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ジェイムズ・ムーア「魂のプライバシーを守りながら遺伝情報を利用すること」

樋口未来

出典:James. H. Moor, "Using genetic information while protecting the privacy of the soul", Ethics and Information Technology, Vol.1, No.4, pp.257-63, 1999

キイ・ワード

0.はじめに

この論文は、遺伝子研究(genetics)とコンピュータ技術の発達した時代におけるプライバシー(privacy)を主題とする。遺伝子研究が社会にもたらす利益と遺伝情報についてのプライバシーの重要性が検討され、結論として強力な(strong)プライバシー保護法の必要性が説かれる。なお、筆者のジェイムズ・ムーアはダートマス大学哲学科の教授である。また、この論文で展開されるプライバシーについてのムーアの見解、コントロール/制限アクセス理論(control/restricted theory)は、彼の論文「情報時代におけるプライバシー理論の構築に向けて」にもとづくものである。

1.導入(Introduction)

二十世紀の後半には、情報にかかわる二つの科学技術、遺伝子研究とコンピュータが目覚しく発達した。これらの技術は社会に大きな利益をもたらす一方で、プライバシーを脅かす潜在的な可能性を持つ。遺伝子研究とコンピュータの発展によって激化しつつある個人情報とプライバシーをめぐる問題の一つは、遺伝子検査(genetic testing)が医療外の(non-medical)文脈において利用されることである。遺伝情報は雇用や教育に関して、特定の個人を差別するために用いられうる。それゆえに、あらゆる個人情報がひとしく慎重な扱いを要する(sensitive)わけではなく、差別に用いられやすい遺伝情報などのいくつかの情報が他の情報に比べて、より強力に保護されるべきである。

したがって、われわれすべては、とりわけ医療情報の収集に携わる者は、遺伝情報の蓄積と理解とがすすむことによって個人が危害を受けることのないように、遺伝情報に強力な保護をあたえる責務(obligation)を負う。遺伝情報のプライバシーにかかわる問題は医療機関に限定されるものではないために、技術的な解決策だけでは解消されない。そのために、プライバシーを保護する法が必要とされる。にもかかわらず、遺伝情報の濫用(abuse)にたいして市民を保護するためのプライバシー法を十分に発達させた国はない。したがって、われわれの目標は、われわれの魂(soul)のプライバシーを保護しつつ、遺伝情報を適切かつ効果的(proper and effective)に利用するための指針(policies)を見つけることである。

2.遺伝子のしくみ(Gene machines)

ここでは、ワトソン(J. Watson)とクリック(F. Click)によって発見されたDNAの二重らせん構造(double helix structure)およびその複製(copy)過程が説明されたのちに、遺伝子の特性についての議論が展開される。ここでムーアは、遺伝子とコンピュータ・プログラムを類比的にとらえて、遺伝子の情報内容(informational content)とコンピュータ的性質(computational nature)に注目する。まず、遺伝子のひきおこす病気、テイ病(Tay-Sachs disease, 黒内障性家族性痴呆)、脆弱X症候群(Fragile X syndrome)、嚢胞性線維症(Cystic fibrosis)を例にとろう。これらの病気はいずれも、遺伝子の突然変異(mutation)や欠損(missing)によって複製が正常に行われないことから生じる。コンピュータ・プログラムとバグの関係と同様に、遺伝子が正常に機能する場合には何事もうまく行くものの、どのように些細なものであろうとも遺伝子のプログラムにミスがあるならば途方もなく不幸な結果をもたらす。これが、遺伝子のコンピュータ的性質である。

つぎに、遺伝子の情報内容との関連で、近年のヒトゲノム研究の現状が論じられる。まず、遺伝子地図の作成(mapping)において大きな進歩が成し遂げられた。1970年代には数百の遺伝子の地図が作成されていただけであったが、1980年代後半には15年以内に(1)遺伝子の地図を作成し、(2)塩基を正確な順番に配列する(sequence)ことを目標とする、国際的なHuman Geeome Projectが発足した。その当時は手作業で塩基の配列を行っていたために、莫大な時間と資金がかかると思われた。ところが、自動分析装置(robotic analyzer)の登場で、一つの塩基を配列するために必要な時間と経費は大きく軽減される。たとえば、1998年には、クレイグ・ベンター(Claig. Ventor)と協力していた私企業が、自動化されたDNA配列装置(automated DNA sequencer)を用いるならば3年以内に3億ドルで、あらゆる塩基を配列することができると宣言した。コンピュータなしには、こうした時間と経費の軽減はありえなかっただろう。

3.遺伝子研究の恩恵(Benefits of genetics)

遺伝子研究が現在において、そしてまた将来においても有益であることは明白である。そこで、遺伝子研究が医療に恩恵をもたらす事例を二つ検討する。第一の事例は、糖尿病である。ある糖尿病患者には動物から採取された(harvested)インシュリンよりも、ヒト・インシュリンのほうが効果的である。この場合には通常の大腸菌にヒト・インシュリンを合成する遺伝子を組み込むことで、大腸菌の中でヒト・インシュリンがつくられる。このように、遺伝子研究の知見は病気に対抗するためのホルモンやワクチンの製造に適用される。第二の事例は、フェニルケトン尿症(phenylketonuria, 以降ではPKUと記す)である。PKUの劣性遺伝子(recessive allele)を同一染色体上に二つもつ子供は、フェニルアラニンをチロシンに分解する酵素をつくることができない。そして、PKUを治療せずにほおっておくと知能障害がひきおこされる。ただし、PKUの子供に食餌療法を行うならば、子供は知能障害にならずに、ほぼ標準的に成長する。現在では遺伝子検査によってPKUの診断を行っているが、以前には血液中のフェニルアラニン含有量を調べることで診断が下された。この血液検査には誤診も多く、非患者に食餌療法を行ったために知能障害がひきおこされるという悲劇も相次いだ。また、遺伝子治療が発達するならば、インシュリンをつくる遺伝子やフェニルアラニン分解酵素をつくる遺伝子を患者にうめこむ(implant)という治療方法が実現するかもしれない。さらに、遺伝子治療や完全な治療法がないとしても、たとえば自分には肺ガンの遺伝的なリスク要因(risk factor)があるかどうかを知っておくことは、自身の健康を管理するためにも役立つ。

遺伝子研究は医療のほかにも大きな恩恵をもたらす。遺伝子研究の知見の商業化と特許権(patent right)は多くの富を生む。このように遺伝子研究が社会に多くの利益をもたらすために、遺伝情報のプライバシーへの配慮が十分には行われてこなかったとムーアは指摘する。しかし、遺伝子研究の進展はもはや抗いがたい(juggernaut)ものになっており、それを中止する(stop)ことは不可能である。むしろ、われわれには遺伝子研究をコントロールすることが可能であり、またそうすべきであるとムーアは主張する。

4.プライバシーの性質(The nature of privacy)

ムーアは、プライバシーの権利を、「他者の侵害からの保護にかんする規範的な要求」(normative claim about protection from the intrusion of others)と見なし、プライバシーが社会状態の特性(feature of social situation)であることを強調する。たとえば、無人島に一人でいる人物は、その人物を侵害する他者が存在しないために、自然的(naturally)にプライベートな状態におかれており、規範的なプライバシーを必要としない。また、人々が島に移住し社会が形成されたとしても、少なくとも最初のうちは、プライバシーは規範的な関心(concern)にはならない。なぜならば、お互いに信頼し合うことができるほど小さな社会であれば、プライバシーへの関心とそれについての規範的な制限がなくても、社会はうまく機能するからである。さらに、プライバシーは人々の性格(personality)と選好(preference)に大きく依存する。たとえば、お互いに経験を共有し秘密(secret)を持たないカップルや小規模の群居集団(gregarious group)にとって、プライバシーの欠如は相互の信頼(trust)と尊敬(respect)を明示するものである。しかし、社会が大きくなるにつれ、あらゆる人々がお互いを等しくよく知っており、また知ることを望むなどということはありえない。

つまり、プライバシーとは社会的相互行為(social interaction)から生じる関心であり、われわれはプライバシーの権利にもとづいて他者の侵害からの保護を要求する。プライバシーは、他者の有害な(harmful)要求や性癖(idiosyncrasy)から個人を保護する一種の防御壁(shield)である。そして、大規模で情報の豊かな社会においてプライバシーの権利は、個人の保護にとって決定的なものとなる。また、プライバシー概念の中身は、時代に応じて変化するものであり、政治的・技術的特性を含む社会構造によって部分的に規定される。

プライバシー概念と同様に、個人への侵害とみなされるものもまた、時代と文化の違いに応じて変化する。そこで、合衆国におけるプライバシー概念の発展を検討する。まず、独立宣言や合衆国憲法などにおいては、プライバシーは明示的(explicitly)には言及されていない。しかし、政府によってなされる認可されない(unwarranted)侵害からの保護として、プライバシーの概念は示唆されている。これにたいして、ウォーレン(S. Warren)とブランダイス(L. Brandeis)は、報道機関(press)による侵害など非政府機関によってなされる私生活への侵害にまで、プライバシー保護を拡張することを論じた2。これ以降1960年代から70年代にかけて、裁判所の判決はプライバシーの権利の概念を拡張しつづける。たとえば、生殖にかかわる個人の選択への政府の介入は侵害と見なされ、プライバシーの権利には、女性が中絶する権利(ロー対ウェイド判決)、避妊具についての情報とその使用にたいする権利(グリスウォルド対コネティカット州判決)までも含まれることになった。さらに、コンピュータ技術の出現とともに、プライバシーの権利は制定法(statute)および判例法(case law)により、個人情報の保護も含むことになる。プライバシーの権利と個人への侵害の意味するものは、社会と時代に応じて変化しつづけてきたのだから、今後も来るべき遺伝子革命とともに変化するだろう。もしプライバシーの権利を固定された概念と見なし、その権利を持つか持たないかという二項対立的(binary)に理解するならば、技術の進展とともにプライバシーを評価しなおす必要はないだろう。ところが、遺伝子技術は急速に進展するものであるから、遺伝子技術の適正な利用にかんしては、指針の空白(policy vacuum)が生じてしまう。

ここで、プライバシーについてのムーア自身の見解、コントロール/制限アクセス理論が提示される。この理論によると、われわれはプライバシーが問題となっている状況において、「誰が、何にたいして、あるいは誰にたいして、どのようなやり方で、どのような状況のもとでアクセスすべきであるのか?」と問う。プライバシーの概念はきめの細かい(fine-grained)ものであるから、われわれは上の問いによって、一定の状況においてプライバシーの権利がどのように彫琢される(elaborated)のか、その詳細を問う。われわれは各人の自律(autonomy)を尊重するから、各人は自身のおかれた状況で、自分の領域にたいする他者のアクセスについて決定を下す。ところが、個人情報がたえず流出しつつあるコンピュータ化された世界において、ある個人があらゆる場合に自身の情報へのアクセスを完全にコントロールできると考えることは現実的ではない。したがって、個人によるアクセスのコントロールが現実には不可能である場合に、どのような条件のもとであればアクセスが許可されるのかについて考えることが重要である。

ムーアによると、アクセスの許可される条件について考える際に手がかりとなるのは、アクセスの正当な必要性(legitimate need)である。そして、この正当性を立証する義務は、アクセスを試みる側にある。アクセスの正当性について当事者間に不一致がある場合には、ディシュー(J. DeCew)の言うところの動的な交渉(dynamic negotiations)により、アクセスおよび個人識別についての相互に受容可能な水準が決定される。

つぎに、コンピュータ技術はプライバシーにたいする脅威であると同時に、プライバシーを守るためにも非常に役立つことをムーアは指摘する。たとえば、病院においては医師や看護婦のほかにも、多くの医療従事者が患者についての情報をもつ。電子化された医療記録は、従来のカルテに比して、より多くのかつ選択的(selective)な保護をプライバシーに与える。また、電子化された記録は番号を用いて患者を識別するために、混乱は防がれ、匿名性(anonymity)も保たれる。そして、患者の記録にアクセスするコンピュータ・プログラムは様々なアクセスの水準を設定し、このコンピュータのユーザすなわち患者の記録にアクセスした人物についての監査記録(audit trail)を保存する。さらに、コンピュータ技術の進展によって、指紋や虹彩をもちいた個人識別も可能になるかもしれない。医療機関における患者へのプライバシー侵害の大部分は、ある医療従事者が他の医療従事者の担当する患者の記録を見ることによって生じているから、情報にアクセスする人物を識別しアクセス記録を残しておくコンピュータは、プライバシーの擁護に大いに役立つ。たしかに、コントロール/制限アクセス理論によって特徴づけられたプライバシーは、コンピュータ技術を適用することによって十分に保護される。しかし、コンピュータがプライバシーを完全に保護するわけではないことも明白である。最終的には、プライバシーの権利を保護するために、われわれはお互いに他者とその権利を尊重すべきなのである。

5.遺伝子のプライバシーと強力な保護の必要性(Genetic privacy and the need for strong protection)

ここからは遺伝情報のプライバシーについて、遺伝子検査との関連を中心に議論が展開される。まず、遺伝情報は、われわれが何者であり、どこから来て、どこに向かいつつあるのか、ということに関する見識(insight)を与える。たしかに、遺伝子がわれわれの生の物語の全体(whole story)を提供するわけではないが、その重要な特性をいくつか与えてくれる。それゆえに、遺伝情報は慎重な扱いを要する。遺伝情報へのアクセスを制限することは、差別を避けるために非常に重要である。遺伝子検査には、診断的(diagnostic)検査と予測的(predictive)検査とがある。ある患者には何らかの病気の徴候があり、病気の遺伝的根拠があるかどうかを調べるために行われる検査は診断的である。一方で、将来的におこるかもしれない病気の遺伝的条件を調べるために、病気の徴候のない人物に行われる検査は予測的である。予測的検査の例は、ハンチントン病にたいする遺伝子検査である。ハンチントン病は中年期以降に発症し神経の退化をひきおこす病気であり、その治療方法はない。この病気の患者は、精神的能力と身体的能力を徐々に失い、最終的には痴呆(dementia)になってしまう。ハンチントン病の遺伝子検査を受けた人物は、自分が検査を受けたこととその結果について、医師などがアクセスすることを望まない。そして、その人物の担当医であっても、この遺伝子検査についての情報にアクセスする正当な必要性はない。治療方法のない病気の場合には、その遺伝情報が他者に知られてしまうと、かりに病気の徴候がないとしても、患者の生活を壊してしまう可能性があるからである。

ムーアは、情報社会において遺伝情報を保護するために強力なプライバシー法が必要であると主張する。そして、その主張の理由を五つ挙げる。第一に、これまでも論じてきたように遺伝子研究は大きな恩恵をもたらしており、将来必ずヒトの遺伝情報をより多く集めようとする研究計画が立てられるだろう。強力なプライバシー法は、遺伝情報の収集と個人のプライバシーとの釣り合いをとる(counterbalance)ために、そして遺伝子研究を中止するのではなく倫理的な境界内にとどめておくために必要である。第二に、保険会社だけではなく多くの企業が顧客(client)を選別するために、遺伝情報を用いることができる。したがって、強力なプライバシー法は、遺伝情報が個人への差別に利用され個人に不利益が生じることを防ぐためにも必要である。第三に、医療情報の収集はコンピュータのおかげで一般的なことになっており、医療の文脈の外部においても遺伝情報は収集されうる。つまり、これまでのように電子化された医療情報をコンピュータ管理するだけでは、プライバシーを効果的に保護することができない。それゆえに、遺伝情報のプライバシーを保護する強力な法が必要になる。第四に、遺伝情報にもとづく差別が広がってしまい、この差別は既存の偏見を強固にするだけでなく新たな偏見をつくりだすかもしれない。たとえば、同性愛の遺伝子(gay gene)が発見されたと仮定しよう。この場合に同性愛の遺伝子をもつ子供の両親が、その子供に遺伝子治療を受けさせることは正当化されるだろうか。同性愛者たちは異性愛者に比べて子供をもつことが少ないだろうから、同性愛者の人口は激減するかもしれない。遺伝的な組成によって人々が階層化される身分制度を確立させないためには、反差別法だけではなく、強力なプライバシー保護法が必要である。第五に、潜在的(latent)情報の問題がある。たとえば、病院で保管されるPKUの遺伝子検査を受けた人物の血液、散髪した時に落ちた毛髪も、われわれの遺伝情報を含んでいる。こうした試料(sample)に含まれる情報が利用可能なものとなる時代も、遺伝子研究の進展によって到来するかもしれない。つまり、自分の知らないところで試料が集められ、自分の遺伝情報が解読されるかもしれないのである。このようなことを防ぐためにも、強力なプライバシー法が必要である。

今まで述べてきたように、現在発展している遺伝子研究は多くの有益な可能性を秘めている。遺伝子研究からの恩恵を望まないものはいない。だからこそ、われわれは遺伝子研究とプライバシーについて、正しい帰結をもたらす指針を必要とする。現在、われわれが危惧すべきことは、遺伝子研究のもたらす恩恵の大きさに、プライバシーへの関心が圧倒されていることである。遺伝子はわれわれが何者であるのか、そしてどのような生を営んでいるのかをわれわれに告げる。遺伝情報にもとづく不正な差別を防ぐためには、そしてやや古めかしい言い方をするならば魂のプライバシーを擁護するためにも、強力なプライバシー保護法が必要なのである。

文献

  1. J. H. Moor, "Towards a Theory of Privacy in the Information age," Computer & Society, Vol.27, No.3, pp.27-32, 1997 なお、2000年に情報倫理の構築プロジェクトによって発行された、『情報倫理学研究資料集2』にこの論文の紹介がなされている。
  2. S. D. Warren and L. D. Brandeis, "The Right to Privacy," Harvard Law Review, Vol.4, No.5, 1890, pp.
  3. J. W. DeCew, In Pursuit of Privacy, Cornell University Press, 1997

(ひぐちみく 京都大学文学部)
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