多元文化主義

多元文化主義の問題とは、一つの社会あるいは国家の中での複数の文化、文化共同体の共存の問題、その相互の関係はいかにあるべきか、をめぐる問題である。その背景には、現代という時代にあって、交通・コミュニケーション手段の発達によって促進される、政治的・経済的理由に基く個人レベルを越えた人間の集団的移住の激増という現実がある。その際、見落としてはならないのは、二つ以上の文化が全く対等に並存しているということは現実としてはありえず、常に、一方がより強力で他方は非力であり、つまりは、問題は少数派と多数派との関係として浮上してくるという点である。それゆえ、多元文化主義の問題とは少数派文化の保護に関する政策をめぐる問題である、と捉えることもできる。そこには、複数の文化が存在の場を共有し相互に影響を及ぼし合う時、自然の成り行きに委ねていたのでは少数派に属する文化は生き延びることができないという危機認識がある。つまり、複数の文化が相互交渉の場に置かれる時、すべての文化の良いところを部分要素として含む世界文化が生まれるなどと考えるとすれば、それは度外れた楽天主義であると言うしかなく、実際には、一つの強力な文化が他の文化をのみ込んで支配を広げてゆく、言うなれば痩せ細った世界文化への一元化が起こるということこそむしろ実状に近いだろう[注」。だとすれば、少数派文化は一定の強制を加えてでも保護されねばならないという話になる。ここには、多数派と少数派との力関係をめぐって、自然界であれば淘汰の名のもとに支配している原理を、文化の世界ではまかり通らせまいとする意志が表明されている。そしてその際、強制が加えられるのが個人に対してであることから、リベラリズムとの間に衝突の可能性が生まれてくるのである。

その論考「承認の政治」で、この問題を考える上で大きな寄与をしたチャールズ・テイラーは、リベラリズムの政治を「尊厳の政治」と名付ける[注]。即ち、「人間が人間であるかぎりにおいてだれでも有しているとされる人間としての尊厳」に定位し、これを尊重することを第一の原則とする政治である。市民の間に「一流」と「二流」の区別が生じることがあってはならない。テイラーによれば、この「尊厳の政治」が依拠する、市民を等しく尊重せんとする原理は、「差異に対して目をつぶる態度」を求めてくるという。というのも、「あらゆる人間は等しく尊重されるべきである、という見解は、誰においても同じであるものに、もっぱら関心を集中することになる」(Taylor, 33)からである。

ところが、少数派文化が拠り所とするものとは、まさに、すべての人々によっては共有されていない特殊な何物か、多数派に対しての差異、に他ならない。とすれば、「差異に対して目をつぶる政治」は、原理的に、少数派がグループとして共有し自己同定の根拠とする特殊性・個性を切り捨てることになり、もって、少数派文化の自己同一性の根拠を奪うことに貢献してしまうことになりはすまいか、差異に目をつぶることが、文字通り「差異に対して盲目」であることになり、結果、少数派文化に対して抑圧的に働くことになるとの誹りを免れないのではないか、という疑念か生じてくる。こうして、少数派の共有する文化的特殊性を別個に保護する、いわば「特別扱いの政策」が必要であるという主張がなされることになる。この特別扱いの政治を、テイラーは「尊厳の政治」と対比して「差異の政治」と呼ぶ。「尊厳の政治」が差異には目をつぶってすべての人を等しく尊重するよう求めるのに対し、「差異の政治」は特殊なるものをこそ評価・承認し、それどころかこれを庇護し振興すべしという。両者の間にある対立をテイラーは次のように言い表す。「第一の構想は第二の構想を非難する、それは差別をしないという原則に抵触すると。第二の構想は第一の構想を非難する、それは人々に均質で一人一人に適しているとはいえない形式をおしつけることで、彼らの自己同一性を否定していると。」(Taylor, 33f)

多元文化主義は「差異の政治」を推奨する。テイラーはカナダのケベック州でフランス語系住民として育つという(カナダ全体からみれば)少数派としての出自を持つ人だが、彼によると、そのケベック州では、例えば次のように定める法律が制定されているという。｢フランス語系住民はその子供を英語が話される学校に通わせてはならない。」「五十人以上の従業員を持つ会社では仕事時の言葉はフランス語でなければならない。」「宣伝用の街頭ポスターではフランス語以外のいかなる言葉も禁止する。」(Taylor, 45) ここでの問題は、これらの政策が、少数派文化の保護という集合的目標を個人の意志決定権よりも優先する点にある。文化共同体の意思が個人に強制されることを容認するのである[注]。

ここでは「人生の実質的内容に関して中立的な国家」というリベラリズムの国家理念が挑戦を受けている。つまり、「リベラルな社会は良き生の理念に関しては中立の立場にとどまらねばならない。市民がいかなる人生観を持っているかを問うことなく互いに公正に関わり合い、国家がみんなを等しく取り扱うよう保証するという仕事に自制・専念しなければならない」(Taylor, 51)という理念が。(それに対して、ケベック州政府にとってはその政治の公理には「ケベックにおけるフランス文化の生き残りと繁栄は善である」ということが含まれているのである。)しかし、「尊厳の政治」、それが標傍する「人生の実質的内容に関する中立性」という主張に対しては、次のような疑念が投げかけられずにはすむまい。「尊厳の政治」は、「人間であるかぎりにおいて誰もがそなえる人間としての尊厳」は決して手放すことなく、それ以外の差異に対しては「中立」の立場を保つというが、それは本当か。文化の具体的な内容、「善き生」についての見解といったものに対し、本当に超越・中立的であるのか。むしろ、テイラーの次のような指滴の方が説得力があるのではないか。「リベラリズムは、すべての文化の交わりの場というようなものではない。むしろ、諸文化の中のある特定のスペクトルの表現なのであり、他の諸文化の他のスペクトルとは調和不可能である。」(Taylor, 57)

さらに、いかにも抽象的だが原理的な問題が存在する。少数派の文化は生き延びなければならない、それは保護されねばならないと、どうして言えるのか。テイラーは、この立場は「すべての文化は同等の価値を持つ」(Taylor, 63)との「想定」を土台としてはじめて可能となるものである点を特記している。しかし、諸文化の総体を鳥瞰して初めて可能になるようなこういう言述は、まさにそれこそ、人間の特定文化への内属の不可避性という観点にこそ依拠する共同体主義者が自らに禁じたはずのものではないのか。だからこそ、テイラーはこの論点を「テーゼ」として主張するのではなく「想定」という弱い言い方をする。「我々がそれをもって異文化を学ぶことを始めるべき出発点をなす仮説」 (Taylor, 63)という意味での「想定」である。つまり、実際に異文化が学習される過程でこの「想定」が修正されたり撤回されたりする余地は残すのである。

「文化の多元性は保護されるべきである」という主張は、「社会は多元文化的になるべきである」という主張とは区別して考えられるべきである。多元文化主義は、多様な文化が混淆する社会を目標として掲げるのではない。ラッズが強調するように、葛藤や緊張が避けがたいものとして属しているのが多元文化社会なのだから(Raz, 318ff)。社会の「多元文化」化は、めざされるべき理念ではなく、経済的・政治的原因によって押しとどめがたく進行する現実の趨勢である。問題は、他ならぬその趨勢こそが、多彩な文化の共存をではなく、少数派文化の消滅を帰結してしまうのではないかという点、つまり、不可避的に進行する社会の「多元文化」化こそが、文化の多元性を破壊してゆくのではないか、という点にある。文化の多元性を維持せんがためにこそ、他の文化に対して自らを一定閉ざすことが要請されてしまうという悩ましさも、そこから生じてくる。文化の多元性をまもるためには文化の隔離分散が必要になってしまうのか、文化の混在が同時に平和共存でもあるような可能性は考えられないのか。多元文化主義とは、他ならぬ多元文化社会の現実の中で、文化の多元性を尊重・擁護しようとする努力だ、ということができるだろう[注]。

Dept. of EThics <ethics@socio.kyoto-u.ac.jp>

Last modified: Wed Mar 13 04:38:10 JST 1996