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ランドルフ・A・ミラー/ケネス・W・グッドマン「臨床医療における意思決定支援システムの利用をめぐる倫理的課題について」

志津吉明

出典:Randolph A.Miller/Kenneth W.Goodman, “Ethical challenges in the use of decision-support software in clinical practice", Ethics,Computing and Medicine:Informatics and the transformation of healthcare,Cambridge-Univ.Press、pp102〜115

本論文では、意思決定支援システムが医療において利用される際に生じてくる倫理的問題の所在を明らかにすることが試みられている。その問題とは「利用の適切さ、利用者の適性」や「医療ケアの標準(standard)」に関するものであり、また「伝統的な医療者−患者関係」に関わるものである。これらの問題は「道具利用の適切性についての伝統的な理解」や「技術の導入に対する慎重な検討と推進」に注意を払うことよって、最もうまく解決への道筋を与えられるだろうと、筆者は論じている。(以下、論文の構成に沿って議論を要約したい)

本文概要(introduction)

医療上の意思決定支援システム(medical decision-support systems 以下MDSS)は、患者の治療に関する、医療従事者の意思決定を支援するためのコンピュータープログラムである。簡易な意思決定支援システムの利用数とその精度は年々増加してきているが、ことに医療分野におけるコンピューターアプリケーションは広範で膨大な可能性を秘めている。例えば、それらは、投薬量の算定やICUでの静脈点滴量の制御、電子心拍計の読み取りや不整脈患者のモニタリング、また医学文献から関連記事を検索することなどに役立つだろう。すでに幾つかのアプリケーションは診断や治療法をくだすこともできるようになっており、改良を加えることで将来にはさらに頻繁に用いられるようになるだろうと思われる。管理経営の拡大(ことに北米で)に伴って、MDSSや電子診療録(erectoronicmedical records)を含めた他のCPプログラムや装置、器具の利用はその重要性を増し つつある。

意思決定支援システムは、患者の健康や厚生(Well-Being)に影響を及ぼすため、その利用に関しては倫理的問題が発生してくるが、その主要な問題は以下のものである。

  1. 「なぜ」また「何時」、利用されるべきか
  2. 「どのような利用法」で、また「誰によって」、利用されるべきか
  3. 臨床上の「標準的な意思決定支援システム」にどのような影響を与えうるのか
  4. 伝統的な医療者-患者の関係(Professional-Patient relationship)に変容をも たらすか

1.「なぜ」また「何時」MDSSは利用されるべきか (Why and when to use MDSS)

一般的な医療器具が用いられるのと同じ目的から、つまり医療行為の結果とその過程の質を高めるために、MDSSは利用されるべきである。これらの究極的な判定は患者の福利によってなされる。こうした原則は、個々の患者にだけでなく、医師によってケアされる患者たちの全体(Community)にも適用される。

多忙な医師が、個々の患者にとっての最善のケアにつながることを全て学ぶことと、彼の担当する多くの患者たちに効率的にケアを提供すること、との間で妥協をせざるをえないことは明らかである。個々の患者にとっての最善のケアを提供するためには、専門家と協議したり、医学文献を調べたりすることで数週間を費やさねばならないかもしれない。しかしながら、こうした準備に追われて医師が一人の患者のために図書室に篭りきることによって、他の多くの患者たちがケアを受けられなくなる不利益が生じてきてしまう。

だからと言って、全ての患者に診断をくだす目的でMDSSを利用することは不適切である。大多数の状況において、MDSS利用は適当ではないだろう。 MDSSはほとんどの点において他の医療器具と変わらない。聴診器(Stethoscope)のような器具は、医師自身の繊細な感覚能力を拡張するために利用される。それはあくまで音を拾い集めて、医師にとって音がよく聞こえるようにするための器具であるのであって、聴診器自体が医師の耳に取って代わるわけではない。同様に、MDSS自体が医師になり代わることは許されない。それを利用することによって、より効率的に解決されうる問題に遭遇した場合においてのみ、MDSSは利用されるべきである。

このようにMDSSの有効性は、あらゆる状況での、あらゆる患者に対する利用を正当化するほどに十分なものではないと考えられる。適切に訓練された医師ならば、「何時」「どのように」聴診器を使うべきかを心得ているはずだ。MDSSの場合にも、こうした利用基準が適用されると考えてよい。すぐに治りそうなただの頭痛に対して、「いつ」アセトアミノフェンやイブプロフェンを処方するべきかを、MDSSを用いて決定する必要はない。

1.1 Remider-system

さてMDSSには幾つかの一般的な類型(リマインダーシステム、コンサルテーション・システム、教育システム)があって、それぞれの類型に応じて、その適切な利用の基準は変わりうる

リマインダーシステムにおいては、投薬の手順指示、院内患者が担当医に検診してもらう日程作成、特定時期の到来予告(流行感冒等)、などの幾つかの事項はデーターベース化される。そのデータを参照することで、医療上のガイドラインや、患者のケアに関して有害な事項、についての医師側の認知度を高めることができる。

Mcdonald、Tierneyら(インディアナ大学-医学センター、Regenstreif研究所)の研究報告によると、多忙のあまりに,患者にとって明らかに最善であると思われるケアすらをも、医師が適切に施すことができないことがしばしばあるが、リマインダーシステムはこうしたケアの質を高めることができると言う。またClassen、Gardnarらは(ユタ大学、LDH病院協会)、リマインダーシステムを用いて外科手術前に予防薬としての抗生剤を処方させることによって、術後の感染症の発症を軽減することができた、と発表している。

こうしたリマインダーシステムの実施については、部分的にであれ電子診療録(電子カルテ)の運用が必要になる。今や合衆国のほとんどの薬局では、処方の記録や監視のためのソフトウェアが利用されており、過去にアレルギー反応を起こした患者に処方する際に、リマインダーシステムを用いて、ある薬剤が潜在的に相互作用を起こすかもしれないことを検索・通知することが可能になっている。

ところで医療上のガイドラインに目を向けてみると、著名な機関[1]によって公布されたガイドラインに加えて、地域内や組織内で適用されている無数のガイドラインが存在している。こうしたガイドラインの非統一性に対する倫理的課題として、特定の患者に対して、特定の人物によって、特定の時期に作成されたガイドラインが、あらゆる状況において、全ての患者に対しても適切であるかどうか、という問題が残される。それぞれのガイドラインがいかなる状況においても適切であるかどうかの検討を怠ってはならないだろう。

現存する何千ものガイドラインのほとんどは厳密な臨床的施行を経て法的認可を受けたものではない。ここにおいて、ある程度の常識が求められる。

リマインダーシステムを適切に用いることで、多くの利点やコスト削減を見込めることが示されてはいる。しかし、管理医療(managed-care)の要請が高まるなか、システムの機械的な運用によって、標準的な状況に置かれていない患者に対しても、不適切であるにもかかわらず標準的なケアを施してしまう危険性もあるだろう。

リマインダーシステムを成功させる鍵は、そのSN比(信号対雑音比率、Signal-to-Noise Ratio)にある。あらゆる療法、処方について、あまりに多くの誤りや不適切がシステムによって警告されるなら、多忙な医師はシステムの示すあらゆる指示を無視するようになるだろう。

これとは逆に、例外的処置を行なう際に、その患者についての十分な情報を、電子診療録によって得ることができなければ、その状況下において95%正しいと判断されるはずの処方が、5%の不適切な事例に該当するという警告を与えられるかもしれない。

ここで重要なポイントは以下のことであるだろう。

  1. 特定の患者に対して、また実際の臨床医療の現場においては、どのようなガイドラインが用いられるべきか
  2. 特定の状況において、どのガイドラインを適用するかを、誰が決定するべきで あるか
  3. ガイドラインの修正や廃止は「何時」「どのように」検討されるべきなのか

1.2 Consultation-system

MDSS利用のもう一つのモデルはコンサルタント機能である。コンサルテーションシステムとは、特定の事象の類型や、特殊な問題[2]に関する医学的な専門知識を提示するものである。システムの利用者は、このシステムに「いつ」アクセスするのが適切であるのかを判断しなければならない。

患者の専門医との面会をなるべく減らして、一次診療により重きを置くように推奨する現在の管理医療において、専門医による診療の必要性を軽減するために、コンサルテーションシステムを積極的に活用しようとしている。

しかし、システムによって示された“欠陥のある指示”について、一次介護者がその指示を不適切であると判断できるかどうかということは問題になるだろう。また別の視点から見れば、コンサルテーションシステムの普及によって、それにアクセスできる一次介護者が以前よりも難しい症状を発見できるようになるので、医師への患者の面会は以前よりも増えるかもしれない。

コンサルテーションシステムの利用に関する倫理的課題の1つは、データの医学的知識の程度や精度、有効性である。コンサルテーションシステムに用いられる、膨大な医学的知識のデータ―ベースを作成し維持するためには多大な労力が必要になる。もしも、不適切な人間がそのような作業を行なったり、その更新がなされなかったりすれば、システム利用者は不適切なアドバイスに被害を被ることになるだろう。医療従事者には「継続した医学的な教育」の標準が示されるが、このシステムにはそのような標準が存在しない。このことは、(有効性をテストされてから数年たっている)システムの提示するアドバイスにたいして我々を懐疑的にならせるにちがいない。

これはつまり、医学的な知識を提示する方法について、科学的・概念的な問題があるということである。データーベースによる知識の提示や人工知能利用の試みが、統計学的な手法よりも優れているかどうかという問題である。あらゆる器具の精度と信頼性が決して確実なものではないという認識は、その器具の慎重な利用を要求するものである。しかし、こうした態度(慎重な利用)は、医療器具の使用に関しても、高い優先権を持つものとして要求されるべきものだろうか、ということを考えておくべきだ。

このシステムに関する2つ目の問題は、人間と機械の相互行為(意思疎通)の不完全さに関するものである。プログラムの指示が状況に即した適切なものであったとしても、ユーザーがそのプログラムに入力した情報をシステムが「理解している」という保証は全くない。同じように、MDSSによって出力された指示内容を、システムの開発者が意図したとおりに、ユーザーが理解できるという保証もない。医学用語や語彙、定義の統一性が欠けているとすれば、そのことは人間−機械間だけでなく、人間同士の間にも混乱を招くだろう。患者の不利益は人間−機械(双方向の)の意思疎通の欠陥によって発生しうる。患者についての情報源が一次介護者ではなくて、電子カルテになったときにはさらに大きなリスクが発生するだろう。

1.3 Educational-system

MDSSの構築は、医療介護を学ぶ学生の教育に役立つ。MDSSを用いた医療教育においては、書誌学的な検索やシステムに対する精通だけではなく、判断基準の検討や医学資料の統合、専門医の主張の比較などが含まれている。多くのグループで、MDSSが医療(介護)研修生に対する、問題解決志向の教育のために利用されている。MDSSのデータ―ベース構築は、あまり熟知していない医学的知識が役に立つ領域を再認識することに役立ちそうだ。

MDSSの教育上の利用がもたらす大きな問題は、医療教育の方針転換の結末である。ひとたびCPのデータ―ベース経由で知識が容易に入手できるようになれば、将来やって来る学生たちに、どうせ忘れるだろう膨大な量の事柄を詰め込んで覚えさせるようなことをする必要性はない。それによって空いた時間を活用して、患者と医療ケアに関するもっと人間学的なアプローチを教えることができるという勘違いを多くの教育者が抱くかもしれない。当初には、そうした方針は魅力的に思われるかも知れないが、それから最終的に善い結果が得られるかどうかは不確かである。病気の症状や兆候などの状況を見抜く能力は、そのような状況を体験として熟知しているかどうかにかかっている。もしも全ての知識がCPのデータベース由来のものになってしまえば、症状や兆候などの身体的不調を見抜く医師の能力(腕)はしだいに衰えてゆくだろう。

確かにメリットもある。受け持つ患者の病気に関して、医師が規則的にMDSSを参照するようになれば、労せずとも技術(能力)を研鑚・向上することができるかもしれない。ミラー(Miller)は多くの医師たちから、MDSSの利用によって医療上の問題解決の新しいやり方が身についたと報告を受けているようだ。

しかし、中心的な問題の一つは、MDSS利用の拡張とそれにたいする信頼が、未知の事例に遭遇することを通じて、いっそう優秀な臨床医を生み出すのか、あるいは長期的には、システムに依存的で見識の乏しい臨床医を生み出すのか、という問題である。もしも、医師の技能低下を招くようであれば、MDSSの使用停止が考慮されるべきだ。

2.「どのような利用法」で、また「誰によって」利用されるべきか(How to and Who should use)

聴診器はそれ自体では役に立たない。他の器具と同じように、それは訓練された使用者を必要とするのであって、個々の患者の状態とケアについての適切な理解のない者がそれを使ってはならない。場合によっては、MDSSで得られるデータや指示を無視することもなされねばならないこともある。

医療従事者がそのようなシステムを利用する際には、幾つかの問題が生じてくる。一つは利用者の適性(資質)の問題である。管理介護において一次介護に従事する人にはそれなりの適性が要求されるように、システム利用者は誤った指示が与えられる可能性があることも熟知していなければならない。

二つ目の問題は、MDSS利用における熟達度の問題である。診察や療法のコンサルタントを行なう医療プログラムの不足と、それを扱えうような高度の操作能力を持ったエンドユーザー (end-user)の不足である。

初心者は、システム開発者が構想したのとは違った能力をMDSSが持っているのだと思い違いをすることがある。このために初心者は不適切な状況下でこのシステムを利用するかもしれない。逆に、システムに本来組み込まれている特定の機能に気がつかないということもある。適切な訓練を受けなければ、利用者はシステムがもたらすであろう重要な利益を逸するだろう。

さらに、ガイドラインとの関係も重要だ。医療における意思決定支援システムの利用には責任が伴うが、それは標準(standard)に従うことによって果たされる。倫理的な命令は医師にとって明白なものであり、臨床上の標準(基準)はそれを反映している。良心だけで知識の乏しい者は、医療と介護の実践においては不適格である。ケアの標準は公的に評価されている意思決定の基準を具体化したものだ。MDSSの利用がその基準から逸脱できるといういかなる理由も存在しない。

3.医療者−患者の関係 (the professional-patient relationship)

我々は「医療者-患者の関係」を構成する明確な理念があると思いがちだ。現代においてはOsler(1932)が一つの強力な傾向を指摘している。それは人間性への奉仕者としての医師という理念である。さらに、その関係は「同情や慈善や信頼」などに基づく「信用のうえでの関係」であると理解されていた。 医師や看護士が行なう決定は、慣習的にそのような関係の中でなされてきた。個別的なその場限りの関係においては、不合理な処方や到底受け入れられない告知すらもなされたかもしれない。というのも、それは真の理由の説明や生物学的な理解が、患者側に十分示されなかったためである。

しかしながら、こうした「医師による患者のために」なされる恩恵的で、一方的な決定という考え方は、「意思決定の共有」というより確固とした考えに取って代わられた。この転換の背後において、機械がいったいいかなる役割を果たしたのだろうか。医療上の意思決定を正しく行なうことのできる機械の登場によって、医師や介護士が最善の意思決定をなすことができるようになった。

重要な点は、いまや患者自身も意思決定に関していくらかの意見を持つようになっているということである。意思決定支援のソフトウェアがどれだけ進歩したとしても、それは人間(医師であれ患者であれ)が行なう意思決定を無効にして、すべてをCPの知識に委ねるということを意味しない。あくまでも、このシステムは「医療者−患者」の間で下される決定とその合意の有効性を最大化するためにのみ利用されるものである。

4.結論(Conclusion)

CPが進歩し、ユーザーが洗練され、社会経済的要因がその進歩を促すにつれて、MDSSの利用も増加し続けるだろう。しかしその利用の全てが適切であるとは限らない。1つには、特定の仕事に対する、適切な道具の選択という問題がある。また、その適切な利用は、理性的な予見や公に保守されている基準、厳格な評価基準によって評価されねばならない。

実践上の倫理的関心は、特定の行為が良くも悪くも評価されかねない状況を前もって明文化することによっては充足されえない。むしろ行為者は、それによって解決策を見出すための道徳的、専門的、社会的な試金石を手に入れようとするべきだ。臨床医療における意思決定支援システムの利用は、多様な状況において、患者のケアの向上を可能にするだろう。しかし、適切な道具使用という基準から外れて、社会的に有用な人間の関係(医療者-患者のような)を無用なものであると見なすようなことがあれば、裏切られてしまうだろう。幸運にも、医療や介護、そして他の多くの職業において、我々はすでにそのことを学んでいるはずだ。