難して、ロールズはこう言う。

……これを行うことは、諸個人の複数性（plurality)と個別性（distinctness)を真剣に考えていないし、これらを人々が同意するであろう正義の原理としても認識していないのである(Rawls, p.26)。

このような批判の後にロールズ自身が提出する正義原理は、個人間の配分の差異とその是正を重視する。正義の二原理は次のように表される。

第一原理
各人は、全ての人の同様な自由の体系と両立するかぎりでの、平等な基本的自由の全体系を最大限度までもつ平等な権利を有するべきである。

第二原理
社会的、経済的不平等は、
(a)……最も恵まれない人の最大の利益となるよう取り決められるべきである。……。(Rawls, p.266)

ロールズによれば、正義という観点からは、自然的、社会的偶然(生来の資質や環境、運など)から生じる配分の不平等を無批判に許容することはできない(Rawls, p.63)。だが、功利原理は、利益の総和のみを正不正の基準とする。従って、すでに不遇な状況にある人々が他人の犠牲となり、さらに不遇な人生を送ることを理論上は排除できない(Rawls, p.157)。これに対して、ロールズの提示する正義原理のうち第二原理(格差原理)は、不遇な状況にある人の利益を優先的に考慮するよう命じる。この原理は人々の完全な平等を要求するものではない。しかし、偶然的理由によって生じた不平等を最小化するような仕方で、結果として人々の状態ができるだけ平等に近づくことを目指す。このようなロールズの主張は、一般的に平等主義(egalitarianism)と称されている。

パーフィットは、ロールズの平等主義的主張に対し、平等原理と人格に対する信念との関係、そして平等それ自体の価値という点から検討を試みている。

3-2.配分原理の改訂 (1)適応範囲

最初に検討されるのは、配分原理の適用範囲である。次の例について考えてみよう。

子供の不利益。われわれは、ある子供にある不利な条件を課すかどうか決定せねばならない。もし、われわれがそうするなら、この不利な条件は、次のどちらかになるだろう。
(i)成人になったときの、この子供自身のより大きな利益になる。あるいは、
(ii)別の誰かの―例えば、この子供の弟の―同じくらいの利益になる。(RP, p.333)

選択肢はこの二つしかなく、どちらか片方を必ず選ばねばならない。このような決定を迫られた場合、多くの人々は、「たとえ現在は不利益となっても、それがこの子供自身の将来の利益になるのなら不正ではない」という理由によって、(i)の選択を支持するだろう。おそらくロールズも、 (i)は認められるが、(ii)の選択は個人の不可侵性を侵害するのだから不正であると言うだろう。功利主義者は、一般的にその方がよいからという理由で(i)を支持することもありうるが、状況によっては、(ii)の選択を正しいとすることもありうる。その場合、受益者が誰であるかということではなく、利益そのものの大きさによって判断がなされる。功利主義者は、しばしばこういった判断をおこなうだろう。これが、人々の別個性を軽視しているとして非難される点である。人格に関する信念は、このような事例において、どのように影響してくるだろうか。

人格について非還元主義的信念をもっている人々は、(i)を選択することが多いだろう。現在も将来も同じ人物であるという前提があれば、「その人自身の利益になるのだから」という理由で、将来の利益のために当人が被る現在の不利益を正当化しやすいだろう。しかし、還元主義をとれば、この正当性は疑わしくなる。子供が10歳の時に受ける不利益が利益となるのは30年後だと仮定してみよう。30年の間に、10歳の子供の人格を形成していたさまざまな心理的特徴は、大きく変化するであろう。一般的に言って、10歳の子供と40歳の大人との心理的つながりは、かなり弱いものでしかないだろう。そうなると、現在のこの子供は、他人の利益のために不利益を受けるのとよく似た関係にあることになる。このような議論によって、パーフィットは、配分原理の適応範囲を広げる必要があることを示唆する。つまり、ひとたび複数の人格間での配分原理を採用するのならば、個人間の配分だけではなく、時間を通じた個人内の配分についても考慮せねばならないのではないだろうか。個人内の利益の不平等もまた不正とみなすことになるのではないだろうか。

この疑問は、功利主義を擁護するものではない(RP, p.334)。しかしながら、配分原理をとると仮定したとしても、仮に人格の還元主義が正しければ、ロールズの主張には首尾一貫性が欠如しているかもしれないことは示されたであろう。上の例の場合に個人間の利益の埋め合わせが不正だというのなら、「将来の自分」の利益のために現在の自分の不利益となる行為を選択するのもまた不正となるかもしれない。それでもなおロールズが配分を重視するのならば、彼は個人内の配分をも重視せねばならないかもしれないのである。

3-3.配分原理の改訂 (2)重みづけ

次の功利主義批判は、配分原理の軽視と最大化に関するものである。功利主義は、集団内の利益から不利益を差し引き、結果として得られる利益が最大となることを目指す。功利主義の最大化に対するロールズの批判は、この方法が、別々の人々のもつ欲求を一つに混ぜ合わせてしまうというものである。ロールズによれば、功利主義は「全ての欲求を混ぜ合わせる(conflating)という仕方で、一人の人間にとっての選択原理を社会に適用してしまう(Rawls, p.26)」。つまり、個々人のもつ別々の欲求や必要性を足し合わせ、それぞれを区別しないというものである。

パーフィットは、このような批判に対して、「なぜ、ロールズは、一個人の内部での最大化は否定しないのだろうか」と問う。実際、ロールズは次のように書いている。

考えてみると、各人は自分自身の利益を実現するときに、確かに自分の利得と損失を自由に比較考量している。われわれは、後のより大きな利益のために、現在の自分自身に犠牲を強いることもあるだろう。少なくとも他人に影響しないとき、人は自分自身の最大善を達成し、できる限り自分の合理的な目的に向かって前進するよう、まさに適切に行為しているのである。(Rawls, p.21)

そしてまた、利益の最大化が認められるのは、行為者の視点からだけではない。他人についても、その人の人生の内部で利益を最大化することは、大抵は正しいとされている。例えば、医師が患者の利益を最大化する治療を選択したり、親が子供の利益を最大化するよう配慮したりすることもまた、正しい行為とみなされるだろう。そして、それが正当化されるのは、「一つの生の内部だからだ」という根拠によることが多いだろう。だが、このような説明は正しいのだろうか。功利主義者は反論するだろう。「最大化が正当化されるのは、快いものはよく、苦痛は悪いからである。そして、悪いものは少なければ少ないほどよく、よいものが多ければ多いほどよいからである。それで十分な理由となるはずである。また、快苦が誰のものであろうとも、苦痛が悪く快はよいということは変わらない。人格の別個性は最大化批判の根拠とはならない。(RP, p.334)」あるいは、こうも反論するだろう。「われわれが一般的に平等を評価する場合であっても、その理由は、平等を重視した方が全体として帰結がよいからである。平等は、ただ派生的な価値だけをもつのであって、結果を抜きにしてそれ自体では道徳的重要性をもたない(RP, pp.339-340)」。

さらに、経験者と経験の時点との関係からも、パーフィットは平等原理の問題点を指摘する。前述のように、還元主義者にとって、ある経験が「誰のものか」ということはそれほど重要ではないかもしれない。それと同じように、「いつ起きた経験か」ということも重要ではないかもしれない。しかし、人格の別個性を道徳的に重大なものだと考える人々は、経験が誰のものかと同様に、経験が起こる時点によっても重大な違いが生じると考えるだろう。ロールズの格差原理は、現在不遇な状態にある人々の利益を、彼等が不遇な状態に置かれてきたという理由から優先的に考慮することによって、その不利益を埋め合わせる利益を与えるよう命じる。では、次の例を考えてみよう(RP, p.341)。現在、AとBというふたりの人たちが苦しんでいると仮定する。われわれは、どちらか一人しか助けることができない。Aを助けた方が、成果が大きい(彼らが病人であると仮定したなら、Aの治療の方がうまくいくと予想される)。しかし、過去により一層苦しんできたのはBである。この場合、われわれは、どちらを助けるべきなのだろうか。パーフィットは、ここで平等それ自体を優先的に考慮するならば、Bを助けることになるだろうと主張する。なぜなら、それによって、両者の生涯における苦しみの量が平等に近づくからである。たとえ、Bを助ける効果がほとんどなく、助けられなかったAが一層苦しむことになるとしてもである。果たして、この選択は理にかなっているのだろうか。

異なる選択肢もありうる。これによれば、われわれが目指すべきものは、平等それ自体ではない。配分がどうであれ、人々の苦しみができる限り小さいことである。むろん、この選択肢をとるにせよ、配分原理をまったく無視することはできないだろう。だが、ロールズほどに平等を特別視することは、われわれには無益であるように見える選択を支持することにもなりかねない。

もし、人格の還元主義をとるとすれば、ある人の利益を考えるときに、生涯全体を考慮の単位とすることには説得力がなくなる。それよりも、特定の時点を単位とする方が、個人間の配分だけでなく、個人内の配分についても、より偏りない考慮ができる。これを認めるならば、よりよい原理とは、最も恵まれない立場にある人々の生涯を改善することではなく、特定の時点で人々が陥る最悪の状態を改善することである。パーフィットによれば、この原理は、利益の最大化ではなく、苦痛の最小化を目指す消極的功利主義(Negative Utilitarianism)と一致する。どれだけ過去の人生において恵まれてきた人であっても、他の人々と比較して最も悪い状態にあることがありうる。例えば、生得的、社会的に恵まれた環境にある人が、ある時点では重い病に苦しみ、激痛を感じているかもしれない。パーフィットが示唆する原理は、この時点では、一番苦しんでいるこの人の苦しみを除去するよう命じる。この原理は、生涯の利益の量や配分とは無関係だからである。

パーフィットは、人格について還元主義的な信念をもったなら、われわれは経験の質そのものに対して現在よりも大きな関心を持つようになるだろうと主張する(RP, p.341、p.346、p.446)。なぜなら、私が還元主義的信念を抱くならば、未来の自己が得るであろう利益のために現在の私の利益を犠牲にすることの正当化や動機づけが自明ではなくなるからである。なぜ現在の私が、遠い未来の自己の利益を気遣わなくてはならないのだろうか。未来の自分と現在の私が同一だという保証がないのであれば、われわれは、むしろ現在の私がどのような経験をするか、私がもつ欲求と必要がどのようなものであるか、どのような快楽や苦痛を得るのか、どのような満足と不満足を得るのかといったことに強い関心を抱くだろう。そうなれば、還元主義者にとって、引き続く自己たちの系列全体が得る利益の総和がどれだけ大きいかということは、現在の私が得る利益や欲求に比べれば、重大な関心事ではない。少なくとも、非還元主義者ほどには関心をもてないだろう。

この場合、われわれにとって重要なのは、生の統一や経験をもつ存在者ではなく、実は、その生の統一の要素である、さまざまな経験そのものなのである。このように経験と経験の質それ自体をより重視することは、経験に対する欲求を重視することにもつながる。ここで判断基準となるのは、欲求の強さそのものでしかない。かくして、人格の還元主義は総和的、非個人的な功利主義的アプローチに接近することになる。

3-4.パーフィットの議論の評価

仮に、われわれが人格の還元主義を採用することが理にかなっているとしても、パーフィットの議論に対する疑問はいくつかある。

まず、一般的に、われわれの心理的関係は長期間に渡って維持されているだろう。確かに心理的連結性には程度があるが、老人になった時に、子供の頃の経験を完全に忘れてしまう人は少ないだろう。還元主義の基準によっても、生涯を通じて「同じ私」と呼べる場合もあるかもしれない。それならば、非還元主義をとる場合と比較して、実践的にどれだけの違いがあるだろうか。

この疑問を、シューメイカーは次のように述べている。還元主義をとったとしても、「私」は一定期間にわたって存在するはずである。心理的連結性によるこの持続性を「さらなる事実」の代用とし、人格の形而上学的統一体の根源として考えることは可能である(Shoemaker, p.197、p.198)。そうであるならば、「さらなる事実」が存在しないと仮定しても、実際には非還元主義と変わりない。

さらに、シュルツは、自分自身に対する関心という点から、たとえ還元主義をとったとしても、自分と心理的連結性をもつ人には、全くの他人には対してはもたない特別な関心を抱くだろうと言う。現在の私は、自分が現在持っている記憶や性格に強い愛着をもっているかもしれない。もしも私が、これらの記憶や性格などを保ちつづけることに関心をもつならば、それらの記憶や性格などをもたない別の心理関係と私との間には、まだ違いがある。そして、この違いには、人格の別個性と同じ道徳的重要性をもたせることができる。他人との間では容認不可能な利害の埋め合わせも、自己たちの間では可能かもしれない(Schultz, pp.736-737)。

ブリンクはさらに、この違いは合理的利己主義の根拠として認めることができると言う。つまり、還元主義をとったとしても、現在の私に連なる自己たちの利益を長期的視点で考慮すべきだと言うことができるのである(Brink, pp. 126-129)。

このような批判は、おおむね妥当であるといえよう。

例えば、私が、現在ある行為を決定すべく思考していると仮定しよう。この決定に際して、私は、現在の自分がもっている信念や欲求について考えるだろう。そして、私が十分に反省的であれば、それらの信念や欲求がどのように形成されてきたのかについても考えるだろう。熟慮の中で、現在の私は、過去の自己が持っていた信念や欲求と、現在の自分がもつ欲求との関係についても考えるだろう。私が還元主義者であるならば、遠い過去の自己はもはや「私」ではないかもしれない。しかし、今の「私」が持つ心理的特徴は、おそらく多くが過去の「自己」に由来するものであろう。たとえ心理的連結性が減少したとしても、過去の「自己」は、心理的つながりを一切持たない他人とは異なる。それは、例えば私が祖母や母親に対して抱く感情と似ているかもしれない。私は、自分の母や祖母が多くの点で自分とは異なっていることを発見する。同時に、いくつかの点で似通っていることを発見することもある。自分と彼女達との間に心理的、物理的な連続性があることを再認識したりもするだろう。このように、私と母や祖母との関係は、まったく面識のない人々との関係とは性質を異にする。そして、私が彼女達に対して抱く関心についても同じことが言えるだろう。確かに、人格の還元主義者が自分の将来についてもつ関心は、非還元主義者とは違い、特権的あるいは排他的なものではなくなるかもしれない。そして、その分、他人に対する関心が増すことがあるかもしれない。だが、やはりそれでも、現在の私がやがてなるであろう将来の自己に対する関心は、私といかなる意味でも無関係な他人に対するものとは異なるであろう。

4.むすび

仮に、パーフィットの支持する人格の還元主義を採用するのならば、少なくとも、非還元主義が想定しているよりも、われわれの生が統一をもったものであるかどうかは不確実になると言うことができる。仮に平等主義的な配分原理を採用するにせよ、個人の一生を配分の単位にすることが正しいとは言えなくなるかもしれない。また、配分原理をとるにしても、われわれは、個人間の配分の平等に加え、個人の人生内の配分についても考えねばならないであろう。

さらに、各人が生涯に受ける利益の総量を平等にするという平等原理は、帰結を無視した、われわれには不合理とも見える選択を支持してしまうことにもなりかねない。

このような例について考えて見ると、各人の一生を単位とし、人々の生の間に深い境界を設ける非還元主義よりも、還元主義をとるほうが、一貫した説明ができるといえる。一貫性があるというだけでなく、われわれにとって、より説得力ある説明でもあるだろう。

また、本稿で挙げた例のように、平等主義的選択が、誰の利益にもならず、誰の状態も改善されない帰結を招きうるものであるのだとすれば、そもそも、なぜ平等が道徳的に重要なのか、理解が困難になる。平等であることそれ自体に価値はあるのだろうか。重要なのは、平等から帰結する人々の状態の改善ではないだろうか。そうだとすれば、多少の不平等があったとしても、人々の状態が全体としてよりよいものになることこそが真に重要なことだと言いうる。

このようなパーフィットの議論に異議を唱える人々も多いだろう。しかし、例えば、もっと視点を広げ、未来の人々について考えてみよう。彼らは、いまだ存在しない人々であり、特定の誰かではありえない。すると、経験が誰に属するかを重要視する非還元主義に基づいた道徳原理では、未来の人々の利害に対する配慮をうまく道徳的思考の範囲に収めることができないかもしれない。このような問題に直面したとき、どの時点のどの人にでも適用可能なパーフィット流の非人格的な原理の方が、理論的に一貫した説明ができるとは言えるであろう。

RP以後の著作において、パーフィットはさらに具体的に、平等主義に潜むいくつかの問題を議論している。本稿ではこれらの議論に立ち入ることはできないが、RPでの平等論批判は、さらに追求されていく。今後、われわれは、パーフィットの議論を生かしつつ、平等原理の再考を促すことはできるだろう。その際、彼のいくつかの示唆は、われわれが議論を深めていく中で重要な手がかりとなっていくだろうと思われる。

5.文献

Brink, David, O. : “Rational Egoism and Separateness of Persons”, Dancy Jonathan (ed.), Reading Parfit, Blackwell, 1997, pp.96-134.

Descartes, René : Discours de la Méthode, J. Vrin, 1992.

Parfit, Derek (Parfit1971) : ‘On “The Importance of Self-Identity”’, The Journal of Philosophy 68, 1971, pp.683-690.

------------------- (RP): Reasons and Persons, Oxford, 1984. (森村進訳、『理由と人格』、勁草書房、1998年)

Rawls, John (Rawls) : A Theory of Justice (Revised Edition), Harvard University Press, 2000.(矢島鈞次監訳、『正義論』、紀伊國屋書店、1979年)

Schultz, Bart : “Person, Selves, and Utilitarianism”, Ethics 96, 1986, pp.721-745.

Shoemaker, David W. : ‘Utilitarianism and Personal Identity’, The Journal of Value Inquiry 33, 1999, pp.183-199.

Swinburne, Richard : ‘The Structure of the Soul’, Peacocke, Arthur and Gillett Grant (eds.), Person and Personality ― A Contemporary Inquiry, Basil Blackwell, 1987, pp.33-55.

(つるたなおみ博士後期課程1回生)