越智貢「｢情報モラル｣の教育　―倫理学的視点から―」

貸川聡子

もう一つのモラル教育

新学習指導要領において、中・高校に初めて情報教育が課せられ、その一環としてそれに関わるモラルも学習の対象となった。そのモラルが「情報モラル」と呼ばれているものである。同じくかつてトップダウンで教育されるようになった、道徳の時間に扱うモラルをここでは｢日常モラル｣と呼び、情報モラルと日常モラルの違いとこの二つの共存がどのような事態を呼ぶのか、それを倫理学的視点から考察しようというのが本章のねらいである。(この論文は、越智貢･土屋俊･水谷雅彦編『情報倫理学　電子ネットワーク社会のエチカ』に収められている。)

情報モラルとは？

｢情報モラル｣という言葉の検討を試みる。

｢情報モラル｣は、新学習指導要領の公示によって知られるようになった和製の造語であり、その意味では「インフォメーション･エシックス」の訳語である「情報倫理」という言葉とは違う。ゆえに「情報モラル」独自の定義が必要となるはずである。しかしこの言葉が使用されている主な資料をみても、具体的なトラブルは述べられていても｢情報モラル｣の明確な説明はなされていない。また、｢情報モラル｣という言葉が一方ではネチケットと同じような意味で、一方では電子ネットワークで守るべき正しい行為のような意味で使用されており、使い方も統一されていないのである。

セキュリティ・モラル

とはいえ、｢情報モラル｣が「情報倫理」と同じ役割を担うものであるのは新学習指導要領などの資料を見れば明らかである。そこでここでは、情報モラルと共通の性質として情報倫理の「モラル性」を分析することで、情報モラルの特性を考察する。

一般に｢情報倫理｣として定義されているのは、「情報化社会においてわれわれが社会生活を営む上で、他人の権利との衝突を避けるべく、各個人が最小限守るべきルール」(『情報倫理概論(1995年版)』私立大学情報教育協会)といった内容のものである。ここから見られる特徴的な情報倫理のモラル性は次の5つが挙げられる。

1 行為の倫理：: 情報倫理においては、人間性ではなく、行為が問題にされている。
2 消極的な倫理：: よい行為を行なう倫理ではなく、悪い行為を行なわないという倫理、つまりポジティヴな倫理ではなくネガティヴな倫理である。
3 結果の倫理：: 行為の結果のみが問われ、行為の動機は問われない。情報倫理では「よい」行為と｢悪くない｣行為は等価である。
4 知の倫理：: 行為の判断基準は個人の道徳的心情ではなく知識や規則にあり、それに基づいた行為がよい行為となる。
5 安全の倫理：: 情報倫理の目指すべき価値はシステムやユーザの安全である。

情報倫理は電子ネットワーク上の安全保障、すなわち「セキュリティ･モラル」として捉えることができ、セキュリティ･モラル以上のことを求める｢日常モラル｣とは違った特殊な倫理であることがわかる。そしてこの特殊性は情報モラルにもあてはまる。

情報モラルの高さ

情報モラル教育が目指す人間像とはどんなものか。ここではシラーの寓話を使って考察している。シラーは5つの例を出し、その中で真の道徳的行為であるのは本能的に道徳的義務を果たした行為のみであると主張した。彼は「行為の倫理」ではなく｢人間性の倫理｣が必要であると考えていたのである。｢日常モラル｣の目標とする人間像は、こうしたシラーの見解に基づくような道徳的に「美しい」心を持った人である。

一方、情報倫理／情報モラルは既に述べたように｢行為の倫理｣であり、かつ行為の動機も問われない｢結果の倫理｣である。ゆえに目指すべき人間像もシラーのいうような心の美しい人である必要はなく、セキュリティ･モラルを守ることのできる人で充分なのであり、その意味では情報モラルの目標は低いといえる。

情報モラルの強制力

モラルを実践する上で必要となる、行為への強制力については、情報モラルの場合どのようなものが考えられるのだろうか。

ベンサムは物理的サンクション、政治的サンクション、大衆的サンクション、宗教的サンクションの四つの強制力を挙げ、ミルはそれらを「外的サンクション」として一括し、｢内的サンクション｣、すなわち良心と対比させて議論している。日常モラルはこうした内的サンクションを前提としうるが、情報モラルの場合には、外的サンクションを頼みにせざるをえない。なぜなら良心は人間性の倫理に関わるものであり、情報モラルは目標にはしえないものであるからだ。

しかし、電子ネットワークにおける非対面性や匿名性は、頼みにするはずの外的サンクションを機能させにくくする。だからこそ種々のトラブルが生ずるのであり、情報倫理／情報モラルが必要とされるのである。これに関する事例として、｢合理的エゴイスト｣という人間類型がある。合理的エゴイストとは、自己利益を図るというポリシーを持った頭のいい利己主義者を意味する。彼はモラルをよく知っているにもかかわらず、彼にとってモラルは行為選択の必然的な理由にならない。当然内的サンクションは機能しないが、それどころか外的サンクションがリスクとして機能しないところでは、彼は平然とモラルにもとる行為をする。外的サンクションの働きにくい電子ネットワークの世界に合理的エゴイストが混在した場合、彼に対して情報倫理／情報モラルはほとんど無力となる。このように、情報倫理／情報モラルの目標は低いとはいえ、その実現は容易ではない。

日常モラルの現在

しかし実際には、日常モラルが既に身についている人であれば、情報倫理／情報モラルの実現はそう困難ではないだろう。｢よい人｣であれば｢よいネットワーカー｣たりうるのは容易である。この意味では、情報倫理／情報モラルは日常モラルをベースとする二次的モラルであるといえよう。情報モラルの教育は日常モラル、つまり通常の道徳教育の成功と無関係ではない。

問題なのは、現状では土台である日常モラルそのものもうまく機能していないということである。外的サンクションだけでなく、内的サンクション、すなわち良心も弱体化している。国家公務員倫理法のように、内的サンクションが働くべきモラルの実現のために外的サンクションの代表である法を制定するといった事態も起きているのである。

モラルの存在理由

今日いわれているモラルとは、他者への配慮を旨とするものである。しかし、かつてある時期まではモラルは自己を高めるためのモラル、つまり自己への配慮を旨とするものであった。この二者はモラルの存在理由という点が大きく違っている。自己への配慮であるモラルの理由はもともと自己と結びついたものであるが、他者への配慮であるモラルでは、それを自己に結び付けて維持するにはモラルそのもの以外の別の理由が必要になる。今日、モラルの自明性が喪失しているといわれるのはこうしたことによる。

情報倫理／情報モラルは、既に述べてきたようにセキュリティ･モラル、すなわち安全保障のためのモラルである。つまり、トラブルを回避しネットワーク上の営みを円滑に行なうために、他者に対する行為（非行為）を指示し、他者に対する〈最低限の〉配慮を求めるモラルなのである。この実践によって自己は守られ安全を保障されるものであって、高めて完成させるべきものではない。情報モラルでもやはり、自己への配慮はモラル外のものなのである。しかし、もし現在のモラル一般が、そしてまた情報モラルも自己への配慮を旨とするモラルであれば、たとえ外的サンクションが働きにくい世界であっても、モラルの実践は遂行されうるであろう。

(かしかわさとこ京都大学文学部)

この記事終り

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