共同体主義と医療倫理

共同体主義は、医療の倫理に関してどのような含意をもつのだろうか。本稿はこれについて考察する。共同体主義の独特の観点が反映されうる分野としては ──実際、これは現代問題となっている医療倫理のほとんど全般にわたるのだが──医師患者関係のありかた、インフォームドコンセントの適切な利用法や代理決定の位置づけ、中絶の是非、医師の守秘義務、医療資源の配分、臓器移植などが挙げられる。

共同体主義の基幹をなすのは、自由主義に対する批判を念頭においた以下の四つの主張である。すなわち、(1)原子論的個人主義の批判、(2)倫理的決定における中立性の否定、(3)「少数の一般的原理からの演繹」型の道徳的推論への反発、そして(4)(何らかの意味での)共同体に共有された善にもとづく道徳的推論の推奨、である。(これらの基本思想についての詳細な説明は本特集の他の報告に譲る。これらの主張がどのように連携しているかは問題になる点であるが、ここではとりあえず共同体主義はこれらの主張の全てをもっていると前提して話をすすめる)。自由主義とは、現代の社会のように、個人の権利を重んじ、国家や集団の圧力に対して個人を守る立場である。共同体主義者によれば、自由主義の立場は、国家ないし集団は個人が持っている善き生の概念には中立であるべきことを主張している。個性や自律を重んじるミルの功利主義やロールズの立場などがこの立場に属するといわれる。

共同体主義者が言うには、現代の趨勢を反映して今日の医療倫理においてもまた、個人の価値観は共同体から独立に形成されるものであって共同体はそのような個人の善き生についての意見に干渉せず中立であるべきだという姿勢をとり、個人の自己決定に全ての問題を任せようとする傾向が目立つ。そのため現代では、個性や権利やプライヴァシーがことさらに強調される一方で、医療倫理の議論の枠組みから実質的な道徳判断や特定の価値観、「徳」を語る語彙がぬけおち、我々は人生の目的、医療の目的、医療技術の限界、健康の意義、といった豊かな内容をもつ議論を欠くようになってしまった[注]。しかしまさに、医療倫理の論議が近年高まっているのに我々が何らのまとまった解決もだせずに論議し続けているのはこのせいなのだ、と共同体主義者は主張する。実際のところ、生命倫理に関する政策や法の決定──例えば判断能力を失った患者の延命治療の決定や、医療資源配分の問題、あるいは遺伝子操作の問題などは、すべて自己決定で片づけることはできない。死体からの臓器移植の問題にしても、生前の個人の意思決定を記したドナーカードは文書の内容が具体的な利用に役立てるには明細さに欠けるといったことから無効になることも多く、結局は家族が主たる決定者になっているのが現状である。また、中絶や終末期医療、安楽死などの倫理問題に関する決定は、どうしても倫理的中立は保てない。例えばサンデルによれば、胎児の中絶を認める決定や安楽死を認める決定は、そのようなことが道徳的に許容可能であることを意味することになるかもしれない(Sandel 1989, p.532.)。そこにはどうしても、生命観や人生観、健康の価値、生きる目的などについての実質的な道徳判断を持ち込まざるをえない、と共同体主義者たちは主張する。そして、この特定の善き生の概念を我々に共有させる源となっているのが、典型的な共同体主義者によれば、共同体とその伝統なのである。こうして倫理的決定においては、因習、伝統、社会の確かな安定性が大きな役割を果たすことになる。

何を共同体と呼ぶかは論者によって様々である(政治的単位としての州や国家であったり、あるいは家族なども含めたもっと小さな組織であったりする)が、基本的な特徴としては、共同体は、ある特定の共通善を持ち、それにコミットしているような人々からなる集団である。実際には確かに、共有されたしきたり、宗教、職業などの伝統が多くの共同体を定義するであろう。これらは善き生の概念を我々にはっきりと知らせる源になるからである。それゆえ、多くの典型的な共同体主義者は伝統をかなり重視する。

このような共同体主義者たちは、倫理的決定は共同体から独立の個人に任されるのではなく、その個人の人格や価値観を形成しているはずの共同体の共通善の観点からなされるべきだと考える。そのような決定は、共同体の社会的結束を重視する決定であるべきであり、また典型的な共同体主義者によれば伝統的慣習を重視するような決定でもあるべきである。(ただし伝統的慣習の重視とは、伝統・文化・慣習を忠実に守ることを指すばかりでなく、それらを受け継いでいることを自覚しつつ伝統的価値観に修正を加えながらそれに従って決定することを指すこともある。)

こうして、共同体主義の医療倫理においては、いずれの問題も、個人の権利に基づいてではなく、それぞれの共同体の成員たちが共有する具体的な価値観や慣習、そして共同体の結束に基づいて論じられる。例えばサンデルは、中絶を禁じる法律の是非を、従来の徳の概念に照らして再解釈する(ただし、伝統的に中絶が非難され禁じられてきたということをそのまま受け入れるわけではなく、従来の価値観の再解釈によっては中絶を容認することもできると言う。例えば「中絶を禁止することは、夫婦の家族計画の領域への政府の干渉によって、文化と伝統に培われ、社会的に重要な役割を果たしてきた結婚制度を侵害しかねない」といったことから中絶の容認がなされるというのである)。医療資源の配分は、共同体の機能を円滑にし結束を高めるような仕方で、そして共同体の善き生の概念に見合う形で処理されるだろう。死体臓器の移植についての政策についても、共同体主義なら、社会的に伝統的に重要な家族という単位に決定を任せることを正当化することができるという。すると実質的にはインフォームドコンセントは無効になり、代理決定は個人の権利が家族の決定を通じて発現されたものではなく、家族という共同体の権利によるものになりうる。さらに、臓器提供が足りないことから、共同体のプロジェクトとして臓器調達を進める政策を提案する共同体主義論者もいる。「我々は一つの社会として、必要のある市民に対して命を救い命を高める臓器を提供するコミットメントをしたのである」「共同体の成員は、コストがないなら喜んで他人の救命に役立つものを提供するべきである」というのである。さらに、死体の一部を共同体が管理・所有するといったことまで提案する人たちもいると言われる[注]。

しかし、これらの後半の主張のようにあまり極端な意見になると我々の本心にそぐわない部分が出てくるように思われる。共同体が我々にとって大切なものだとしても、なぜここまでして個人の自由より共同体の決定をとらねばならないのだろうか。

個人の権利や自由主義を強く否定してしまう共同体主義者に対しては、ビーチャムとチルドレスから次のような反論がある。第一に、「自由主義理論は原子論的で孤立した個人を擁護するだけで共同体の善を忘れ去っている」という自由主義の特徴づけは不正確かつ不公平である。ミルもロールズも共通善の理論や社会の伝統や政治的共同体の説明もまた展開している。第二に、自由の優先か共同体的決定の優先のどちらかしかない、という二分法は間違っている。我々が社会的役割や目標を伝統から受け継いでいるのは確かであるが、同時に個人や集団は自由な議論と集団のとりきめを通して我々の長年の信念を解釈し、訂正し、ときには共同体の価値を調節し育成するような新しい概念に置き換えて進歩していく。この自由主義は共通の善と両立できているように見える。第三に、個人の権利に対する共同体主義者の反論は、権利が共同体にとって価値のある帰結をもたらすということを取り落としている。個人に権利を付与することは、良心的でない行為に対する保護を提供し、共同体の秩序を保たせ安定させるのではないだろうか。

このような指摘を考慮してか、自由主義を認める穏健な共同体主義というのも出てきており、医療倫理に関しても新たな発言を提供している。例えば、エゼキエル・エマニュエルの「自由主義的共同体主義」が興味深い一例である (Emanuel, 1991, 1992ab. なお、エゼキエルと共同でいくつかの論文を書いているリンダ・エマニュエルと区別するため、以下では姓ではなく名でエゼキエルと呼ぶ)。彼もまた、共同体の政体によって決められるべき医療倫理の問題は、善い人生についての判断をその政体がもつことなしには解決できない、そしてその善き生の概念は少数の原理だけで判明するようなものではない、とする点で典型的な共同体主義者たちが論じてきたのと同じ主張をもっている。その上で、エゼキエルはさらに多元主義は認めなければならないという主張をつけ加える。ただし彼のいう「多元主義」は自由主義のように「何でも認める」というものではなく、尊敬に値する善き生の概念は一つ以上ありうる、ということを認めるものであるという。(「尊敬に値する」かどうかを何らかのシンプルな原理に基づかないでどのように判断するか、私には疑問であるが。)これらの点をうまく処するような社会機構とは、小さな共同体に分かれ、それぞれの共同体の中で市民たちが自分たちに共通の価値観を互いに明らかにし、確認し、その価値観を取り入れた政策決定に直接関わることができるような討議民主制である、とエゼキエルは提案する。こうしてエゼキエルは、医療のしくみについての具体的な方策として、比較的小さな──彼によると二万人程度の ──共同体に分かれて共同体健康プログラムCommunity Health Program (CHP) を設立し、その中での直接民主制、もしくは分野別などの委員会に分かれて討議した後公開討論をするという制度を提案する。この共同体は各人に共通の価値観を互いに討議しあい合意できる程度の大きさのものでなければならないので、国家よりも小さな地方の共同体になる。ただし一つの地域には種々の異なる善き生の概念によって複数の共同体が存在するはずであり、従って自分の価値観にあった共同体をみつけるのはそう難しくないはずだと彼は述べている。このようなしくみのもとで、各共同体は、中絶を容認する共同体もあれば認めない共同体もある、といった具合にそれぞれの価値観に基づいた CHPをもつことになる。

しかし、その共同体の価値観と自分の価値観との根本的な違いをどうしても感じる人は、別の共同体に移ったり、善き生の概念を共有する人たちと共に新しい共同体をつくってそれに参加することもできるとエゼキエルは言う。この点が、共同体と「伝統」をほとんど必ずセットで論じる従来の共同体主義者とは異なる点である。ただし彼がこう主張する根拠は、そのような価値観の根本的な衝突が持続することは、共有の観点を喪失させ、共同体の結束と存続を危うくすることになるから、という共同体の結束を重視する観点からのものであり、この点では個人主義的自由主義と言われているものとは異なる。もう一つエゼキエルの主張が典型的な共同体主義と違うのは、彼が個人の権利も認める点である。ただしそれも、自由主義者が言ってきたように個人の能力発展の機会を与えるものとして正当化されるのではなく、共同体の討議への参加を促進するものとして正当化される。こうして確立される権利は、討議を確保するのに必要な「言論の自由」その他の一般的な政治的権利と、各共同体がその特定の善き生の概念に従って認めるであろう権利 (例えば安楽死の権利など) である。こうして、このような制度は(ある意味の、ではあるが)多元主義を認めるし、個人の権利も認める点で「自由主義的」であるとエゼキエルは言う。その一方で、法や政策などの公共の決定は人々に共有された特定の善き生の概念によって正当化されること、そして共同体の結束という理念を中心においていることから、この立場は共同体主義的であるという。なお、功利主義は価値観の多元主義も認めるし共同体の決定も重んじる点でこの立場と変わらないように思われるかもしれないが、功利主義との違いは、単一原理ではなく特定の「徳」の概念から道徳判断を下そうとすること、そして共同体と呼ばれるものの範囲を全ての感覚のある存在にまで広げることはせず、共同体の討議に参加するだけの能力を持つ存在までしか含めないということである(このポイントは医療倫理よりも動物の扱いを論じる生命倫理で効いてくるだろう)。また社会の功利計算の結果に左右されないので権利の保証がより確実だとも彼は主張する。

エゼキエルの議論は確かに興味深いが、当初の典型的な共同体主義の主張とはかなりかけ離れたものになっていることは否めない。大きな違いは「伝統」の重みであり、共同体というものの意味である。エゼキエルの言う共同体は、典型的な共同体主義者が言っているような「歴史と文化と伝統をもち、地域に根付いているような意味での共同体」ではなく、単に意見の合う人たちの政治的な集まりにすぎないのではないか。これは本当に共同体主義と呼べるのだろうか？また、コミットメントの根本的な違いを感じる人は別の共同体に移ってもよい、と認めることは、「個人の価値観は共同体(の伝統)を背景にして作られる」という共同体主義の中心的主張を突き崩すことになるのではないだろうか？しかし、エゼキエルに好意的に言うなら、確かにエゼキエルの言う共同体は必ずしも長い歴史と文化と伝統をもつようなものではないが、各個人が自分で選んだ共同体はそれぞれ特定の価値観をはぐくみ、その共同体なりの物語をつくり、自分たちの歴史をこれから作っていくわけである。そうして形成された共同体の価値観は人々の道徳的推論の背景になるだろう。この点でエゼキエルは、人は共同体から切り離されて立っている原子論的な存在ではない、という共同体主義の重要な論点を取り落としているわけではない。そして確かに、共同体という理念を中心にもつのは、(自由主義の理論的欠陥によるのではないとしても、実践的に)共同体の重要性を忘れがちな現代の自由主義社会には失われていた傾向なのである。

エゼキエルの医療倫理におけるその他の具体的提案を見ても、現代の権利偏重の傾向とは確かに異なる論点が見いだされる。例えば医師患者関係については、最終的には患者が選択した治療法を実行するとしても、医師ははじめに最も感心すべきだと考えられる価値を患者にはっきりと言い、積極的な道徳的論議を通じて時には患者の価値を改めさせるべきであろうという。これは単に医師が情報を与えてあとは患者の自己決定に任せるような関係ではなく、医師と患者が共有する、あるいはもっと大きな共同体の中で共有されている善き生の概念に基づいて治療方針の決定をなすような関係である。医師の守秘義務も、個人の権利を守るものとしてではなく、医師と患者という絆を保つために課せられる義務という具合に解釈されるだろう。これは確かに現代の医療倫理の論議においてはあまり見られなくなっていた論点である。エゼキエルは、共同体の結びつきの大切さという共同体主義の有意義な指摘を自由主義に取り込んだと言ってよいだろう。

それでも、哲学的な議論としてはエゼキエルの主張は不十分である。特に、彼の議論全体の前提となっている多元主義については疑問が残る。自分のものとは違っていても尊敬に値する善の概念、とはどのように判断されるのだろうか。中絶を認めない共同体の人々は、中絶を容認する別の共同体の善の概念を「尊敬に値する」と思えるだろうか。

結局、共同体主義の医療倫理への貢献としては、ビーチャムらが言うように、我々が自由主義の価値を認めているとしても、家族や地域社会などの絆の重要性を我々に再発見させてくれたという程度のことしか指摘できないかもしれない。そして、現代の合衆国ほど個人偏重主義ではなく、まだまだ家族や地域の共同体の絆が失われていないとされる日本の人々にとっては、この主張は別段目新しいことでもないかもしれない。しかし、自己決定という考えをこれからようやく受け入れていこうとしている現代の日本の医療倫理にとって、個人の権利や自己決定やプライヴァシーという言葉をあまり過剰にふりかざすと共同体の重要な絆が軽視されかねないということを警告してくれる共同体主義の提言は教訓的である。

[文献]

Beachamp, T. L. & Childress, J. F., 1994 (初版1979). Principles of Biomedical Ethics (4th edit.). Oxford U.P.:77-85.
Emanuel, E. J., 1991. The Ends of Human Life ﾑ Medical Ethics in a Liberal Polity. Harvard U.P.
Emanuel, E. J. & Emanuel, L. L., 1992a. ﾒProxy Decision Making for Incompetent Patientsﾓ, JAMA, vol.267, no.15 (April 1992): 2067-2071.
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Muyskens, J., 1989. ﾒProcurement and Allocation Policiesﾓ, The Mount Sinai Journal of Medecine, vol.56, no.3 (May 1989):202-206.
Sandel, M., 1989. ﾒMoral Argument and Liberal Toleration: Abortion and Homosexualityﾓ, California Law Review, vol.77, no.3 (May 1989): 521-538.
星野一正編著, 1995.『死の尊厳 ── 日米の生命倫理』、思文閣出版。

(おくのまりこ　博士後期課程一回生日本学術振興会特別研究員)

Dept. of EThics <ethics@socio.kyoto-u.ac.jp>

Last modified: Tue Mar 12 07:13:30 JST 1996